1.前日譚
「科学的手法に依れば、ほとんどの魔法陣は解析が可能です。
宗教魔術なら宗教の専門家しか、呪文なら呪文の専門家しか解読できない、そういう幻想は捨ててよろしい。知識は必要ありません。
要はパラメタフィッティングの問題でしかなく、多項式モデルを仮定してパラメタを合わせていくことで魔法陣モデルを得ることが出来ます。
状態空間記述のA行列の極をとれば魔法陣モデルの動作特異点も予想できます」
特別講演「魔法陣の解析について」。
『魔法陣の解析』と銘打って開かれたこの講演会は、その堅苦しいトピックにも関わらず非常に多くの客が押し寄せた。
その多さは異常だ。会場は大学の中央大講義室だったが、その収容人数五百名を上回る集客である。ざっと見回して千人程度か。会場の後ろに立って見る聴客も現れるほどだ。中央大講義室は今までにない人だかりを記録した。
講演を一般客でも無料で見ることができる、ということがその人気の理由だろう。今回呼ばれたゲスト講師は全て、お金を出してでも聞きたいような貴重な知識を持つ大魔術師しかいない。全員が全員、大賢者と号される存在で、彼らは『極彩色の魔術師』と呼ばれていた。
『極彩色の魔術師』。
帝国には八つの極彩色が存在する。色の明暗を意味する白黒、そして理の六色を意味する虹の赤青黄緑橙紫。合計八色、これを指して『極彩色』といい、それに準えて極彩色の号が八つ存在する。
それはつまり、帝国でもっともすばらしい八名の魔術師である、という意味だ。研究がすばらしい、魔力がすばらしい、魔術技能がすばらしい、など理由は数あれど、その複数の観点から総合的に上位八つに入る存在。その天上人のことを極彩色の魔術師と呼ぶ。
その極彩色の魔術師一同が一堂に集まる。
この上なく貴重な機会である。そもそも極彩色の魔術師一人でさえ一生に一回出会うことが出来たら非常に幸運であるというのに、全員が一緒の場所に集まるとなると人生を何度繰り返してもあるかどうか。
それ故に、今現在帝国大学には、非常に多くの人間が集まっているのだった。
「……というわけで講演会始まったんだけど、え、何これ、適当に何かしゃべればいいの? ……やっほー皆、芸術家のカークウッドです! 『蒼の魔術師』やってまーす!」
「というわけで司会進行を勤めさせていただきますのは、私『朱の魔術師』のアルフレートです」
「あ、ちょ、マイク取らないでよ」
「うるせえ」
聴衆の数およそ千名。中継によりネット放送、テレビ報道されていると考えると何万スケールの人間が見るのだろうか。
今更になって緊張が走る。
その緊張を感情制御アプリをたちあげて落ち着かせる。心拍数をまずは平常周期に抑え、高ぶっている交感神経をリラックスさせる。ヒーリング効果のある音楽を脳内に流し、リラクゼーション機能をもつ人工芳香を嗅いで、ようやく落ち着きを取り戻す。
今現在、ステージの上には八つの机しかない。
つまり、極彩色の魔術師が全員仲良くここに座っている。仲良く座っている、というのは奇跡に近いことだ。この常識のないサルどもは、目を離すと一体何をやらかすか分かったものじゃない。
なので急遽誰が司会を務めるか、の話になった。
万場一致でこの俺『朱の魔術師』アルフレートになった。それはつまり、俺が一番常識があるから、ではない。俺が一番常識がないから封印するため、である。
俺としては非常に不服だ。
「まずは皆さんの自己紹介から行きましょう。順番にまずは、――」
しかしまあ、司会という職務を任されたなら仕方ない。まずは手短に全員に自己紹介させる。
「紫の魔術師、今を生きるくノ一でござる!」「私は橙の魔術師、修行僧として日々武道に励んでいる。バトルマスターと言ったほうが有名かね?」「ボクはね、緑の魔術師さ! 調合と調伏を得意とするけど、本業は狩人だね!」「ワシは金剛石のドワーフ! 黄金の魔術師とはワシのこと! カラクリ機甲の使い手よ!」「ふふふ、白の魔術師です。白の教会の聖女さましてます、よろしくお願いしますね?」【黒の魔術師。我は呪術使いとして語り手を担うものぞ】「はーい、芸術家の蒼の魔術師でーす! 今度ライブアートのヌード公演あるんで来てください!」
などなど。
突っ込み所だらけの個性的なモブキャラどもの自己紹介が終わる。「そして最後に、自然科学の複合分野で学者をさせていただいております、朱の魔術師です。よろしくお願いします」と自分の挨拶まで含めて、ここまでは落ち着いたスタートだ。
