10.
もちろん、闘技場の観客全員は、別に恨みの声だけで騒がしい訳ではなかった。
俺がアカイアキラだと知られ渡った瞬間、別の方向の歓声も同時に聞こえてきた。ヒーローの登場、バーチャルファイター本人の出演。それを心から盛り上がって受け入れてくれる人たちもいた。数が少ないだけだ。
(俺を受け入れてくれる観客の数が少ない。これは俺の見た目が問題か)
冴えない格好。全くヒーロー性を感じない。カリスマ性皆無。これでは観客も拍子抜けだろう。バーチャルファイターの主演男優はイケメンなのだ。どちらかと言うとそっちの方を知っている人が大半なので、観客は「え、これがバーチャルファイターですか?」と途惑っているだろう。
もはや、バーチャルファイターは世間では、エピソードブラザーズムービーの用意したイケメンなのだ。ふとその事実を改めて突きつけられた気分になる。腹立たしい話だ。
イケメンと冴えない男。世間の目は純粋なほど無邪気で残酷だ。俺のこの姿にカリスマ性もヒーロー性もない。自動的に、イケメンの方がヒーロー性を持つ。それ故に、何も知らない観客はこう思うのだ。この冴えない男がアカイアキラだなんて嘘だろう、と。
(なるほど、観客は分かりやすいヒーロー性に惹かれるわけだ。蒼の魔術師の演出も、俺の変装のせいで台無しにしてしまったかもしれないな、しまった)
俺はステージの上で己の失策を悔いた。
蒼の魔術師の狙いは分からない。彼女はもしかしたら、俺のことを観客に信じて欲しかったのかもしれない。俺が本物のバーチャルファイター・アカイアキラだと。そしてそのまま、商人ギルド『金の天秤』のやつらがした悪事を暴露するつもりだったのかもしれない。彼らがごり押ししている映画『The Virtual Fighter』は原作者フリッカの許可を得ずに一方的に商業化が決まった作品ですよ、と。
だがどうだ、この観客の戸惑いを見れば分かる。俺が本物のバーチャルファイターだと信じている人間はいるだろうか。恐らく、そんな人間は今ここにはいない。俺の見た目のせいだ。俺の見た目がもっと、本物のヒーローっぽかったら。もっとカリスマ的だったら。
臍をかむ思いだ。だが失策は取り戻せない。
俺はステージの上で、蒼の魔術師にハグされながら立ち尽くしているばかりだった。
「……あれー? 皆さん信じてないようですねー! この人が! アカイアキラさんですよー?」
『~~!~~!』
観客の声はついに、思い思いに発散して騒音になってしまった。「美人アーティスト蒼の魔術師に抱きつかれるあのサラリーマン殺す」「誰アイツただのおっさんじゃん」「早くヒーローコロシアム本戦始まらないかな、もう上位八人決まったじゃん」「あのサラリーマン戦ってたっけ?」「あの格好は確かにアカイアキラ、スラムでヒーローショーやってた時はあんな格好のやつがアカイアキラ役やってた」「アカイアキラってあのイケメン俳優だろ、あのおっさんじゃねえだろ」「もう寝よ、気分萎えた」「何でバンドやってるの? このヒーローコロシアムって企画、グダグダし過ぎじゃね」「早く戦えボケ」「『金の天秤』の八百長ってマジ? そろそろリーク情報欲しいわ」「アカイアキラって小説版だったら冴えないサラリーマンだったっけ? そこリアルに再現してもなあ」「何この茶番劇、見てて寒いわ」etc。目に入るネットの書き込みが、ついに一体感を無くした。
俺は失敗を悟った。この状況で、一体誰が俺の声を聞いてくれるのだろうか――。
「カークウッド、すまん、失敗し」
「じゃあ皆さん! それぞれ色んな意見もあると思いますが! まずはこちらのムービーをご覧下さい! どうぞ!」
蒼の魔術師は、俺の声を遮って頭上の立体スクリーンを手で指した。
いつの間にかモダンソサエティを演出していたコロシアムは分解され、ただのフラットなステージになっていた。立体スクリーン、そこに俺の顔がアップで映っていた。
