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チート魔術……っていうか科学なんですけど  作者: Richard Roe
2.My Sister, My Princess with [Auto_Run.apm]
25/46

11.

 最悪な一日であった。

 兄にアミィ、と下の名前を愛称で呼ばれるたびに、自分の気分が沈んでいくのを感じる。兄は愚かなことに、努めて自分をアミィと呼ぼうとしているようで、それならいっそのこと愛称でもなんでもないアマーリエと呼び捨てられたり、あるいは役職名で呼んでくれたほうがずっとマシだ。


 思い返す。

 そもそも、兄をライブに誘ったのがまずかったのかもしれない。別に自分がニッチなアイドルをやっていることを吐露する必要性は微塵もなかったし、あの鈍感な兄に何を期待しても無駄だというのに何故か自分はライブ姿まで見せてしまう始末。

 一体自分は何がしたかったのだろうか。


(認めてもらいたかったのだろうか)


 アイドルなんて、所詮自己肯定感が欲しくて始めたSNS活動だというのに、いつの間にかのめりこんでいるというだけで、それだけの趣味の活動なのだ。

 認めてもらいたい、というのは嘘だ、ありえない。

 あの兄に趣味を理解して欲しい、だなんて思ったことは、今までなかった、そしてこれからもない。


 きっと兄をクラブハウスに連れてきてしまったのは、気の迷いなのだ、そう自分に言い聞かせる。






 そういえば、今日が最悪な一日である理由は他にもたくさんある。


 例えば、映画。

 朝の待ち合わせに兄は『朝の八時三〇分に駅で』と自分から指示を出しておきながら、こともあろうに兄は三〇分も遅刻する始末。悪態のひとつでもついてやろうかと思ったら「最悪の目覚めだ」と抜かしだす。

 ふざけた兄だ、反省しているのか、と詰りたくなった。


 見たかった映画はすでに始まっていて、では今から見れる映画はないですかと兄が聞いたら、兄妹ものの恋愛映画、まったく冗談じゃない。

 唖然としていると、じゃあそれでと兄は購入してしまった。

 兄妹で映画を見るのだというのに、神経を疑うような選択だ。しかしここで嫌がっては、まるで兄妹間に何かを意識しているような気がして、今日一日だけのこと、修行修行と自分に言い聞かせて耐え偲んだ。

 後で、兄がしまったという表情を浮かべて眉間にしわを寄せていたのを忘れもしない。こいつ馬鹿か、今気付いたのか、『おねがいミルクティー』といえば有名な兄妹物の作品だというのに、と色んな言葉が渦巻いて、それを言い出すのをこらえる。


【じゃあ今から始まる映画で席が空いているものを下さい、と言ったらこれだ。この何を勘違いしたのか分からない恋愛映画。カップルかよ】


 遠回しに非難をこめて言う。ほんの僅かではあるが、もしかしたら兄が「ごめんごめん、見る映画変えようか」と提案するかもしれないという微かな可能性も期待しての言葉だったが。


「……まあ、デートだしな」


 口から心臓が飛び出るかと思った。

 何が、今さらデートだ。何を、この兄は口走っているのだ。心臓がやけにうるさく鼓動して、自分は、間違って兄の目の前で漏らさないか急に心配になった。

 この兄はもしかして、今でも色ボケているのだろうか。未だに妹のことを都合のいい女だとして見ているのだろうか。

 そう思うとさっきの動悸が急に癪に思えてきて、はっきり今日一番腹が立った。


【始まったな】

「ああ」


 当の兄は、全く堪えた様子はなかった。飄々とさえしている。

 兄はいつもどおり感情らしい感情を出さないというか、いや出すには出すのだがそれは『正しい喜び』であったり『正しい怒り』であったりとにかく『世間一般的に規範的とされる範疇での感情表現』のみで、妹に対し何かを意識しているかのような『反世間的』な感情は表情に少しも出さないのだ。


 俺、感情を制御できるんだ。

 冗談めかした兄の言葉がふと蘇る。

 ああなるほど、馬鹿馬鹿しい、私はお前と違って感情を制御できない出来損ないですよ、どうせ隣でこっちをみて内心笑っているのだろう。

 だなんて八つ当たり。


 映画が始まる。

 その間自分は、映画から意識を話して昔をゆっくり思い返していた。






「アミィ、分かるかい?」

「うん、分かるよ」


 兄は幼いときから何でもできた。歩き始めもしゃべり始めも私より早く、本当に双子なのだろうかと親が心配するほどに差がついていた。私が絵本の紙の装丁をかじって味を確かめている傍らで、兄は文字を書いて覚えていたほどなのだから。

