9.
アバターコロシアム。それは帝国国立闘技場で行われる市民イベントの一つで、早い話が『きぐるみ着てガチンコバトル』というものだ。
プレイヤーはアストラル・ネットワーク『ワイヤード』上に存在する自分のアバターをホログラム投影機により装着できる。それを被った状態で、相手とガチファイト、何でもありの無法バトルを行う。つまり例えば魔法をぶっ放してもいいし、あるいはマシンガンを乱射してもいい。どんな攻撃手段も原則可能とされ、よほどの危険性がない限りは審判が仲裁に入らない。
無法バトルといっても安全は保たれている。アバターのホログラムは安全プロテクターを兼ねており、攻撃をホログラムが防御してくれる。同時にホログラムの耐久値が減少し、ホログラムはある一定の値を超えると消滅する。つまり、魔法であろうが凶器であろうが、耐久値が持つ限りはホログラムが何でも防いでくれるのだ。この安全システムのおかげで、例えば大爆発の魔術だとか大型兵器の使用だとか、見た目にも派手な過激なバトルが実現可能となっている。つまり観客の喜ぶようなド派手な戦いが安全に可能になっているのだ。
勝敗は、ホログラムが消えるか、戦闘続行不可能になることで決定される。ホログラムが消えた参加者は強制的にコロシアムから強制転送させられ、参加者席に戻される仕組みになっている。もちろん、もしも犯罪者が闘技場内の中央ステージに乱入してきた場合は、たとえホログラムが消えたとしても強制転送されずにコロシアム内部に閉じ込められる仕組みになっているため、不穏な人間がいる場合でも逃がさずに捕縛することが可能である。
自分の好きなホログラムを纏うことができる着ぐるみパーティ的楽しさ、安全性を保障された上で思う存分暴れられるホログラム防御システム、ホログラム防御が消えたときも強制転送による安全措置。
この三つをしてアバターコロシアムは、現在帝国でも非常にポピュラーな国民スポーツになりつつあった。
コロッセウムは不思議な熱気に包まれていた。
戦いを前に熱くたぎっている選手たち。血の気が収まらないようで、筋トレをしている人間や素振りをしている人間、はたまた喧嘩を始めるような人間まで揃っており、正直暑苦しいことこの上ない。一部瞑想をしている人間や、イメージトレーニング中の人間もいるが、暑苦しくないだけで結局は勝負に対する真剣さを感じる。
異様なまでの真剣さだ。まるで皆本気でエキストラの座を狙いにいっているみたいだ。いや、多分本気でエキストラを目指しているんだろう。皆の目線は『バーチャルファイター』のエキストラ募集要項に注がれている。優秀な成績を残したもの。きっと皆、トーナメントに本気なのだろう。
一方で観客も不思議な熱気を帯びていた。
今日の戦いを純粋に楽しみに来たものたち。コロシアムのヒーロー級トーナメントで繰り広げられるだろうアバターバトルは、恐らく類を見ない程の過激な戦いになるだろう。何故ならば、集まった人数が非常に多いからだ。いつもの規模の倍以上はある。
他にも、『バーチャルファイター』のファンたち。コロシアムに出てくるヒーロー候補のアバター勢ぞろい。これはヒーローオタクにとってみたら非常に面白いことだろう。この戦いを見届けることで将来の『バーチャルファイター』のキャストをいち早く知れる、というのも大きな魅力だ。
そして、歌姫NAVIのファンたち。何と、ワイヤード世界の最高峰の電子の歌姫NAVIちゃんがゲストホログラムとして来てくれたらしい。ドルオタ大歓喜である。観客の中でも最高にエキサイティングしているのが実はこいつらであるというのは面白い話だ。
「本当に、今日は祭典だな……」
