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チャランゴ・弦

正之は新高校1年になった。


その学園に在校生、2度目の3年20歳になる高校生がいた。


この生徒は高校入学で受験を失敗してから人生にけつまずく。

「高校入試を甘く見てしまった。試験そのものは難しいとは思わなかった」

しかし合格者名簿には記名がない。


泣く泣く同じ学校の定時制に進学する。


※翌年に1年遅れて再受験し合格。


そんな苦労をしてまで入った高校だが今年はメデタクも卒業の予定である。


しかし、

「個人的に勉強が好きになったから高校生活を延長したんだ」


この春からは2度目の高校3年になり、1年遅れての卒業を目指すことになる。都合2年の遅れの二十歳であった。来年には成人式を高校生としてメデタク迎える。


二十歳の高校生は同級からは"二十歳さん"と呼ばれてしまう。

「まだ俺はよ、誕生日来てねぇ。未成年やでぇ」

どうも早生まれらしく来年3月にならないとメデタク二十歳には到達しない。


そんな二十歳が後に正之と出合いロックバンドのメンバーになっていく。


二十歳は子供時代からの餓鬼大将だった。やたら喧嘩っ早くて手のつけられないお子様。近所の餓鬼を集めては悪さばかりを繰り返していた印象が強い。


中学に上がると少し大人しくなる。真面目に部活の軟式野球に取り組み4番打者となった。三振もするがホームランも量産する。

「野球部はよ俺が打たないと勝てないチーム事情やからなあ」


中学3年の地区大会は最終回まで1-4の3点負け。


4番打者の二十歳が打席に入ったら絵に描いたかのごとく2アウト満塁の場面。

「満塁ホームランならさようなら。三振ならば皆さんごめんなさいだな」


このプレッシャーのかかる場面で二十歳は闇雲にバットを振り抜いた。


カキーン


打球はスタンドに矢のように突き刺さる。


ナイン全員、応援団全員が涙しながら二十歳の逆転さようなら満塁ホームランに酔いしれた。


このあたりからちゃらんぽらんな性格の二十歳には責任感やキャプテンというリーダーシップが目覚めていく。

「あのさようならは今思い出しても身震いがするな」

野球人生最良の日であった。


そして中学卒業と高校受験に失敗。泣く泣く定時制に進学をする。

「定時制は行きたいことはなかったが結構いろんな奴がいて面白かったな。年齢もさまざまだった」


この定時制時代にバンドをやる友人と出会いがあった。

「そいつはロックバンドだってさ。最初はななんだあの訳わからない喧しいロックをやってんのか。全く異質な存在だと思っていたよ。それがなあ、アッハハ。長く付き合っていくとは夢にも思っていなかった」


定時制の生徒はプロ指向のロックンローラーだった。

「俺はもの珍しいからロックンローラーとはなんかいなと覗くわけさ。やたらやかましく騒がしいからロックンローラーなんかなとさ。怖いもの見たさというやつだな」


二十歳があれこれと教室でロックを聞いてくるものだから、

「なんなら弾き語りを披露してやるか」

翌週には生ギターを教室で演奏してくれた。

「そのギター演奏が凄いなんてものじゃない。エレキギター顔負けの早弾きをジャンジャン披露してくれたんだ。ロックンローラーは俺様だとね」

定時制教室は騒ぎになる。生ギター演奏を聴きたいと生徒全員が集まってしまった。教師にもビートルやストーンズを聞く者もいて聞き惚れていた。

「俺もそうだけどよ。生徒みんなを魅了してしまった」

見事なソロコンサートを開催する。

「それからかな。やつは俺にもギターやれよと言ってきた。なんでも雰囲気がギタリストらしいアッハハ」


二十歳は確かに独特のオーラがありそうだ。

「ギターは格好いいなあとそいつの中古を借りてコード進行から習い始めたよ。えっとちゃんと先生をしてくれたんだけどね」


ギターコードをマスターしタブをどうにか拾えるくらいになった。

「教え方がうまいな。さすがはプロ指向だわ」


アコースティックギターなれど高度なテクニックを教えもらう。がこれは教える立場がまずかった。ギターの初心にあれこれやりなさいとしてもできない。

「高度なやつはダメだよ。指が太いからか運指がトロくてトロくて。3コードを繰り返し繰り返し程度が俺にはお似合いさとなったアッハハ」


あれもできない。これも難しいとなってくれば根が怠けだから、

「ギターは飽きてしまうんさね。そりゃあプロになるんだったら弾けないコードやフレーズがあってはいけないであろう。だがよ、こっちはギターの初心。弾き始めたのは4月からの3ヶ月だって」