問題はここから。
「さて、では魔法陣を解析するに当たって、どういった手法で挑むべきか、ですが……」
「はい! ボクならどんなアニマ(命)が宿っているかを見るね! 火竜の血を使った魔法陣なら火の属性と親和性が高いだろう、とかさ! 森の巫女のボクは分かるよ、魔法陣に宿る魂、これは魔術と共鳴するだろうね!」
「ありがとうございます緑の魔術師さん。森の巫女らしく命にちなんだ意見です」
先陣を切ったのは緑の魔術師。
アニマ。それは生きとし生けるもの全てに備わる霊魂的な力。動物をAnimalといい、万物の精霊を信仰するシャーマニズムをAnimismというのも、そのAnimaが由来だ。
彼女緑の魔術師は、元々森の巫女であるためか、命に対する造詣が深い。森は命を生み、育み、共に歩き、そして命が土に還るところ。よって彼女の魔術も、命が根付いている。
ゆえに彼女は語る。どこから来た命で魔法陣が紡がれているのか。それが魔法に影響すると。
(古い理屈だ。若干オカルトめいている。正直何の命を材料に魔法陣を描いたとかは魔術に影響しない。火竜の血が火属性に親和性があるのは、魂の影響ではなく材質の特性だ)
内心では思いつつ口には出さない。
そうしていると、次に黄金卿のドワーフが手を挙げた。
「ワシも近い意見を持っておるが少し違う。命などの霊的なものではなく材料じゃ。ドワーフなればこそ分かる、材料は魂。ミスリル銀ならば神聖さが宿りうる、とかじゃ」
「なるほど、流石は黄金の魔術師さん。ドワーフらしい意見です」
材料。魔術触媒というべきか、魔力を魔法陣全体へと伝播させるもの。その魔力の伝わり具合のずれや魔力透過率、マナ流動抵抗率、それらは回路設計において重要な意味を持つ。
これは俺も否定しない。黄の魔術師(本人は黄金と自称している)はカラクリ機甲が好きな偏屈ジジイだが、それゆえかこのように工学的な知見でものをいうことがしばしばある。
(まあ、俺が解析理論を記述する前の、いわゆる一昔の理論だな。実際、有用性はあるし)
流石はドワーフというべきか、物作りの文化を生きてきた一族だけあって、考え方は実在的だ。
そう考えていた矢先。
「拙者、思うに魔術は心でござる」
(ほらほらほら、何か訳分からん意見が出てきたぞ)
黄金卿ドワーフジジイの意見に俺が頷いていたそのタイミングで、アッパレ・クノイチが自分の意見を差し込んだ。
心。心って一体なんだよ。
「心とは?」
「心でござる。魔術は古来より人の想念。なればこそ、明鏡止水の心で魔術に向かうのでござる。魔術にも魂があろう、それゆえに明鏡止水の境地で魂の語りかけを聞き解くのでござる。そうして、憑く喪の宿り神を表意するのでござる。さすれば、魔法陣は解明できると」
「ほほう、興味深い意見ですね、流石はアッパレ・クノイチの紫の魔術師さん」
よく分からん。俺は紫の魔術師の意見に内心頭を抱えていた。
どうやら話を聞くとこうらしい。魔術に宿っている魂は必ず言霊の残滓として存在する。なればこそ、魔術を行使する側の人間は無の精神で挑むべきと。無の精神で魔法陣に向かい合ったとき、心の中に自然と想起されるもの、明鏡止水の気持ちで向き合ったとき自然と心に映し出される明鏡像、これぞ映し出された魔法陣であると。
よって無の精神から魔法陣に向き合えば、魔法陣の解析、というよりは、自然とこういうものであると体得できる、と。
(何だ、その無茶苦茶な理論は。確かに魔法陣を感じ取る、というのは鍛えたら少しはできるかも知れないが、それでも所詮はセンスの問題だセンスの)
俺は内心の溜息を隠しつつ取り繕った。
確かに紫の魔術師ぐらいに魔術センスが優れているならば、そんな雑な考え方でいいのかも知れないが。
そう思っていると、隣で橙の魔術師が手を挙げた。
「私も同意だ。修行僧をやっているとな、プラーナ(生命力)が、オーラが、マナが分かるのだよ。迸る生命のエネルギー、それらは私に魔術を教えてくれる。彼女は無と例えたが、私も近い意見だ」
「橙の魔術師さんらしい意見ですね。生命力ですか」
「まあ、強いて違う意見を上げるとすればだ。カルマを見ることだ。全てには因果がある。因果を掴んで、魔法陣を読み解きなさい」
なあバトルマスター殿、因果って何だよ。
