8.
帝国帝都【太陽の帝国】は、見渡す限り地平線がずっと続くほど広大な砂漠の中央に存在する。名前が【太陽の帝国】というものだからややこしいが、あくまで帝国の帝都の名前が【太陽の帝国】というだけである。一都市が名乗る名前にしては不遜極まりないのだろうが、事実この【太陽の帝国】は国といって差し支えないほどの機能を有している。
世界の中央銀行【The Big Money】。
世界一のコングロマリット企業【金の天秤】。
そして、世界の政治全てを決定する機関【帝国議会ロイヤルクラウン】。
帝国とは、この世界【揺りかごの箱庭】唯一の国家。
国とは帝国。帝国とは国。
故に、この帝国帝都【太陽の帝国】は、通常の都市とは比にならないほど重要なのである。
「――皆様。本日はお忙しい中、私とフリッカの婚約の舞踏会のため【太陽の帝国】にお集まり下さいまして、誠にありがとうございます。僭越ながら私、橙の魔術師ジャハーンより厚くお礼を申し上げます」
「……」
「フリッカ、挨拶を」
「……皆様。本日は遠路遥々、帝都の砂漠の中央にまで足をお運び下さいまして、誠にありがとうございました。私からも皆様に厚く感謝申し上げます」
その【太陽の帝国】の帝国館とよばれる建物には、帝国本土の各方面から貴族がずらりと集まっていた。
見るからに一種の立食パーティのような様相を示している。
壁際にはビュッフェ形式の豪勢な料理が立ち並び、貴族たちは和気藹々と社交にいそしんでいる。
大きく開けた大広間中央は踊るためのスペースであり、赤い絨毯と情緒豊かな音楽がダンスをするための雰囲気作りとして一役買っていた。
そう、今日は宴である。
帝国の次期皇帝・神の遺児・橙の魔術師ジャハーンと記述天使フリッカの婚約の宴。
それが華やかでない道理はない。
「帝国が始まって以来、この帝国館は幾度となく婚儀の舞踏会に使用されてきましたが、今日ほどの面々をお迎えすることができたのは初めてのことでしょう。帝国の次期皇帝として非常に誇らしく思います」
「……」
「ご来賓の皆様の紹介に移りたいと思います。まずは――」
帝国館は舞踏会のための建物であると言っても過言ではない。全体がきらびやかな造りになっており、その踊るための大広間には一万人が収容できるほどの空間がある。恐ろしく広すぎる、と思われるが、この空間の広さは魔術で拡張されているため自動的に調節が可能なのである。今回は、その一万人が収容できるほどの大きなスペースを遺憾なく披露していた。
その帝国館の大広間は、二階に細く壁を伝うように空中通路が通っており、その最奥中央に橙の魔術師、フリッカ、そして来賓が揃っている構図であった。
全員はフリッカ、橙の魔術師、そして来賓の者たちを見上げる形となっている。
「――戯曲家・作曲家・絵画家・映画監督、その他幅広い分野で総合芸術を手掛けておられる創作集団【エピソード・オーケストラ】の団長、『青の魔術師/真の極彩色の魔術師』ネレイカ・ステファン・エピソード・カークウッド様」
「やっほー、皆様こんにちは。今日は恐らく最も面白い日になることでしょう。私の手掛けた脚本『The Virtual Fighter』は今日、その脚本通りにすすむことでしょうから。――驚愕のネタバレと、序破急の破、伏線回収と設定解説という意味合いにおいて、ね」
ゾッとするほど美しい笑みを浮かべながら、真の極彩色・芸術家カークウッドはそう微笑んだ。
脚本通り。
それはつまり、彼女の狙い通りということ。
曰く、それは計画だった。
あの『ヒーロー・コロシアム』でバンドの茶番劇を繰り広げ『ここにいるのがバーチャルファイター、アカイアキラ君』と各メディアに印象付けて『アカイアキラ(という冴えない男)=バーチャルファイター。朱の魔術師≠バーチャルファイター』という世間の認識をつくり出すこと。
そして、エピソードはまだ始まったばかり。
「――命の巫女・呪術外科医・薬剤師・調教師・狩人・そしてアカデミア学長として幅広く世界に携わっておられます、『緑の魔術師/命の魔術師』ナジャ・アカデミア様」
