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Parking Lot Love?


 息詰まる奇妙な沈黙の中、カーステレオから流れる深夜放送のジャズだけが二人の間をたゆたっていた。

 前の車のテールランプを追って漫然と走り続けていると、絶え間なく眠気が襲ってくる。

 もうこれ以上情けないところを見せたくない、見せてたまるかと、気合いであくびを噛み殺した。

 助手席に座る男は眉間を揉み解すように、ぎゅっと押さえていた。

「次のパーキングに入れ」

「…大丈夫ですから」

「…あんたのためじゃない。とにかく、入れ」

「……」

 紗江は黙ってウィンカーを上げた。



***



 彼氏の誕生日のディナーだとかでそそくさと帰って行った後輩が、まさかこんな大ポカをやらかしていようとは。

 紗江は男がいないことを確認してから、ようやく凝り固まった両肩をほぐすように揉み、仕上げにぐるりと首を回した。

 白々とした灯りに照らされたパーキングエリアの休憩スペース。

 安っぽいつくりのソファーに腰を下ろして、そういえばあの男と競うことになるプレゼンまでちょうど二週間になったと思いだして、さらに憂鬱になった。

 紙コップの中のコーヒーはえらく苦く、いつまでも後を引く味だった。




 紗江がこんな時間に、苦いだけのまずいコーヒーを、こんなところで飲んでいるのにはそれなりの訳がある。

 紗江の後輩が手配したはずの在庫は、1種類丸々足りなかった。紗江の働く化粧品メーカーのクリスマス限定コフレ発表は一大イベントだ。

 20代から30代までをターゲットにしたある女性誌の出版社と、競合社を含めた化粧品メーカーがコラボレーションした今回の企画は、ショーを中心とした発表の後、各メーカーのブースに客が流れてくることになっている。

 ブランドカラーであるピンクとグレーを基調にしているので、限定コフレは対になっていて、2種類ある。

 その片方が全くないと現場のスタッフから連絡を受けたのが、午後9時。

 後輩はとっくに帰った後で、プレゼンの準備のために残っていた紗江が電話を取ったのだ。

 洒落にならない。

 慌てふためいて台車を押してダンボールを運んでいたときにはち合わせたのが、あの男だった。

 繊細なシャドウやチークが割れてしまわないように、とそちらに意識をやっていたせいか、話しかけられるまで男がいることに気づかなかった。

『貸せよ』

 何故だかあの男は怒ったような顔をしていた。



***



 んーっ、と両手を前にのばして、伸びをすると、小指のトップコートが剥げかけていることに気づいた。

 化粧品メーカーに勤めておいてこれはない、と流石に紗江自身も思う。

 仕事柄、社員も仕事相手もやはり女性が多い。というかほとんど女性だ。

 そのせいか、あの男は普通の人間の何倍も目立った。

 ただでさえ映画俳優のような顔立ちをしているのだから、そんなもの女の集団に放り込んだらどうなるかぐらい分かりきっている、と紗江は思う。

 紗江の周りの女たちはあからさまにあの男をランチや飲みに誘っているらしいし、男も割と相手にしてやっているようだ。

紗江はあの男とは忘年会や新年会をのぞいて、個人的に飲みに行ったことは一度もないのでまったく分からないが。




 紗江と男は同期入社だ。

 紗江が出していた女性向け新ラインの案を押しのけ、あの男の案のメンズラインが採用されたのはつい先日のことだった。

 別に特に接点もなく、何とも思っていなかったのに、紗江の中に強烈な『悔しい』という感情が渦を巻いたのは、その時だ。

 この数年恋人もろくに作らず(というか要はそんな暇と労力とが自分になかったのだが)真面目にやってきたのに、あんな男に負けるとは…!

 色恋沙汰からずいぶんと遠ざかった挙句、久々に異性に関心を抱いたと思ったら、同僚の男にやっかみ混じりの敵意を抱いているのだから始末に負えない。


「…おい」

「…っ」

 いきなり後ろから声を掛けられた。

 突然のことに、びくりと肩を揺らしてしまい、きまりが悪くて顔を上げられない。

 こんなときにあの男から馬鹿にしたような顔で見下ろされるのは嫌だった。

 別に今回のミスは直接紗江がおかしたものではないのだから堂々としていればよかったのだろうが、普段から紗江が面倒見ていた後輩の仕業だっただけに、紗江までも肩身が狭いのだった。

