8.
「ここがワイヤード。フリッカも何度か訪れたことあるだろう?」
「あるよ。でもパパ、この時代のアストラル・ネットワークに入るのはフリッカ初めてなの」
俺はワイヤード・ネットワークの中をアバターで練り歩いていた。全てがサイバー化された電子の虚構仮想世界、ワイヤード。電子の光が作り上げる拡張現実Virtual Realityはアバターの天国だ。それぞれ各個人が拡張世界上に自分の義体を持ち、そこで仮初の生活を送っている。現実世界ではサラリーマンでも、拡張世界ではミュージシャン。現実世界ではプロボクサー、拡張世界では芸術家。そういう人の持つ二面性がはっきりと成立する世界が、この拡張現実ワイヤードであった。
ワイヤードはコンテクストだ。無意識の集合だ。人のもつ共通認識のプールだ。それがワイヤー上に絡まり共鳴し、世界を作っている。
「綺麗ね、パパ」
「ああ、俺は毎回思う。ワイヤードの世界はとても洗練されたデザインだ。現実よりもインテリジェントで、スマートだ。誰しもがアクセス出来て差別もバリアも感じない、ユビキタス社会の代名詞だと思う」
「とても綺麗で、命の匂いを感じないわ」
ワイヤードの世界は綺麗だ。俺もフリッカの意見に概ね同意だ。
俺はふと冷静になって思う。どうしてこんな中世ハイ・ファンタジーの世界の匂いが色濃い『揺りかごの庭』は、テクノロジーがこんなに進んでいるのだろうかと。俺が異世界に転生して来た人間だからそう思うのかもしれないが、普通、魔法のある世界はもっと、後進的な世界じゃないのか?
だがその答えは、何のことはない、『俺が推し進めたから』という言葉で解決されるのだった。
アストラル・ネットワーク内部は青白い光に包まれており、虚構のビルがそびえ並んでいる。機械的、金属的、冷たいメタリックソサエティの様相を示すネットワーク世界は、清潔感を思わせる白いバックグラウンドに彩られたサイバーリアル。物理演算エンジンの示すこの世のルールは、まさに違和感ない世界へのダイブ感を与えてくれた。
ダイブする。ネットはもはや接続するものではなく、潜るものになった。
「俺は、このワイヤードを見るたびに誇らしくなる」
「そうなのパパ?」
「だって、ここは俺の世界だから」
俺は、既に魔術を協会から剥奪されている。そうだというのに俺が依然魔術を使えているのは、このワイヤードの存在が非常に大きかった。
ウィザード級魔術開発者。物理演算エンジンをアストラル・ネットワーク内に取りこみ、各個人がワイヤードと現実世界を行き来できるように環境を整えた卓越したウェブデザイナー。仮想世界の魔術師とすら呼ばれたこともある。
朱の魔術師とは、そういう存在だった。
「そうね、確かに」
フリッカは否定しなかった。
彼女は知っているのだ。俺が初期ワイヤードのフリークギークやってた頃を。
実際に知っているという訳ではない。俺がフリークギークやってたころのアンダーグラウンドなワイヤードを、どのように楽しみ、どのように開発を進め、どのようにアストラル・ネットワークを発展させていったかを想像出来るという意味だ。追体験できるぐらいには、彼女は賢い。俺の開発知識を殆ど彼女はもっている。そして彼女は俺と勝るとも劣らないギークな魔工技師だ。きっと根っこは同じだ。
フリッカはこのアストラルネットワークの匂いを堪能していた。この余分な物一切を排除して作られたもう一つの現実が、いかにクリーンでクールで、とても自由な海だということを彼女は全身を使って感じているに違いない。俺だってそうだ。この世界は、ある意味の本物だ。
現実より自由だ。
「パパ、後悔してる?」
「まさか。俺は確かにこのワイヤードを発展させて推し進めた。魔術開発環境を一般人にも広く提供した。俺は満足だよ。例えそれが犯罪を幇助している、だなんていわれのない罪をかぶせられてしまう結果になったとしてもね」
綺麗な空だ、白一つしかない。俺はタバコが吸いたいなと思った。
俺の二つの罪。嘘を吐いたこと。魔術犯罪を幇助したこと。どちらも酷い言いがかりだった。俺は物理学的に正しいことを正しく記述しようとしただけだし、俺は一般人の為にアストラル・ネットワークにアクセスしやすいデザインを開発し簡単な魔術開発環境も与えて魔術も使用できるようにしただけだ。
俺は魔術を千年は進めたらしい。千年は言いすぎだと思う。でも俺は自分のした仕事には誇りを持っている。胸を張って、これからも自分の仕事を語るつもりだ。
『バーチャルファイター実写化ってマジ?』
『マジらしい。ソースはエピソード・ブラザーズ・ムービーの配給予定作品リスト』
