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チート魔術……っていうか科学なんですけど  作者: Richard Roe
1.バーチャルファイター with [Luminous Dancer.apm]
2/46

1.

 帝国暦 1027年 乙女の月 7日(Virgo.7)

 帝国魔術学会アカデミア 本部委員会


  懲戒辞令

 今般、貴殿が就業規則第16条7項16号の規定に違反したと認め、懲戒解雇に処すと共に、帝国暦1027年 乙女の月 10日(Virgo.10) 付をもって『朱の魔術師』の号を免する。

 以上






 簡素な辞令。しかし内容は衝撃的である。この辞令の与えた衝撃の大きさたるや、帝国全ての魔術師が目を疑ったほどだ。

 世の魔術師で名を知らないものはいない大賢者『朱の魔術師』が罷免された。この事実は、驚きをもって大陸全土に伝わった。


 あの大賢者『朱の魔術師』が何故。魔術貢献に右に出るもののない男に何が。研究を千年は進めた天才的な頭脳をどうして。

 方々に流れる噂は憶測を呼び、反響の多さを示す結果となった。

 皇帝は乱心か。委員会の暴走か。官僚の陰謀か。

 様々な意見が飛び交うが、真実は明らかにされなかった。内々に処理されたこの問題を、正しく理解するのはごく一部だけであった。厳重な口封じのせいである。


 始末されたのかもしれない。

 まことしやかに人々はそう噂していた。


(やめてくれ)


 それを他人の立場から聞いて、俺はむず痒いような気持ちになった。

 当の『朱の魔術師』本人、こと俺は自分を大賢者とは思わない。


 天才的な頭脳。笑わせる。自分の今までしてきたことはおおよそ天才的でも何でもない。

 例えば物理学、俺は当然の物理法則を発見し証明しただけだ、世の中のルールを再発見しては数学的記述に落とし、万人に分かりやすいように伝えただけ。

 自然と言う芸術法則の翻訳作業だ。

 発見した俺が芸術的なのではない、俺が芸術を発見しただけだ。


(どちらかというと天才は、俺以外の『極彩色の魔術師』だろう。俺には前世の知識があっただけ。俺が『朱の魔術師』の号を頂くこと自体がある意味ずるかったっていうかチートだし)


 自分の異名、朱の魔術師。

 極彩色の号(帝国で最強の一角を意味する)を頂くにはそもそも力不足だと自覚している。


 自分の実力に自信がないわけではない。

 しかし他の極彩色の魔術師たちを見るかぎり、自分にそこまでの実力があるとは到底思えなかった。自分の実力は非凡なまでに大きいわけでもないし天性のセンスでもない。ただ理論体系づけられた魔術を効率よく運用出来るという点それのみで、糊口を凌いだまでだ。


 例えば黄金の魔術師のように圧倒的大火力を持つ訳でもなければ、白の魔術師のように神聖な儀式魔術を操ることもできない。

 つまり俺にはこれ、というようなユニークな強みがないのだ。知識によって効率よく、ただそれのみ。

 要するに俺は賢い凡人、という程度に過ぎない。


 世間のイメージする天才は、俺より賢い。困ったことに世間様は朱の魔術師のことを、何でもできる圧倒的な大魔術師であると錯覚している。

 カガクという効率のよい魔術理論を駆使するエリートだと思っているみたいだ。

 実態は全く異なる。賢くもなければ大魔術師でもない。


(困った話だ。せっかくカフェで一息いれようと思っていたのに、店内でもこんな風に噂されているとは。落ち着ける場所がどこかにないものか)


 軽く溜息。気分転換にコーヒーでも飲もうとカフェに入ったのに、失職したことが噂になっていて気が滅入る。

 自分の噂話なんか聞くものじゃない。


(しかし旨い)


 世間的なコーヒーを飲む。ストレートのモカ、コーヒーにしてはフルーティーな香りで、口の中ですぐにはじけて消える酸味が程よい。まろやかで上品、苦味は少ない。

 脳内ダッシュボードアプリを立ちあげてモカコーヒーの味をメモする。視界側面に透明のポップアップが表示され、『モカ:フルーティ、酸味強し』と表記される。どうでもいい情報でもこのようにすぐ書き込めるので、魔術は便利だ。