というわけでギターに対する興味は半減して夏休みにはすっかりギターよさようならしてしまう。

「もうギターは弾きはしないだろう。ああつまらないや」


その二十歳は夏休みにプールの監視員アルバイトをやる。この監視員では

「おうよ、アッハハ。彼女ができましたあ」

女子高生は可愛く暴れん坊な二十歳にはもったいない娘さんである。

「もったいないとはなんだよ」


彼女は幼少時代からピアノを習い音楽の素用があった。

「そっ、素用があった。俺とのデートの時にさたまたまピアノを弾きますわって知ったもんだから」

勢いで俺もギター弾きますよと意地を張り言ってしまった。これからが大変である。

「あらっギターお弾きになられますのね。よろしければピアノ伴奏致しますわ。わあ嬉しいわ楽しみです」

それからである。夏休みに中古ギターを引っ張り出してボロンボロンやり始めた。

「ったく、ギター弾きますなんて言わなければよかった」

毎日特訓に次ぐ特訓を重ねた。


プール監視を昼はみっちりこなす。夕方はデートタイム。夜な夜なギターをつま弾き。

「忙しいぞ夏休み」

その介があり夏休みの後半には、

「ピアノ伴奏やってやろうじゃんか」

沸々とギターに自信がつく。

「では伴奏致します。どの分野が得意でございまして。クラッシック/ポピュラー/ジャズあたりでございますか」

彼女の得意なクラッシックから手解きを受ける。

「ピアノは優雅な音色だからギターアンサンブルはエヘヘ、恥ずかしいなあ」

かなりレベルに差を感じる。

「でしたからポピュラーミュージックに致します。ビートルズ行きたいですわ」

二十歳はホッとしながらフレッドを押さえた。これくらいのテンポなら弾けた。

「よし出来た。やる気になれば俺だってやれますや。その気になりゃあさ」

それからはデートはピアノ伴奏会となって行った。

「嬉しいような悲しいような気分。まだ映画見たり野球見たりがいいぞ」

文句ブゥブゥ言いながらも恋の力を借りてギターテクニックはアップしてしまう。


夏休みが終わりさぞかし熱い恋となったであろうと想像する。

「いやはや想像されてもなあ。あんなあ秋風のピューの頃にさ」

彼女から別れ話が出てしまいそのまま永遠の別れとなってしまう。

「せやねん。何でか知らんが別れてしまう羽目になります。トホホやなあ」

苦い青春時代。だがギターのテクニックだけはアップしてそのまま維持が出来た。

「うん、まあな。せっかくなうまく弾けると自信ついたからバンドでも参加したいなと欲が出た」


秋風の中プロ指向の同級生に、

「ギタリスト募集中ないか」

尋ねてみる。このタイミングがまた絶妙だった。

「ギターか。エレキギターもその調子ならばマスターできるなアッハハ」


バンドはギタリストがいたがツインかサブに使ってみようかと意見があり採用をされた。

「ツインリード。サブギター。おいおいしろうとさんなんだぜ俺は。そんな重要なギターは荷が重い。やだなあ俺」

このボヤキがバンドの中、ベースギターにドンと届いた。

「おい。ものは相談したいが」

バンドに不満ありありのベースは辞めたいと口にした。

「えっお辞めになってしまうのですか。それはどういうわけで」


ベースマンは独立をして自分の思う通りのバンドを新たに作ってみたいという。

「まあそう言うことなんだが新しいベースが決まるまでは我慢して残ろうかと思ってさ。後釜をやってくれるね。やってくれたら俺はさ脱退して新たになっ」

ベースは目を輝かせながら二十歳にベースギターを暗に勧めた。

「ベースギター?ベースって4弦だったな。ギターよりベースギターは楽なんか。どうだろうか」


ベースマンはにっこり笑いながら、

「弦が減るんだけど、テクニックには差がないんだよ。僕も最初はさ、楽なんかと思ってさ。いやあ酷い目に遭ったなあアッハハ」


その後ベースギターの簡単なレクチャーを受ける。指の運び、指の立て方がベース独特のランニング。

「ほいほい。ベース面白いやんか。かなり本格的に取り組みたい」

二十歳のベースはこうして決まる。

「となるとツインもサブもキャンセルだな。新ベースギターになるわけか」

他のメンバーにはベースに不満もあることはあるようである。

「脱退したいなら止めたりはしないさ。好きなバンドを作ってくれよ。抜群の破壊力が感じられるバンドをさ。俺は期待していんぜ。まあ適当に期待だけどよ」

脱退を引き留めない。

「まあなベースの生命線は正確なドライビングなんだ。ベースを基準に楽曲を演奏していく。だからあいつのベースランニングはダメなんだ。リズミカルなベースはいらない。ヘビィなベースランニングもいらない。跳んだり跳ねたりのパフォーマンスはいらないんだぜ。欲しいのは正確無比なるランニングのみ。メトロノームみたいなやつさ」