『パパ、集中して!』
『ああ、分かっているよ』
俺は選手控え室で娘フリッカと通信して心を落ち着けていた。いざ選手として出てみると、存外緊張するものだ。控え室にいる人間が軒並み強そうに見えるというのがまず大きい。ガタイもいいし力も強そうだ。勝つヴィジョンがちょっと不安で揺らぎそうになる。いけない、集中だ。俺が最強だ、そう自己暗示する。
俺の見た目は、対して貧弱だ。普通のサラリーマンみたいな格好。眼鏡だし、細身だし、スーツだし、ネクタイだ。髪の毛も七三分けの黒髪で、正直な話ティピカルなサラリーマンでしかなかった。
そう、まるでアカイアキラ。
俺はアカイアキラの格好でコロッセウムに来たのである。
『第一回戦はフリーバトル、最後まで立っていた上位八人が勝つっていうスタイル。つまり三十六計逃げるが勝ちだね!』
『ああ、最初は極力逃げ回って体力を温存する。本気を出すのは第二回戦目、上位八名の勝ち上がりを決めるトーナメント戦からだ』
コロッセウム出場者リストを見てみる。
ヘビー級優勝者、だなんて奴が出てきている。最年長のじいさんなんかも出てきている。良く分からないが美しすぎる剣闘士(ネットでそう呼ばれているらしい)なんかも出場している。大丈夫かこれ。
何か面白い名前ないかなあ、なんてリストをぼんやり眺めていると、突然ダッシュボードに連絡が入ってきた。
Subject:(元)朱の魔術師へ
From:蒼の魔術師カークウッド
To:朱の魔術師
CC:緑の魔術師、黄金の魔術師、橙の魔術師、紫の魔術師、白の魔術師、黒の魔術師
(元)朱の魔術師へ
ハロー、元気にしてる? アンタの言ってたムービー製作、演出、その他諸々、何とかなりそうだから連絡したわ。
正直、何でこんな面白そうなことに巻き込まれているのか滅茶苦茶知りたいんだけど、って感じ。アンタまた馬鹿なことやったんでしょ? 娘って何よ娘って、何若い女捕まえてやることやってるのよこのアホ! すけべ!
本題。
アンタに頼まれたムービーは当日リアルタイムでコロッセウムに流すことにしたから、超でかいスクリーンでもクラッキングして当日使用できるようにしといてね。mva形式で作ったから。でも微調整は必要だから、当日の雰囲気を見て最終調整して、それをスクリーンに堂々公開、ってするわ。
メールを途中まで読む。
思わず「え、何でCCを他の極彩色魔術師皆に付けてるのコイツ」と本音の言葉が口から出てしまう。
まず最初に目に入ったのはCC。嫌な予感しかしなかった。何故こんな連絡を他の魔術師に知らせる必要がある。いちいち(元)朱の魔術師を強調してくるのは腹が立ったが、そんなことはどうでもいい。皆に知らせる理由って何だ。嫌な方向にしか想像が働かない。
メールの文章を読み進める。最後に書かれているP.S.が目に入る。
P.S. アンタの出る大会ってヒーロー級だっけ? 面白そうだから皆も参加するってさ。もちろんアタシも! 覚悟しなさい!
「……え、何それどういうこと、え、え?」
覚悟しなさいって、え、何が? え、何なの?
俺はヒーロー級のトーナメントで起きるだろう阿鼻叫喚を想像した。極彩色魔術師全員がそこに集う、それは国家戦争クラスの魔術師が集結するということ。
つまりきっと最悪の混乱になる。
『【悲報】ヒーローコロシアム、お葬式会場に【ヒーロー級】』
『彡(゜)(゜)「お、ヒーローコロシアムやんけ、エキストラ狙ったろ」 魔術師達「ドーモ。ヤキウノオニイ=サン」』
『極彩色魔術師「ヒーローなるンゴ」』
『エピソード「ん? 魔術師か……まあええやろ」』
『歌姫NAVI「ファンの霊圧が……消えた……?」』