「こんにちは。ボクはアカデミアの学長をしてます、緑の魔術師ナジャです。ごめんね、朱の魔術師さん。君をアカデミアから追放したくはなかったんだよ。でも――そうやって魔術を制限しないと、君は死んでくれなかったと思うんだ」
伏し目っぽい表情で、やや申し訳なさそうな面持ちを浮かべている命の魔術師ナジャ。
指先で弄んでいるのはエリクサー。朱の魔術師を『一度殺して生き返らせる』ために――自分の都合のいい魂の形に改組するために、用いた道具。
それはつまり『ヒーロー・コロシアム』で彼が死にかけることが計画の延長上にあったということの吐露であった。
でも、君を守ろうとしたんだよ。
そんな彼女の健気そうな雰囲気が、その場においてますますの混乱を生んでいる。
「――発明家・実業家・複合コングロマリット企業【金の天秤】の最高責任者にして最も長く八大極彩色魔術師を務めておられる、『黄金の魔術師/蟲の魔術師』ジョゼット・ロスマンゴールド様」
「諸君。七王のうち強欲を司る黄金虫、ジョゼットじゃ。黄金に憑りつかれたドワーフ、錬金術の大家、そう言われたことも長かったわい。――極彩色の座を我が娘ロルに譲るつもりじゃったが、どこぞの若造が『赤』の号を奪っていきよったのが誤算じゃったわい」
いつも通りに黄金の鎧に体を包んだ黄金卿のドワーフ、ジョゼットがにたりと笑っていた。
一人だけ若くない極彩色の魔術師であったが、彼の「啓明」の科学精神は正に『明の魔術師』として『赤』の号がふさわしい――かと思われていた。
そこに突如現れた朱の魔術師アルフレートの存在は、計算外でしかなかったのだ。
とはいえ彼はアクシデントを楽しむ人柄、アルフレートを排斥しようとは考えない。救おうとも考えない。
サイボーグ・パワードを用いて戦闘データを採集し、娘の婿養子に相応しいかを試す。その過程で死ぬならその程度――そうとしか考えていないのだった。
「――世界で唯一のグレートニンジャ、真の異世界転移者、黄泉の国の姫、鬼人族の乙女、そして妖怪の長であられる『紫の魔術師/夜の魔術師』大和月姫様」
「大和月姫でござる。今宵は忍者の服装ではなく着物でこちらに参った。つまり本気ということでござる。――死人であり、拙者と同じ世界を共有した者、そして弟子であるアルフレート殿とは積もる話も御座候」
いつもの忍者の恰好ではなく、着物を美しく着こなした姿で現れたのは紫の魔術師、大和月姫。
名刀村正を携えて、明鏡止水を思わせるほどの静かさを醸している。
死人としか結ばれることのない黄泉の国の民。
彼女が花嫁和服の白無垢を紫染めにしたものを着ているのは、一体いかなる意味があるというのだろうか。
「――アンダーグラウンドで人気のアイドル『ゲス顔ブラック★キャンディ』でありながら、帝国妖精名家ユーラー家の末裔、無自覚なまま育てられてしまった生きる言理の妖精『黒の魔術師/世界言葉の魔術師』アマーリエ・ユーラー様」
【……。兄貴、ごめん】
「続けて、その偉大なる祖父であられる、南部マフィア『La Cosa Unione』の首長にして連邦国【帝国】の七王が一人、暴食の王、『煙の魔術師』グランド・パードレ様」
「――ヴラーヴォ! ……私が理由もなくアイドルに会いに行くとは思っておるまい。可愛い孫娘の運命を変えてくれたことには深く感謝している。故に! お前を影ながら助けておったのだがな、アルフレート卿」
私は腹が減った人間の目の前で食事を取るのが大好きでな。
我々La Cosa Unioneには信義がある。我々は政府だ。我々は国家だ。我々は人々を守り支える存在であり、父であり、ユニオーネだ。
かつてグランド・パードレはそう言った。
そして、嘘が嫌いだからこそ、『アルフレートの本当』であるアカイアキラとさえ対面させた。
煙の魔術師、グランド・パードレは『言葉で出来ている』孫娘に『嘘』を許しはしない。
「――そして、白の教団の守護天使にして、世界の記憶『永遠の絵画ギャラリー』を司る存在。記述天使でありながら神を殺された者、認識天使『白の魔術師/神秘の魔術師』エスリン・リピカ」