 世間の人々は、俺の脳内を見てみたいという。きっと数式にデコレートされたアカデミックモンスターを想像しているはずだ。しかし実態は、このダッシュボードの中身はどうでもいいことが大半を占めている。昨日何を食べた、あの絵が綺麗だった、この本面白くなかった、至極ありふれた情報。これが世間の言う天才の脳内なのだ。


(こうやってダッシュボードを見ていると俺がどれだけ普通の人間なのか分かるものだ。漫画読んでるんだぜ俺、普通に)


 このダッシュボードアプリの魔術、開発者は自分である。Basic言語で記述されたオープンソースのアプリケーションで、自分の権限で大学、研究塔のサーバー(赤の塔の内部に広大なサーバーが存在する)を借りて一般解放している。

 自分は天才ではない。ダッシュボードアプリを製作し魔術開発環境を整えられる程度の魔工技師で、科学数式に囚われた学問の徒だ。

 あと、今日からストレートのモカを愛する程度のグルメの嗜好家、健啖家だ。


 俺は自分の評価について考えた。


 世界的ウィザード級エンジニア、インタプリタ言語とコンパイラの開発者、それが朱の魔術師へのほとんどの認識だ。半分以上間違っている、と俺は思う。間違ってはいない、しかし世界語を翻訳し魔術開発環境を整えたエンジニア、というイメージだけが先行し過ぎている。

 このイメージでは、俺の魔工学技師としての一面しか説明できていない。


 俺は本来は学者である。

 複雑系の制御、魔術触媒の発見、生態系の調査、範囲こそ幅広い(と自負している)が、複数の学問を研究する一介の学術人間なのだ。

 その一環として、世界言語(アセンブリ言語のようなもの)に対して使いやすい翻訳機を作っただけである。つまり、その研究だけをもって「朱の魔術師は神!」だとか評価されても困るのである。


 しかし本業の学業的発見は、残念ながら非常に難解だったようで余り重要視されることはなく、むしろ一般大衆にわかりやすい『総合開発環境』の方が評価された。


 誰でも簡単に魔術師、というコンセプトは一般人には好評だったようだ。魔術はプログラミングに成り下がった。おかげさまで世界の魔術師の数は飛躍的に向上した。産業革命もかくや、というばかりの革命であった。

 貴族や豪商は全員魔術師になり、一般人でさえどこからか開発環境をくすねてきては野良魔術師として跋扈する始末。

 世界は魔術革命を起こしたのだった。


 革命の担い手の当本人、俺は不本意だ。

 おかげさまで買わなくても良いやっかみを買ってしまう羽目になった。こうしてこっそりモカを飲むのにも、人目を気にして認識齟齬魔術を掛けてでないといけない。闇討ちを警戒して外を歩かないといけなくなった。暗殺者に狙われたこともある。幸い撃退できたものの、今思うと恐ろしい話だ。


 このモカに毒が入っていたとしたら、俺は死ぬ。

 俺は緑の魔術師のように調薬に優れている訳でもない。紫の魔術師のようにアッパレ・クノイチでもない。橙の魔術師のようにチャクラ使いでもなければ、白の魔術師のようにモカコーヒーを浄化する聖魔術に優れているわけでもない。


 よって俺のような弱い人間は自分を守るためにかなり神経を使う。

 文字通り神経を駆使する。

 知覚拡張魔術を常時展開し、脳内五感モジュールに電気信号を送る。

 膜状嗅覚センサを用いて匂い分子をその場で解析。聴覚を広げ可聴周波数レンジを増大。

 視覚の脇には複数のウィンドウが駐在し、前後左右の映像をリアルタイムで表示してくれる。


 しかしこうでもしないと自分を守ることはできない。

 こんなことになるのなら、インタプリタ言語なぞ作らなければ良かった。そうすらも思えてくる。


 モカが終わる。

 残念だ、と思いながら俺はクロワッサンを食べた。外側がさくさくしているのに内側は芳醇で、仄かなバターの塩味がたまらない。しばらく幸せに耽る。


 ようやくして、異変に気付いた。ダッシュボードアプリが異常を知らせてくれた。


(見られている?)