『【悲報】俺氏コロシアムファイター、第一回戦エントリーしてしまった模様、なお』
ネット上の書き込みが偉いことになっていた。
マジ迷惑、クソワロタ、これは大人気ない、顰蹙でしかないやめて欲しい、帝国民として恥ずかしいわ、キモい、もっとやれ、etc。ネットスラングが縦横跋扈し、極彩色魔術師達を擁護する信者、非難する荒らし、顰蹙だと諌める第三者、もっとやれと煽る野次馬、その他諸々で埋め尽くされていた。
はっきり炎上だ。各魔術師のブログへの一斉攻撃も凄いが、出場を認めた商業ギルド『金の天秤』などへの攻撃も多く見られた。今頃は商業ギルド『金の天秤』なんか大弱りだろう。
何が起こったかを簡単に説明するとこうだ。魔術師たちがヒーローコロシアムに参加することがネットの皆さんにばれたらしい。
ネットの反応は、面白がる人間を3割、非難する人間を7割程度に分かれており、様々な方面へ攻撃がなされていた。
『いやこれ明らかに魔術師たちが悪いだろう』
『どう考えても商業ギルド『金の天秤』はとばっちり』
ネット上では『金の天秤』を擁護するような書き込みもしばしば見られた。当然の意見だ。しかし中立を装っての火消し用員が数人いることを俺は見抜いていた。
俺はそこにあえて、疑惑を入れることにする。
『魔術師たちはこのイベントを盛り上げるために呼ばれたんだろ、ずぶの素人に役者させるんじゃなくて例えば蒼の魔術師とかみたいな、美人で魔術もスタントも上手いデザイナーに役者やらせた方が話題性も出て『金の天秤』は儲かる。つまり最初っから出来レースだったんだよ』
これだ。
最初から出来レース疑惑を作り上げる。
よく考えたらおかしな話だ。一斉に極彩色魔術師が集まるだなんて、何かあるに違いない。
その理由がもし、『金の天秤』の話題作りだとしたら。もし最初から魔術師達を呼ぶことが決まっていたとしたら。となると、一般エキストラを公募する、という形で極彩色の魔術師を一人選んだら、それはかなり話題作りになるのでは。始めから優勝者が決定していた出来レースだったのでは。
という疑惑を煽る。この疑惑は誰も否定出来ない。むしろ辻褄が合っているように見える。
昔から話題づくりのために何度もされた手口だ。小説大賞を受賞した純文学、実は芸能人が著者だった、という八百長と同じように、エキストラを募集したらなんと有名人が出演することに、という八百長を仕組んだように見える。
あくまで疑惑、確証はどこにも存在しない。しかしそれがかえってゴシップな説得力を持つ。
実はこれ、全部蒼の魔術師カークウッドのプランだった。『金の天秤』がまるで八百長を働いたように見せかけて、悪役の構図を匂わせること、これはかなり上手い下地作りだ。
賢い、と俺は唸った。彼女の発想と人脈と行動力に感謝である。彼女が極彩色魔術師全てを呼びかけてくれたみたいだ、そして今回の突然の参加にこぎつけた、というわけだ。
Subject:お前らありがとう
From:朱の魔術師
To:蒼の魔術師
CC:緑の魔術師、黄金の魔術師、橙の魔術師、紫の魔術師、白の魔術師、黒の魔術師
カークウッドへ。
ありがとう助かった。娘はフリッカって名前だ、超可愛いだろ、俺の天使。アルフレートからフレート(権力、平和)を由来させてフレーデリカ。ずっと娘が出来たらつけようって思ってた名前なんだ。
一応言っとくとすけべじゃないぞ、俺まだ童貞だし。
皆へ。
改めてありがとう。一応分かってると思うけど俺が勝たなきゃ意味ないから手加減宜しくな! マジで、頼むから!
不完全燃焼になると思うから、もし戦いたいなら後で個人的に戦おうぜ。
P.S. 炎上してるけどお前ら大丈夫?