 絵本を読むのも兄経由。人形遊びも兄と一緒。トイレに間に合わなかったときも兄が片付けてくれたし、風呂だって兄と一緒で、髪の毛を洗ってくれる兄はいつも「ほら、お姫様だ、ね?」と色々と世話を焼いてくれた。


 私は小さなお姫様だった。

 兄は従者なのか王子様なのかあるいは意地悪なお兄さんなのか分からなかったけれど。


「アミィは賢いね、俺が教えたことを何でも覚えちゃうからさ。きっと俺より凄い魔術師になれるよ」

「アミィ凄い? ねえ凄い?」

「ああ凄いとも」


 兄はそういっていつも自分を褒めてくれた。優しく頭を撫でてくれるのだ。

 何だか動物みたいだ、と一瞬だけ思ったことがある。ペットに対して可愛がって撫でるような、良くできましたと褒めるような、そういう感覚。

 優しく撫でられるのは好きだった。






「アミィ、やったじゃないか!」

「うん……」


 兄の細かな指導もあって、自分はめでたく魔術学院に入学できた。

 実技試験はほぼパーフェクト。天才兄妹として学院も喜ばしいことと受け止めていた。


 ただし少しだけニュアンスは異なった。

 自分も優秀な結果であったため特待枠こそ得られたものの、魔力の格段に多い秀才、程度に落ち着いた。

 兄は実技もさることながら、筆記も面接も完璧に近い得点で通過、最優秀生徒として文句なしの一位合格であった。


 兄はそのときから異常だった。

 思えば、既存の魔術の理論ならほとんどを空で暗誦できる異常な記憶力と、複数の魔術言語を図書館通いの独学で習得する集中力、それだけの技能があるのならば筆記試験のほぼ満点合格は当然の結果だった。

 それだけではない、落ち着いた振る舞いや大人びた応対は、面接のときにも現れていたようで、大人である面接官をして「非常によく躾けられている子で、大人でも中々ここまで礼儀正しくはきはき受け答えできるものではない」と褒められたそうだ。

 まるで大人の頭脳をもって子供の振りをしているみたい。周囲の大人がそういうものだから、へえ兄のような人間を大人っていうのか、と私はひそかに思っていた。


 異常さの極めつけは入学試験の魔術実技テスト。

 兄は、無詠唱魔術、詠唱魔術、魔法陣魔術、舞踊魔術、刻印魔術、儀式魔術、それら全てを簡単にやってのけてしまった。

 このぐらいの年の秀才によくありがちな、魔力任せの馬鹿でかい魔術一発や、あるいは完璧に仕上げてきた一種類の魔術、という芸当ではなく、複数の魔術のバランスよい行使。

 ベテランの魔術師のそれを思わせる習得、あるいは現場の冒険者魔術師のような実利的な学習、とにかく兄が見せた魔術は実用性に長けていて、魔術そのものの技術の巧さを誇ったというより、若い間の有限な時間を効率よく配分してこれだけ巧く幅広く学びましたよ、という魔術に対する取り組み方の賢さを主張していた。


 一瞬で分かった。

 兄は別次元の天才だと。天才、というほどの才能を感じないが、"割り切った考え方"と"努力の間違えなさ"だけはとにかく常人を逸脱していて、自分は溜息しかでなかったことを覚えている。

 ふと、これが大人という意味なのだろうか、とかわけの分からないことを考えた記憶がある。






「ねえお兄ちゃん。本で読んだよ。兄と妹はこんなことしちゃいけないって。だからだめなの」

「どうしてさ、アミィ。俺はアミィのことが好きなんだよ。ずっと傍にいただろ」


 兄と一緒に風呂に入ったとき。自分は徐々に兄のもう一つの顔を目にすることになっていた。

 それは、愛。あるいは性欲。

 当時はそんな概念を知らなかったものだから、ただどきどきしていただけだった。

 親には内緒、その言葉の背徳感は覚えている。自分と兄はちょっと大人なことをしているのだ、そういう事実だけで自分は胸が早鐘打ったのを覚えている。


 兄はおそらく、自分に欲情していたのかもしれない。

 常識的な今の自分は、思い返すとおぞましいことだ、と判断することができる。

 だが、当時の自分はきっとそんな兄を可愛いと思っていたのかも知れない。

 あの感情を制御している兄もようやく人間らしい感情が出てきたな、と何となく察することは可能だった、しかしおぞましいものを知らない無垢な自分は、これは恋心だと思っていて、きっと兄は自分が好きなのだと思っていた。