 視線を感じて後ろを眺める。振り返らず、画像センサのみを後ろに回して。


 それは澄んだ髪の少女だった。第一感は天使。抜けるような白髪とこれまた透き通るような白い肌は、アルビノ芸術美の細緻だ。しかし仄かにクリームの色を擁していて、柔らかさを連想させる。ミルクのような子、きっとこのような子が娘ならば溺愛するに違いない、と俺は思った。

 赤い瞳がエキゾチックだ。俺と同じだ。俺はそこで気付いた。髪も目も俺と同じだと。乳白の肌と赤い瞳、線の細い体格。


 もし俺に娘がいたら、こういう子になるだろう。


 俺と少女と違うのは触角。

 俺はアルビノの特徴を備えている非純正アルビノで、髪の一部が黒い。前髪の二束ほどが黒の触角みたいになっている。

 しかし彼女はそれをもっていない。純然たるアルビノ。


 人形みたいだ。

 思わず見とれた。映像センサの情報を通して、俺は後ろの彼女を見ていた。彼女の方向を向かず、顔を合わせず、しかし俺は彼女を美しいと思っていた。

 彼女は徐々に俺に近づいてきた。


(しまった、なるべく自然を装って立ち去りたい)


 ちょっと反応が遅れた。自然を装って逃走するには少し骨が折れそうな距離だ。

 刺客か。脳裏を過ぎる懸念。ここ最近なりを潜めているが、昔に何度もやりあってきた手合いだ。自分の警戒心が高まって行くのを感じ取る。

 少女は中距離魔術のキルレンジに入ってきた。俺と彼女を隔てる空間は中距離魔法一つで殺傷圏になる。


 俺は懐から増幅器を取り出して魔術をいつでも展開出来るようにした。プリセット魔術を複数始動。同時に席を立ち、逃走も戦闘も出来るように空間を確保。

 俺はようやく彼女のほうを向いた。


「ハロー、パパ」


 娘だった、娘なんかいないのだが。一瞬困惑した、しかし娘はしてやったりという笑顔だった。俺が困惑することも折りこみ済みらしい。


 取りあえずスタンデバイスを走らせた。3mAの空中スパークが30万Vの電圧で彼女に浴び掛かった。35Hzの閃光、一秒の痙攣、娘はちょろかった。「ひ」と一言一瞬で意識を刈り取られたようだった。


 周囲は気付かない。

 認識齟齬が働いている。娘が襲われて気絶した一連を当たり前だと感じている。違和感を覚える脳内モジュールが麻痺し、ただ女の子が気絶しただけか、ふうん、と取り立てて騒ぐこともない。

 認識齟齬のトリックは持って七分。それだけあれば十分だった。

 彼女を担いでカフェテリアを出ていく。






「最低!」

「そうか」


 テーピングで拘束された少女は、涙目で俺を批判していた。

 ぱっと見ポルノだ。ラテックスのようにてらてら光る硬皮テープで手足を縛り、芋虫のように転がしている。端はホチキス処理されており力を加えても外れない。対魔術として受動方式ジャミングシールを付与し、ホワイトノイズ印加による詠唱阻害を施している。

 完璧な拘束。つまり少女は逃亡も抵抗も出来ないことを意味していた。


 少女は口汚く俺を罵った。変態、パパ最低、一生口聞いてやらない。正直良く分からなかった。顔を真っ赤にして唾を飛ばして罵倒しているが何これ可愛いとしか思わなかった。天使である。ラテックス雁字搦めの天使。

 俺は食事を中断したクロワッサンを齧った。焼きたてのあの柔らかさはなかったが、十分満足だった。ミルクとバターは最強だと思う。


「お前は何物だ」

「娘だってば! 1038年パパはママと運命的な出会いをして私が生まれるの! 玉の子のように可愛いフリッカは帝国大学に飛び級で入学するの! そして私は極彩色の赤を引き継いで研究に邁進するの! でも突然パパったら消失しちゃうの! 何かどっかの怖い人たちに追われて、フリッカとママと弟を守るって言って、裁判所まで行って、撃たれて、う、うええええ」

「落ち着け落ち着け」

「生ぎでる、ううう」


 突然芋虫天使がのしかかってきた。

 受け止める形になって、ちょっと受け止め切れなくて押し倒される。「パパぁ」とか言いながら胸元に顔を擦り付けてくる。鼻水が付くので止めてもらいたい。後でクリーンデバイスを走らせようと決意する。


「こら、落ち着け、パパ困っちゃうだろ」

「ううう」

「抱き締めてやるからちょっと落ち着け」

「うう、うん」


 推定14才、ちょっとパパ卒業遅くないか、とか思いながらクロワッサンを齧った。頭を撫でると落ち着くようで、涙も止まったみたいだった。不規則に鼻を啜る音が聞こえるだけだ。