『うわあ、凄いねパパ。ネットの反響を見てみたけど色んな方面を巻き込んで大炎上だよ』
『だろ、フリッカ。炎上作戦を飲んでくれた他の魔術師達には感謝してもし切れないな』
皆にメッセージを送った後、俺はネットの反響を見た。ネットでは非常に熱い舌戦が繰り広げられていた。
『出来レースな訳ないだろ、出来レースするメリットがない。ソースはどこだよ』
『いやいや、出来レースじゃない証拠はあるのかよ。第一こんな風に極彩色が集まるとか出来すぎだろ。どうせ極彩色を最初からキャストに入れる気満々だったんだろ』
疑惑の花が咲いた瞬間である。これで『金の天秤』に対する不信感の空気は形成されたといっても過言ではない。
『形成された、というか空気を形成させたんだよねパパ。フリッカ知ってるよ、自動書き込みツールと掲示板更新監視マクロを組んでホットワードが出現したら自動参照してレスポンス返すようにしてるって。管理者権限をクラックして手に入れて、IPアドレスとかプロキシコードが特定されないようにして、パパとは全く違う番地のノードの人が勝手に書き込んだことにして回っているって』
『ふん、戦は勝てば官軍。俺はそもそも実利的被害を一般人に対して被らせていない。よって許される』
『凄い屁理屈、実利思想だけど道徳倫理はゼロだね!』
『道徳倫理はルサンチマン、嫉妬なの、救いを求める乞食精神は無視でOK、神が死んだ今は無視していいんだよ。嘘だけど』
脳内でジト目のフリッカをよそに、俺はどこ吹く風で微笑んだ。
俺は、掲示板とまとめブログとSNSを味方に付けていた。
掲示板には『金の天秤』を煽る書き込みをし、まとめブログには都合の悪い記事をまとめたサイトに公安サイバー四課の警告メールを模して送信(俺は公安サイバー四課の元・メンバーである)、SNSでは複数のサブアカウントを用いてそれとない書き込みをして反響を炎上させている。
『パパって凄い、なんか、ネトストっぽいよね』
『ネットストーカーになんかならねえよ。ただ単にネットに詳しいだけだ』
そう。俺は簡単にコードを書いて走らせることが出来るだけ。大したことはしていない。
今回の騒動は、むしろ極彩色の魔術師が集まらなければ不可能だった。殆どが他の極彩色魔術師のおかげなのだ。
内心彼らに感謝しつつ、俺はステージに向き直った。
そろそろ試合開始の合図が出る。試合ではまず勝ち残らないといけない。雑魚相手にぼこぼこにされて、はい退場ではダメなのだ。まずは何あれ勝利しないといけない。
周りが約七名を除いてお葬式ムードなのはスルーする。大体の奴らの目が死んでるが関係ない。
『さて。じゃあフリッカ。状況も整った、後は俺が勝ち上がるのみだ』
『うん、勝って来てね』
『もちろん』
だから、俺は今から俺の仕事をする。フリッカのヒーローを執行する。偽者の成敗だ。
「火遁・火炎旋風の術!」
「ぎゃあああああ」
『あーっと! 紫の魔術師、大技の忍術、火炎旋風を繰り出したーっ! たまらず周囲のアバターはダウンだ!』
「行くぞ! 我が拳を受けよ! 太陽拳!」
「ぎゃあああああ」
『こちらは橙の魔術師! 山奥で修行したプラーナ裁きを使って、バトルマスター堂々の勝ち抜き!』
【ああ無残な結果だ冒険者よ! お前の膝はもう動かない。徐々に感覚が死んで行く。石のように重くどんどん重く、気付けば足が沈んでいく。地面が溶けてお前を掴み、足がもはや持ち上がらぬ。あがけあがけよ冒険者。千切れそうに引っ張られる足首が、脹脛が、膝頭が、徐々に石化して硬直するぞ。毒だ、呪いだ、祟りだ。足から徐々に這い上がる恐怖。お前の足は沈み切った。ついに腰が捕まれる! おお、なんと無慈悲! お前は胴体から死んでいくのだ!】
「ぎゃあああああ」
『一方でこれは黒の魔術師、渋い戦いを見せます。呪言で相手の感覚を縛り、戦闘不能に陥れていきます!』
「ワシの心が紅蓮に燃える! 正義の心が耀き叫ぶ! 出でよ鉄槌! 貫け鉄塊! 悪を粉砕するは心なり! パァァァァァイルッ バンッカァァァアアアアアアッッ!!!!」
「ぎゃあああああ」
『凄い! 凄いぞ! 黄金の魔術師! 黄金武装をオーバーリミット、正義の鉄杭パイルバンカーが悪を蹴散らし堂々の勝利!』
「ふふん、ボクに勝てるとは思わないことだねっ! ――行け、レオ! キミに決めた! 高速タックルだ!」「がうっ」
