2.
『パパ、その話チャンスよ』
『ああ待ってろフリッカ今すぐ断って奴を次元の狭間に……え?』
『だから、チャンスなの』
唖然。突如立ち上がり臨戦態勢を取った俺を、他七人の極彩色魔術師が警戒する中、俺はなんと最も敬愛すべきフリッカにいなされてしまった。
それも最も聞きたくなかった類のセリフで、である。
『チャンス……?』
『そうよパパ。橙の魔術師とのコネクションはパパの生存確率を大幅に上げるの。彼は武力でも財力でも権力でも、この世界でトップクラスだもの』
『生存確率……?』
衝撃すぎる。俺の精神に尋常じゃないダメージが与えられつつある、というかもう再起不能かも知れない。
俺のバイオグラフには精神汚染バロメータがポップアップされており、表記にはPost Traumatic Stress Disorder(PTSD)と診断結果が出ている。多分精神的ダメージで人が殺せるなら俺は二回ぐらい死んでいる。
『向こうは皇子様だもの』というフリッカのセリフに俺は気が遠くなりそうだった。
「一目惚れだったのだ。私の天使はこの子かと、因果の運命を感じたのだよ。あのつぶらな瞳、可憐な表情、花のような可愛らしさ、全てを以てあの子は完成されている」
「ロリコンに人権はない可及的速やかに死すべし」
「我が弟子よ! この恋心を抑えられないのだ!」
「パラフィリアに娘を結婚させる父がどこにいるものか、貴様には畜生道すら生温い。三途の底のナラカの地獄で、邪念を抱いたことを悔いて詫びろ」
心ここにあらず、死にたい気持ちで一杯の俺なのだが、不思議なことに怨嗟の言葉は止まらない。相手の会話を受けてオートランがN-gram言語推定を行い、読みとり専用チューリングマシンで読解を開始。帝国語罵詈雑言正規言語『vary the gone's』と統計手法を用いて照らし合わせ、ハッシュ関数を使って言語を作り返すだけだ。
もぬけの殻の俺が羅列する罵詈雑言は、ある意味凄みがあるのだろう。周りの極彩色魔術師は、橙の魔術師以外はどん引きしていた。
「弟子よ、恋心は本物なのだ」
語りかける橙の魔術師ジャハーンは正直気持ち悪い。何が恋心は本物だよ自分の半分以下の年の女の子に恋心は本物とかキモイ以外の何物でもない、と思う俺。
心理学アプリケーション『アミューズ・メンタル』もまた、不快指数偏差値67を叩き出している、つまり先ほどの恋心は本物発言はキモさで言うと優等生なのだ。
『パパ、でもフリッカはパパの未来を変えるためにこの時代に来たんだよ? これはチャンスなの、帝王の血族のコネクションを手に入れられるチャンスなの、分かってパパ』
『俺の命よりフリッカの方が大事なんだよ分かってくれよ』
『命は失わないわ』
『命より大事な物を失うだろ!』
『このやり取り最近やったよねパパ、しかも立場逆で。分かったでしょ? 命以外にも色々大事なものがあるのよパパ』
『もう女装はしないから! 死んでもしないから! だからロリコン野郎と結婚だけは止めてくれ! 頼む!』
一方俺は、フリッカと念話通信をしながら心の中で血涙を流して忸怩たる思いに沈んでいた。こんなに心が張り裂けそうな思いをしていたのか、フリッカ、と今後二度と女装をしないことを御天道様に掛けて誓う。
大切な物を失うのは余りにも辛い。そして大切なものが汚されるのもまた非常に辛いのだ。ここにきて痛切に実感する事実。
やばい死にそう。
『パパもう死んでるじゃん』
『そうだった』
そうじゃねえよ。
『だがフリッカ、結婚相手は慎重に選べ。あんなに年が離れてたら会話の内容も合わないし、第一顔や性格はフリッカの好みのタイプとは違うだろ? な?』
『まあ好みのタイプはパパだけどね』
『だろ! 俺と結婚しろよ!』
『えへへ』
いやこうでもない気がする。人のことああだこうだ言いながらも、俺も大概アレである、パラフィリア。
性愛ではなく愛情なのだが、と誰に弁明するでもなく内心で弁解しつつ、俺は橙の魔術師に向き直った。
「お前にやるぐらいなら俺が結婚する!」
机をたたきつけて堂々と宣言。思ったよりドン引き物のセリフが口から出てしまった。一瞬にして沈黙する一同。男性陣(というか黄の魔術師のみ)は、あ、これダメな奴だと呆気にとられつつ引いており、女性陣はとんでもないダメ男を見るかのように極寒の視線を投げ掛けてくる。