『エピソード監督が久々に映画作るとか今から裸待機不可避』
ネット上の人々の反応は様々であった。概ねの人間は実写に対して好意的であり、その理由はエピソード監督の手腕とキャストの質の良さにあった。
実写化における忌避感はどうやら余りないようだ。イメージと違う、という意見やミスキャスト、ごり押し、とかいう意見は全くといってなかった。完璧なほどマーケティングされている、と俺は感じた。消費者が一体何を望んでいるのか、ということがしっかり反映されているように思った。
「なるほど、『金の天秤』の奴らはよほどこの事業を成功させたいらしい」
「そうね、パパ」
俺は素直に感心していた。
金の天秤はスマートだ。非常に洗練されたステルス・マーケティング、人の心を掴むような広告技術、バンドワゴン効果、信念のリランキング、精緻化見込みモデル、消費者心理学に基づく修辞法、それら全てが見受けられた。とても心理に訴える。これは見たい、と思わせる。
稀少性の強調。レイアウトの法則。注目を集める誘導効果。演出と演色。デザインは完全にプロフェッショナルのそれだ。一種の魔術だ。人の心理を誘導するような魔術的効果を帯びた何かであり、同時に魔力に寄らない技術の結晶だ。
俺は完璧に見惚れていた。敵ながらにして非常に勉強になる。
「これは凄いな、本当に映画を見たくなる」
「随所随所に電子ドラッグ的なグレーな技術が見受けられるんだけど? どうなのパパ」
「刷り込み効果とサブリミナル効果だろ? それはフィルタ出来ない一般人が悪い。ネットの世界じゃ自己責任、ファイアウォールの脆弱性は個人の問題さ」
あちらを見れば『The Virtual Fighter』、こちらを見れば『The Virtual Fighter』。どこもかしこも『The Virtual Fighter』で、それだけワイヤードは広告に侵食されたという訳だ。
動く広告媒体。光のポップアップ広告が臨場感溢れる動画と心を掴む音楽をかもし出して、今度これを見に行こう、というレジャー心を刺激する。
世間にとって『バーチャルファイター』は、もうフリッカの小説ではない。エピソード・ブラザーズの映画なのだ。
「これを台無しにしなきゃいけないなんて、無茶苦茶な」
敵は途方もなく強大だ。俺は内心めげていた。
「パパには当てはある?」
「いや、特にはないな。……これ以外は」
「ああ、これね。あのグランデ・パードレのおじいちゃんのチラシね」
「悔しいけど、多分これをしろってことだよなあ。何か乗せられているよなあ」
一応、プランは無くはない。『バーチャルファイター』というコンテンツを完全に映画のそれではなく根本から俺のものにする苦肉の策が。
俺は手元にあるパンフレットを見た。
『ヒーローコロシアム! 君もヒーローになれる!』
ヒーローコロシアムはトーナメント形式のオーディションです。我々エピソード・ブラザーズ・ムービーは現在、エキストラで出演してくれるゲストのヒーローを募集しています。募集要項は以下の通りです。
◆名称
第一回ヒーローコロシアム! 君もヒーローになれる! ヒーローオーディション
◆主催
商業ギルド『金の天秤』
エピソード・ブラザーズ・ムービー.CORP
セラノ・サイバネティクス
◆開催日
Libra.4 天秤の月4日 (Sun)
◆会場
帝国国立コロッセウム(ワイヤード・コンプレックス・エリア)
◆内容
我々エピソード・ブラザーズ・ムービーはエキストラ出演して下さるヒーローを公募しております!ヒーローの皆さんには力強い演技力、激しいスタントに耐えられる体力とテクニック、そして実際の格闘シーンを演じられる技量を求めてます!
そのため我々はこの度、市民コロシアムの方々と提携し、少々特殊なオーディションを開くことにしました!
題してヒーローコロシアム!
* * * * *
ヒーローコロシアムは祭典です!
本イベントはアバターコロシアムの一種です。ワイヤード上の自分のアバターをホログラム装備して戦い、一位を競う『アバターコロシアム』と『The Virtual Fighter』がコラボ!
アバターコロシアムのトーナメントは、フェザー級、ミドル級、ヘビー級、無差別級、の通常の四つのトーナメントに加えて、コラボ特別の『ヒーロー級』が出現! 優秀な成績を収めたものはなんと、映画『The Virtual Fighter』にエキストラで出演できちゃう!?
優勝者はな、な、なんと!『バーチャルファイター』を演じる軍用サイボーグ『サイボーグ・パワード』と戦う一世一代の大チャンス!!
もちろん一般参加可能! 皆さん奮ってご応募ください!!
