10.
「……フリッカ」
「何、パパ」
「少しだけデリケートな話をしよう」
「どうしたの、急に。いいよ、デリケートな話でも何でも」
「……さっき俺たちが話した内容、覚えているか?」
「うん」
「その内容、きっと、俺とフリッカは、お互いにトラウマをそれとなく分かってしまったと思うんだ」
「……」
「きっと、お互いに、心の弱い部分がどこにあるのか分かってしまった。傷ついてしまう言葉というか、傷ついてしまった過去というか、うまく言葉にできないけど、その漠然としたイメージとして、何を心の傷として抱えているのか、それがきっと分かってしまったんだ」
「……そうだね」
「ああ」
「……」
「きっと、分かったに違いない。フリッカも分かっただろ?」
「……そうかも」
「……そっか」
「うん」
「フリッカは優しいな。そうかも、って答えてくれるんだ。否定もせず、でも肯定ではなく曖昧な部分を残してさ、そうかもって。それはフリッカが優しくないとできないと思う。すごいよ」
「……ありがとう、パパ」
「フリッカは偽者なんかじゃないさ」
「……」
「そうさ」
「……うん」
「あのさ、フリッカ」
「うん」
「俺、弱い人間なんだ」
「……そう」
「俺、むちゃくちゃ弱い人間でさ、自分に全く厳しくできないっていうか、頑張ろうって気持ちが沸かないっていうか、そんな人間なんだ」
「……」
「はっきり言うとクズでさ、ちっぽけな人間だ。プライドは高くて頭でっかち、腕っ節は弱くて口先だけ、人間性っていうのかな、内面というか信条というか、とにかく人間性が薄っぺらで、俺はひどくつまらない、大したことのない人間だったんだ」
「……」
「俺は、褒められないとやる気が出ない人間でさ、自分にとって嫌なことがあったらすぐ逃げ出してしまいたくなる。逃げ出す、っていう言い方は多分正しくないな、なんていうか、見限るのが早いというか、でもまあ逃げ出すなんだけどさ。その、つまり俺は、逆境とかには本当弱くって、辛い目にあうとか本当にいやで、内心ずっと思ってる、何でこんな馬鹿馬鹿しいことしなきゃいけないんだ、こんな理不尽あってたまるものか、ああもっと昔にもっとうまくやっておけばよかった、って」
「……」
「俺、だからずっと、優等生でいたかったというか。ずっと勉強やっておけば褒めてもらえるような、勉強以外が不器用でも許してくれるような、そういう生き方。人から尊敬してもらいたいし、人に頼って欲しいし、構って欲しいし。勉強嫌いじゃなかったからさ、というか勉強楽しかったし、賢くなった気分になるから、それに知れば知るほど面白いし、あれこれ分からないっていう感覚も、分かったらすごく納得いくし感心するし、時間をかけて勉強したら時間の分俺も成長するし、不器用でも勉強はきちんと前に進めるっていうか」
「……」
「だからさ、俺、本当に大事なものを自分で育ててこなかったんだよ。逆境でも歯を食いしばる、あの馬鹿馬鹿しい根性、辛いって気持ちでも毎日と変わらないように振舞って自分を押し殺すための努力、ああいう、目には見えない部分の、人が他人に見せない部分の、そういう影の努力というか、底力みたいなものというか、あれを俺は、ついぞ育ててこなかった」
「……」
「俺、この世界に転生してさ、まず最初に思ったのは、やった、儲け物だ、だったんだ」
「……」
「全部捨てられる。一からやり直せる。もう、本当に嬉しかった。赤ん坊の頃から俺は、もうそれだけで嬉しかった」
「……」
「きっとこの世界で新しく生まれた俺は、何でもうまくいくんだ、と確信していたさ。俺はすごく楽しかった。毎日がとても楽しくて、夢が叶った気分さ、いや実際夢が叶ったさ、毎日こつこつ頑張ったらよかったんだ、ゼロから全部やり直せるんだ、それだけでもう俺は涙が出るぐらいありがたくてさ」
「……」
「ゼロから頑張ったよ。俺は本当に、色んなことをゼロから頑張ってさ、魔術使うために子供の頃からマナを知覚しようと訓練してさ、礼儀作法とか見様見真似で勉強して、護身術とかも色々調べて、本当に色々頑張ってきた」
「……」
「最初に作った魔術アプリ、『ダッシュボード』、あれに色々メモをして、時間期限のリマインダー付けてこれがタスク管理だーとか、タグ付けして雑学とか礼儀作法とか魔術知識とかゲームのコツとか記録して整理してさ、画像取り込みできるようにして目で見た景色を同時に記録できるようにしたりして、ダッシュボードのデータ容量を外付けアストラル空間に共有して記録容量増やしたりとかで、どんどん変えていって」
「……」
