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MY WAY 虐待に立ち向かう勇気

作者: 常先輩

はじめに


子どもは何も知りません。

親の都合で家という密室で実際何が行われているのか解りません。

訪ねたところで嘘ばかりを言うのが大人です。

世間の目を虐待防止へと向けて頂く為の作品となります。































My Way 虐待に立ち向かう勇気

                                      常先輩


僕の名前は篠原勇気。小学1年生です。


僕は生まれた時から、11階建てマンションの7階に住んでいました。周りに国際飛行場が有るため、航空機が毎日離着陸していました。僕は、その音がとてもうるさいと思っていたのですが、お父さんはそのエンジン音がとても気に入っているのでこのマンションに住んでいると言っていました。お母さんは、お父さんがどうしてもこのマンションがいいというので一緒に住んでいると言っていました。


僕が2歳の時妹が生まれました。名前は春。妹に僕は毎日、耳の穴や鼻の穴に指を突っ込んで遊んでいました。それを嫌がる妹がとても可愛いかったからです。しばらくして、妹がハイハイをして歩き回るようになりました。僕もハイハイをして妹と一緒に家の中を歩き回って遊びました。そして何ヶ月かしたとき、妹は二本足で立って歩くようになりました。僕より2歳年下の妹は立って歩けるようになったけど、僕はいつまでたっても立って歩けなかったので、ちょこっと不思議に思っていました。

両親からはいつも、『勇気も早く歩けるようになりなさい』と言われていました。けど、どれだけ練習しても立って歩くことができませんでした。

ある日曜日、お父さんとお母さんがお買い物に出かけるといい、僕だけ家に置いて妹は連れて行こうとしました。僕は泣きながら、『僕も連れてって!僕も連れてって!』と何度も言ったのですが、両親は、『歩けるようになったら連れてってあげるから、頑張って歩く練習しなさい』といい、僕はいつも、お留守番ばっかしてました。いつもお買い物の時は四時間ぐらいで帰ってくるので、その間はずっと歩く練習をしていました。家の廊下の壁にもたれかかって、ちからいっぱい頑張ると、やっと二本足で立てました。けど、壁にもたれて立つことだけがやっとで、そこから歩こうとするとすぐ、ドタン!という大きな音をたてて倒れてしまいました。倒れても僕は全然痛いとは思わなかったので、買い物の間四時間はずっと練習していました。

両親はお買い物から帰ってくると、いつも、『どうだ?ちゃんと練習していたか?』と聞いてきました。練習を沢山しないと歩くことはできないからと、週三回ぐらいお父さんが夜寝る前に練習を手伝ってくれました。僕は練習を頑張っていたのですが、練習を初めてから1ヶ月ぐらいした時に、練習中に急に気持ち悪くなって吐いてしまいました。その後なんだか目が見にくくなって、ずっと気持ち悪いのが続いたのですが、お父さんが、『練習っていうのはそういうのを乗り越えてこそ練習なんだぞ』と教えてくれました。それからいつも気持ち悪いのが続いたけど、僕は練習を頑張りました。お買い物にどうしても連れてって欲しかったからです。


ある時、夜寝る前にお父さんと練習をしていたら、家のチャイムがなりました。

お父さんは最初、『誰だろ?夜中だから無視だ』と言っていましたが、チャイムが五回連続でなったため、『うるせえな!勇気、部屋に入って寝たふりしとけ。』といい、僕を寝室のベッドの上に寝かしました。お父さんが玄関の扉を開けると、大人の男の人が怒鳴ってきました。『二年前からずっとうるさいだろ!なにやっとんだ!』と、すごい怒っていました。お父さんは、『はい?今家族全員寝てましたけど?隣の家じゃないんですか?』ととぼけていました。

男の人は怒ったまま帰って行きました。

ある平日の昼間、妹がいつも椅子をおもいっきり倒す遊びをやっていたのですが、その時も家のチャイムが何度も鳴りました。平日の昼間はチャイムにでちゃだめと両親から言われていましたので、チャイムにはでませんでした。土日の昼間はお母さんが、『土日はパンの日』といいながら、パンの生地を練って