ああ、やっぱりヒーローになんか見えないなこのオッサン。我ながらそう思っていた次の瞬間、俺の顔がブラックアウトして、ムービーが始まった。
『――皆さん見えていますか。ネット小説『バーチャルファイター』原作者のフリッカです』
天使だった。
その白い髪、白い肌は華奢な柔らかさを思わせる。クリーム色のような仄かな優しい色のおかげで、彼女の輪郭は丸く見える印象を与えていた。その幼さが残る顔立ちは愛らしさを想起させた。何より、彼女は天使めいて可憐だった。
アルビニズム。どぎまぎさせるような芸術美。目を離せない可愛らしさ。贔屓目に見ている分を差し引いても、フリッカは可愛らしかった。
観客は固まっていた。あれほどの発散した声がどこかに掻き消えていた。
全員耳をすませている。画面に映るフリッカの発言を期待して待っている。画面の中のこの可愛らしい少女が何を喋るのかを待ち望んでいる。その沈黙の中で今か今かと次を待ち望んでいる気配が、ステージ上の俺にまで伝わってきた。
『今日、フリッカはこの場を借りて伝えたいことがあって、ムービーを世界に発信しています。世界中の皆さん、見ていてください。そして聞いてください。フリッカが今から暴き立てる真実を』
そのまま画面は『金の天秤』のギルドシンボルである金色天秤のレリーフになった。
『フリッカは原作を奪われました。フリッカが書いた小説、『バーチャルファイター』は、フリッカの許可無しに著作権を取られ、この度『金の天秤』の指示の元、映画化されることが決定しました。これはフリッカの著作権を大きく損なう違法行為であるとして、フリッカはここに正式な抗議を行なうことを宣言します』
観客に動揺が走ったのは言うまでもなかった。関係者席を見ると、『金の天秤』の関係者が慌てているのが見て取れた。「何だあの映像は、早くあのステージのふざけた茶番を止めさせろ!」と怒鳴っているのが分かった。
『フリッカは怒っています。フリッカの著作に対し、フリッカは映像化を許可していません。それは当然、フリッカの著作活動を大きく損なう行為だからです。フリッカが書きたい世界は、エピソード監督の思い描く脚本ではありませんし、歌姫NAVIが歌いあげる世界観でも、イケメン俳優が演じるヒーロー劇ではありません。フリッカが書きたかった作品は、そんなちゃちで、大衆に媚びるような薄っぺらい作品ではありません。フリッカが書きたい作品は、そんな作品じゃありません』
映像の中のフリッカは泣いていた。ぽろぽろ涙をこぼしていた。
目を開いて真っ直ぐこちらを見たまま、なるべく声が涙で湿っぽくならないように、彼女はこらえて、それでも少し震える声でフリッカは泣いていた。
私が書きたかった世界はそんな作品じゃない、そう言うフリッカの肩が震えていた。
『フリッカはパパが書きたかったです。フリッカのパパは格好良くないです。仕事は首になるし、ちょっと会話が抜けているし、スケベだし、正直、ヒーローなんかじゃないです。フリッカはパパのことが駄目な人だな、パパって格好悪いな、ダサいなっていつも思ってます』
『だけど』と言葉を切って、フリッカは観客全員を見た。いや、俺を見ていた。
俺には分かった、この映像は3D加工されて角度360度見るものすべてに対して顔を真っ直ぐ向けて映し出されている。が、フリッカはきっと、俺に向けて喋っているのだと。
目頭が熱くなった気がした。娘が真っ直ぐ俺を見て泣いているかと思うと、俺の方が泣きそうだった。
『フリッカはパパが大好きです。フリッカのパパは家族が大好きです。パパはママのことが好きで、フリッカのことが好きで、弟のアレンのことが好きです。パパは仕事を頑張って見つけて、ママとフリッカとアレンのために頑張ってます。パパは会話が下手くそだけど、フリッカと会話を合わせてくれます。パパはスケベだけど、ママとフリッカとアレンのことを愛してくれます。パパは世間的にはヒーローじゃないけど、パパは、フリッカのヒーローです。世界がパパを駄目人間だと言っても、罵っても、フリッカはパパが格好良いと思います』
