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End of Love?   2





 そう言えばこの女とは恋人でもなんでもないんだったと気づいて、来栖はなぜだか改めて呆然とした。

 土曜日の午前6時。

 カーテンの隙間からひんやりとした早朝の空気がわずかに忍び込む。吾妻は何度も泊まりにくるのに、来栖が客用布団を用意してやったことはない。来栖が身じろぎすると、掛けてあったふとんが軽くめくれた。肩先が外気に触れたのか、来栖の腕の中で眠る吾妻は器用にするりと身体を動かして、暖かいところへ暖かいところへと移動する。うっすらとしか明るさのない室内で、吾妻の皮膚は薄く繊細に見えた。

 ラブホテルが立ち並ぶ派手派手しい通りへ向かう吾妻の後ろ姿を見たのは、この間のことだ。その隣で自然に腰に腕を回す男。

 浮気?恋人同士でもあるまいし、自分にどうこう言う権利などないだろうと来栖は思っている。

 ちょうど桜がまもなく満開になるだろうかという時期のことだった。




 上司から紹介された女性が、管理部部長の姪っこだと聞いたのは後からだった。

「幹彦さん」

 苗字ではなく名前で人から呼ばれるのはなんだか久々だった。それだけ恋人を作るという努力をしばらく放棄していたということだ。

 なんせ、あの女の隣は居心地が良すぎた。

 同僚で飲み友達で、気が向いたらたまに寝る。口と態度が悪いのはさておき、そんなの居心地がいいに決まっていた。こちらが疲れているときに会いたいと駄々をこねたりもしなければ(恋人じゃないんだから当然と言えば当然なのかもしれないが)プレゼントをねだりもしない。

 名門女子大で在学中、1年イギリス留学していたというその女性は、おごったところのないとても感じのいい相手だった。いつでも一歩引いて来栖のことをたててくれる。それはもうあの女に見習わせたいぐらいに。

 そういえば誰かと恋人として付き合うのは、こういうことだったと思いだした。来栖の前の恋人、その前の恋人も、一緒に食事に行き、ワインを飲み、夜景を見て、シティホテルのベッドで朝を迎える、そういったことをとても喜んでくれていたのだった。退屈すぎてあくびが出るんじゃないかというそんな手順。しばらくご無沙汰していただけでどうしてこんなにも大昔のことのように思えるのか分からない。

「今度の日曜日、父が幹彦さんと夕飯を一緒にどうかって。もしよかったら」

「……日曜?構わないが」

「ありがとう、楽しみにしてます」

 そういってほほ笑む彼女はいい妻になるに違いなかった。それはもう、うんざりするくらいに。簡単に想像がつく。

 テーブルに置かれたろうそくの灯りが陰影を生む。

 彼女の隙のなさに、来栖はいつまでたってもなれることができそうになかった。



***



 チャコールグレーのパンツスーツ。薄いブルーのV字カットソーでくっきりと切り取られた白い鎖骨がなぜだか今も印象に残っている。いつもはまっすぐ背筋を伸ばして歩くはずのあの女が、疲れに押しつぶされそうになっていた。ばたばたと落ち着きなく台車を押して歩く女の足音。気付いた時には声をかけていた。

 深夜の高速道路。あの時、隣には吾妻が眠っていた。そういえばあの頃まで同期だというのにろくに話をしたこともなかった。お互い妙に相手に変な対抗意識を持っているところがあって、それは今も変わらないが、とにかくもっと自分たちの間は他人行儀だった。普通の同僚たちよりもずっと。

 伏せられた瞼、ファンデーションの下、薄い皮膚にうっすら浮かぶ隈が影の濃淡を強めていた。道路際の照明から線状に伸びる明かりが規則的に女の顔の上を走っていた。


 あれから自分と女との仲はどんどん奇妙なものになってしまった気がする。そのままの居心地いい関係でいたい一方で、このままの宙ぶらりんな関係に嫌気がさしている自分もいた。そのことについてあの女が自分のように思っていたのか、今となってはもう分からない。


「おい」

「……あ?」

「あー、もう!なんなんだよ、お前。さっきから」

「なにがだ」

「ぱたんぱたん携帯閉じたり開いたり、うっとうしいから電話しなきゃならないならさっさとすませてこい!」

 ぐわしぐわしと口から音が響くのではないかという勢いで友人がホルモン焼きを咀嚼している。

 大学時代から付き合いが続いているこの友人は、とうとう先日結婚した。しばらく前に会った時に『来年結婚すんだよ』と言っていたが、もうあれから半年近くも経った。だというのに、来栖と吾妻はどうなったかといえば、未だに同僚という以外括りようのない関係(一時期寝ていたにせよ)でしかないのだから、途方にくれる。

「フィアンセだろ?遅くなるって言ってないのか」

「……別に今日、会う予定はない」

「そういう問題じゃないだろうが、ばかたれ」

 もしゃもしゃと知らぬ間に注文していたらしいビビンバを口に運びながら、友人は来栖をこづく。昔から飲んでいる時もよく食べる奴だったが、今日はとりわけ食っているような気がする。来栖の前にある焼き鳥は、せせりと豚バラ以外ほぼ手つかずのままだ。

「久しぶりにお前の方から誘ってくるから、なにか話があるのかと思ったらぼけーっとしてるし。しゃきっとしろ、しゃきっと」

「ああ……」

 食べながらよくもまあそんなにしゃべれるものだと、他人事のように来栖が感心していると、

「そういえば、前にお前がぼけっとしてたときは同僚とやったのやらないのってごちゃごちゃしてる時だったな」

 別に吾妻とやったのやらないのでごちゃごちゃした気は、来栖にはまったくなかったが、反論するとその何倍も帰ってきそうなので頷いておいた。

「あれは結局どうなったんだ?」

「……別に、今は連絡もとっていない」

「なんだ、自然消滅かよ。」

 自然消滅?

「その子とは、その程度だったってことだろ」

 来栖は何も答えずにビールのジョッキをあおる。


 その程度?

 そんなものですめば、今頃俺はこんな風になってない。


 卓の上でもてあそんでいた携帯電話を再び、ぱちんと閉じた。まるで、今この瞬間、自分の脳裏によみがえる吾妻の姿をどこかへ押しやるように。




  -to be continued-




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