 自分は兄が好きで、兄も自分が好き。

 そんな幻想を信じていた。






「アミィ、気にしちゃいけないさ」

「……」


 決定的な事件が起きた。

 三回生に進学する際のテストで、私は途中で試験を放棄したのだ。

 トイレに間に合わなかったのだ。


 緊張がいけなかったのかもしれない。あるいは兄と一緒のクラスに進学しないといけないというプレッシャーからくるものだったかもしれない。

 とにかく私は、試験時間ぎりぎりまで我慢して、焦って教室を飛び出して、女子トイレの行列にパニックになって、男のトイレに入って、「駄目だよ! ここは男用だからあっちいけよ!」と揉み合って、自分でも何をしているのか分からず気が動転したまま、間に合わなかったのだった。


 今でも思い出すと心臓が痛い。

 止まれ止まれと念じても止まらなくて、脳の奥がじんと痺れたように気が遠くなって、急に下着が熱くなって、急にもみ合っていた男子が目を丸くして固まったのを見て、自分はとても惨めな気持ちになって。


 アミィ。

 後ろからポツリと声が聞こえたかと思うと、それは兄で。

 最も見られたくない(子供のような)姿を、最も見られたくない(大人のような)人に見られて。


 止まって止まって、とわめいたのを覚えている。

 そんな姿を、濡れるのも構わず撫でて落ち着かせようとする兄も覚えている。


 優しさと惨めさでトラウマになりそうだった。

 撫でられるのが心底嫌に感じた、自分が余りに子供のようで、あるいは粗相をしたペットのようで、あやすような兄の仕草が妙に腹立たしくて。

 自分の中にあった小さな恋心と自尊心はずたずたになった。


 途中で無理やり止めたせいで、兄が服を拭いて保健室に連れて行く途中で、また失敗する。


 兄が悪い。

 兄の目の前で全部出せるわけがない、無理やり我慢して、兄にこんな姿見せたくなくて、なのに我慢して止めたらすぐに濡れた服を拭きはじめて。

 拭かないでよ馬鹿。

 頑張ってこらえて、押しとどめて。ちょっとだけ失敗して、いや、少し失敗がじゅ、じゅ、と二度三度、止まらないけど頑張って押しとどめて。

 今度は兄が手を引っ張って無理やり保健室に運ぼうとするものだから、内側がきゅんと痛んで、限界で。


 手で押さえながら。長い溜息をこぼしながら。指先からあふれるものを、止まって止まってと震えながら押さえ込んで。

 少し止まったら、また頑張って止めるのに、兄が引っ張るからまた止められなくて。

 兄に連れまわされながら、吐息と一緒に溢れてくるあの惨めな感覚で、ぞくっと体が震えた。

 二度目の失敗。自分は一度目よりも遥かにどん底の気持ちを味わっていた。


 これで兄との恋も終わってしまうんだ。そう漠然と思った。

 そう思うと涙が止まらなかった。






「アミィ、今日も学校行ってくる」

「……うん」


 何がうん、だと自分でも思った。子供みたいな返事をして。

 兄に子供のようだと思われてしまうかもしれない、その想像上の怯えは自分をますます嫌悪に導いた。

 劣等感だ。

 何でもできて完璧に振舞うことのできる兄は、自分との差をまざまざと見せ付けた。


 自分も同じぐらい何でもできるのに、完璧に振舞えない。

 自分だって勉強したから賢いのに、自分だって魔術を鍛えたから上手なのに、兄はいつも一歩も二歩も先を行って、ほらこれが模範解答だよと自分の劣等を教える。

 兄は器用だった。不器用な自分との差は、きっとそこからくるものだ。そう自分に言い聞かせた。

 自分は、ついに心が折れて卑屈になってしまった。


 今だって兄に依存していた。

 学校に行かない今現在は、兄に教えを請うことで勉強を進めていた。どうやら学校と話をつけているらしく、学校の指定する課題さえ提出すればいいということで、兄は学校から課題を持って帰って私に解かせて、それを学校に提出してくれる仲介人を務めていた。

 こんな状況でも兄か、と自己嫌悪に陥った。


 兄は、自分のことが果たして好きなのだろうか。 

 卑屈な自分はついに、兄にすら疑いを持ち始めた。あんなに自分のために行動してくれる兄のことは疑ってはいけないのに、それなのに自分は卑しい人間で、また自己嫌悪に陥りながらも兄を疑ったことを憶えている。