そろそろ会話が収拾つかなくなってきたな、と思いつつ俺は話を聞いた。因果。それは、前の意見とほとんど同じものだった。緑の魔術師の意見のように何のアニマが宿っているかであったり、どの魔術触媒を使っているかであったり、「そういう物事の因果を良く見据えることこそが、真理への道だよ、私の意見だがね」という。
この橙バトルマスター殿、皆の意見を否定もせず上手いことまとめようとしたらしい。まあそっちのほうが司会としては助かるが。
全然まとまってないのはご愛嬌だ。
その方向で話をまとめようかな、と思ったらここで口出ししてない白黒の二人が意見を出してきた。
「アル君アル君、私はコンテクストだと思います。例えばその魔法陣が聖書にちなんだモチーフで構成されていた場合、神話性を持った聖なる魔術になりやすいでしょう? そういった神話的な位置づけこそ、魔法陣の性質を左右する。だからこそ魔法陣の解読には、いろんな歴史文献や神話を読み解く必要があると思うのです」
【同感だ。魔術のコンテクストは魔術を左右する。白の魔術師殿はモチーフ、と言ったが、我は呪文に注目しよう。魔法陣に刻まれた呪術の言葉が、サンスクリット語なのか、ルーン語なのか、古代ヘブライ、などなど意味はある。刻まれた単語がもし古代ヘブライ語で『神の裁き』、という意味なら。それはつまり、古代ヘブライで神の裁きとされた雷の魔法陣であろう、と分かるわけだ】
この、こいつら、悩ましいタイミングで。俺は白の魔術師と黒の魔術師の意見を苦い気持ちで聞いた。
二人ともの意見は実際正しい。例えば、真実の目を意味するトライアングルを魔法陣に刻んでいたら、その魔法陣は物を見通す魔術だと予想できる。もしその魔法陣にサンスクリット語で輪廻と記述されていれば、その魔法陣は輪廻を左右する魔術だと予想できる。
なまじ間違っていないし説得力があるだけに否定しづらい。白聖女も黒呪術師も、概ね間違ったことはしゃべってない。
どうしようか、と悩んだところで、今度はしゃべらせてはいけない天才肌、蒼の魔術師が口を開いた。
「私も一緒ねー。モチーフや呪文。広く言えば、『デザイン』よ。魔法陣には必ず似たデザインが存在するわ。そのデザインがどういう配置なのか、その魔法陣の作者はどういう芸術的意味をそこに見出したか、それは全てデザイン問題だわ。ゆえに、未知の魔法陣を解明したかったら、似た魔法陣から性質を類推するべきだわ。必ずそのデザインの類似性は、文化コンテクストの類似を持っているし、当然どんな魔術なのかも類似するわ」
またもや正しい意見だ。そりゃまあ、蒼の魔術師の意見は、白黒のお二方の意見を少し弄っただけの意見なので正しいっちゃ正しい。
例えば、本当にざっくりした類推だが、丸いデザインの魔法陣は円環のイメージがあるので、巡回するようなイメージの回復魔法だったりすることがしばしばある。
しかしまあそんな適当な類推レベルではなく、彼女蒼の魔術師はもっと先を言及している。
もしも未知の魔法陣が、炎の魔術のそれにそっくりならば、火属性の可能性が高い。そういうわけだ。
そう。彼女の推論も正しい。実際俺は、魔法陣をそっちの手法でも解析したことがある。画像解析の応用だ。形態素解析の手法を用いる。
結果的には、かなりそっくりならかなりの確率で推定できた。なので有力であることは間違いない。
どうまとめようか、と内心で危惧していたが、意外にも場は荒れなかった。
「まあ、ボクは、皆の意見もなかなか正しいと思うよ。否定はしないよ」「ワシもじゃ、モチーフや呪文、デザインによる寄与はあるじゃろう」「そうでござるな、そういった知識をもっても明鏡止水を心がければ心に想起することには違いござらん」「私も同意見だ、因果の捉え方が命だったりコンテクストだったり言い換えただけだ」【我も否定はせぬ。考え方は複数あるべきだ】「そうね、材料とかアニマとかは否定しないわ、それも一種のデザインよ」
白の魔術師以外は、なぜか示し合わせたように意見を一致させたわけだ。
正直、否定しあうとか激白の討論になるとかでもっと荒れることを予想していただけに、少し拍子抜けだ。
何だこれは。
そういえば、この空気は身に覚えがある。確か皆に嵌められたときだ。カラオケパーティーの時何故か「かーらーのー?」と無茶ぶりをされて結局七曲も連続で歌ったことがある。あの時の悪戯っぽい空気に似ているな、と。
え、俺もしかして、今から皆に嵌められるの?