「ぎゃあああああ」
『おーっ! 今度は緑の魔術師! テイムした魔物を駆使し、並居るアバターを一歩も近寄らせません!』
「聖典:旧約偽典『第一エノク書』 第七七章 8節 【私は七つの大きな島を海と陸に見た。二つは陸に、五つは大海に】」
「ぎゃあああああ」
『そして圧倒的! 白の魔術師は聖書だ! 聖書から神話を再現させて投影している! 神話を語り紡ぎ直す神官、勝利を再現している!』
『何ということだ! どんどん参加者が強制転送されていく! もはやステージには僅か七名しか残っていないぞ!! ……いや、ダウン判定が出ていないのは八名? あれ、おかしいぞ!? えっと、とにかく、後は八名の勝ち残りを決めたバトルです!!』
「俺氏、フリッカのヒーロー、執行するまでもなかった模様」
秒速で参加者たちが強制転送されていく。俺はそれを安全圏からぼんやり眺める。まるで作業ゲームだ、と俺は思ってしまった。こういう無双系のゲームあったよなあなんて益体もないことを思考する。
俺はただただ呆けていた。射程圏外に逃れ、認知外に逃れるため認識阻害の魔術と熱光学迷彩のシールド領域を作り待機。プリセット魔術は防御中心、マナを練りつつ準備を進める。現在の状況、俺は待っているだけでいい。
このトーナメントは第一回戦は本気をだす場面ではない。力を温存し、恐らく生き残るだろう魔術師達と本気で戦うためにぬくぬくしているだけでいい。皆は消耗している。俺に取っては丁度良い。俺も魔術師の号を剥奪されて魔術が使いにくくなっているんだから、これで五分五分だ。
ふと気付く。そういえば蒼の魔術師が動いていないと。
俺は一瞬見落としたか、と周囲を見回した。
彼女のことだ、絶対に何かをしでかすと思ったのだが。彼女は目立ちたがりだ。彼女はアーティストだ。本物の芸術人間で、常に自分を芸術的な何かに委ねている危ない女だ。そんなアイツが何もしないわけがない。俺は蒼の魔術師を目で追った。
いた。彼女はステージの中央にいた。何故か存在感を消す魔法を使って集中していた。何かをやらかす準備をしているらしい。
彼女は何だか良くわからない服装をしていた。
全身タイツのブルー。フルフェイスのヘルメット。蒼の魔術師だからといって、こんな奇抜なブルーな格好見たことがない。むしろ全裸ならしょっちゅう見たことはあるが、全身タイツは初めてだ。
準備が整ったらしい。
突如マナを弾けさせて闘技場全体に薄く投影膜のマナフィールドを広げた。立体ホログラフィーを生成させるための投影膜だ。
「――Music, start!!」
言うや否や流れ出すメロディー。
ドラム音。軽快なロックのビートを刻む。BGMは今や心の踊りそうなハイテンポで、観客の注目をステージ中央の蒼の魔術師へと集めていた。
え、何やってるのこの女。
「――Baby Hey say You Love Me, My Sweet Hero!」
地面がタイル状のモザイクになり四角が反転していき、ダークソサエティになっていく。サイバーの侵食だ。四角いビットマップが綺麗に整列し、土くれのコロッセウムは徐々に夜の容貌を現した。光が点在し角を際立たせる。夜につややかに反射する鋼材がメタルを思わせる。
高い建造物が現れたかと思うと、次々とコロッセウムのスタジアムが近代社会めいた構造を見せる。交通網の複雑化、情報過多で光る高度通信社会。夜のない町。サイバーパンクなメガロポリス。
コロシアムは、巨大ビルの屋上に立つ蒼の魔術師を中心に市街地へと成り変わった。
彼女の頭上には3Dスクリーンが形成され、360度どの角度からでも蒼の魔術師の顔が見れる。
ついでに音響効果を視覚化したグラフィカルエフェクトで都市がメタリックにサイケデリックにカラフルに光っている。
今思い知った。今はもう闘技場なぞではない、アメコミのヒーローが跋扈するミッドナイト・モダン・ソサエティになったのだと。
エレキギターが夜の近代都市を跳ね駆け回る。力強いドラムのリズムがまさにヒーローソングのように場を高揚させる。
またアイツが謎のパフォーマンスをしでかしてる。
今なら分かる。あの全身タイツとフルフェイスはヒーローコスチュームだ。
「とぅっ!!」
魔術師達、他七名も全員が急にジャンプし中央に集まる。
え、何なの、何なのお前ら。とうっ、て、そこ笑うとこ?