「……そっか」


 ついに、兄のあの感情にふさわしい名前を知った。

 アストラルネット=ワイヤード(当時はまだ黎明期でメール・ニュース・掲示板ぐらいしかなく、兄はワイヤードのパケット通信網整備のバイトをしていたはずだ)の中に転がる複数の掲示板小説を漁るうち、気になる小説に出くわしたのだ。

 それは成人向けの、子供同士の恋愛小説。


 描写を見て気付く。これは欲情。性欲。

 おぞましいような、それでいて自分の胸を高鳴らせるような、その卑しい感情が徐々に分かる。

 自分の中で綺麗だった小さな恋が、とたんに下劣な何かに汚されたような気がして胸が痛い、でも同時に感じる腑に落ちるような納得、そして胸の鼓動。


 目を覚ましてしまったというか、分かってしまったというか、分かってしまうというか。

 両想いじゃなかったのか、という至極当たり前の事実を突きつけられて、自分は泣きそうだった。その胸にくるような痛みは喪失感、何か大事な気持ちを失ったというか。

 その代わりに感じる別の感情、分かってしまったというか、その。

 兄はもしかして、そうなのだろうか。


 自分にも第二次成長はあった。三回生から丸三年学校に通っていないが、保健体育の授業も受けたことはあった。

 知識としてどうなるのか、とかも教わった。だがそれ以上にクラスのませたガキに少し踏み込んだ知識とかを教わることもあった。

 なので、性欲という感情がどんなものなのか、というのも実は薄っすら分かる、というか時々悩まされるわけで。


 兄も悩んでいたのだろうか。

 ふと脳裏に過ぎる疑問。


 実は十歳を超えてなお兄と一緒に風呂に入っている。

 自分の下心というか兄の下心というか、両方とも少し分かっていて遭えて口に出していないというか、お互い結局口に出さないままそれが続いてしまって。


 変な意識を持ってはいけないと自戒してはいる、学校にも通っていないのに自分は、と考えて自分を醒ましたりしている。

 しかし、もしかしたら兄も同じなのでは。

 自分は新しい可能性を感じていた。目を背けたくなるような、おぞましい可能性だ。何て下品な、下らない。

 兄はもしかして、自分が第二次成長を迎えるずっと昔から、私に欲情していて、それを押さえつけてきたのではないか……?


 ずたずたに終わっている恋が、さらに本当はただの勘違いで兄の性欲だったかもしれないというのに、自分はまるで馬鹿みたいに心臓を高鳴らせていた。

 気持ち悪い。兄も自分も。

 およそ背徳的な胸の弾みを抱えたまま、自分はネットの掲示板小説を読み漁った。目を離すことができないぐらいに、自分は魅入っていた。






 兄の感情が分かった頃。

 自分は最も自分が切なくなるような思い出で、"指を汚す"のが癖になった。


 ――俺、告白されたんだ。

 ――……そう。


 思えば、何故自分があれほどテスト勉強に必死になり、そしてトイレに失敗したのかというと、その言葉のせいだ。

 同じクラスにならないと。兄と同じ教室で勉強しないと。そういう使命感が自分の中で自分を追い詰めたからだ。

 兄のせいだ。兄が悪いのだ。


 そんな兄が自分のことを好きでも何でもないかと思うと。

 自分は"届いて"震えてしまうのだった。






「アミィ。俺の好きなアミィ。今はちょっとびっくりしているだけさ。ね、いつも通り俺が"抱きしめる"から、安心して……」

「都合のいい女扱いするんじゃねえ!!」


 ああ、そういえばこんなこともあったか。

 結局抵抗らしい抵抗はしなかった。でも一線を超えることもなく、兄は自分を押し倒して抱きしめて、それで終わりだった。

 いっそのこと都合のいい女にしろよ、と思った、そしてその後なら思い切り泣いて諦められるかも、と思った。






 ふと、回想から意識を引き戻された。耳に気になるフレーズが聞こえたからだ。


「お兄ちゃん、私、告白されたの」

「……そうか」


 映画のワンシーン。思わず涙が出てしまった。

 告白されたと告げられてこの初恋はついに終わりだと喪失を感じている兄にだろうか、それとも兄との関係を終わらせるために胸の苦しみを押し殺して伝える妹にだろうか、それは自分にもよく分からない。


 ただ一つ分かったのは、隣の兄がこっそりこちらの顔を覗き込んで、頭を撫でるときのあの表情を少し堪えて、「ポップコーンを買ってくる」と泳がせた手をごまかしたことだった。

 撫でてくれればよかったのに、と思った。

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