 そういえばこの子、名前聞いてない。フリッカってつまりそうか、「フレデリカ?」と自分に娘が出来たら付けたい名前を呼んでみる。

 目を丸くして驚いていた。当たっていたようだ。


「凄い、パパ最高」

「フリッカのことは良く分かるよ、嘘良くわからん」


 がばと飛び込んできそうな気配がしたので一瞬で言葉を裏返した。遅かった。「凄い凄い」とか芋虫が跳ねている。たらこのCMかよ、とか思いながらちょっと痛いので止めさせる。

 フリッカ。愛しい娘のフリッカ。俺の記憶にない、愛しい娘のフリッカ。何度か名前を呼ぶと愛しい気がするから不思議だ。


「取りあえずハローからだな、フリッカ」

「うん」

「取りあえずお前が俺の娘で、帝国大学飛び級して、赤の魔術師になったってのは分かった」

「うん」

「1038年運命的な出会いって何?」

「あのね、パパはタイムパラドクスって信じる? 或いはアカシックレコードの存在とか。フリッカが話すことによって不確定的な未来が一様に決定される可能性とか、初期値鋭敏性を持つカオスが別の安定点へ収束するとか、そういうの。これから話すことはそういうものなの、だから覚悟して欲しいの」


 じゃあお前と出会った時点でアウトじゃん。


 アカシックレコード。

 宇宙の始まりから全ての事象、想念、感情を記憶した世界記憶。アカシアの記憶、巨大な霊的パノラマ、アストラル光に刻まれた想念。

 サンスクリットの五大の一つ虚空のアカシア。そこにはこの世で起きた全てのことが記憶される。心の深層部、阿頼耶識でつながる神の無限の霊的記憶庫。

 アカシックレコードとはつまり、過去から未来の全てを記録した記憶庫なのである。


 アカシアの記憶には俺の未来が書かれている。

 俺がどんな人生を送るのか。誰を伴侶とするのか、誰と友誼を結び、誰と決別するか。何を楽しみ、何を追求し、何に殺されるか。

 その全ての出来事が、記憶が、感情が、アカシアに既に存在している。俺達の世界はそれを再現するだけだ、レコードを再生するように。


 人間の行動、因縁、カルマは全て保存されている。アカシックレコードは永遠の絵画ギャラリーだ。生命の書は人間に読めないようにアストラル光で書かれる。そのアストラル光を書くのは天使の子の書記リピカ。書記リピカは声、言葉、霊から生まれ、声、言葉、霊を記憶し記録する。


 そのアカシックレコードの中には当然、俺の未来の行動、因縁、カルマが保存されている。


 彼女は言及した。タイムパラドクスを、アカシックレコードの存在を、不確定な未来の収束を。

 不確定な未来が収束するかもしれない、それはつまりアカシックレコードの否定ではないか。確定している未来をアカシックレコードが書くのなら、不確定な要素などないのだから。


 疑問に思いつつも、俺は彼女の言葉の続きを待った。


「まず前置きするけど、1038年はフリッカにとって過去なの。1038年に起きた出来事、その記憶をフリッカは体に引き継いでいる。パパとママの運命を分けて貰ったもの。それは肉体的にも遺伝的にも、同時にオカルト的にも、とにかくフリッカは1038年の記憶を体に引き継いでいるの。フリッカのアストラル体には魂があって、その魂には1038年のアストラルの記憶が刻まれていて、そこには、パパとママが目も覚めるような恋をしたことが刻まれているの。事実としてね」

「事実として、そして未来としてね」

「そこがキーポイントなの。世界と個人はリンクしているの」


 重要なことを言い含めるように、芋虫天使フリッカは言葉を選んだ。


「人の魂は無限の中で時間の制約を受けない。つまり魂にとっては、フリッカ達の時間は意味は乏しいの。アカシックレコードに記述された歴史は、単純に我々の世界に投影されるだけ。フリッカ達が見ているのはアストラルの光の幻影、マーヤなの。神智学者はこう言ったわ、時間より時系列こそ重要、因果の順番こそ意味を持つ、と」

「全く分からん、つまり?」

「つまり、フリッカの記憶は世界につながっているの。フリッカの記憶はアストラルの記憶の一つ、その記憶通りにマーヤに投影されたとき、パパとママは出会うの。一種の決定論的なロマンスね」

