11.
〇.二秒。拳が行き交う速度。
鉄の重さは尋常じゃない。運動エネルギーは速度の二乗に比例し、質量に比例する。つまり鉄の吐き出すハードパンチは、その質量に裏打ちされた致命的な一撃一撃を繰り広げる。生身の拳のそれより遥かに重く、確実に骨を破壊し内臓を押しつぶすような殺人パンチをだ。
受け止めることはほぼ不可能。柔術の理に基づいて受け流すのみ。柔能く剛を制す。俺は静かに耐え忍んだ。
「ふ、ざけるんじゃねえ」
「……」
俺の目の前にはバーチャルファイターがいた。機械仕掛けの殺人バーチャルファイター。完成された軍用サイボーグ。はっきり言うと、俺より遥かに強かった。
最適化されたジウ=ジツ、軌道予測は物理演算エンジンの三次元立体時系列データの解析、運動エネルギーはマナタンクと電力のハイブリッド。疲労は感じず、痛みという概念はない。ボディ全身に漲るマギエンジニアリングの刻印魔法が、全身強化バフ魔術を演出し、ピストン駆動の最適エネルギー伝播を実現させ、C4化学爆薬の爆炸圧力を実現していた。
造形は人体科学に基づいた最適運動フォルム、筋繊維カーボンファイバーはねじれ機構を実現させた強化複合バンドで、アモルファス状液晶衝撃緩和剤のエレクトル・ルミネッセンスを織り込まれた、迷彩機構と防御力の同時両立を可能にしていた。
俺は。違う。
爆炸の一撃を受ける度、体が軋む感覚を覚えた。皮膚が燃えるように痛かった。受け流すことに失敗して、腕の一部が引っ張られた。千切れて血が吹き出て、肉の一部を失った。
アバターによるホログラム防御能力はどうやら、『金の天秤』の奴らに剥奪されてしまったようだ。狡いことを考える奴らだ、実際地味に効果を発揮している。この分では、強制転送機能も期待できないだろう、たぶん俺は致命傷を負ったら強制転送で脱出されるわけじゃなくこの場で野垂れ死ぬだろう。
「ふざけた機械だなお前は、チート魔術かよ」
「……」
「おいそこは科学ですけど、だろが」
俺は渾身の回し蹴りを放った。遠心力を乗せて、体重を伝播させて、しなるような一撃を炸裂させた。
クリーンヒット。相手の脇腹へ直線状に襲いかかる足技。俺は痛みに「ぐ、あ」と小さく唸った。俺は鉄塊を蹴った、足が悲鳴を上げた、生力プラーナに肉体強化された気功術の補助を以ってして、俺の足は鉄の硬さに防がれてしまった。俺の蹴りは、サイボーグの体に、僅かなダメージを与える程度にしかならなかった。
逆に、サイボーグは俺の体を照準に捉えてパンチをぶちかました。オートランがそれを受け止める。流すように受け止める。肉体へのダメージを最小限にするため、両手を使って弾き横に流す。俺の腕の表面はまた千切れた。血が吹き出る、痛くて仕方ない。感情制御で痛みを抑えて正解だった。でなければ集中が途切れる。
『パパ! 死なないで!』
『パパは死なない、フリッカが信じるかぎりな』
俺が失敗するか向こうが失敗するか。
俺は終わりのない戦いを挑んでいた。機械が電池切れするまで忍ぶような戦い方だ。或いはどこかで処理エラーが出るのを期待するような耐久戦。
先に失敗したのは俺だ。
受け流しを間違って「Ippon!」が腹にぶちかまされた。俺は死ぬかと思った。食べている物と胃の中の液体全てをむせ返すかのような衝撃を覚えて、次に体が浮いていることを理解して、その後に走るような熱い痛みを理解した。
俺の内臓がつぶれたのではないか。肝の冷えるような、命の終わった感触を俺は感じ取った。俺の何かがつぶれた。嘔吐感がせり上がる。俺は吐かない。その代わりようやく、絶叫するような痛みが全身を強張らせた。「があ、ああっ! あっが、ぐ」俺は息も出来なかった。
血だ。俺の腹から血が出ていた。肉袋を思いっきり叩いたとき、皮膚の表面が破けて出てくるような血だった。俺は骨が内部から突き出ていないか心配だった。それぐらいの、焼けるような痛みだったからだ。俺の喉の奥の唸りは消えなかった。痛かった、痛くて死にそうだった。
「ふざっけんなあああああ!」
「……」
怒声一発、即座に体勢を整え立ち上がる。
俺は勢いに任せて殴った。
しかし弾かれた。
弾かれてはまずい、と咄嗟に距離を置いた。