◆参加費用
20,000 C
◆参加資格
・アストラル・ネットワーク上に戦闘アバターをお持ちの方
・撮影期間の間、スケジュール調整が可能な方(今年の下半期を予定。土日のみでも可、可能な限りスケジュールを合わせますので、安心してください)
・スタントアクション、戦闘、魔術、をこなせる方(こちらには演技指導のコーチもいるので、初心者でも大丈夫です。もちろん経験者歓迎です)
・帝国暦1027年 双子の月 31日(Gemini.31) までに義務教育を済ませたもの
※マスコミをマネジメントするプロダクションに所属している者は不可。
※未成年の方は保護者の同伴が必要
◆応募方法
郵送
①指定の応募用紙(プロフィール・写真)を記入して下さい
②以下のあて先まで郵送してください
・・・・・・
Web応募
①以下の応募ページにエントリーし、必要事項を記入してください
・・・・・・
◆選考方法
当日コロッセウムでの成績、および書類・サンプルを総合的に見て第一次選考を行なう。
第一次選考を通過したものは、次の最終選考として公開オーディションを含めた面接を行なう。
「優勝者は『バーチャルファイター』と戦う。……これを利用して、ぶっ潰す」
「パパ頑張ってね」
プランはこうだ。
ヒーローコロシアムに参加し、一位をもぎ取る。もぎ取れなくても最悪構わないが、ベストは一位を取ること。
その後、『バーチャルファイター』との一対一のバトルで、俺がまさかの『バーチャルファイター』に変身、偽者vs本物の構図を作り上げる。BGMはムービー、小説家フリッカが聴衆に訴えかけるのだ。
いかにして『バーチャルファイター』がビジネスにくすね取られてしまったか、どうして俺が本物の『バーチャルファイター』なのか、それを子供の声を通じてアナウンスする。
それで、俺が『サイボーグ・パワード』とやらをぶっ潰してやったら一丁上がりだ。
「重要なのは、構図だ。俺が本物で、サイボーグ・パワードが偽者で悪者。そういう構図を作らない限り、説得力は生まれない」
「構図?」
「ああ。演出家が必要になる。俺がいかにも勝つ流れを、いかにも勝って当然のオーラを作り出す、そのプロがな」
「当てはあるの?」
「蒼の魔術師。彼女をおいて他に最高峰のアーティストはいない。……アイツに貸しを作るのは痛いけどな」
「えっ」
俺は脳内で構想を練り上げる。
こういうことを言うと不遜だが、実は当日のトーナメントにおいて負ける可能性は全く考慮していない。俺は腐っても元極彩色魔術師、魔術が使えなくなった(正確には使いづらくなった)とはいえども、魔術の技量は人並み外れている。それは魔術が使えなくなったというハンディをして余りあるアドバンテージだ。よって俺が負けることは万が一も億が一もあり得ない。
では何が問題になるかというと、全ては演出の問題だ。いかに俺の主張することが本物であるかを証明するか。いかにして本物たらしめる説明を用意するか。聴衆全てが俺のいうことを本当だと信じないといけない。聴衆だけじゃない、コロシアムのリアルタイム中継をみる人々全員にもだ。どういう演出ならば説得力が生まれるか。
音楽は絶対必要だ。感情、無意識を掌握するツールでありながら、非言語の領域で強いメッセージ性を含んでいる。
視覚エフェクトも必要だ。人間の感覚の90%は視覚である。それを利用しないのは説得を諦めているも同然だ。
演出。残念ながら俺よりも演出の才能がある奴を一人知っている。そいつは変態だがすごく賢い。
「蒼の魔術師に頭を下げるか。あいつは俺の知る限り最高のデザイナーだ」
「え、あ、う」
「……どうした、顔色が悪いぞ」
「な、何でもないよ」
蒼の魔術師の名前を出した途端、フリッカの顔色が悪くなった。まあいい。多分俺が殺す相手か俺を殺した人物かのどっちかだろう。フリッカは顔色の変化がわかりやすいから推理がしやすい。フリッカに後で聞けばいいや。
今重要なのはいかにしてフリッカのために『バーチャルファイター』を取り戻すかどうか。
最近俺は凄くドライというか、無頓着というか、無神経になっている気がする。何か、将来殺されるって分かった瞬間、まあいいや死んだら死んだで仕方ない、生き永らえたら儲けもの、みたいになっているのだ。
良い傾向だと思う。今度思い切ってナンパしようかな? 相手は蒼の魔術師とか紫の魔術師とか緑の魔術師とか白の魔術師とか黒の魔術師とか。ありだな、何か死にそうだし死ぬ前にナンパしとこう。
「取りあえず、蒼の魔術師に演出は全て任せる。そして、俺は全力で勝ちにいく。いいな?」
「……え、えーと」
「じゃあ、早速動くぞ」
かくして。
俺がヒーローコロシアムに出場することが決まったのである。半ば無理やり。多分La Cosa Unioneのグランデ・パードレの想定通りだ。もしくは、あの白い記録天使エスリンか。
どっちにせよ構わない。今は乗せられてやろう、精々。最後に笑うのが俺ならば問題あるまい。