7.
「何、取って食おうとは思っちゃいないさ。……今はな」
「今は? 今後取って食おうって予定でもあるのかよ。油断ならねえな」
もう一人の俺は「そうさ」と意味ありげに言った。
アカイアキラ。黒髪黒目、典型的なモンゴロイドフェイス。顔の造形は全体的に薄い。彫りこみの深い者が多いこの異世界『揺りかごの庭』では、アカイアキラの顔立ちは全般的にフラットで、それが彼の存在感の希薄さに繋がっていた。
いや、実際に存在感が希薄なのだ。どことなく実体が掴めないというか、目の前に存在しているという感じがしない。彼からはエネルギッシュさとか生気とかを全く見出せないのだ。
ぞっとする話だ。もう一人の自分から生命感を感じないだなんて。「お前からは生きてるって気配を感じないな」と俺は軽口を叩いた。
「は、お前の思うとおりさ。俺には生命感がない。お前にもないようにな。なあ、生ける死人のアルフレート君?」
「おいおい、ドッペルゲンガーだからといってそこまで俺の真似をしなくても良いんだぜ、もう一人の俺」
『もう一人の俺』。俺が口にしたその表現は癇に触ったようで、奴は少しだけ眉を顰めていた。
俺からすると当然だ、奴の方がもう一人の俺なのだ。奴の方が偽者に過ぎない。
『パパは転生事故って信じる? 魂と体が別物同士に分かれて転生してしまうこと。転生するときに何らかの力が働いて、二つに分かれてしまうの』
『どうしたフリッカ、もしかして俺が転生事故だっていうのか?』
『そうよパパ。パパは魂で、奴はパパの体よ。でも両方ともパパなの』
『もう一つの人格って言ったな、それはどういうことだ?』
『……』
押し黙るフリッカ。俺はそのとき一瞬だけ、瑣末な疑惑を抱いた。奴が俺の体だとしたら、何の魂が奴の中に入っているのだろうか。
俺は考えた。
アルフレート・ユーラーとアカイアキラは転生事故で分かれた存在。俺は魂、奴は体。俺には体がなく、奴には魂がない。
奴の魂は一体何なのか、そして俺の肉体も一体何なのか。
一瞬だけ、恐ろしい予想が脳裏を過ぎったが明言化しないことにする。奴がアルフレート本人の魂で、俺と魂が入れ替わってしまった、だなんて。
「なあもう一人の俺、取って食うのは容認できないな、フェアじゃない」
「……もう一人の俺、ふざけたジョークだ。気が変わった。戦うつもりじゃなかったがここまで愚弄されてはな」
あ、俺二回地雷踏んだんだっけ。
そういえばもう一人の俺って二回目口走ったときには奴の表情から笑顔が消えていた。余程嫌な発言らしい。俺ってここまで怖い表情できるのか、と自分を客観的に見て驚く。
別に俺としては「もう一人の俺」とか言われたとして何も怒らないのだが、感性の違いだろうか。
「お前から全てを奪ってやる、俺が奪われたようにな」
「え、ちょ、ここ映画館」
瞬間、奴は臨戦体勢に入った。
いやここエントランスから劇場までの細い通路、戦うにしては狭すぎ。何でこんな場所で戦うの、え、君、馬鹿なの? てか非常識だから、戦うのは外でだろが。
そう言い切る前に俺はとっさの回避運動に移っていた。
『パパ難しいこと言っていい?』
『どうしたフリッカ俺結構戦闘でいっぱいいっぱいなんだけど』
『奴に触られないで、奴はパパとの入れ替わりを狙っているわ』
『マジかよ』
俺はアルマーダの回し蹴りを放った。距離を一旦開けなくてはならない。
俺のオートランのstyle関数に追加された'Capoeira'は、こういう中距離接近戦で上手に制空権を得るために一役も二役も買っている。
俺の戦闘スタイルは常に距離を大事にする。遠くならば魔術の範囲かどうか、接近戦でも遠距離ならば飛び蹴りの射程圏かどうか、中距離ならば足技の届く範囲かどうか、近距離ならばボクシング、ジウ=ジツの範囲かどうか。