言葉を切って涙をこぼし続けるフリッカ。泣き虫なフリッカは、どんな気持ちでこのメッセージを喋りあげているんだろう、と俺は思った。
パパが好きです。その台詞を聞いたとき、俺はありがとうと思った。好きだと言ってもらえることが、これほどありがたいことだとは思わなかった。
惨めな気持ちが好きだという言葉で癒された気がした。
自信を失っていた自分を慰められた気がした。
ただただ、嬉かった。
『パパ。駄目だけど頑張るパパ。忘れないでね。どんなに酷い状況でも、どんな時でも、フリッカはパパが好きよ』
フリッカの心の声が聞こえた気がした。
気がつくと、観客の何人かが泣いていた。
俺は、堪えきれなくなって少しだけ涙をこぼした。悲しい涙じゃないけど止まらない涙がある。
『――だから、返してください。フリッカのパパは違います。フリッカのパパはエピソード監督の書くアメコミチックのヒーローじゃありません。イケメン俳優のような見た目じゃないし、気障な喋り方じゃないし、スタントマンのようなアクションもしませんし、歌姫NAVIが歌ってくれるドラマを生きている訳じゃないです。フリッカのパパは違います。全然違います。だからフリッカのパパを返して。フリッカのパパで遊ばないで――』
映像が終わりに差しかかっていた。
俺はコロシアムの舞台を見た。
ステージの入り口から黒服の男たちがぞろぞろと出てくるのが見えた。俺達を止めるために来たのだ。
人数はべらぼうに多くて、物量戦で俺達を捕らえようとしているのが分かった。
他の極彩色魔術師たちが動くのも見えた。全員がふざけた格好を止めて、全員彼らの正式な戦闘衣装に身を包み、コロシアムステージ真ん中に向かってくる黒服たちを食い止めるために動いていた。
七つに分かれて、一人一人が黒服たちを足止めしていた。
俺はその様子を見て、泣いている場合じゃないことを悟った。
『パパ。大好き。皆にとってのヒーローじゃなくっても、フリッカにとってパパは世界で一人のヒーローよ。忘れないでね、パパ』
突如。
ステージの上に鉄塊が降ってきたことが分かった。
鉄の落下するあの特有の重たい音。無機質な衝撃音。重厚な存在感。俺の目の前に、俺を止めるための最終兵器が投入されたことがはっきり分かった。
強襲用機動兵器サイボーグ『サイボーグ・パワード』。メタリックな存在感が、熱光学迷彩シールド領域を身に纏って、パターンフラッシュを生成しているのが分かった。目の前の透明サイボーグがジウ=ジツの構えをとって、俺と臨戦状態なのが分かった。目の前の機械は、『バーチャルファイター』そのものを担っていることが分かった。『バーチャルファイター』への認知バイアスが、目の前の軍用サイボーグを底上げして強化していることが分かった。
他の魔術師達は、黒服達を足止めしていた。
周囲の観客達は、俺を固唾を呑んで見守っていた。
フリッカは、俺を真っ直ぐ見つめていた。
目の前のサイボーグは、俺を破壊すべく活動しているのが分かった。
俺は、自分の役割を悟った。
「忘れねえよ、フリッカ。俺は世界で一人のヒーローだ。フリッカのヒーローだ。笑わせるんじゃねえぞ、ブリキ人形」
「Enemy in sight. Activate system: Combat mode. ――"Cast on."」
敵を発見したサイボーグは戦闘モードに移行した。
俺は、本物のジウ=ジツの構えをとった。マスター・タツジンお墨付きのクロオビ・スピリットを自覚する。俺に漲るマナが、俺を本物たらしめていた。俺は今、間違いなく本物だった。
今の俺は世界最高にヒーローだ。俺の娘フリッカが俺のことを本物のヒーローだと言うのなら、俺はいつでもヒーローだ。
『パパ、大好き』
『知ってるぜ、パパもフリッカが大好きだ』
俺は叫んだ。
「CAST ON!!!」
世界がはじけた。