俺の困惑を他所に全員が楽器を持ち始める。エレキギター、ベース、キーボード、サックス、ドラム。残る二人はダンサーとボーカルだ。さながらバンドユニットみたいな雰囲気が漂ってくるのが笑える。いや風格醸してるけどお前ら、魔術師だから。
「――Baby Hey say You Love Me, My Sweet Hero!!」
エレキギターとドラムのBGM(恐らく既にシンセサイザーに入っていただろう音)に重なるかのように、ステージ状のドラムとエレキギターがパフォーマンスを見せる。叩きつけるようなドラミング、痺れるようなギターソロ。
ベースの重厚な音が腹に沁みる、恐らくこの即興バンドの音楽に深みを出していることは間違いなく。キーボードのやんちゃなテクノポップは、暴れ馬のように軽快なヒーローロックにピーキーなアクセントを加えている。
サックスのソロが始まる。夜の街をイメージしたハイソサエティな背景にひとり吹き荒ぶサックスは正直、格好いい。音楽の情熱的なスピリット・オブ・ファイアを感じる。
高速無形のブレイクダンス。ヒップホップでヤングエイジな、ちょっと小粋なストリート・ダンス。切れるような動き、跳ねる、回る、踊り狂う。
「Baby Hey say You Love Me, My Sweet Hero!! Ah uh――」
ボーカルの芯の通った声が近代的ビルディングの間を駆け抜け観客へとダイレクトに伝わる。情熱的、パッションだ。これは声を聞いているのじゃない、声に乗せられたココロを聞いているのだ。
曲は、最初の方こそ弾むような未来への希望のハートビートを歌っている。
そこから徐々に盛り上がり、熱く燃えるヒーローマインド。
そして間奏を挟みサックスが語りあげる英雄ヒロイズム。隠れてボーカルが吐息のような声で歌うちょっぴり甘酸っぱい恋心。
何だこれ。
俺は感動している。何だこれ。
リアルタイムで演奏される即興のヒーローロックは、テロリズム的なセンセーショナルさとあられもない勢いのリズムで、俺の心を打ちぬいた。
「Baby Hey say You Love Me, My Sweet Hero!! Ah uh――」
観客は、サイリウムを振って応援している。全員が一体となって歌っている。この熱気はなんだ。
飲まれてしまいそうなエキサイト。誰もがみな演出に酔いしれている。誰もが皆、ご機嫌テンポのやんちゃロックに体でビートを刻んでいる。体で音楽を堪能している。音楽と一体になっている。
俺は気づいていた。
心理学アプリケーション『アミューズ・メンタル.apm』が教えてくれる心理誘導の数々。
スマートグラフィクス、音楽と連動してカラフルに光る都市群。水面下の無意識の情念刺激として、グラフィカルエフェクトを用いて人を興奮させている。
頭上3Dスクリーンに映し出されるPV映像、台詞もないのにストーリーが分かりやすく、ヒーロースピリットや恋心ところころ変わる音楽のシナリオをしっかり表現している。
シンセサイザーの音響効果、人が聞いていたいと思うような声質とテクノポップロックのメロディーを、人の心を躍らせるハイテンポで反映させ、正に完璧な調和をもって聞く人々を夢中にさせている。
卑怯なまでに見惚れて聞き惚れてしまう。目が離せない、聞き逃したくない、正に『魔術的な力』で心を鷲掴みにされている。
「Baby Hey say You Love Me, My Sweet Hero!! Hero!!」
中心にいるボーカルは卑怯だ。
蒼の魔術師。伸びやかで通るような力強い声は、そのそれら全てを弾むようなヒーローロック音楽に仕立て上げている。
彼女はいつもこうだ。
彼女の目の中には人が目を離せないようなグラフィカルアートがいつも踊っている。耳の中には人を夢中にさせるような音楽がいつも流れている。
神の如き感性。彼女は彼女が感動する芸術表現全てで、人を感動させる。