「ここからは俺が運転する。キーよこせ」

 男の言葉に、慌てて顔を上げた。えらく不機嫌そうな顔をしている。

 まあ、こんな夜中まで付きあわされれば誰だって不機嫌にはなるだろうが。

「いえ、いいです…!」

「ああ…?いいです、じゃないんだよ。さっきから言ってるけど、あんたのためじゃない。事故でも起こされたら俺まで面倒なことになるんだ。ぐだぐだ言ってないで早く出せ」

 さすがの紗江も、このセリフにはカチンときた。

 だいたい、いくら同期とはいえこの横柄な口調は何なのか。

「そんなこと言って来栖くるすさんだって今までずっと寝てないじゃないですか。そんなの運転代わったって意味ないですよ」

 そう、この男は来栖というのだった。

 名前まで芸能人じみている、というのは言いすぎだろうか。

 ぴくっと片眉を上げた男の顔を、ちらりと見上げた。

「……何ですか?」

「…あんた、俺の名前知ってたのか」

「……何言ってるんですか?入社したばかりの研修のときから顔合わせてたじゃないですか」

「……」

 まさか、この男は自分の名前を知らないなどと言い出すのではないかと、紗江は余計苛立った。

 同期入社で、数年前から部署まで同じで、ついこの間には紗江の案と競って勝ったくせに、今更『俺の名前知ってたのか』だって?馬鹿じゃないのか。

 紗江にしてみれば気に障って仕方なくても、この男にしてみれば自分なんて大した関心は抱かれていなかったのだ。

 そのことに気づくと、なんだか自分がえらくみじめに思えた。

「…仮眠取りましょう」

「…俺は一晩ぐらい寝なくても問題ない。いいからキー渡せ」

 こんなところで意地を張っても仕方ない。

 それは分かっていたが、どうしてもこの男の言う通りにしたくなかった。

「い、いやです…。私だって来栖さんに事故でも起こされたら迷惑なんですから……」

 男はしばらく黙っていたが、やがて明らかにわざとだと分かる大きなため息をひとつこぼすと、

「……勝手にしろ」

 と言い放った。

 

 そのくせ、紗江がコーヒーを飲み終わるまで、彼女が座っている場所から少し離れたソファーに、所在なさげに座っているのには、思わず笑みを漏らすところだった。



***



 コーヒーを飲み終えた紗江が車へ向かうと、男が立ち上がってついてきた。

 車のキーを持っているのは紗江なのだから当然と言えば当然だ。

 シートを倒して軽く伸びをする。運転席に座ったのは、紗江なりの反発である。

 携帯のアラームを2時間後にセットして、男に「ちゃんと寝てくださいね」と念押しした。

 明日は紗江も男もイベントにかかりきりになる。休む暇もない忙しさになるはずだ。

 一睡もせずに明日を迎えたら目も当てられない状態になることは、見るからに頑丈そうな男はともかくとして、分かり切ったことだった。

 ふん、と鼻を鳴らした男の反応を見なかったことにして、男に背を向けた。


「……あんたこそどうしていつまでもそんな態度なんだ」

 目は閉じていたが、返事だけはした。何が『あんたこそ』なのだろう?

「…何がですか」

 しかし、それに対する男の答えは無く、どすんとシートに身を投げ出す音だけが隣から聞こえた。




「あんたはいつも貧乏くじばかりだな……だからいつまでたっても結婚どころか恋人もできないんだよ」

 どこかからそんな言葉が聞こえて、うるさいな余計なお世話だよ、と思うのだが、確かにその通りなだけになんとも言えない。

 夢の中だからなのか、科白のわりにずいぶんと優しげな声で、この声の持ち主はいったい誰なのだろう、と思った。

 声の主は、そっと紗江の目にかかった前髪をはらった。

 その手つきが、壊れものを扱うような繊細な動きで、くすぐったい気持ちになる。

「……あんたは朝まで寝てろ」

 くしゃりと紗江の頭を撫でた手は大きく暖かくて、紗江は更に深い眠りへとおちていった。



***



「……ん」

 目を覚ます。

 そう言えば携帯のアラームをセットしたはずだけどどうしたかな、と思いながら起き上がる。低血圧にしては、紗江の寝起きはいい方だった。

「…?」

「しばらくしたら高速降りるから、料金準備しとけ」

「…え?」

 見まわしてみれば、寝る前は確かに運転席にいたはずなのに、紗江は助手席に座っていた。

「なんで…」

「あんた、携帯のアラームがいくら鳴っても起きなかっただろ。なんだあれは。うるさすぎる」

 ああ。頭が痛い。

 どうして自分が助手席に座っているのかは分からないが、とにかくまた自分が失態を犯したらしいということだけは、理解した。

 紗江は恨めしげにバッグに入れていた携帯を確認した。2時間どころかそれよりも1時間以上多く眠っていたと知り、さらに落ち込む。

 あの男にはえらそうなことを言っておいて自分が寝坊しているのだから世話はない。

 今にも太いため息が漏れそうだったが、それを押し殺し、ハンドルを握る男の横顔をそっとうかがった。

 その横柄な様子は、昨晩とまったく変わらない。

 夢で聞いた優しい声と、あの大きな掌の持ち主とは考えられない。

 やはり、あれは疲れのあまり自分が生み出した妄想を夢に見たのだろう、と紗江は結論付けて、倒されていたシートを起した。

 

 ふと窓の外を見ると、青とも藍色ともつかない微妙な色合いが、徐々に白んでいくところだった。



 夜明けはもう、すぐだった。




  -THE END-


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