どうも評価は低い前任ベースマンだった。


逆に新ベースマンになるに関してはバンドのメンバーの本音が聞ける怪我の功名があった。

「なるほど。ベースギターランニングにかような期待をバンドのメンバーはしているのか。うーん難しいようだ。どうかな。やってやれないこともなしか。大変な楽器やぞベースギターちゃんは」

バンドのメンバーは新ベースを迎え早速にジャムをやる。


新ベースはガチガチになりながらベースランニングを丁寧に弾き出していく。

「おっ、なんだろうこの音程の響き。バンドの中では全く異なる生き物を感じる。腰から下にズシンズシンと来るじゃあないか。なにかとこの音色は快感だったりして」

二十歳は自分のベースの音色に酔いしれていく。

「いいなあベースって。バンドの中にいると縁の下の力持ちの気分になる。なるほど正確無比なランニングが欲しいとはこのことなのか。あくまで基本に忠実にランニングしていかなくてはならない」

ギターが目立つところであったがベースギターもそれなりの良さがヒシヒシと感じられていた。

「縁の下の力持ちそれがベースだ。なんとなく俺の性格にマッチしているようだなアッハハ」

目立つことはないがかといって蔑ろにはされていないところでかな。


バンドはあくまでもプロ指向を目標としていた。

「このメンバーでプロになるとは到底言えるレベルではない。だがな俺がプロギタリストになることを邪魔だけはしないでもらいたい。バンドメンバーとしてさ、足は引っ張りなさんなということさ」


バンド活動はライブハウスを中心に活発に行われていた。メンバーのオリジナル作品をバンバン演奏してそれなりの人気を博していた。

「なんかこのバンドにいると自然にプロバンドにまで行けそうな予感さえするな。どうだろう俺さまもプロベースマンになれっかな。ただついていくだけで行けそうだけどな」


バンドはなにせ生き物である。求め得るバンドレベルがアップしたらメンバー個々に求められる裁量もそれなりに上がっていく。

「あれもこれもやりたいとなると」

テクニックの見劣りをするメンバーは要らなくなってしまう。

「そうか、それでメンバーチェンジが頻繁に行われていくわけか。浮き沈みの激しい世界だなあ」

バンドに所属という感覚よりはセッションマンとしてスポットで演奏をしていると考えたほうが無難であった。


バンドのメンバーは数ヵ月でポロポロとチェンジが行われていた。


ギタリストはリーダーではあったがメンバーを掌握しようという意識は薄く、

「テクニックのなきメンバーは去れ。代わりはいくらでもあるんだ。バンドからの脱退は引き留めはしない。一度拗れたらもうバンドとしての生命は維持されてはいないわけだ。どうぞどうぞ辞めたい者はいなくなってくれ。脱退した後に新しいバンドに行かれても構わない。そちらのバンドが適任であるかもしれないからさ。俺は止めない。また止めてしまう権限すらないんだ」