音楽が終わりに近づく。俺ははっきり、打ちのめされていた。ただ音楽と映像に圧倒されて、大きな感動で俺は動けなかった。
「Baby Hey say You Love Me, My Sweet Hero!! Hero!! Hero!! ――Hello, Hero!!」
「皆ー! 私達は、即席の魔術師バンド『自由だむ。』でーす! 今から挨拶行くよーっ! こんにちわーっ!」
『こんにちわーっ!!』
「皆ー! 盛り上がっているかーいっ!?」
『Yeeeeeaaaaaaaaaaaaaah!!!!』
「ありがとーう!」
何なのこれ。突如始まる蒼の魔術師カークウッドの観客への呼びかけ。観客も迫真の盛り上がりで返す。え、だから何なのこれ。これコロシアムじゃないの、闘技場じゃないの。
良く見たら闘技場は今やステージで、モダンソサエティを模した立体スクリーン3Dアートに包まれた舞台と化しているし、観客もその雰囲気に飲まれている。もはやこれバンドのコンサートじゃないか、ってぐらいに世界投影が上手く浸透している。
ああ、もう闘技場じゃないのか。俺は納得する、いや納得していないけど、全くもって。
「今このステージにいるのは何人だーいっ!?」
『七人ーーっ!!』
「残念ーー!! 答えは! 八人でーす!!」
『えええええーーっ!?』
何なのこの茶番劇。俺はちょっと何が起きるのか予想外すぎてわからなかった。蒼の魔術師がマイクを持って観客と会話している。観客もそれに答えている。何かの人気バンドのファンサービスのようなパフォーマンスだ。
この茶番劇、どうやらヒーローコロシアムの主催者たちにとっても予想外の出来事のようだ。俺は遠視の魔術を使って主催者席を見た。関係者たち『金の天秤』、エピソードブラザーズムービー、セラノサイバネティクスの皆様は慌てふためいている。この蒼の魔術師の明らかな暴走に、関係者一同は肝を冷やしているに違いない。
「あと一人、どこにいるんでしょうかー!? 答えは……ここだっ!」
「うわっ! ちょ、引っ張るな」
『パパ!?』
蒼の魔術師カークウッドに指を指されて、紫の魔術師ツキヒメに引っ張り上げられ、俺はステージの上に乗せられた。熱光学迷彩は解除されており、俺の姿は丸見えだ。ごく一般のサラリーマンのような、冴えない顔、七三の髪型、スーツ、全く強そうに見えない。ステージの中で一人異彩を放つ人間がいるとすれば、いやもちろん全員異彩を放っているキチガイどもばかりだが、俺はその中でも浮いていた。オーラのないショボい一般人に見えるという意味で浮いている。
観客の視線が刺さった。どうしてこんな一般人がここに。そういう好奇の視線が注がれていた。
「さあ、挨拶してMy Sweet Hero! 私たち『自由だむ。』も心の底から尊敬している愛しのDarling、貴方の名前を聞かせて!」
「えっと、え、その」
「――ね! 今日の主役、世界最高のヒーロー、アカイアキラ君!」
Kiss×Hug。
そのまま直立不動の俺にしがみついてくる蒼の魔術師カークウッド。なんだこれ、俺どうして可愛いエルフの変態アーティストにキスされてハグされてるの、しかもステージの上で。【あああああ!!!!!】「んなっ!? いかんでござる!?」「あああ、ボクも、いや、違」「うふふ、アル君は不潔さんですねー」と後ろの女子魔術師が騒がしい。
阿鼻叫喚はステージ上の極彩色魔術師だけじゃなかった。観客も『あああああああああああ』と喚いている。涙流している奴もいる。『【お前と夜は】バーチャルファイター、蒼の魔術師と熱愛発覚wwww【キャスト・オフ!!】』『【悲報】魔術師バンド『自由だむ。』、結成一日目にして恋愛スキャンダルか【画像あり】』『「自由だむ。」とかいう下半身まで自由な魔術師バンドについて』とかいうクソスレまで立っている。怒りと怨嗟の声がコロシアム全体に響き渡る。『パパああああああ! いやあああああ!』とフリッカまで脳内で喚いている。
なんだこれ。