複数の戦闘スタイルbtsをstyle関数で読み込んでいるため、その使い分けでパフォーマンスを変える。
当然の工夫だ。距離が変われば威力が変わる、急所が変わる。
距離を意識するのは戦いの定石だ。
相手に有利な距離を掴ませない、自分だけ有利な距離を保つ。それは一対一の戦いにおいて基礎中の基礎。
特に、この映画館の渡り廊下、という限定された空間では、空間を確保することが非常に重要になる。
ジンガの足運びで絶妙な位置をキープしつつ、相手の側面に回る。
「小賢しいな、バーチャルファイターめ」
「そうかい」
実は俺の方が必死だ。
フリッカが『触られたら最後よ』と脅してくるので、触られないように戦いを運ばないといけない。
通路の壁に接近しすぎると、なりふり構わず突撃して触ってくる可能性もあるので、空間を広く取る必要まである。
「どれも初めて見る戦い方だ、バトルマスターから教わったのか?」
「さあな」
奴の質問に答える義理はない。余裕もない。
意外にも奴は、戦い慣れしているようだった。
俺との距離の取り合いでも、俺のオートランに振り回されることなく一定距離を保とうとする。
かと思えば、手さげ袋に砂を詰めただけの鈍器(簡易ブラックジャック)を振り下ろさんと俺を虎視眈々狙っている。
実にやりにくい相手だ。
『パパ、スタンデバイスは? それなら勝てるよ』
『何故か知らないがキャンセルされた』
フリッカに答えつつ、俺は魔術障壁で相手をシールドバッシュした。障壁を盾に見なして体当たり、相手はややひるんで後ろに飛び退いた。
チャンス到来。飛び退いた先は通路の壁だ。つまり奴に逃げ場はない。
「Cast(Fire_Bullet);」
小型魔術の散弾を相手に食らわす。威力こそ足りないが、面が広い分相手は回避が難しいだろう。
狙いは足止め、およびキャンセルの観察。
俺のスタンデバイスをキャンセルした以上、何らかの切り札を隠しもっている可能性が高い。
なのでファイアバレットを連射しその様子を観察するつもりだったが。
「馬鹿め!」
「なっ」
全く効いていない。それどころかこっちに一気に接近してきた。
それならそれで予想済み、カポエイラの蹴り技から距離を保って応戦するまで。
そう思っていると不意打ちがきた。
ファイアバレットで破けたブラックジャックを、奴は蹴飛ばしたのだ。
鈍器を回避。俺はそのために忘れていた、粉が一気に空間に撒き散らされたのを。
ブラックジャックの中身は砂ではなく、粉だった。性質の悪いことにチョーク石灰の粉、色とりどりの粉塵のせいで視界が悪い。
(それは向こうも同じこと)
ならば俺も飛び退くか。
そう思い一旦距離をリセットしようとしたところで、思った以上に相手が接近していることに気付いた。
(まずい)
遅かったようだ。
こうなれば一か八かこっちから攻撃して、ボディを蹴飛ばすしかない。相手に触れられるリスクもあるが、足に気功を流して身に纏うことで、逆に触ってきた相手を痺れさせることも可能だ。
「はっ!」
ベンサォンの正面蹴り。相手のボディに痛烈に刺さった感触がする。
しかし相手は一枚上手だった。
全てを捨てて俺の足にしがみついたのだ。防御を捨てての破れかぶれだ。ボディを思いきり蹴られることも気功で痺れることも厭わない、ある意味最終手段だ。
(これはまずい!)
「かはっ、ごほっ、……勝ったっ!」
俺は足に気功を思い切り流し込んだ。だが手遅れだった。
「Al la gusta loko!(正しき場所へ!)」
瞬間、俺の気は遠くなった。通路の壁に体をぶつけた気がしたが、そのころには痛みを感じなくなっていた。
パパ、起きて。
どこかで小さな声が聞こえた。