しかしその視線の内容が、そこは妹だろ、幼なじみだろ、元カノだろ、と約三名ほどおかしい人物のそれを含んでおり、常識的な反応を返したのは紫のクノイチと緑の巫女ぐらいだ。
過半数が変人の会議。これいかに。
橙の魔術師が最も苛烈に反応した。
「そうか。ならば実力行使に出るしかないな」
「おうそうか」
俺は早速オートランに戦闘用バイナリファイルを読み込ませ、仮想メモリを解放してジウ=ジツの構えを取った。臨戦態勢、システムオールグリーン。
橙の魔術師ジャハーンは、しかし、構えない。
「実力行使だ。……実は私は帝国の皇太子だ」
「え」
実力行使とは一体。
「そして私は、帝国議会に対して大いなる影響力と発言力を持っている。……世界三代機関、『帝国議会ロイヤルクラウン』『魔術協会アカデミア』『白の教団』全てに敵対して生き残れるとは思うまいな、朱の魔術師よ」
「え、え」
「さらには、世界三代財界人『The big money』『偉大なる父』『赤い成金』とも知り合いである」
「え、え、え」
「これは、正式な国家間戦争だ。朱の魔術師アルフレート、橙の魔術師ジャハーンによる、世界を巻き込む戦争である。……よろしいか」
「え、え、え、え」
何という横暴。許し難き暴挙。
札束と肩書きで相手をぶっ叩くことを実力行使というのなら、資本主義と封建主義の両立する帝国では彼は天下無双の男ということになる。
次期皇帝候補、資産持ち、エリート魔術師、世界的格闘家、人脈広し、まさにチート。
一方俺、就職候補なし、資産持ち、落ちこぼれ魔術師、世界的犯罪者、人脈なし、まさにニート。
『やべえ隔たる圧倒的な格差感やべえ』
『だから勝ち目ないのよパパ。分かったでしょ。フリッカ結婚する。それで万事解決よ。ね?』
『いや、でも諦めないぞ! 俺は認めん! 認めんからな!』
『ちょっとパパ!?』
フリッカの悲鳴が脳に喧しかったが、俺はそんなこと正直どうでも良かったりする。たぎる思いに突き動かされる俺に、二の足を踏むという選択肢はない。
真っ直ぐと橙の魔術師ジャハーンを睨みつけて対峙する。
返事は決まってる。覚悟を決めればいいのだ。
「ジャハーン」
「どうした我が弟子よ」
「この通達をもって貴殿に宣戦布告し、翌日、蠍座の月 6日 0時 0分より、攻撃開始する。停戦条件はフリッカへの求婚を未来永劫破棄すること。なお個人降伏は停戦条件を満たさない限り、これを認めない」
「よかろう!」
宣戦布告完了。若さはいい。無謀を躊躇いなく実行に移せるのだから。
周囲のアバターは愕然としていた。それもまあそうだろう、ロリコンカミングアウト&求愛に対抗して娘と結婚するとかほざく親バカが現れて、反撃がいきなりの皇太子カミングアウトからの宣戦布告なのだ。
娘フリッカも驚いていた。『もうパパ! 何でこういうことしちゃうの! パパ死にたいの!?』と脳内で俺に説教する始末。『お前が可愛いからだよ』と言うと『もう! そんなので……もう、うう、ダメなんだよ……もう、もう』と語調に覇気がなくなるという素晴らしいチョロさを発揮していたが『後でパパとフリッカは関係ないってことで、お見合いの話を進めとくから』と恐ろしいことを宣うフリッカだった。
「では私も宣戦布告と参ろう」
「ああ」
「娘さんを下さい」
「……貴様ぁっ!」
俺は思わず自分のアバター『passive hell and death』で殴りかかろうとしたが、向こうのライオンアバター『panthera leo』が変形しだしたのをみて踏みとどまった。
顔が。
顔がライオンアバターの鬣の所から生えてきたのだ。
「……見つけたであります!」
「は?」
「マイマスター、もう逃がさないでありますよ! サイバー四課特別潜入捜査官・歌姫NAVI、いざ推して参るであります!」
言うなりその顔は、不気味なまでに大口を開けて笑い俺を真っ直ぐ見ていた。
「悪いな我が弟子よ。……実力行使だと言っただろう」
いやどこが実力だよ、と突っ込む暇もなく、『っ!? パパ逃げて! 私の知情意の『知識』のママは、パパよりもアストラルネットワークでのFLOPSパフォーマンスが高いの! 早く逃げて!』と脳内フリッカの衝撃発言を掘り下げる暇もなく、相手の歌姫NAVIは大口を開けた。
