9.
「フリッカ、聞きたいことが複数ある。協力して欲しい」
「いいよ、パパ。何?」
白の魔術師から逃げ出すことしばらく、俺たちは映画館の倉庫に逃げ込んだ。一息つけることで状況を整理したかった。
今把握すべきことは少なくとも三つ。俺は手短に切り出した。
一つ目。
白の魔術師とフリッカが交戦した理由。
映画館エントランスでのあの激戦を俺は忘れもしない、フリッカが白の魔術師と睨み合って、空中を埋め尽くさんばかりの白魔術弾幕の応酬、かたや神話参照かたやインタプリタ言語での駆け引き、対等以上に張り合う二人の白。
遠巻きから見てもぞっとするほどの圧力を感じた。一体何が二人をあのようにさせたのか、どのような固執が二人の間にあったのか。
「戦った理由? それはアイツがパパをさらおうとしたからよ。あの恥知らずの発情泥棒猫、魔術を完全に失った今ならパパをどうこうできると勘違いしていたんじゃないかしら」
「どうこう」
「どうこう」
どうこうされていたんだろうか。いや、何でもないが。
どうこう、ねえ。
俺は真面目に考えた。何をされそうになったのかは実は予想が付いている。『英雄との婚約』、そのキーワードを俺はあの二人の会話の中で聞いた。自惚れるわけじゃないが、もし仮に俺が英雄であるとすれば俺はもう少しであの白の魔術師と結婚することになっていたのではないか。
そうだとすればあのフリッカの怒りようも説明できようものだ。
そう、怒りだ。フリッカは怒りをむき出しにしていた。
あの時二人は言葉でも応戦をしており、いくつもの意味深なフレーズで言い争っていた。それは『揺らぎ』だったり、『出来損ない』だったり、『英雄との婚約』、『生きていない偽者』だったり、とにかく思わせぶりなフレーズで、聞き逃すことができなかった。
これらのフレーズは、彼女が怒るほどの何かだ。あるいは怒りに任せて罵った何かだ。間違いなく重要な情報。
「『揺らぎ』、『出来損ない』、『英雄との婚約』、『生きていない偽者』。これはどういう意味だ?」
尋ねるべきか迷った、しかし知らなくてはならないと思った。『揺らぎ』『生きていない偽者』という台詞が妙に耳に残っている。
そして案の定、尋ねるべきではなかった。
フリッカの表情が色をなくしたからだ。
「……ごめん、パパ」
「言いたくないなら言わなくてもいい。いや、変なことを尋ねて悪かったな、気にしなくてもいい。それより聞きたいことが他にあるから」
「ごめんね、パパ、いつか言うね」
言いたくないこと、言えないことならば無理に聞き出す必要はない。無理に聞き出そうとしてフリッカに嘘を吐かれても困るし、聞いたとして何にどうなるというのだ。
いや、明らかに何にどうかなりそうな重要そうな単語だが。どう考えても。
しかし、フリッカが生きていない偽者だからといって、俺にとってフリッカは娘だ、最も重要なのはそれだけ。それ以上は現在は必要ない。
「フリッカは偽者なんかじゃないさ」
頭を撫でる。そうするべきだと思った、不器用な俺はこういう動作でしか慰め方を知らない。
二つ目。体の取り戻し方。
あの時ドッペルゲンガーのやつが唱えた呪文は、確か「Al la gusta loko!(正しき場所に!)」、エスペラント言語で正しき場所に、という意味だ。意味はつまり、魂を正しい場所に置き換えろ、ということに違いない。
「つまり元々がおかしかったわけだ。俺は異世界から転生するときアルフレートの体を乗っ取ってしまい、代わりにアルフレートの魂が俺の体に宿った、それをあいつは元に戻そうとしたと」
「……そうね」
「それで間違いないな、フリッカ」