「ふむ」

「でも逆に、フリッカと世界の記憶はコンテクストが同じじゃないの。マーヤへの投影は一意的じゃない。アカシックレコードにおける『記述』は決定論的だけど、マーヤの幻影は決定的じゃないの」

「ん、未来は決定的じゃないということか?」

「そう、アカシックレコードは複数の解釈を持つから」


 正直話の半分も分からない。だが辛うじて分かったのは、未来はアカシックレコードに書かれていて、それがレコードのようにマーヤ(俺たちの世界)に投影されること、その投影をどう解釈するのかによって未来は複数に分かれるということだ。


 解釈。難しい話だ。


 過激な思想がこの世の中に存在する。解釈出来ないものは存在しない。我々が認知しないもの、できないものは、この世の中に存在しないも同然だというわけだ。実在論に謳われる存在の定義。観念が理解出来ないものは「実在」なのか。


 アカシックレコードもまた、解釈問題であった。俺も聞いたことはある、アカシックレコードは解釈に多様性があると言う学説を。

 マーヤの幻影とはよく言ったものだ、現実世界は理想世界イデアの投影であると唱えた哲学者の思想によく似ている。

 投影は解釈だ、人によって見える真実は違う、理解力が違う、望んでいる願望が違う。


 アカシックレコードは複合的コンプレックス構造の情報源であり、不可逆性をもつ複雑系表記だ。そこから拾いあげる情報は、影だ。十字架に光を当てても、真正面の影は十字で、真横の影は縦一線、影の形が異なって投影されている、光の影は一種の真実を含んでいるが、真実に還元することは出来ないのだ。


 要は、未来は解釈により不確定、という訳だ。


「でもだ、解釈が複数あるとしてもだな、観測者効果を知っているだろ? 観測者がこうであると観測した瞬間そこに存在することが確定するって話だ」

「コペンハーゲン的解釈をするのねパパ。その通りよ。でも半分イエス、半分ノー。観測って何?」

「知らん。それを聞きたかった」

「観測は投影と同意なの。そりゃ確定するよ、投影しちゃったらその通りになるんだから」


 科学じゃ説明できないわ、とフリッカは嘯いた。

 俺は思う、まさかこんなオカルティズム爆発の頭クルクルパー理論をもって科学を『~も説明できない未熟な学問』と見なすのは人類の英知への冒涜だと。ていうか俺への冒涜だと。


 科学の領域では、解釈によって変わりますとかいう言い訳確保逃げ道確保のオカルティック理論は論ずるに値しない。何故なら、論じても意味がないからだ。法則性が確認できない、正しさが証明できない、そんなものはランダムと同義だ。


 アカシックレコードは、それ故に胡散臭いだけの議論に過ぎない。


「はっきり言うけど、アカシックレコードなんか全く信じてないんだ」

「え、魔術師なのに」

「アカシックレコードは『存在する』と俺達が信じているから『存在する』だけで、俺からするとワールドワイドスケールの便利な共通概念マナプールでしかない。便利な関数群だ。参照テクストの多さと歴史的コンテクストが魅力的なパブリックドメイン、古臭い表記と効率の悪い伝達過程を無視すれば、普遍性が強く呪術的意味の強い魔術プロトコルの一種だ」

「パパって科学信者だったのね」

「懐疑論に否定されるものは信頼性強度が低い、反証テストの常識だ」


 だから、と俺は口火を切った。


「お前が未来から来たかどうかなんて究極どうでもいい」

「えっ」

「お前は何をしに来たんだ?」


 一瞬フリッカは固まった。


 俺はマタニティ神話は信じない。性役割モデルはジェンダーの考えと複雑な関係を持つ。母性愛はその意味で、クラシックな時代遅れモデルだし、一方で一部の女性にはある意味憧れの感情でもあるわけだ。残念だがマタニティは万能を意味しない。シャッフルされた乳児から我が子を見つける理由は、母性愛ではないはずだ。匂いだし顔だし形だし、つまり形態素解析だ。


 しかし俺は父性愛のようなものを半分感じている。何故なら、目の前の娘が娘のような気がしてならないからだ。匂いか顔か形か、形態素解析の結果なのか。或いは俺のアストラル体と彼女のアストラル体が共鳴し惹き合っているからなのかもしれない。


