2.
ゲス顔ブラック★キャンディちゃん。
ネット上ではありふれた名前。これぐらい奇を衒う名前ならどこにでも転がっている。
注目すべきはキャラクターだ。
罵倒系アイドル。どうしてこんな誰が得するのかわからないコンテンツが発祥したのかは謎だが、『ゲス顔ブラック★キャンディちゃん』はその罵倒系アイドルとしての地位を確立していた。
例を上げると。「キモオタのみんなー! やっほーー! ゲス顔ブラック★キャンディちゃんだよ!」「今日もお前らきもいなー! 何かテンション上がってるからって、動作カクカクしててきもいー!」「遠めから見たら、観客ジャガイモばっかり! 何かすげえ! 今日もきもいよ、めっちゃきもい!」ととにかくファンを罵倒する。
どうしてか分からないが、その罵倒が受けているらしい。ことわざの複合で例えるなら、捨てる神あれば世界は広い。
『だってさ。フリッカ知ってるか?』
『あー、その、あのねパパ、実はフリッカ今知ったの。ネットで検索したら結構ヒットする、でも規模としてはニッチだね』
『……つまり未来ではそこまで人気じゃない、ってことだな。ありがとう』
『え、どういう』
フリッカに確認を取る。返ってきた答えは微妙なものだった。未来のフリッカはその存在を知らなかったというわけだ。それはつまりゲス顔ちゃんは将来コンテンツとして大成しなかったということだ。
もしも将来大成しているのならば、フリッカだってその存在を知っているはずなのだから。
じゃあ止めるか。
俺は目の前のゴスロリアイドル妹アミィに一言もの申した。
「アミィ。諦めろ。お前絶対成功しないわ」
言った瞬間後悔した。ああ、何でいつも俺は一言多いんだ。
【……何だよそれ】
「俺未来予知に目覚めたんだわ、お前成功してない、めっちゃ失敗してるわ、やめとけ」
【は?】
「頼む、傷付く前にやめてくれ。俺はお前が失敗する姿が」
【命令するな。何様だ】
ですよねー。と俺は思った。
俺は妄想した。俺と妹アミィは仲のいい兄と妹。俺は「やめとけ」と冗談を発して忠告する。冗談めかした心配だ、将来妹が傷付かないようにするための忠告だ。疎ましく思われることを知っていてなお注意したくて、だから敢えて冗談で忠告する。
妹アミィも気付くのだ。兄は心配しているから、こんな鬱陶しいことをするんだと。でも譲れないものもあると。だから妹アミィは噛み付くのだ。「もう、お兄ちゃん! 私だってしたいことがあるの!」と主張する。そして俺は彼女のきらきらした夢を聞くのだ。頷きながら、モカコーヒーを飲みながら。時々「それ面白いな!」とか言いながら。
妄想だ。所詮は妄想だ。
現実はこうだ。俺の声は妹に届かない。あるいは過剰に反撃される。トラウマなのかもしれない。どちらにせよ俺の声はアミィに届かない。
ボタンをかけ違えているだけ。俺はそう思っている。だが現実はもうちょっと酷いのだろう。ちょっと食い違っているとかそういうわけじゃなくて、何か二度と戻らない壊れ物を俺が土足で踏みつけて砕いてしまったかのような、そういう何かだ。
ああ、後味が悪い女だ。これだよアミィは。……なんて、内心の八つ当たり。
『パパ、流石にこれはパパが悪いよ』
『フリッカ、見ていたのか』
『見てたよ。何やってるのパパ。唯一の妹でしょ。何あの八つ当たりみたいな接し方。高圧的すぎるよ』
『知ってるよ。大人気なかったかも、すまんな』
脳内で娘にも駄目出しされる。俺は内心情けなかった。感情的になるのは俺の悪い癖だ。
「悪い、これも冗談だ」
【……】
「俺を呼んだ理由。聞いてもいいか」
【……いや、もういい】
「そうか」
俺はメール欄を見ていた。『生き返る方法は、貴方の周りの人の悩みを聞いてあげることです』だなんてふざけた文句。白の魔術師のメールだ。
フリッカが破棄して無視して、と言ったメールだ。何故彼女がそこまで必死だったのかは分からない。忘れてしまった。
重要なことは一つ。俺はこのメールが一瞬心に引っかかったのだ。
だから普段は無視してしまうような、一応返事はするけど「直接会うのは予定が合わないな、すまん」と建前だけで逃げるような、そういう連絡でさえ返事をするようにしたのだ。
黒の魔術師アミィの『用件がある。今日午後二時、アストラルネットワークで』という連絡。
正直会うのは気が進まなかった。しかし会うことにした。
『生き返る方法は、貴方の周りの人の悩みを聞いてあげることです』。
その言葉に何かを覚えた。だからこうやって足を運んだ。理由はフリッカに秘密にして。
「……なあ」
【何だ】
「悪かった。許して欲しい」
【……何を今更】
何について謝っているのかは敢えてぼかした。今の失礼な忠告について。あるいはずっと昔のことについて。
曖昧に謝った。
気が進まないながら謝る。実際俺は悪いことをした。ならば謝るべきなのだ。
心配だから。『生き返る方法は』。気が進まない。兄妹仲のいい妄想。昔の罪悪感。俺はパパになった、フリッカに見本を見せないと。大人気なかったかも。
様々なニュアンスが俺の中に浮かんでは、苦味を残して消えた。
「……」
【……】
モカコーヒーを飲んで苦味をごまかしたかった。しかしそれは失礼な気がした。
【私は、アイドルになりたい】
「そうか」
控え室に入る。
俺の人生で、クラブハウスの控え室に入るのは初めてだ。狭いスペースに楽器が所狭しと並んでいて、気の休まる思いがしなかった。
今日の共演者たちは全て、このスペースに楽器をおいて保管している。そして自分の番になったらそれを取り出してステージまで運ぶ。楽屋からいちいち持ち出したりするのは遠いし重たい。客席に楽器をおくのは盗難の恐れがある。
だからこうやって、控え室に全て準備しておくのだった。
【それ運んで】
「ああ。これはシンセサイザーか?」
【そう。ベースもキーボードも全部ここに打ち込み済みだから、あとは私が歌うだけ】
「手馴れたもんだな」
【一人だからな】
シンセサイザーキーボード。
電子工学的技法に楽音を合成、シンセサイズすることで音楽を自動再生する。生演奏との違いは、例え演奏中に演奏者がリズムを外れて少し先走ったりしたとしてもそれをフォロー出来ない点だ。
しかしボーカル一人なら、その心配はいらないだろう。歌うことは楽器の演奏より遥かにコントロールが楽だ、先走ったり出遅れたりするテンポミスはフォローがいくらでも利く。
アミィは一人。それはある意味ではプラスなのだろう。
「俺がシンセ担当しようか」
【……黙って客席で聞いてろ、しゃしゃり出るな】
しゃしゃり出るな、とは酷い言い草だ。
俺はそう思いながら、しかしそうかもな、と思った。
アミィは俺に「私のステージを見て欲しい」と言った。
ゲス顔ブラック★キャンディちゃんは今日の夜、現実世界のクラブハウスでライブを行なう予定らしかった。規模で言うとそこまで大きくはない、複数のアマチュアアイドルバンドと一緒にハウスを借りて演奏するちょっとしたライブだ。
精々アイドルの卵が身内ではしゃぐ程度の、そんなクラブハウスの出し物。
俺はそれを見たいと思った。生き返る方法だとか、失敗するか心配だとか、そんな気持ちはどうでもよかった。
ただ、俺の良く知る、俺の良く知らない妹を見たかった。