フリッカは頷かなかった。その代わりにどういった言葉で肯定しようか言いあぐねている。その気遣った様子をみて俺は、やはりその通りなんだ、俺はアルフレートの体を奪い取って転生した奴なんだと確信した。
なるほど全て納得がいく。あの男は『もう一人の俺』扱いされることをひどく嫌った、愚弄されたと憤慨していた。
当然の反応だ、人の体を勝手に奪い取っておいて、ようもう一人の俺、という言葉を投げかけるのは余りにも無神経が過ぎる。
「だがフリッカ、俺は同時にあの体に戻りたいとも思っている」
「その気持ちは分かるわ、パパ」
「エゴイスティックな理由だが魔術が使えるのと使えないのでは全くもってアドバンテージが違う、容姿も整っているし身体能力も向こうが優れている」
「……うん」
「俺の人生の半分以上はあの体で過ごしているから愛着もある」
「……」
「何を比較しても、どう考えても、俺にとって有利なのはあの体だ」
同時に。エゴイスティックな感情が俺の中で渦巻く。
「俺の全てだ。あの肉体は俺がこの世界で積み上げてきた全てなんだ。脳内拡張に組み込まれた常駐魔術アプリケーション、視覚聴覚嗅覚を広げるサポートデバイス、骨に刻んだ強度補強の魔法刻印、筋繊維に織り込んだ人工魔工学ファイバ、血液を流れるナノマナマテリアルの分子機械ナノマシン、皮膚に彫りこんだ刺青の肉体強化魔術、生体科学ロードマップを完全に記憶した転写RNA制御、テロメアの有限長を長くし抗酸化作用を持つバイオケミクス生理活性体」
「……パパ」
「表情と顔造詣は形態素解析により最適解を学習して得た、色相心理に基づいたアルビニズムの外見とコントラストの二房の黒髪というカラーデザイン設計、会話する声域はパワースペクトル密度を観測しウェーブレット解析で得た音響心理の最適周波数、姿勢の良さや挙動はオートランのstyle関数optionに'manner'をつけて無意識制御、心理学アプリケーション『アミューズ・メンタル.apm』に基づいた工学的にもっとも心地よい設計の俺」
「……」
「それら全ては、俺が、俺の」
自分が制御できていない。何もかもを喋ってしまいそうだ。俺が積み上げたもの、俺のもの、そんなニュアンスの言葉を言いかけて、かろうじて飲み込んだ。
今の自分は冷静じゃない、内心は心臓に氷でも刺さったかのような強い悲しみと喪失感で一杯で、理不尽な目にあったと自己正当化する被害者意識の怒りが行き場を失っている。
怒りながら悲しんで呆然としている。
吐き気のしそうな嫌悪感だ、生理現象とはこんなに気持ち悪いものだったか。
「……何でもないな、一旦冷静になる、冷静にならせてくれ、時間があれば、いや少し落ち着いた、大丈夫」
「パパ……っ」
「問題解決の思考のリソースは、感情ではなくロジック、感情はインセンティブにしか過ぎない、大丈夫だ」
「強がらなくてもいいよ、パパ……?」
「体の取り戻し方を教えてくれ……っ」
強がらなくてもいいよ、パパ。
その一言を耳から脳に届けるまでのタイムラグ、俺は声が震えてしまった。あまりの衝撃で泣きそうで、聞こえなかったふりをして話を進めようとして、声が詰まる。強がって、問題解決のみを考えて、理性的な姿を見せようとして失敗した。
俺は罵られることには耐性はあるが、つらい時に優しくされることに耐性はない。
「取り戻したい……っ」
「……分かった、教える、パパ」
そんな俺をそのままそっとしてくれるフリッカは、とても優しいと思った。
三つ目。
「三つ目って何?」
フリッカは俺に抱きつきながら聞いた。俺はそのまま答えた。
「妹と、しゃべりたい」
あの映画館で見せた涙を思い出して、俺はぽつりとこぼした。