そこで、白の魔術師が俺を試すように挑発したのだった。
「まあ、今まで出した解析方法を使わなくてもね、科学?とかいう理論を使えば、アル君、解析できるんだよねー」
観客の注目が俺に一気に集まったのを感じ取った。
え、これもしかして俺ピンチなのでは。
「まあ出来るけど」
『……』
「え、だって非線形同定問題だろ、MIMOモデルを予想しろってことだから線形近似すればまあまあ解けるだろ」
まあ出来るのだが。
そう答えると、他の魔術師七人は露骨に不機嫌な表情になる。何故だ。何故俺を陥れようとする? 俺もしかして恨まれてるのか?
何かしたかなあ俺、と思いつつ、まあ科学の知識を見せてやるか、と一肌脱ぐことにする。
「まあ、まずはマナを注いでみて、その応答を見るわけだ。もっとも基本的な解析のスタンス、実際にマナを注いで確かめること。注ぎ方は、マナを各属性でそれぞれ1注ぐ。そしたら出てくるのが0.5なのか0.3なのか、これらのデータを集めて判断する」
俺はそう説明した後、ステージ後ろのスクリーンに映像を投影する。俺が過去に授業用に作ったスライドショーのプレゼンの資料だ。まさかこんな場所で役立つとは。
観客にも、魔術師たちにも見えるように拡大する。
お前らがやってきたアナログな方法じゃなくて、そんなだるい方法をしなくてももっと実験的に魔法陣を解析できる、ということを立証する作業が始まる。
魔術の解析の仕方
①インパルス応答、ステップ応答を調べる(開ループか閉ループか、立ち上がり時間や遅れ時間はいくらか、おおよその応答はどんな形か)
②M系列入力群を入れて、出力群を得る
③入出力の関係を推定する
「まず①について説明しよう。
魔術をこのような方程式であると仮定しよう。諸君が魔力uを注いだら、魔法陣xが変形して、魔法yが飛び出た、と。
y = Cx + Du、と書ける。
あと、魔法陣は諸君が魔力を流すから、一秒事に状態が変化している。魔力が空っぽから魔力が満タンになるまで徐々にな。
x(一秒後) = x + Ax + Bu、と書ける。
これを纏めてこう書く」
『状態空間モデル』
x(一秒後) = x + Ax + Bu
y = Cx + Du
「さて、この式を状態空間モデルと言う。ここで問題に移る。
この魔法は、状態空間モデルで書き表わすと、
x(一秒後) = x + Ax + Bu
y = Cx + Du
となることは分かっている。でも、ABCDが分からない。さあ、どう解析するか。①のインパルス応答、ステップ応答、が重要になる」
①
・u = 1を一瞬入れてみる(そうすると一瞬だけ、魔法陣x = Bになり、魔法y = CB + Dになる。Bが分かるかも)←インパルス応答
・u = 1を流しっぱなしにする(流しっぱなしで時間が十分立ったら、魔法陣がXで安定するとしよう。出力魔法もy = CX + Dで安定する。CDが分かるかも)←ステップ応答
・u = 1を一瞬入れてみたとき、発動まで何秒遅れたか、で予想(遅れ素子の数が分かるかも)←遅れ時間
・u = 1を流しっぱなしにした時、安定まで何秒遅れたか、で予想(魔法陣のチャージ時間が分かるかも)←立ち上がり時間
「分からない物をどうやって分析するか、まずは簡単、0とか1とかを入れてみるべきだ。そしたらどんな変化するのか、が分かる。
一瞬入れてみる、安定するまで流しっぱなしにする、の2パターンを試したら、結構な情報が集まるはずだ。マナがどれだけ遅延するか、魔術が立ち上がるまでは何秒だ、それらの情報をまずは集めておく。
そして次に話が移る」
②
M系列:ホワイトノイズ性が強い(ほぼ、ありとあらゆる周波数を含む信号である)
0110101100…などのRandom Binary Signal(ランダム二値信号)。M系列は巡回符号の生成多項式から得られる。
→魔法陣がどんな周波数で共鳴するのか、などの情報が分かる。
「さて、ここでお前たちには1マナ単発を注いだときの情報は分かった。今度はどれぐらいの周波数で注げばよいかを判別する。そのためには複数の周波数を備え持つM系列群でマナを注ぐべきだ。
M系列というのは調べろ。まあ、M系列じゃない乱数二値信号が使いたい、っていうなら別に止めない。俺がお勧めするのはMersenne Twisterだ。