いました。その生地を何度も何度も台所でたたきつけるのですが、バスケットボールをやっているような大きな音が二時間ぐらいしていました。パンを作っていたある時、家のチャイムが鳴ったのでお母さんが出てみたら、また男の人が怒っていました。『家の中でバスケットボールやっとるんか?!』と怒っていました。多分いつも怒ってくる男の人は下の階の人だと思います。お母さんは、その男の人に『うちはなにも音を出すようなことはしてなかったですよ。お隣の家じゃないでしょうか?』と、とぼけていました。お母さんは、土日はパンの日と言ってパン生地を作っていましたが、その後どこでパンを作って誰が食べているかは僕は知りません。一度もお母さんの作ったパンを食べた事はありませんでした。


ある時妹が、両親に言われて柔道を習い始めました。毎週木曜日の夜7時頃から一時間教えてもらっているらしいです。平日に妹が、『お母さんが勇気に練習相手になってもらえって言った』といい、僕を相手に柔道の練習をするようになりました。妹は結構力があるみたいで、僕を簡単に一本背負いしました。投げた後妹が『痛くない?』と時々聞いてくるのですが、僕は全然痛くありませんでした。

ただ、時々頭がクラクラしたり、一回吐いたときもありました。練習相手になると妹が喜ぶので、週一ほど練習に付き合いました。


ある時お父さんが携帯で話をしていたら、航空機の音がうるさかったみたいで、『うるせーな!だからここ嫌いなんだよ!いつになったら引っ越せれるんだよ!』と怒っていました。僕はお父さんから、ここのマンションは航空機の音がするから住んでいると聞いたはずですが、いつからこのマンションがイヤになったか知りません。


小学校にあがるまで毎日家で歩く練習をしていましたが、結局歩くことは全然できませんでした。お父さんから『お前が歩けるようにならないから普通の小学校に入れなかったじゃないか。今度からは車椅子だ。』といい、車椅子を買ってもらいました。その話をしていた時お父さんが『しぶといな』とぼやいていた事を覚えています。

初めて小学校に行った時、すごくびっくりしました。僕以外の子も、全員車椅子の子ばかりだったからです。ここって小学校?と思っていましたけど、校門にきちんと○○小学校と書いてあったので多分小学校です。


入学してしばらくしたら、修一君っていう友達ができました。修一君とは、毎週見ているテレビ番組がほとんど一緒でしたので、その話でいつも盛り上がっていました。この間修一君と話をしていたら、修一君が変わった話をしていました。僕が小さな時から毎日歩く練習をしていると話した時、『勇気、歩けるはずないじゃん、小児麻痺だよ僕たち』と言っていました。修一君が何を言っているのか今でもわからないですが、親からは、『絶対歩けるようになるから毎日練習しなさい』と言われてましたので、いつか歩けると思います。毎日あれだけバタンバタン倒れて頑張って練習しているので、絶対歩けるはずです。




男:『勇気君、いろいろ教えてくれてありがとう』


勇気:『僕、明日からまた普通に学校行けるんですよね?』


男:『うん、行けるよ。ただ学校はいけるけど、しばらく勇気君は違う家に住んでもらわないと行けないんだ。お父さんとお母さんね、しばらく刑務所に住んでもらうことになったから』


勇気:『どれくらい?』


男:『まだわからないけど5年ぐらいかな』


勇気:『え!やだよ!刑事さん!お父さんとお母さんと僕住むから!』


男:『今の状況じゃ一緒に住めないんだよ。おじさんが勇気君の引き取り先探してあげるから』


勇気:『やだよ!お父さんとお母さんと住むよ!』


後日、この刑事さんから、お父さんとお母さんは僕を生まれたときから殺そうと計画を立てていたため警察に捕まったと教えてもらった。僕が小児麻痺で生まれたため、いらなかったみたいだ。

