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Is This Love?



 例えば。

 一緒に食事したり、飲みに行ったり、たまにはセックスしたりもする同僚ってどうなんだろう。


 紗江は隣で眠る男の寝顔を見ながら、ベッドの上に小さく体操座りをしていた。

 男前という部類に間違いなく入るだろうその男の顔。眠っている今だけは穏やかだ。

 目が覚めれば開口一番いやみを吐きだすのだろうが、それはしばらく先のことだろうからとりあえず今は置いておくことにする。


 紗江が男を自室に泊めたのは、何も今日が初めてのことではなかった。

 昨晩、したたかに、というほどではないが、それなりに「みはま」で気持ちよく酔った紗江。その手を『送っていく。知らない男を連れ込むよりよっぽどましだろうが』と荷物でもひきずるかのようにぞんざいに引いていったのは男の方だ。

 自分があまり物事を深く考えない性質だと自覚はしているものの、さすがにこれはそろそろよくないんじゃないか、と紗江は自問する。

 隣にいる男が眠っているのでため息を押し殺す必要はなかった。

 相変わらず広く滑らかな背中がどことなく憎らしい、と紗江は思った。




「……あー…来栖さんおはようございます。コーヒーでも飲みますか。今さらですけど」

「……空きっ腹にそんなもんいれる奴があるか、馬鹿。いつまでそんな格好してるつもりだ。さっさと着がえろ」

「……」

 目を覚ました来栖は、やはり紗江の予想通りだった。

 『まさか恋人にもこんな物言いしてるんじゃないだろうな…』と半眼で来栖を睨むが、到底その眼差しに込められた批難の意が伝わっているとは思えない。

 それどころか、立ち上ってベッドから降りた来栖に背中を軽く蹴られ、体操座りをしていた紗江はあっけなくベッドの下へ落ちた。

 ――この男……。私のベッドなのに。

 紗江のうめき声などどこ吹く風で、来栖はさっさと服を身につけていく。

 以前、前の恋人のために買い置きしていた新品の下着とシャツ、それに部屋着を来栖に渡したら、ものすごく嫌そうな顔をされた。

 まあ、確かにそんなもの渡されたら気分はよくないな、と紗江は他人事のように思ったものだ。

 あふあふとあくびを漏らしながら、先ほどの来栖の言葉など気にせずに、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。

一人暮らしの上、そこまでコーヒーにうるさくないのにわざわざコーヒーメーカーなんか買ったのは、ひとえに自分で淹れるのが下手だからだ。それでもコーヒーならまだマシな方で、紅茶になるとティーバッグでさえ、ろくな味にならない。

 豆を切らしていたある日、わざわざ紅茶をいれてやったというのに『お前…、こんなもん、ただ湯に色付けただけだろう』と一口飲んだきり来栖にじとりと睨みつけられたのだから、もうどうしようもない。

 紗江に続いて狭苦しいキッチンにやって来た来栖は、紗江が貸した短パンのジャージと昨日Yシャツの下に着ていたTシャツだけという、完全に部屋着姿だ。

 無言でカップを二つ用意している来栖が憎たらしい。

彼の背後で軽く殴りかかる真似をして、子供のように舌を出して見せる。

それだけでなんだかだいぶ機嫌がよくなった。

 ふう、と満足げに息をつき、かがんで冷蔵庫の中を物色していると、頭の上から『見えてたぞ』と低い声が降って来て、思わず肩がびくりと跳ねた。



* * *



「それはどう考えてもセフレだろ」

「……」

 「みはま」とは違う、照明の落とされた薄暗いカウンターで、隣に座る男はきっぱりとそう言い放った。

 小さな皿に出されたナッツをかじり、不満げな顔をする来栖に向かって、大学時代の友人は呆れたような顔をした。

「なんだよ、その顔は」

「……何も言ってないだろう」

「そのいけすかねえツラにでかでかと『気に食わない』って書いてあんだよ。……ったく、セフレなんか作ってるような歳じゃないだろうが。お前も」

「……だから、そんなんじゃない。ただの同僚だ」

「だーかーらぁ!普通ただの同僚とはヤんないの。分かるだろ、そんぐらい」

 来栖と並んでも見劣りしないほどの友人は、少し離れた席に座る数人の女性客から熱っぽいな視線を注がれている。その薬指で、一瞬ちかりと控えめに光るものが目に入った。来栖の視線に気づいた友人が「来年結婚すんだよ」となんでもないように言った。