「……。アル君、聞いて下さいね。私はとても苦しんだのです。私の大好きな幼馴染を守るため、本当に苦しんだのです。それでも私には、これが最高の修復方法だと思うのです」
白の魔術師エスリンは、そう苦しそうに告白した。
これ以上は望めないかもしれない。そんな悲痛な表情を浮かべて述べる彼女は、あまりにも辛そうであった。
彼女は語る。
『太陽の帝国』『黄泉の煉獄』『命の森』『芸術の街』『言葉の海』『機械の都市』『神の楽園』。――そしてここに新たに一つ『仮想の世界・ワイヤード』。
その八つを繋ぎ止める楔を綻ばせてはいけないのだと。
「さて、――最後になりますが。『失われた帝国史』に太陽をもたらすため生まれた私、『橙の魔術師/太陽の魔術師』ジャハーンと」
「公安委員会の倫理道徳規範エンジン『Ultra-Violet』の命により市民を守る義務に就いている、市民の生活ナビゲーター、可愛い電子の妖精ちゃん! 機械化された幸福と福音の天使にして、仮想世界の音の天使リピカ! みんなのアイドル『歌姫NAVI』であります!」
「そして、残り一名。――いるんだろう、我が弟子よ」
「ばれてたか」
ならば仕方がない、と俺は大広間の中央に躍り出た。
いやだって、さっきの流れだったら出るタイミングなくない?
というかネタバレラッシュ半端なくない? なにこれ、どういうこと?
数々の疑問符が浮かび上がってきて、正直話の展開についていけてなかったりする。
気が付けば、大広間中央に誰もいなくなっている。というか大広間に集められた貴族たちが空気を読んで「何かやばいことが起きようとしている」「ちょっと端っこの方に避けておこう」「(今から起きるであろう)他人の不幸で飯が旨い」「巻き添えを喰らいたくない」と、大広間の壁際に退避しているのだ。
帝国館の大広間中央に存在する俺はいつになく目立っている訳で。
「何でこんなことになってるんだろうなあ」
思わずぼやかずにはいられなかった。
はい。実は俺、帝国館の大広間に潜入してました。
めちゃくちゃ綺麗な格好をしてる貴族たちや、明らかにこの人世界の重鎮だろみたいな人間がどんどんこの帝国館っていう綺麗な建物に入っていくのを見て「あ、これ絶対ここだわ、ここで舞踏会開かれる奴だわ」とすぐにピンと来たわけです。
念のためネットでも調べたらその通り。
「僕の可愛い天使のフリッカたんが」「でもあの見た目で人妻か……可能性が広がりんぐ」「わっふるわっふる」「皇帝正妻とか勝ち組すぎ」「俺が結婚するとか言ってた朱の魔術師ざまあ」「やっぱり女を落とすなら札束なんだな」などの不愉快な書き込みも目に留まったがそれは気にしないことにする。
さて、そうやって進入してみた帝国館は思った以上に煌びやかで、正直料理も滅茶苦茶おいしかった。割とがっつり食べてしまったし、割とワインも堪能してしまった。
娘を助けに来たんじゃないのか、と思われるかもしれないが、娘を助けるために飲み食いしたのである。種明かしは後ほど。
さて、そんなことをしていると普通に「ご来賓の皆様の紹介です」と紹介が始まって、その瞬間から俺は絶句する羽目になっていた。
フリッカの花嫁衣装に魂が抜かれそうになった。
余りに美しい。そして異常なほどに心に刺さる。許し難き怒りと耐え難き悲しみに、俺は歯が軋むほど顎を食いしばっていた。
そこから先のネタバレオンパレードはぶっちゃけどうでも良かった。
どうでも良くはないししっかり話は聞いていたけど、でも割とどうでも良かった。
これは手を出したらいけないパターンのややこしい事情って奴だからだ。そんな事情知ろうが知るまいが、やることは一緒だというのに。
だからこそ俺は、記憶した情報をログに保存しながらも、今はただフリッカを助け出すという一念のみに集中する。
「思わせぶりな説明わざわざありがとうって感じだけど、正直どうでもいいっていうか。後でアミィは説教な。でもまあ先んずはアレだ――」
俺は「キャスト・オン」と短く呟いた。もういい。なりふり構っていられるものか。
見た目がアカイアキラじゃない俺が変身したところで虚仮脅しにしかならないかもしれなくても、俺はそれでも変身した。
「――娘を返してもらおう」
こうなったら引けない。