あのマンションを選んだのは、航空機の音に紛れて僕に歩行練習させ、ドタンバタンと倒れる音をごまかすためで、土日のパン作りの音も僕の倒れる音をごまかすためだった。両親とも小児麻痺の子がめったに歩けるようになることはないことを知っていて、何度も僕を家の中で転ばせて、事故死に見せたかったらしい。

僕は、その話を聞いてもしばらく受け入れることは出来なかった。


あれから一年が過ぎた。

僕は、あの時と同じ小学校に通っている。けどあのマンションには住んでいない。

刑事さんが僕の新しく住む家を探してくれたからだ。児童養護施設というところで、親の都合で子供を育てれなくなった子供たちを育ててくれる施設だ。その家は小学校のすぐそばにあるので、行こうと思えば自分一人でも車椅子で行けそうなくらいだ。一度おじさんに『一人で学校行くよ』と言ったら、『きちんと言うことを聞きなさい』と怒られた。このおじさんに毎日学校まで車椅子で送ってもらっている。


二年生になった。

あるテレビ番組で、学年があがるとクラス替えがあるからワクワクすると言っていたけど、僕の小学校ではクラス替えはなかった。同じ学年には8人しかいないからだ。二年生になって久しぶりに修一君が話しかけてきた。あれ以来ずっと口を聞いていなかったけど、話しかけてくれたので話をした。

『また同じクラスだね。この学校クラス替えないね』

やっぱ修一君とは友達でいたいと思った。僕と同じことを考えていたみたいだ。きっと、同じ番組を見ていたんだろうと思った。修一君が心配そうに僕に話しかけてきた。『僕ら小児麻痺だから多分歩けるようにならないよ。だから勇気君ちが歩く練習をずっとやってるって聞いたとき、それは違うって思ったんだよ。だから先生に僕が話したんだよ。それで勇気君の両親捕まっちゃったって聞いたから謝りたくて』

その話を修一君がしてくれたので、僕は大きな声で泣いた。僕のことを心配してくれる友達がいたことを知り、とてもうれしくなって泣いた。すぐ先生が僕のそばにきて、『どうしたの?大丈夫?どっか痛いの?』と話しかけてくれた。先生に迷惑かけちゃいけないと思い、『先生何でもないです』

と謝った。すると先生が『あら、修一君も泣いてるじゃない。どうしたの二人とも。先生には何でも言わないとだめよ』と優しく話してくれた。僕が泣いてしまったのを見て、修一君は僕よりも大きな声で泣いていた。僕は修一君をすごく心配させていたことを知りまた大きな声で鳴き始めた。授業中だったけど、先生は黙ったまま二人が泣きやむまでそばにいてくれた。五分ほどで、べそはかいていたけど二人は泣き止んだ。『どう?もう大丈夫かな?授業始めるよ』先生はとても優しかった。うるさく泣いた僕たちを全然怒らなかった。僕は修一君を好きになった。修一君の手が目の前に見えたので、僕は修一君の手を握った。修一君はすぐ僕の手を握り替えしてきた。それから、授業中ふとあの時のことを思い出す度修一君の手を握った。修一君はいつでもすぐ手を握り替えしてくれた。


三年生になった。また修一君と同じクラスになった。修一君はまた『やっぱりクラス替えないねこの学校』と笑いながら話してくれた。

三年生の夏休み前、僕に用事があると刑事さんが児童養護施設にきた。刑事さんが『お父さんに会いたくないかい?』と言ってきた。その時は僕も会いたいのか会いたくないのか複雑な気持ちで分からなかったので『少し考えさせて下さい』と返事をした。次の日学校に行ったとき、修一君にその話をした。その話を修一君にしたら、修一君がポケットから何かを取り出した。修一君はそれを僕に差し出しながらこう言った。『お父さんに会うといいよ。その時これを使って』修一君が僕に渡してきたのはちょうど僕たち子供が握れるほどの小さな木の棒の様な物だった。『このボタン押すとナイフがでてくるよ』といい、修一君は木の棒の横についていた鉄製のボタンを押した。シャキッ!っと音がして木の棒からナイフが出てきた。ペーパーナイフというやつだ。修一君は車椅子の肘おきにペーパーナイフの刃先を押し付けて刃をしまい、僕にそれを渡してきた。『あげるよ』修一君は少し怒った顔をしながら僕にそれを渡してきた。僕はドキッとした。修一君がこれでお父さんを刺せと言ってきた