 今頃、あの女は何をしているのだろうかと、来栖は考える。

 今日は遅くなりそうだから「みはま」には行けそうにない、と喫煙所近くの自販機の前で嘆いていた。煙草なんか吸わないくせに。

あれは彼女なりに「今日は遅くなる」と来栖に知らせてくれるためだったのか、それとも単に愚痴を漏らしていただけなのか、未だに来栖にはよく分からない。

 あの女にはそういうところがある。来栖は横で持論を展開する友人の声を、半ば聞き流しながら、そう思った。

「……おい!聞いてんのか?」

「…いや、悪い。聞いてなかった」

「てっめ……!」

 


* * *



 とりあえず終電には余裕で間に合いそうだ。

 ぐるりと首を回す。こんな時こそ「みはま」に行って一杯やりたかったが、生憎今日は平日も平日、週のど真ん中だ。

 それに、来栖には『今日は行けない』と言ってあるので、「みはま」に行って潰れても自分を家まで運んでくれるような人はいないのだ。

 なんだかんだで、来栖があまりにも違和感なく自分の生活の一部に入り込んでいるから、腹立たしい。

 こんなふうになったのはいつからだったか。

 改札を抜け、人のまばらなホームのベンチに腰掛ける。

 なんとなく携帯電話の液晶を確認して、今頃、来栖は何をしているのだろうか、とふと思った。

「みはま」に行かないとなると、面倒だし今日の夕飯は買い置きのカップラーメンになりそうだ。

「…―え、紗江!」

 物思いを突然中断させられて、慌てて顔を上げる。

 視線の先には人好きのする笑顔。何年も前、いつもこの笑顔を見ていたことがある。

「……翔太」

「どーも」

 まるでつい最近までしょっちゅう顔を合わせているかのような気軽さで、彼はさっと片手を上げて見せた。




 何の因果か、昔の恋人と並んで電車に揺られている。

 就職した直後、翔太の異動を機に別れてからと言うもの、いっさい連絡をとっていなかったはずなのに、彼はそんな気まずさを感じさせなかった。

「俺、最近こっちに戻って来たんだよ」

「……そう、知らなかった」

「ん。紗江は?ずっとこっち?」

「うん」

「そっか、じゃあまた今度久しぶりに飲みにでも行こう」

「……うん」

「……で?」

 紗江はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

「は?」

「今はどうなんだよ」

 要は彼氏がいるかってことだろう。悪かったね、そんなもんいやしませんよ。一緒にご飯に行ったり飲みに行ったりたまにセックスするような同僚なら一人いるけどね。

 しかし、紗江は何も言わず、乾燥した唇を軽く舐めた。数瞬置いて、ようやく口を開く。

「……どうもこうも。そっちは?」

「数か月前に戻ってきたばっかだし、今まではそれどころじゃなかったよ」

「仕事はどう?」

「まあ、ぼちぼち。紗江も、そんなもんだろ?」

「あー、まあね」

 穏やかに笑う彼は、しかし、付き合っていたあの頃の天真爛漫さは消え、どこか男くささを増していた。

 久々に会うにしては悪くない。まるで七五三のようだった昔とは違って、今はスーツもしっかり着こなしている。二十代も後半となれば当然のことなのかもしれないが、紗江にとっては新鮮だ。

 ネクタイを緩める手の節にじっと目を奪われていると、隣で小さく苦笑した気配がした。

「そんなに見られると穴があきそうなんだけど、紗江?」

「……はいはい、すいません」

 そう言えば、あの男の手はもう少し大きくゴツゴツしている。

 そのくせ、いざという時(まあ、それがどういう時なのか具体的には伏せるけど)にはびっくりするぐらい繊細な動きをするのだ。そして、あの男の体温が高いのか、それとも自分の体温が低いのか定かではないけども、ゆっくり素肌を撫でる時のあの男の手のひらは、ひどく温かだ。

 そこまで思い出して、なんだってこんな時にあの男が、と苦虫を噛み潰したような顔をしてしまう。それを、指を凝視していたのを指摘されたからだと思ったらしい翔太は「大人げないなあ、相変わらず」と楽しそうに言った。

 そんなことよりによってあんたに言われたくない、と紗江は思わないでもなかったが、何も言わなかった。ここ最近の来栖とのやりとりで、自分にもずいぶんと忍耐力というものが身についたらしい。


 彼ととりとめもない話をしながら、紗江は思い出していた。

 帰り際、何でもないように、自販機で買った缶コーヒーを紗江のデスクに置いて去っていった来栖の後姿を。




  -THE END-



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