【後日談】Good Things
その後の二人。
いらいらいらいら。
朝電車に乗って、ストッキングに傘の先を引っかけられ伝線した時から今日は嫌な一日になりそうな気がしていた。
ミスをした。
以前から目の敵にされていた気のする2期上の男の同僚から嫌味を言われた。
女の腐ったみたいな奴だ、と思うがまさか女ばかりの職場でそんなことは言わない。というか自分自身も女だし、そもそもミスをしたのは自分だ。そういうわけだから残業だって仕方ない。
帰り際ヒールを路肩の溝に引っかけて傷をつけた。
駅を出ると急に降ってきた雨のせいで下着までびしょ濡れになった。
苛々、苛々。
マンションにつくとエレベータは点検中で2日間止まっているらしい。
まったく!!
本当に今日は何もかもに苛々する。
スカートがほつれるんじゃないかというほど足を乱暴にあげて階段を上る。
リビングの照明は消えていた。びしょびしょになったストッキングを脱いで、冷蔵庫を開ける。ビールでも飲まないとやってられない。
「今、帰りか」
突然のことに驚いてびくりと肩を震わせる。てっきりもう寝たものと思っていた来栖だった。
「……すいません、起こしました?」
「いや」
乱暴にバスタオルを頭から被せられ、風呂上がりの犬を拭くように髪の毛をもみくしゃにされる。一緒に住むようになってからも敬語が抜けないのはもう癖だ。来栖にはなんとかしろと言われているが、別に不自由しているわけでもなし、気にする必要もないというのが紗江の考えだ。
「風呂に入る前にアルコール入れる奴があるか、馬鹿が」
「いや…」
「いやもくそもあるか、濡れてるんだろうが。さっさと風呂に入れ、風呂に」
問答無用でビールを取り上げられ、言葉通りさっさと風呂に追い立てられてしまう。
ばたんと閉じられたバスルームの戸に、なんだか諦めがついて、紗江は湯船に体を沈めた。熱い風呂を好む紗江にちょうどよい温度だった。
風呂上がり。
体の表面からほかほかと湯気が立ち上がるのではないか、というくらいしっかり温まってリビングに戻ると、食事の準備を終えた来栖がビール片手に今晩のスポーツニュースに釘付けになっていた。ちなみに紗江の方はと言えば野球にもサッカーにもまったく興味がない。
冷えたグラスに冷えたビール。
ちょうどよい温度の風呂に、温められた食事。
「あなたって人はほんとどこにお嫁に出しても恥ずかしくないですよね……」
「……はあ?」
とはいえ、たまたま紗江の方の帰りが遅かっただけで、来栖の帰りの方が遅い時は紗江だって食事くらい準備はする。
紗江が食事をしている間に来栖は2本目のビールを空け、来栖がテレビを消して新聞を読んでいる間に紗江は皿洗いを終えた。明日は土曜だし、時間もある。苛々するわ疲れたわで散々な紗江がさっさと寝てしまおうと立ちあがると、来栖がリビングの照明を落として、寝室へ向かった。
紗江に背中を向けてベッドに入ってしまった来栖だが、ごろりとその背中にくっつくと面倒くさそうに来栖は向き直ってくれた。
「今日はほんと散々でした…」
今日一日を思い返す、あの苛々がそっくり解消されていることに気づく。風呂をあがってからもうだいぶ経つというのになんだかどこかがほかほかほかほかしているのだった。
やっぱり面倒そうに腕を上げ、がしがしと頭を撫でられる。紗江が思うにどうも来栖は頭を撫でるのを気に入っているらしいのだが、それを本人に伝えたことはない。目を吊り上げて怒られることは分かりきっているので。
「くるすさん…」
布団の中のあたたかさと来栖の体温からつたわるあたたかさとで、急に眠気が襲ってくる。
「なんだ」
「わたし、いつもねるまえになるとくるすさんとけっこんしてよかったなーとおもいます…」
「……なんだそれは」
「くるすさん」
「だからなんだ」
「あしたどようびですよー…」
「知ってる」
「せっくすしないんですかー…」
「今にも寝そうな顔してるくせに何言ってるんだ」
来栖の胸元に顔埋めているのではっきりとは分からないが、頭の上で来栖が笑う気配がした。
「明日は休みだし、時間はある」
「そーですけど…」
寝る前と起きた後にした方がお得感があるという紗江の意味不明な持論に来栖が眉を寄せたのだった。その後、結局どうしたのかは二人しか知らない。
-THE END-