シビアなるリーダーである。メンバーは3ヶ月もすれば頻繁に顔触れが代わっていく。

「まるで日替わり定食を味わうようだ。次のメンバーチェンジは俺になるかもしれないや。新しいバンドを、就職活動しておかなくてはいけないぞ」

音楽専門誌(ロック/フュージョン)は小まめに目を通す癖が知らず知らずのうちについていた。

「他のバンドで他流試合もしてみたいかな」

このわがままなリーダーのいるバンドで揉まれたためにベースのテクニックは向上していた。

「一番うまくなったなあはテクニックもあるがアドリブだな。いかな場面に遭遇したとしてもちゃんと対応できる自分が恐ろしい」


テクニックもアドリブもアップしたベーシスト。翌春に高校再受験が迫っていた。

「定時制で高校を卒業するつもりはない。受験をしてちゃんとした高校生になりたいんだ。さて受験勉強をやるか」

再受験は学校側も少しは手心を加えてくれるようでそれなりの得点を叩き出せば合格である。

「そんな。受験勉強しっかりやっていまっせ。勉強と早食いは得意だからアッハハ」

一年遅れて無事に高校生になる。

「やれやれだな。第一希望だしな。嬉しさ半分だろうか。高校生になれたんだ。どうしようかな。好きな野球やりたいな。ベーシストは趣味として横にしてと」

念願の高校合格して夢膨らむ二十歳であった。


1年遅れての学園生活は2度目の高校の春を迎えた。夢はまだ見ていたかどうか。


新1年なのだが授業の内容は定時制のそれと同じである。二十歳には目新しい科目には写らなかった。

「けっ、また同じ科目を数学や国語をやらせるんかい。退屈だなあ」

元来記憶は言いようで少ないからずとも1年前のことは覚えていた。

「繰り返しではつまらないや」

サボり癖をつけてしまう。授業の始まりで教科担当教師の出席確認が終わると、こそこそと教室を抜け出してしまう。

「真面目にやるのはよ、体育と音楽だけ」


サボり癖が一旦ついてしまうとなかなか元には戻せない。春先だというのに丸々授業を大人しく聞いていられない。

「ありゃあ拷問やで。なんで退屈な授業を黙って聞いてなあかんか。大変な疑問なんだなあ」


日にちが過ぎて新1年の中間考査テストを迎える。

「ヤベェな。試験やんか。ちょっと勉強しなあかんかな」

学習時間1日3時間ぐらい取り組み中間を受ける。


数学・理科・国語・社会・英語。

「中間は易しいな」

全ての科目を受けての感想であった。見たことのない問題がほとんどないくらい。


初の中間は10位/520

「あれまだ俺の前にいらっしゃるのかい」

数学は満点に近かった。近かった。平均点25点の数学問題は軽々解けていた。


二十歳は高校の勉強はしないから時間が余ると平日にアルバイトに精を出す。

「バイトだとしてもマックか吉野家かだけどよ」

趣味と実益を兼ねてのアルバイトを選ぶ。

「マックがいいなあ。女子高生わんさかだからさ。よしいらっしゃいませやるぜ」

吉野家は夜の遅い時間帯を選ぶ。

(ぎゅう)は捨てがたい。あの独自の味は捨てることできない。女の子いないが、牛はいる」

吉野家の深夜勤務以外は全てマックに注ぎ込んだ。

「かわいい彼女を作っていかないとさあ。青春しなくちゃあ。若い時は二度とないんだ。まずは彼女作るが目標」

マックでは適当に女の子に声をかけていた。

「これまた適当な女が引っ掛かって、アッハハ」

暇にならない程度にデートができた。


新1高の二十歳は言葉巧みである。少し乱読ではあるが読書もマメにこなし冗談をよく飛ばした。話題があり知らず知らずのうちに人気あるバイトになっていた。

「誰にするかな。彼女は」

人気ありのバイト学生の特権となる。

「ピアノはしないお嬢さんを希望したい。バイオリンもクラリネットもさ。琴や三味線も嫌だぜ。楽器全体はやめとこ。苦い思い出があるからさ」

ひとりのバイト女子高生をつかまえる。マックだから名前と学校学年はすぐわかる。可愛い中からより好んで選んだ彼女である。

「後は携帯とメールを聞いておしまいやん」

マックのバイトが済み次第ふたりは自由時間であった。


さあて彼女とデートかなと思ったら。


二十歳には、

「あかんねん。吉野家が深夜待ってんやあ」

バイトの掛け持ちが負担となっていた。

「せっかくの新しい彼女なんだから。携帯とメールだけじゃあ物足りないぜ。が吉野家は辞めたくないしなあ」

不満が募る。結局はマックのバイト時間だけが二人一緒に居られる安らぎであった。

「あかんなあ。彼女とのんびり二人だけの時を過ごしたいぞ」

希望としては映画を見たりゲームしたりであった。

「マックのハンバーガー焼いてばかりじゃあな」

そうこうしている間に、大好きな彼女から、

「なんだかつまらないなあ。私別れたい気持ちいっぱいなの。マックバイトもやめちゃう。お水の商売やりたいの。じゃあバイバイ。もう私にはつきまとわないでね。街で会ってもお互い無視しましょうね」