正解だった。サイボーグは空振った。地面を叩いていた。地面が割れていた。俺は飛び跳ねながら、後もう少しであの地面のようになってたのか、と思った。
激しく動きすぎたためか、傷が開いたことを自覚した。血を吐きそうだ。
俺の戦闘パターンは痛み程度では変わらない。俺は感覚レベルを落とし、脳に対して悲鳴を上げる痛覚を押し殺した。これで俺の血だらけの表面のこそげた腕は、俺の圧力で押しつぶされた土手っ腹は、痛みを訴えることはなくなった。嘘だ、ファントムペインと最低限の痛覚電気信号が俺を死にそうなまでの激痛に襲った。俺はそれでも、こらえられる程度の痛みに感謝した。
射程圏内。俺のキリングフィールドは演算レベルではかなり広い。截拳道の素早いステップと気功術で強化された肉体を以ってすれば、俺は少し離れている程度の敵ならば簡単に殴打で殺せる。
脳内でいくつもの戦闘シーンを幻想する。
俺は果敢にも真っ直ぐ踏み込み気功を纏ったスタンニングインパクトを繰り出す。痺れる一撃は相手の神経系を伝播し、強張らせ、その隙に俺は二度三度の肘撃ち裏拳そして回し蹴りでフィニッシュ。
俺は幻想では勝利している。
そして、多分俺は敗北する。相手にスタンニングの気功術は効かない、サイボーグは俺のスタンニングの一撃を待ち望んでいたかのように捕らえ、反撃の鉄の拳と正面蹴りで俺の骨を砕く、俺はその瞬間、首を折られるか頭蓋を砕かれて即死する。
俺は覚悟を決めた。
体内を駆け回る気功術は自己活性の能力を持って、治癒を始めていた。傷口を止血させ、マナマテリアルによる人工繊維補強を傷口に這わせる。全てオートランの自己判断、アプリケーションのstyle関数のoption構造体中に'remedy''-append'が入っていたまで。俺の生体科学的ロードマップを参照し、最も無理のない形で自己修復を開始する。生体科学の知識と気功術のオカルトが俺を助けていた。
体内にインプラントされたナノ・マナマテリアルが分子機械を構成し、患部を発見すると内部から薬効成分を放流させている。体の皮膚を多層レイヤとして刺青を彫った自己活性の刻印が、青く光って俺の体内に自動で回復魔法を施す。
つまり、俺はまだ戦える。
「ここで切り札を切らせて貰うぞ!」
切り札発動。ルミナスダンサーの光学パターンをキープしたまま、俺はマナマテリアルの鎧をイジェクトし、前方に向かって脱いだのだ。
俺は不可視のシールド内部に隠れたまま、しかし発光マナマテリアルの鎧はまるで俺が前進しているかのような誤解を与える。
防御を捨てた捨て身のフェイク。
サイボーグは勘違いし、俺の鎧めがけて大きく拳を空振った。
当然だろう、俺の鎧はまるで今にも襲いかかろうとする残像を演出している、フリッカと共に画像テクスチャの改良を行って時間変化ベクトル表記でカラーマップを生成できるようにした成果が今発揮されている。空振ったサイボーグは致命的な隙を見せている。
ありがとうフリッカ、お前のくれたチャンスを無駄にはしない。
「Ippon!」
決まった。はじけるように踏み込み、音を置き去りにするようなカポエイラキックを喰らわす。サイボーグの側頭部を真っ直ぐ狙い、そのまま蹴りぬいた。その勢いは、鉄製木偶の坊であろうともよろめくほどだ。
俺は相手の重心がぐらついたことを理解した。続けて遮二無二の連続攻撃を披露する。肩に胸部に目に額に。
狙いは簡単、重心を取り戻させないためだ。
俺は手足をコーティングしている。自動展開障壁魔術をOver_Activateさせ、手にダブルキャストで二重補強を施して、モース硬度を保証している。俺の拳と脚は一打一打が鋼の一撃だ。
効果は目に見えて現れた。相手の動きが格段に悪くなり、防戦一方の戦いを見せた。
どうやらカポエイラキックで頭を蹴飛ばしたときに、集中演算プロセッサを破損させることに成功したみたいだ。相手の処理能力が細かいところで後手後手に回っている。
今なら行ける、このままボクシングのラッシュで――。
「call "Ippon."」
俺の隙をうかがっていたのか。落ちた処理能力で最大のパフォーマンスを行うための後手回りだったのか。
俺の腹部が貫かれた。気がした。でも決定的に潰れた、知覚できる最大限の痛みが俺に死を悟らせた。