「次は、自分のやる気を変えようとして。俺、やる気が続かない弱い人間だからさ、やる気が出そうな名言をダッシュボードにポップアップ表示してくれるアプリとか、やる気を出させる色相映像とかBGMの再生とか、アストラル体に直接働きかけてやる気を出すようにするとか、そういうのをしていく内に、徐々に色相心理学、音響心理学、行動心理学、そういう分野に手を広げて勉強して出てきた数式とかを自分に応用して、そうやって心理学アプリ『アミューズ・メンタル』を作ってさ」
「……」
「同時並行で、例えやる気がなかったとしても自分を行動させてくれるアプリも開発して、『オートラン』だけど、最初はダッシュボード上の操作を自動的に行ってくれる程度のタスク自動管理だったのに、やる気を自動的に計測して自動的にBGMとかを立ち上げてくれるような機能も追加しちゃって、そしたら今度はボディジェスチャでアプリを起動できるような機能も拡張してさ、そうってどんどん、自分の肉体的な動作をオートランにも観測できるように独自開発させていってさ」
「……」
「俺、その頃には魔術規則を記録して分析することも並行して手をつけていてさ、情報量から特徴量を解析するの、それ、前世で少しやってたから知識はいくらかあってさ、だから呪文のインタプリタをいくつか独自に開発して改良して、刻印のインタプリタも、記号のインタプリタも、そういう翻訳機を大量に自分の中で作り出してさ、大雑把ながら初級程度の魔法陣とかは解析できるようにしていったんだ。『ドクターエンジン』、解析用ツールをとりあえず放り込んで数式処理を自動でしてくれるようにして、そして言語命令で動くように改良してさ」
「……」
「俺は、そうやって、Basic言語を世の中に提供したんだ。俺はオープンソースで、初級程度の魔術なら自分で走らせてコンパイルさせることで実行できる、そんなマクロの開発環境を皆に渡してみたんだ。世界の呪文の幅広い翻訳機というか、物理法則と魔術規則の翻訳ツールの集積というか、俺の人生の集大成。俺の頭脳の結晶。俺の人生みたいなものっていうか」
「……」
「俺、自分でも自分を凄いと思う。人間ってこんなに頑張ったらできるのかって思う。多分俺才能があったのかも知れない、一般以上の才能があったかと言われると別だけど、一般程度には才能があってさ、それを俺は、正しい量の努力と正しい方向の人生設計で、ここまで上り詰めたと思う」
「……」
「必要があると思ったら、何でも手を出したからさ。俺は自分の体に刺青することを躊躇わなかったよ。どうせ失敗しても治癒魔術で治るし。自分の体に得体の知れないマナマテリアルとかいう物質を入れることも躊躇わなかった、最初は本当に体内観測用の命令しか下してなかったからね、知識として無害は知ってた。皮膚の上から骨に刻印を彫るのも、治癒魔法を信じてた。気功術を学んで筋肉を鍛えることも、ナノマナマテリアルによる電解質平衡調整でアミノ酸による筋肉回復を促進することも、どちらも無害を知っていた」
「……」
「顔を綺麗に保つために汗をかいてもこまめに清潔にしてくれるように水魔法をオートランで制御したりさ、顔の表面に保水効果のある管理デバイスとか走らせて、髭とかも抑制したい場所の髭を伸ばさないようにナノマナマテリアル自動的に毛の成長を押さえ込んだりしてさ。顔の筋肉とか骨格とかもナノマテリアルで誘導設計して、それとなく自然に、綺麗に育つようにしたさ」
「……」
「栄養管理も手をつけてさ、一体何が胃の中に入ったかを記録するアプリで、食事を自分で調整して、自分の肉体を健康に保つのを半自動的に管理したよ。虫歯がないかチェックして事前にフッ素入り洗口剤で予防したり、骨格のひずみとか負荷をひずみゲージの応用で計測してベストなヨガとかを提案してくれるようにダッシュボードを改良したり、無意識で筋トレを実行できるようにオートランのstyle関数にoptionを追加したりさ」
「……」
「俺、もう、やりたいこと全部やってきたよ。自分をどんどん快適な自分にアップグレードさせていって、俺はとうとう、自分が欲しかった自分になった。格好良くて、クレバーで、礼儀作法も完璧、会話のネタもダッシュボードのおかげで豊富、筋肉だってバランスよく付いて、俺はさ、はっきり傍目からみて完璧な人間になったよ」
「……」
「全部、失っちゃったなあ」
「……パパ」
「多分、再現しようと思ったら、ある程度は再現できるけど、その程度以上は無理っていうか、肉体改造なんかは神様俺を若返らせてください、ってレベルだから不可能だし」
「……」
「俺、失敗しちゃったかな」
「……」
「心だけだよ。本当。俺、心を鍛えることを忘れちゃった。逆境に耐える精神とか、辛いときに立ち向かおうとする気負いとか、そこら辺の気持ち、多分対処を間違ったんだよな。感情制御をかけて辛さとかをごまかしてさ。あるいは辛い目にあったときは他の解決策とか、つまりしんどいバイトとかを頼まれたらバイトをやめてその代わり給付型奨学金に合格しちゃったりでさ、そういう辛い環境に素早く見切りを付けて脱出したりでさ。俺はそうやって生きてきたんだ。結局、この世界でも」