二十歳にとって素敵な彼女のはずがこうして去ってしまった。

「アガッ彼女さん行かんといて。僕と別れたいとはどうした心なんやあ。ワアーン悲しい。ちくしょー振られちまったぞ」

新1高にはショックな事件となった。

「心は深くキズついてしまった。失恋っていうやつだあ。失恋をしたらどうするか」

二十歳は全身の力が抜けてガクッとしなだれて下を向く。

「ギター弾いて気を紛らわすかな。こうした際にはよい曲が浮かぶミュージシャンいるから。適当なフレーズ弾きまくれ」

ということでギターをごそごそと押し入れから取りだした。

「この場合はさ、失恋のナンバーを弾くんだよな。適当なナンバーなければ作るべしと」

感情を込めてギターの弦をつま弾き出す。せつないフレーズが指運から弾き出されていく。

「なかなかの音色じゃあないか。久しぶりに触るギターはいいもんだ。ガールフレンドを持つより素敵な気分になりますなあ」

二十歳のアコースティックは失恋の心をボロンと奏でていた。

「やけのヤンパチで一晩中弾きまくりだぜ」


これをきっかけにして二十歳はギターをやり始めた。


二十歳の言うギターは

アコースティック

エレキギター

ベースギター

「知らない間に楽器が増えたなあ。そして改めて思うが弦楽器は応用が利くもんだ」


その日を境にアコースティックギターを持ち暇に任せては弾くことにした。

「コピーはコピーとして既製のナンバーも爪弾くけどさ。作詞作曲が面白いな。自分の思う世界を構築できる」

少しではあるが作詞作曲をギターで始めた。

「自分の空想を音に表現することは面白いや」

それからはバイトを吉野家だけにした。マックはどうやら凝り凝りだったらしい。


曲作りでは幻想的な雰囲気を想定していた。

「失恋の痛手を紛らわした曲を心掛けたい。アヒャヒャア〜なんてね。まるでプロの先生みたいになってくるやないか」

とにかく作曲の先生を目指した。

「貴重な体験をしたから作詞作曲やれるさアッハハ。この体験を基にして楽曲作りに精を出そう」

毎日ギターを少し爪弾くだけでも曲のアウトラインは思いつき楽曲が増えてくる。


次にしたいのは、

「観客の前でコンサートを聴いてもらいたいなあ」

二十歳は失恋ソングと暗黒の世界のイメージをわんさか譜面(スコア)に書き撲った。

「自分の得意とする分野だから。張り切りまして楽曲は書きに書いた。幻想的な雰囲気は聴けば出ているかな」

暗黒の世界は本人の頭の中にイメージされただけだがギターでそのまま表現したら創造より遥かに幻想的なものに聴かれた。

「うんこりゃあいいぞ」楽曲にするとギターひとつで思い出して弾くことができる。このあたりが楽器のよさ。音楽の魅力だといえるな。なんか俺ミュージシャンしているなあ」


二十歳は自信ある楽曲を定時制のプロ志向の友達に持ち込んだ。

「ひとつでもふたつでもバンドで採用してくれないか」


持ち込んだ楽曲はいずれもスローバラード。ロック路線を目指しハードにやりたいメンバーには受けが悪かった。

「じっくり聴かせるというバラードだな。その気になり聴けばいい曲であるのかもしれない」

バンドとしては演奏やらないと否定はしなかった。

「ハードとハードの繋ぎに一曲入れてライブ仕様にしてやるか。観客の反応しだいでバラードを2〜3までなら増やしてもいいよ。かなりアレンジはしておくけどさ」


二十歳は、作詞作曲した二十歳は飛び上がらんばかりに喜んだ。

「ライブで演奏してくれるのか。よーし他の楽曲も気に入るように書き直してくるか。なんか今夜は最高の気分だ。楽曲がひとつでも認められたら俺も先生、作詞作曲の先生だぞ」


ばんざーい、ばんざーい


バンドはその夜のライブにスローバラードを挟み入れた。

「たっての先生の頼みだからな」

エレキギターはがなり立てる騒音が突然やみアコースティックに変わってしまう。

「どうかなお客様たちの反応は。ロック好きに受けるかどうか」


ヘッドバンキンの立てノリなロックが一転をしてスローバラードになる。若い観客の振り上げた拳は恥ずかしくさえ感じた。

「なっ、なんだぁ」

観客の大半の高校生はハードロックで盛り上がっていたライブがいきなりスローな曲になると、

「あかんや。つまらないよ。ちんたらちんたらしたバラードが終わるまで休憩しようか。俺トイレ行くわ。喉乾いたわジュース買うかな」

総じて受けは悪かった。


翌日、二十歳はハウスの支配人からライブの様子を聞く。

「そうでしたか。僕の楽曲は不評ですか。観客が引いてしまったぁ?そりゃあちょっと悪いなあ」


支配人はにっこりとして、

「まあ気にしなさるな。アコースティックなナンバーがロックの中にポツンと出てきたんだから」と楽曲の悪さではないよと宥めた。

「時に君は作曲能力がありそうな感じだな。バンドのメンバーにかなりのオリジナル曲を提供をしていると言うじゃあないか。失恋だって?テーマは色気があるじゃあないかアッハハ」