二度目だ。俺の脳内ダッシュボードはずっとエマージェンシーの警告を鳴らしていた。右下のウィンドウが知らせるのは、赤く表示されるAR人体図の腹部だ、つまり患部が致命的に傷付いていることを教えている。流血が酷い。俺の懸念は当たっていた、骨が突き出て患部を内側から食い破っている。『パパああああああ!!』と絶叫するフリッカがいた。俺の現状を物語っていた。
俺の内臓は決定的に死んでいる。俺本体は死につつある。俺は薄れていく思考の中ただぼんやりと、自動展開障壁をのうのうと食い破る「call "Ippon."」の破壊力を呪っていた。
「否! Ipponにあらず!」
歯を食いしばる。俺は今度は、相手の伸ばしきった爆炸圧力のアームを掴んだ。命を代償として得た決定的な隙。
そのまま前に進む。自殺行為のような接近。相手に腰を密着させ、重心を腰に乗せ、『Auto_Run.apm』に手動割り込み操作を実行。一本背負いの再現btsを読み込ませる。
これが一本、気合の一撃、背中で受けろブリキ人形め。
「これぞIppon!だぜブリキヘッド」
世界を回す。相手を遠心力でブン下ろして、腰から乗せ上げた鉄塊を相手の胸倉を掴む力点の腕で一気に引き込み、一気呵成、命を振り絞って地面にインパクト。
地面よ割れろ、俺の一本。
「一本!」
もう一度叫ぶ、俺の本気の投げ技。威力ははっきり最大限、生命維持に回していたマナの半分を肉体強化と気功術に回し、出力されたパワーは推定で金属板を歪ませる以上の馬力。
本気のインパクトを背中で受けて、目の前のサイボーグ・パワードは一瞬体を強張らせた。
『危ないパパ!』
『知ってる!』
俺は即座に飛びのいた。
俺のいた場所を鉄の足が貫いていた。投げられた瞬間からこの蹴り技を発動する予定だったのだろう。一秒でも遅かったら俺は本当に、腹に穴をあけていた。
まだ壊れないのかよクソ、こいつ。俺は相手の頑丈さを呪った。物語だったら今の流れ勝ってたぞ、ルミナスダンサー改良、カポエイラ取得、ジウ=ジツ必殺、どれも伏線回収まで完璧だってのに。
相手は一瞬で立ち上がっていた。そのまま体を低くかがめ、俺に突進するポーズを見せた。
「死ぬ」
俺は覚悟をもう一度決めた。
覚悟は、力だ。命が終わりに晒されている瞬間、人間のポテンシャルは最大になることは良く知られている。それは脳が無意識の内に肉体パフォーマンスに制限をかけて、本来期待されているパフォーマンスの80%程度にパワーダウンさせているからだ。しかしこの制限は、命が危機に晒されているときや、強烈な危機感を覚えている時、外される。それが覚悟。
死ぬ。知っている。俺は自分の命を計算していた。脳内拡張のAR人体図が発しているアラートによると、俺の命は一時間程度で費える計算になっている。失血性ショック、内臓障害、壊死した組織の出す毒素の侵食、いずれもがパラメタ化されて棒グラフとして危険量を教えてくれた。ハンケル分解によると、支配的なハンケル特異値は「失血性ショック」だ。機能障害を起こした内臓より、内臓に程近い大動脈へのダメージの方が支配的で致命的であることがわかった。
死につつあった。俺はふらつく視界を頑張って固定させた。
「死ぬ、でもいい」
俺は泣いていた。
フリッカ、力をくれ。勇気をくれ。覚悟をくれ。
お前のために死んでも良い、とは思わない。でもお前が心の底から慕って愛している「パパ」とやらを守るためなら死んでも良いかも、と思う。お前が笑顔を見せて、幸せそうに抱き付いて、喋りかけて、いつもスキンシップを心待ちにしている、その出来そこないのダサくて格好悪いパパのためになら死んでも良い。お前が期待している、夢見ているファンタズマを守るためになら死ねる。
本当に小さな感傷だ。
もしも天使のように可愛い女の子がいたとして、その子の夢が「パパ大好き」という純粋無垢なもので、俺はそれに感動したんだ。その夢を守ってあげたいと思ったんだ。心の底から、本当に。
だから、死ぬまでその夢を守る。大好きなパパを演じ切ってみせる。シンプルなロジックだ。
本当だかどうだか分からない娘なんかのために死ぬんじゃない。血が繋がっているかどうか分からない存在に、「娘だから助ける」だなんて紋切り型の大量生産の父性愛なんかで命を張ったりしない。