ラウドヴォイス。
ショックパルスを用いて相手を音と空気の壁で叩く音魔法に、俺は身が破砕されるような衝撃を覚え、ワイヤード・フロンティア第一会議室の壁へと打ちつけられた。
そして同時に、緊急ベイルアウト用アプリケーション『袋のネズミ花火』によるアストラルネットワーク強制ログアウトにより、俺は現実世界へと引き戻されていた。
「何だよこれは!」
「本当何でよパパ! 何でパパ宣戦布告しちゃうの!?」
俺とフリッカは急いでホテルからチェックアウトした。場所がバレた恐れがある。
どうやらさっきのラウドヴォイスに特定目印周波数を仕込んでいたらしい。俺がアストラルネットワーク上に放っているネットワーク自動観測プログラムによると、軍用レーダーがクラックされた痕跡があり、アストラル共鳴を観測しようとしたらしい。
物体は共鳴すると振動する。
アストラルの光もそれは同じであり、ラウドヴォイス(フーリエ変換すると人のアストラル光共鳴帯域を含んだ合成波であった)により共鳴させたら、振動が観測できる。
さっきラウドヴォイスを放った午前八時二四分一七秒に生じたアストラル光ピークを観測すれば俺が特定できてしまうのだ。
「早くバイクに乗るんだフリッカ! 急いでデコイを走らせたが、逃走半径は広くないってバレてしまっている」
「ジャミング電波は何を使っているの? 余り特徴的なホワイトノイズを印加していると逆にデコイってバレちゃうよ!」
「逆さ、フリッカ。逆位相の電波を包絡線の部分だけ印加して、振幅死させているだけさ。同期現象ネットワークの解析と同値の問題だからな!」
「じゃあパパ、あれ何!?」
「嘘だろ!?」
一瞬足を止めた俺たちが確認したのは、何と先回りしていたに違いないコマワリmark2(公安委員会の保有する自律型多脚機動兵器)たち。
熱光学的不可視シールドに隠れた俺とフリッカを確認するなり「あー!」「はっけーん!」「御用だ!」「御用だ御用だ!」と騒いでいる。
何故見つかったし。
「シールド領域が周囲との同化に失敗してドップラー効果を起こしているよねー」「ねー」「指みたいにあんな出っ張りだらけの体じゃちらつきは補正できないよやっぱり」「人の体じゃねー」「僕たちみたいに寸胴なら簡単なのにねー」「ねー、人って非効率な体をしてるよねー」
「嘘だろ!? 不可視シールド領域内なのに!」
「やられたわ! 人の関知するフリッカー周波数は60Hzが限界、だからルミナスダンサーはフリッカー周波数100Hz程度で断続的に点滅を繰り返しているけど、例えルミナスダンサーで不可視シールドを展開しても、機械相手には点滅が見えちゃっているのよ!」
「違う! その問題は既に解決済みだ! 点滅じゃなくて線形補完フラッシュパターンで対応している! 点滅はしてないんだ!」
「……! 分かった! 線形補完に伴うダイナミクス遅延のちらつきね! 逃げるわパパ!」
「マジかよそんな無茶苦茶な!」
100Hzとは百分の一秒であり、ルミナスダンサーの画像処理限界速度である。これを超えて短くするとルミナスダンサーの画質が劣化するのだ。
人の認識限界以下の百分の一秒、ルミナスダンサーは遅れて光景を描写する。周囲にとけ込もうとしてもその遅延部分はなくならない。これがダイナミクス遅延だ。
加えて俺たち二人は運動している。ルミナスダンサーから発された周囲擬態マナ波(光ではない、光はドップラー効果を起こすには速すぎる)がドップラー効果を起こして周囲のそれより変化するわけだ。それを検波したコマワリmark2が俺たちを特定したわけである。
ダイナミクス遅延とドップラー効果に悩まされるとは。こればかりは技術の限界だ。
「御用だ!」「御用だ! 御用だ!」「御用だー!」「御用ーだー!」
仕方がない。バイクをマニュアル操作で立ち上げてクラッチレバーを半分切ってからアクセルを入れる。バイクに乗ったことない俺にとってはここからが正念場。
バイクが走り出す。
突如始まる街中のチェイス。
俺とフリッカは大通りを駆け抜けて逃げ出した。後を追うコマワリmark2はなかなか振り切れない。
息の詰まる逃走劇が今ここに幕を開けた。