からだ。修一君はその少し怒った顔のまま、僕の右手にそれを両手で握らせてきた。

修一君は両手で僕の手を握ったままじっと僕の目を見てきた。

少し怒っている顔に見えた修一君の目は、少し涙で潤んでいた。修一君の眼差しから修一君の気持ちが伝わってきた。『勇気君をひどい目にあわせたそいつはゆるさない』と。僕は修一君の気持ちを受け取った。『ありがとう』僕は一言だけお礼を言い、車椅子を動かして教室を出た。


児童養護施設のおじさんにお願いをして、刑事さんに連絡をしてもらった。刑事さんは、学校休んで良いから明日行こうと言ってきた。次の日の午前10時に刑事さんが迎えにきてくれた。僕はお出かけ用の小さなショルダーバックの中に、修一君からもらったペーパーナイフを入れて玄関を出た。刑事さんが僕を抱えて助手席に座らせた後、車椅子を折りたたみ車の後ろに乗せた。『やっぱりいつもの車椅子が一番いいだろ』刑事さんはそんな事を言いながら車椅子を乗せていた。


お父さんが収容されている刑務所は車で一時間半ぐらいかかった。刑務所についたらまた刑事さんが、車椅子を降ろした後僕を抱きかかえて乗せてくれた。『勇気君今日は体の調子どう?』刑事さんは僕の体調を心配してくれていた。『なんだかドキドキする。久しぶりにお父さんに会うから』僕は少しうわずってきた。『勇気君、今日ね、お父さんに会えるけど、お話できるわけじゃないんだ。お父さんを遠くから少し見てもらうだけなんだ』『え?そうなの?』僕はてっきりドラマで見たガラス越しで話すやつと思っていた。刑事さんに連れられて刑務所の門に入った。門の両脇に警察の人が立っていて、僕と刑事さんに敬礼をしていた。建物の入り口に入ったらまた警察の人がいて話しかけてきた。『手荷物検査をします』すると刑事さんが、『いいんだ、この子はいいんだ』と言った。警察の人はすぐ敬礼をし、壁の方を真っ直ぐ見ていた。僕と刑事さんはそのまま少し進んだ所で、もう一度建物の外に出た。そこは次の建物に行くための“渡り”というところだった。渡りの間には車が通

るアスファルトの道路があった。その道路は若干坂道になっていて、

坂の下側にもう一本渡りがあるのが見えた。『いいかな勇気君、あっちの渡りにお父さんがもうすぐ歩いて出てくるから、今日はそれを見るだけだ。本当ならお父さんと会うことはできないけど、一目でも勇気君が見たいかなぁと思ってね。』刑事さんは坂の下側の渡りを指差しながら教えてくれた。僕はその時いろいろな事を思いだした。歩く練習を毎日していた事、お母さんがパン作りでうるさい音を立てていた事、妹に柔道の練習といい投げられていた事。それもこれもどれも全部、僕がいらないから、僕に死んでほしいからやられていた事を全部思い出した。お父さんなんで?お父さん僕は生まれてきていけなかったの?お父さん、お父さんと今繰り返して思うけど、もう僕の中では本当のお父さんとは全く思っていなかった。今生きている僕は、僕自身にも生きていていいのかどうか分からなかった。そしてこれからも、生きていって良いのかどうかも分からなかった。僕の生まれてきた意味があるのかどうか分からなくなってしまったのは、今からあの渡りに出てくる男の人がすべて悪