二十歳は頭を盛んにかく。支配人に褒められて照れてしまった。

「そうなんですよ。プライベートでアッハハ。そんなことはどうでもいいんだろうけどね」

支配人なんだろうかと怪訝なりな顔。

「どうだ、ものは相談なんだがね」

支配人は立ち話もなんだからとライブハウスのテーブルに座りなさいと勧めてくれた。ジュースをおごってもらう。


「あんなっ思うんだがな。アコースティックなんかもう持たないことにしたらどうだ。スパッとやめてさ」

今後はエレキギターだけで作曲をやる。


支配人はアコースティックはアコースティックのための楽曲がある。だからロックとは別物であると考えなければならない。

「確かにアコースティックな音色をハードな楽曲に乗せるミュージシャンもいる。いるがそれは特別なギターであり稀れだな」

支配人は一息ついて、

「アコースティックをやめてしまえば完全なロックモードになるだろう。なるはずだ。頭をロックにしてしまえば充分に可能なことさ。どうだい騙されたと思うかい。ひとつエレキで楽曲を作ってもらえないか。まだハウスとしてはどんな楽曲かわからないまま買うわけにはいかないが。オリジナル曲は喉から手が出るくらい欲しいんだよ。ハウスからヒット曲を持ってメジャーデビューも夢ではないからね。コピーばかりではなあ」


二十歳は黙って出されたジュースをゴクンと飲み干す。味覚はオレンジだったかバナナだったか全く覚えてはいなかった。

「支配人は俺になにを期待しているのか。エレキを使って楽曲をロックを作ってみろというのか。そのロック自体を考えてみたこともなかったぜ。ややこしい(ナンバー)になるぜ。バンドは多人数だからな。リードギターがキュンキュン鳴りまくりドラムが激しいシンコペーションを刻みという次第だろ。ああなんと大変なことなんや。アコースティックだけポロンの世界がアホみたいに見えるぞ」


支配人にロックをやってみろと発破をかけられた帰り道は頭がパニックであった。

「何もわからない世界だぞロックは」


支配人からは、

「これはという(ナンバー)が書けたら値をつけて買い取りをしてもいいと言われた」


二十歳はその夜は、なかなか寝れない。

「俺の楽曲に値がつくだと。買い取りをしたいと支配人は言う。というと俺は本当に作詞作曲の道を歩むべきなのか。いやいやそんな才能があるのであろうか。才能なんてないだろう」

ますます悩む。

「夜眠気の中でも自然と楽曲が浮かんでくるとかしたらな。なんらかの作曲の才能の兆候があらばいいんだけどな」

悲しいかな、なにもなかった。なにひとつ触発をされないとは全く持って見事なものであった。拍手を送ります。


翌日の昼休み。バンドのメンバーから携帯にメールが入る。


「ベースはまだやる気あるかい。しっかり練習されたならメンバー募集中だ。連絡を待つ」

携帯を眺めながらにっこりする。

「いまさらなことだが、バンドそのものにはさして興味もないね。しかし俺の作曲したナンバーをガンガン演奏をしてくれるとなると話は別だ」

返信メールは軽やかに打ち返えされた。


こうして二十歳は再度ベースギターを担当する。バンドのメンバーになりロックンローラーとなっていく。


バンドの演奏曲はオリジナルが大半を占めそれなりの固定ファンを集めてもいた。


ライブハウスの支配人は

「コピーバンドはコピー。あくまでも他人のナンバーを演奏をしているだけのことだからな。オリジナルならばひょっとして当たる(ヒット)する場合もあるかもしれない」

バンド活動に自然と力が入る。


年が明けての夏休みである。日本各地でサマージャズフェスティバルが開催をされた。そのジャズに触発をされてロックやフォークなどのポピュラー部門も採算が取れるのではないかと主催者は踏み開催された。

「どうだい。力試しにロックフェスティバルに出場してみたら。グランプリ優勝ならめでたくメジャーデビューも約束されるらしい」


ライブハウス・Speak-easyロンドンから世界に巣だったZepのごときを夢見た。 


「ロックフェスティバル出場か。なんでもいいからバンドの実力を専門家に見てもらおうじゃあないか」

メンバーは張り切り全員一致で出場を決める。

「楽曲はオリジナルで行く。頼むぜ作曲家」


オリジナル曲を2〜3携えてフェスティバルに乗り込みだとシナリオは描かれた。


ハウスの支配人は、

「よしその意気だな。他にもフェスティバル出場のバンドはいるからお互いにライバル仲間頑張って入賞、いやグランプリ目指してもらいたい」


二十歳は楽曲の提供を義務づけられてしまう。

「ちょっと待ってくださいよ。そんなアマチュアな俺にフェスティバルのための作曲をしろだなんて」

半泣き状態でバンド仲間に訴えた。

「無理なものは無理だ、そんなややこしいロックナンバーなんて作曲したことがない。もう少し楽な立場であれば曲の構想を浮かべることもあるかもしれない」

頭を下げながら二十歳はぼやく、ぼやく。

「なにが無理なものか。お前は楽曲作成の才能があり溢れているんだぞ。ハウスの支配人が太鼓判をポンっなんだからさ。泣き事言わないで曲を作ってや。ある程度のアウトラインが浮かべられたならバンドとしてアレンジすることもあるからさ。早めに楽曲は提供してくれよな」