 娘を半分信じている。だから、未来からきたという些事はどうでもいい。

 それより重要な問題は、動機であった。


「何で来たんだ? パパに言いな、聞いてあげるよ」

「……その、信じてくれる?」

「信頼テストと個人の信義は別問題だ。信じる」

「っ」


 くて、ともう一回首を預けてきた。良く泣く娘だと思う。


「パパ」

「パパだ」

「パパっ」

「ごめん鼻水やめて」


 信じるって言われて泣くほどか。泣くほどかもしれない。心細かったのかもしれない。

 彼女を肯定する存在は今この世に全くない。彼女はこの世のコンテクストから孤立した存在なのだ。カルチャーとしても戸籍情報としても彼女を示すつながりは一切ない。

 この俺以外には。


 俺がつながりを信じることは、彼女のアイデンティティ問題だったのかも知れない。もしくは単純に父性愛に心が溶かされたのかも知れない、優しさに泣くことはある。どちらにせよ彼女がすんすん泣くのを俺は慰めたかった。

 信じてはいないが信じた。正しさを立証することより大事なことが世の中に存在する。


「フリッカ、パパを助けたいの」

「おう、助けてくれ」

「フリッカね、パパを助けたいの……」

「おう」

「フリッカね、パパをね」

「分かった分かった」


 きっと娘フリッカは、俺を助けたい気持ちでいっぱいなのだろう。何度も助けたいと繰り返す彼女をそっと撫でる。しばらく撫で続けて落ち着かせる。

 泣かないで欲しい。ごく単純に、彼女が泣いている姿を見るのは俺も嫌だ。この気持ちを一体何と呼ぶのか。俺には分からない。しかし自分が"パパ"を名乗るのは悪くない、と思った。


 撫でながら俺は彼女に言った。


「フリッカ、パパはお前を守る。だからパパを助けてくれ」

「うん!」


 元気な返事。いい娘に育ったなという感慨を覚える。


 それでも拘束を解かないのは何故か。俺の科学的理性と懐疑主義が彼女=暗殺者の可能性を捨てていないからだ。正直にそう伝えると「え、え、えぇー……」とちょっと引かれた。でも十五分間抱き締め続けたら「ま、まあ仕方ないよね、えへへ」と許してくれた。多分娘はちょろい。パパはフリッカの将来が心配になった。十五分のハグで許しちゃう系女子。だめんずうぉーかーの匂いしかしない。


「あのね、ターニングポイントは三つあるの」

「分岐点は三つってことか」

「そう、他の分岐はこの際大した問題じゃないと思うから、フリッカはこの三つを変えたいの」

「そのために未来から来たのか」

「そう。この三つを変えたら、パパは死なないと思うの」


 きっとその三つが、俺が死ぬ理由なのだろう。俺の死因は射殺だ。裁判に巻き込まれ撃たれたのだ。ならば当然、撃たれた理由が重要になる。

 撃たれなくすればいい。撃たれる理由をなくせばいい。要は恨まれないように生きたらよいのだ。話は簡単に思われた。


「その三つのターニングポイントって何だ?」

「パパが殺した人、パパと不倫した泥棒猫、パパのもう一つの人格」

「ちょっと待って」

「何?」


 パパ何やってんの。殺人してて不倫してて二重人格とか、殺される理由たくさん有りすぎ。


「殺人に不倫に二重人格とかただのサイコパス野郎じゃん」

「え、うん」

「パパ大概クズだった」

「うーん……まあ」


 困ったようにはにかむフリッカ。「大丈夫、フリッカはパパ大好き」という無条件無理由のフォローが入った。裏を返せばロジカルなフォローが見つからなかった証拠である。

 だめんずを愛する女が見せる慈愛をフリッカから感じ取った。母性愛に近い何かだ。不服だ、不服すぎる。


「だってパパ、フリッカを拘束して悦ぶような変態さんだもの……」

「可及的速やかにお前が安全であることを証明するから待って」

「素敵、今すぐに拘束を解かないドSっぷりフリッカ惚れちゃう」


 かくして。


 俺は今日いくつもの運命の分岐点に直面した。ある意味今日がターニングポイントなのかもしれない。

 俺は職を失った。俺に娘が出来た。俺は娘を拘束して同居する事になった。

 そして、俺が死ぬ未来を変える事になった。

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