俺は、そんな薄っぺらで中身のない、どこかむしろ義務感さえ覚える「娘だから」の理由なんかで、命をかけるわけじゃないのだ。
本当に。
本当に俺は、ちっちゃくて一生懸命俺のことを慕ってくれる、愛らしい天使、可愛いフリッカ、あいつの夢のために、あいつの大好きなパパのために、あいつのきらきら輝いているファンタズマのために、命を賭けている。
『力をくれ。守るから。約束を守るから、夢を守るから』
『パパああああ! いやああああ!』
バーチャルだ。本当ではないが実質上の仮想を指してバーチャルと呼ぶ。『バーチャルファイター』は最初からフリッカのバーチャルだった。
本物ではない。フリッカの本物のパパは、未来で銃殺されたパパであって、今現在の俺ではない。でも、彼女が心の底から信じているパパへの幻想、そのファンタズマを身に纏って、本物のようにパフォーマンスするそれは、バーチャルリアリティの担い手だ。
俺は徹頭徹尾バーチャルだ。
彼女の信じている、あんなにピュアで綺麗で感動する愛が、幻想として、バーチャルとして、俺に投影されて俺を『パパ』にした。その『パパ』を守りたい気がした。だって泣けるんだ、バーチャルな仮想的パパでも、『パパ』になることがこんなに愛しくて、暖かくて、嬉しいだなんて。
俺は、だから、バーチャルファイターだ。世界最強世界最高のフリッカのための唯一無二のバーチャルテクスチャを体に纏う無敵のヒーロー『バーチャルファイター』だ。家族のために戦うバーチャル。その通りだ。
「行くぞ!!」
「……」
鉄塊が突進した。俺も遅れて突進した。
一撃の交差、インパクトは決定的。俺は迫りくる決戦を覚悟した。衝突で命が決まる。今死ぬか一時間後死ぬかが決まる。俺の拳がもし決定的に目の前の軍用サイボーグを破壊し切ったら、それは間違いなくバーチャルファイターの勝利だ。
最後の一撃。Ipponを競り合う瞬間。
鉄塊がキリングレンジに進入し、俺もサイボーグのキリングレンジに踏み込み、刹那時間の流れが遅く感じた。支配的な情報は、距離と運動エネルギー。朱の魔術師としての魔術は認知バイアスにより封印されている。俺のベストパフォーマンスは肉体による気功放出とジウ=ジツの格闘コンボ。『バーチャルファイターは無敵』という認知バイアスが、俺の力をこの上なく本物に仕立て上げている。
大丈夫。勝てる。
「Ippon!」
「call "Ippon."」
コンピュータの方が数段早かった。爆炸によるピストン伸縮は筋肉の収縮運動より速く、鉄の質量は肉塊のそれよりも重く破壊的。カーボンファイバーの伸縮運動の方がカルシウム電離による筋肉収縮運動より速いことは言うまでもなく。
俺は結果的に、常識として、今度は胸を貫かれた。
心臓が破け肺が潰れた。俺の生命機能はど真ん中から終わった。
俺は死んだ。
ブラックアウトしつつある視界の中、俺は確信した。
ああ、この距離は最高だ。
Auto_Run.apmに脳の指令は要らない。俺の腕は必殺の距離にある相手の胸倉を掴んだ。もう一度腰の上に鉄塊が乗りかかる感覚がした。俺の腕が遠心力に引っ張られている。いや、遠心力を引っ張って巻き込んでいる。
世界を回している。
生命維持は要らない。それはつまり覚悟のベストパフォーマンスの肉体に、本気のマナ注入によるパワーブーストを意味する。マナプールは幸い豊富だ、何故なら俺は『バーチャルファイター』、ネット上で今最も話題性を集めているお騒がせヒーローであり、世界最強の格好良いヒーローであり、無敵神話に彩られた認知バイアスが無限のようなマナプールを提供してくれているからだ。
そこに加えて、フリッカの無尽蔵の愛がある。本気で彼女は信じている。バーチャルファイターが負けないことを信じている。
鉄呉れのおもちゃが物理演算エンジンで算出できる出力パワーは精々C4爆薬の爆炸圧力程度。無敵へのファンタズマと比べたら、そんなもの、おもちゃでしかない。
喰らうが良い。本物の一本。クロオビ・スピリットの真骨頂。これが柔術。これぞ武道。
「―― 一本!!」
目の前の『サイボーグ・パワード』が背中からひしゃげた感覚が手から伝わってきた。
インパクト、勝利。俺はその瞬間、意識を失った。