「……」
「だから、今が凄く辛い」
「パパ」
「フリッカ、辛いんだ」
「パパ」
「……許してくれ」
「……許すよ」
「フリッカ」
「きっと、許す、許さないとかそういう話じゃないけど、でも、フリッカがパパに掛けられる言葉って、許す、なのかな」
「……ありがとう」
「パパ、じゃあ、聞いて」
「何だい、フリッカ」
「ちょっと厳しい言葉になるかもしれないけど、でも言いたいことがあるの」
「ああ」
「ねえ、言うよ?」
「大丈夫」
「じゃあ。……あのね、パパ、ちょっとプライドが高すぎるのよ」
「……かもな」
「かもな、じゃないよ。そうやってすぐに『かもな』でまるであたかも分かってるみたいな風な振る舞いをして話を切り上げて自分を守ったりするところとか」
「……」
「弱い自分を許さなさすぎるというか、自己評価低いのに自己愛は高いというか。真剣なときにふざけたがるところとか、偽悪的なくせに構って欲しがりなところとか。パパは、ちょっと歪なところがあると思うの」
「……」
「自分に自信をもてない格好付け、愛されたがりなの。パパは自分の中では自分のことを大した存在じゃないと思っている幻の怯えがあって、だから大した存在になるために自己主張をうるさいほど知識でコーティングして、学術的権威と魔術貢献で自分を着飾って、自分の中の弱みを制御して排除しようとして、自分を客観的に完璧に仕上げていって自分に自信を持てるようにしてさ。そして寂しいパパはふざけたり偽悪的な振る舞いで周囲の人に甘えて、愛されているんだって実感で自分を安心させようとしているの」
「……」
「その顔、醒めた表情、フリッカ知っているわ。『人間ってそういうものだ、俺は知っている』って顔よ。確かにそういうものだけど、でも自覚して。パパのその感情はちょっと見過ごせないわ」
「そうか」
「……バーチャルファイター、ヒーローコロシアム、サイボーグ・パワード戦。パパはあの時、自分の命に躊躇をしなかったわ」
「それは」
「パパ。自分の命を大したものじゃない、死なないで勝利する可能性は十分あったし、もし死んでも生き返る可能性は呪術的理論から十分高かったし、生き返らなくてもフリッカのために死ねたんなら満足だし、そもそも将来死ぬ予定のだった命だから安い、そうやって自己正当化するのをやめて。大したことのない自分だから、死ぬリスクは安くて、フリッカは俺に大切なものを与えてくれたから死ねる、だなんて自分勝手な理屈で満足しないで」
「……」
「フリッカ馬鹿みたいじゃない。何のために未来から来たのよ、フリッカ」
「……すまない」
「フリッカね。……でもパパの気持ちも分かるの。自分の命は自分で使いどころを決めてもいいのよ。フリッカにはそれをああだこうだ口出しする権利はないわ。せいぜい娘の立場で、パパを困らせる程度よ、死んじゃ嫌よ、って」
「……」
「だから、忘れないで。パパが死んで、一体パパの何が死んだのか、忘れないで」
「……それは、どういう」
「パパは、死んだのよ。体の一部のどこかが、あるいは魂の一部のどこかが、記憶のどこかが、少しずつ死んでいくの。パパの命にひびが入っているの。アストラルの光の命の輝きに、ひびが入っているわ」
「……」
「天使には、アストラルの光が見えるの。命が見えるの。……パパの命が、フリッカには見えるわ」
「フリッカ……」
「フリッカは、じゃあ、天使なのか」
「うん」
「フリッカは、じゃあ、天使に見えないっていったのは、白の教団の天使に見つからないってのは」
「そう。フリッカは、揺らいでいるだけ。命の輝きは、ないの。アストラルの光が見える天使には、どれだけ光学迷彩をつかってもアストラルの輝きで分かっちゃうけど、フリッカが光学迷彩に隠れたら、きっと天使にはフリッカが見えないわ」
「……生きているのにか」
「生きてないの」
「……生きてるさ」
「だめよ、パパ。フリッカは、きっと、誰より命について考えているの、だからパパ、きっと違うの。フリッカは知ってるの、生きてないの」
「生きてる」
「生きてない」
「生きてる」
「だめ、パパ、命に執着しないで。自分の命に執着しないのに、フリッカの命に執着しないで。自分の命を安く見積もるパパなんかに、命の有無を憐れまれたりする資格はないの。執着しているのは、フリッカよ」
「……」
「パパ、命を大事にして」
「……ああ」
「命は、大事なの、尊いわ」
「ああ」
「フリッカ。ありがとう」
「パパ、ごめんね」
「そろそろ、行こうか」
「うん」