重要なのはどの周波数で共振するのかを調べること。共振周波数、といって、魔術が急に増幅されたり減衰したりする特異周波数は解析の重要な情報だ。
ここから、入出力の推定に移る。それは③で触れる」
③
関係の推定
入出力多項式モデル:ARX、ARMAX、BJ、OEモデル
状態空間モデル:MOESP、n4sid、StateSpace-ARXモデル
伝達関数モデル
周波数応答モデル
「ここからは数学の手法になる。だが、ひとつだけ簡単なものを教えておこう。形態素解析の考えに近いが、相関性を導出するためにカーネル行列を用いるといい。
この行列をかけることで、0に転写されてつぶれてしまう部分を圧縮し、必要な情報のみを選り抜くといい。リプリゼンター理論に基づくとこの操作は可逆だから安心していい。
その後、そこから得られた行列を用いて、ハンケル特異値を求めるといい。どの要素が支配的なのか、一体何次元までの要素を無視できるのか、が分かる。ハンケル特異値がもし三次元まで大きく、四次元以降は非常に小さいなら、三次元モデルで近似できる、と分かるだろう」
「以上。……何か質問は」
発表し終えたとき、俺は空気が変わったのを感じ取った。空気の凍結だ。
否定的な意味ではない。確かに数学操作が難しいことは俺も認める。しかし観客や他の魔術師が固まったのはそれが理由ではない。彼らは別に、数学が難しいからといって話を聞かなかったわけではなく、むしろ恐ろしい発表に出会ってしまった、といわんばかりに話を食らいついて聞いていたからだ。
彼らはこの数学操作を行った結果、どんな魔法陣でも、入出力データから簡単に解析できてしまう、という事実に固まったのだ。
それは、今までの常識を大きく打ち砕く。
まず最初に、全ての魔術師が極秘としてきた魔術を、これ一発で解析してしまうという制約のなさだ。
今までなら、使っている材料はこれとか、似ているデザインはとか、とにかく魔術に対してそれ相応に深い知識がないと分析が出来なかった。魔術に詳しいものでないと見破れない、つまり魔法陣の機密は漏洩しにくい。それ故に、魔法陣は「どういう風に発動させるのか」を秘密にしておけばそれで十分「魔術の盗難」を防ぐことができるのだ。
しかしこの手法は違う。どういう風に発動させるのか、でさえ一瞬で数学で解いてしまえるのだ。
制約がない。宗教魔術なら宗教の専門家しか、呪文なら呪文の専門家しか解読できなかったそれを、万人が解読できるようになる。
つまり、誰でもその気になれば、図書館に行って魔法陣の図録を借りてしまって、そこに載ってる魔術を使用できるようになる、というわけだ。家庭教師を雇う金がない一般人でも魔術を発動できる、というのは大きい。
次に、その手法自体にかかる手間が殆ど皆無であること。
この朱の魔術師の理論は、魔術解析を作業にしてしまった。それはつまり、同時に大量に、魔術が解析できてしまうというわけだ。アルゴリズムを記述するだけで、未知の魔術を近似的に線形モデルに落とし込んでしまえる。
それはつまり、今まで無数にあったロストテクノロジー、古代遺跡の魔法陣や古文書、それらが簡単に解読できてしまえるというわけだ。
解読する人手が足りない未知の魔術を、並列作業で処理できてしまう。それもアルゴリズムによって半自動的に大量に。
観客の皆は、そのことをうすうす感じ取ったのか、そのまま押し黙ってしまった。
あるいは戦慄したような表情を浮かべてもいた。
中央大講義室の千人が全員押し黙ると、それはそれで面白いなあ、と俺は他人事のように思っていた。多分テレビの向こうやネットでは大祭りだろうな、と俺は思った。
『……』
「質問はないようですね」
俺はまあ、内心では結構どうでもよかったりする。既に俺はこのことを論文に書いている。学会では既に話題になっていて、今現在俺の理論が正しいかどうかを偉い魔術学会員が審査中(と言う名のケチ付け粗探し)である。
ふと、他の魔術師たちを見る。全員面白い表情をしている。
大体はドン引きの表情だった。お前ならやるかもと思ってたけどマジでやるのかよ、しかも予想以上にやらかしよった、そんな表情だ。
ふと、蒼の魔術師が「……何そのチート魔術」と微妙に引きつった表情でつぶやいた。
俺は言ってやった。
「チート魔術……っていうか科学なんですけど」