泣いても笑ってもとにかく楽曲を作ってしまわないといけない。

「ええぃ。どうとでもなれ。後の責任なんか知らないからなあ」


二十歳はベースギターをドンドンやりながらロックを構築していく。

「頭はパニック。指は運命(コード進行)。期日までになにか閃きがあればいいんだけどさ」

週末にはバンドに楽曲を提供しなくてはならない。バンドメンバーはそこから練習しなくてはならない。


始めに楽曲ありきとなっている。


二十歳は高校の授業が終わったらすぐに学校図書室に走る。

「なんでもいいから啓発されたいからさ。本からやりたい」

学術の本から文学・政治経済・自然科学.果ては数学の溢れ話まで目を通す。

「ロックに啓蒙されるものならなんでもござれだぜ。ちきしょうなんでもいいから俺にピンっと来ないか。神さん頼みまっせ」


学校図書室に熱心に通う姿から図書室司書は、

「かなりの愛読家ですわね。感心感心ですこと。しかしでございますね、あまりたくさんの分野を読み漁るからわけわからないです。何がやりたいの。何が読みたいの」


図書室を定時で追い出されたら、

「街のCD/DVDショップに行くんだ」

今度は耳でロックを体感である。ロックナンバーのヒット曲。サビの部分必ず記憶をしていく。

「売れる曲は売れる理由が必ずやあるからさ。このフレーズこの言い回しが聴衆の心をグッとつかむんだを、知りたい」


もうひとつ。


「YAMAHAプレーヤーズ王国は必聴だな」


プレーヤーズ王国はアマチュアバンドがコピー/オリジナル曲を演奏をして一般視聴者にランキングをつけてもらう音楽サイトである。


「世の中はさ、うまいやつがいるからなあ。アマチュアは聴いてつまらないは過去の話になる」


プレーヤーズ王国を聴いてわかることがひとつあった。

「アマチュアのオリジナルは全てつまらない気がする。なんとかして聴かせるフレーズが弱いんだ。強引さが、押しがないと言うべきか」

二十歳はこの聴かせるフレーズ、サビの部分を徹底して研究をして練りあげていく。

「簡単に聴かせる。いつまでも耳に残るフレーズを構築してやる」


そのために日常生活のすべてフレーズを口ずさみロック化したいと願っていた。


食事をしても、授業を聞いたとしても。

「浮かぶフレーズはなにげないものだけどさ。単純なものほど耳には残る」

決して邪険には出来ない。

「なんらかのサジェスチョンがあれば」


こうして楽曲のパート、パートは出来ることになった。

「まだまだ満足しないけどね」

サビのフレーズがこうである、こんな気持ちでフレーズを書いてみたとバンドメンバーに聞いたら、

「よしわかった。後は俺がアレンジしてやるからさ」

と仲間皆で寄り意見を出して編曲がされていく。

「なかなかいい楽曲に仕上がるじゃあないか」

バンドのメンバーはしばし満足であった。


編曲がなされバンドのオリジナル曲が仕上がる。

「よーし後はひたすら練習あるのみだ。フェスティバルまで突っ走りまくるぜ」

メンバー個人個人の得意なフレーズ。弾き易い音階をフンダンに取り入れたから、

「いつもやっているコピー曲より数段演奏しやすいな」

演奏に関して評判もよろしくなる。


フェスティバル当日。

「バンドとしては頑張って練習したんだから悔いの残らない演奏をしようぜ。初出場だからまずは入賞を目標にしていきたい」


演奏の順番が回るとメンバーは緊張をしてしまいミストーンのオンパレードになる。

「あたぁ。これではあかんなあ」

一回演奏をやっただけでスゴスゴと退散してくる。

「参ったなあ。なんたるフェスティバルだ。あんなにも観客がいるとは思いもしなかった。盛り上がりに盛り上がった感じだ。幕が上がった瞬間までは覚えていたが。後はさっぱりわけわかんないや」

一回で敗退したから反省する点はかなりあった。

「簡単な意見を言えば自己満足なバンドであるということか。これを機会(チャンス)にあっちこっちのオーディションを受けまくるぜ。ロック、ポピュラー、フュージョンとあらゆるジャンルをやってやろうぜ」