いことだけは分かった。『出てきたよ』刑事さんは言う。時間を合わせていたみたいだ。

渡りの左から、手錠をかけられたお父さんと警察の人が歩いて出てきた。僕は黙ってしまった。そのお父さんを見ても全くお父さんと思わなかったからだ。その男の人をお父さんと思うどころか、全く別の、ものすごく憎い人間としてしか見れなかったからだ。渡りの向こうの警察の人と、吐き気のする男は何故か僕に背を向けて立ち止まった。それと同時に、刑事さんが僕に背を向け『今日はいい天気だなぁ』と、完全に僕から目をそらした。間違いなく、完全に目をそらした。それが合図だった。僕の今まで生きてきた事全部が僕に話しかけてきた。『今だ!』僕は自分で考えるよりも先に手が動いていた。自分の乗った車椅子を全速力で前へ、前へと走らせていた。坂道の下にいるあの憎い男に向かって、全速力で車椅子が走った。僕自身信じられない力で車椅子が走った。ゴーっという風の音がした。ゴーっという風の音がしたけど、すぐ聞こえなくなった。周りの風景が段々見えなくなってきて、その男しか僕には見えなくなっていた。その男がすごい勢いで目の前に近づいてくる。僕は

この坂の下りを利用して車椅子を走らせた。ポケットの中に入れておいたペーパーナイフを出し、

ボタンを押すと、それを両手に握り力いっぱい体の前に構えた。あと1メートルのところで不思議な事が起きた。僕は、車椅子の足かけの上に立っていたのだ。僕が車椅子の足かけの上に立ったせいで、車椅子はひっくり返り前転した。その勢いで僕は大きく前へ飛び出した。その飛び出した力でナイフを男の背中に力いっぱい突き刺した。『ああ!』男は叫びながら地面に倒れた。僕も地面にバタンと倒れた。男はびっくりしながら後ろを振り向いた。『勇気!』

僕は振り向いたその男を睨みつけた。『なにしてんだ勇気!てめえ!』男は暴れだそうとしたが、すぐ警察に抑えこまれた。そしてどこかへ引きずられながら連れて行かれた。僕は黙ったまま男を睨みつけていた。男の背中から、心臓の脈に合わせて血がすごい勢いで吹き出るのが見えた。『勇気君!大丈夫かい?!』刑事さんが駆け寄ってきた。『ごめんね、私が目を離したばっかりにこんなことになって』刑事さんは謝っていた。刑事さんは、転がった車椅子を立てて、僕を優しく抱きかかえて乗せてくれた。『ごめんね、怖かったかい?』刑事さんは僕の事を心配してくれた。僕の体はブルブル震えていた。


後日刑事さんが児童養護施設にきた。とても悲しそうな顔をして僕に話しかけてきた。『勇気君、すごく残念な話があるんだ。実はね、この間の事故でお父さん怪我したよね。その怪我のせいでね、お父さん、亡くなっちゃったんだよ。すごく残念だけど、勇気君には何にも責任ないからね。大丈夫だよ』その話を聞いたとき、正直何にも思わなかった。何かどうでもいい話に聞こえた。『また何か困った事があったら連絡ちょうだいね』と言い、刑事さんは帰って行った。それから一度も刑事さんに会うことはなかった。


僕は10才になった。小学校4年生だ。

相変わらず修一君とテレビの話をしたり、また新しい友達ができたりして、今は問題なく過ごしている。

テレビを見ているとニュースも目に入ってくるので、時々誰々が死亡しましたという話も耳に入ってくる。その時たまに、あの事故のことを考える時がある。


あの時、僕が車椅子の上に立っていなかったら、ナイフはお父さんの足に刺さっていたと思う。僕が立っていなかったら、背中に刺さらなかったはずだ。僕が立っていなかったら。いや、ちがう。


“あれだけ練習をしたんだ!立ったっていいじゃないか!”
































終わりに


少し話が違うのですが、先日アメリカで事件がおこりました。

4歳の少女が何者にかにレイプされ、その犯人を捕まえた父親が犯人を殴り殺したというのです。父親は裁判にかけられましたが、無罪でした。

そのコンセプトをもとに今回の作品を執筆させて頂いたのですが、ここは大きく意見が分かれる所かと思います。

ただ、毎日何処かで行われている虐待に対して、どのような罰を与えるべきか皆さんで考えていかなければならないことは確かです。


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