プロ志向バンドはインディーズを抜け出す手段としてオーディション突破を目指すことにした。


しかし虎のホウコウはここまでである。

「メンバーの固定化がはかられないからオーディションはあまり考えていなかったんだけど」

まとまったバンド練習をやらないから楽曲演奏の綻びはすぐに現れてくる。

「演奏の緊張感が持続しない。バンドメンバー間の意志の疏通がないから」

長時間のプレーになると段々演奏がダレていく。まとまりがなくなる。ひとつのグループであるはずがムラッ気のないプレーに墜ちてしまう。


となるとメンバー同士から犯人は誰だのあら探しが始まる。

「あいつが下手だから、緩慢なプレーだから」

さっさと犯人を首にしてしまう。これの繰り返しであった。


「ミスをしたから、バンドにそぐわないからと首にし、メンバーチェンジを繰り返していては進歩がない」

どこまでいっても旧態依然のバンド。わだかまりしか産まないバンドであった。


2〜3のオーディションを受けては簡単に落ちてしまう。しかもロックに限らなくポピュラーからフュージョンと受ける。

「いかんよ。これではいかん。進歩の跡を残しながらバンドが成長していかなければならない。オーディションが通っていかないのは原因があるからなんだ。進歩しなければならない。バンドはすでに死に体だ」

二十歳は自ら脱退を決意する。長く居ても意味がないではないか。せっかくない頭を捻って楽曲を提供しても適当な演奏をされてしまう。

「辞めさせてもらいます」

究極の選択をしたつもりだったが。

「そうかい」

バンドからは咎める者はいなかった。


バンドを離れベースギターも弾かなくなる。


その代わりに。


「作詞作曲は磨きをかけてやりたい。ミュージシャンになるよりもコンポーザー(作詞/作曲/編曲)の世界に進むつもりだ。楽曲提供者は奥深いものだよ」

アコースティックギターを取りだしてポピュラーから手掛けていく。


そのコンポーザーとして作った楽曲はほとんどがお蔵入りしていく。作品を発表する場所がなかった。


高校生活も新1年から改めることもなく怠惰のまま過ごしてしまう。成績は新1年が最初で最高のハイマーク。後は下がる下がるの低飛行機であった。

「気がついたらさ。高校3年で卒業不可になってしまった」

単位不足は高2の終わりに教務担任からきつく言われた。

「高2の単位を6割も落としてしまっては3年で卒業はさせれないな」

この高2の時点で机に向かえばまだ手だてはあった。

「けっ高校卒業も見込みなしなのか。ならばコンポーザーとして身を立てることを真剣に考えていくか」

プロの作詞作曲家がぼんやりとして頭に浮かぶ。


それからである。学業の高校教科はまったく興味示さないくせに、

「コンポーザーに必要な知識は身につけるぜ。プロになるためには知識がなくてはいけない」

音楽から文学から貪欲に勉強をしていく。


気になった楽曲に神話があれば神話を徹底的に調べまくる。民話や歴史があれば猫跨ぎしないで自分自身が納得の出来るまで本やインターネットを検索をしまくる。

「おかげさまで雑学だけはやたら身についてきたよ。高校の勉強もこれくらいに身が入ったらなアッハハ」

笑っていたが教科書を触ることすらないまま高校3年を過ごしてしまう。


「高校が卒業出来ない留年だは薄々わかったさ。まっ心機一転2度目の高校3年でちょっくらさ頑張ってみるさ」


二十歳の高校生は定時制1年と高校3年を2回もやりながら翌春の卒業証書を楽しみに待つことになる。

「来春には卒業するさ。他人さまより2年も余分に通う高校生活の集大成になるからさアッハハ」


2年余分の二十歳の学業はかろうじて単位取得出来る程度。

「高校の授業はなあつまらないからなあ。歴史も文学もあるんだけど興味沸かないのは摩訶不思議たとこだぜ」


しかし学業成績に反映されない分野では花咲くことになる。


まったくとんでもないことで開花をしていくのだから世の中面白いものである。


二十歳が春先、2度目の高校3年になると新1年に正之と畔柳が入学をしてきた。


二十歳が留年しなければ出逢いはなかったであろう3人であった。


入学式の日に正之はたまたま二十歳(2度目の高校3年)とすれちがっている。


お互いに取ってはまったくの赤の他人である。

「この人は3年だ。ちょっと老けてみえるけど本当に3年かな」

正之の第一印象である。


「新1年か。入学式にいるんだからそうなるさな。あらまっ、俺より4歳も下なんか」

正之たち新1年の年齢を改めて知り溜め息をつく2度目の高校3年。正之が学園に新1年として入学する春のことである。


2度目の高校3年の二十歳は悠然とした態度で入学式を迎えていた。在校生の中に埋もれながら、

「こうして同じ高校にいると(定時制1年+高校3年)なんとなく愛着が湧いてしまうなあ。在学期間だけなら俺に勝るやついないしさ。長いなあ、今からまた1年だもんなあ。さらにさ、バツの悪いことにさ。ああやだなあ高校で追いつかれてしまったぜ、嫌になっちゃう」

新3年に混ざり一際目立つ旧3年の二十歳は唸った。


2度目の高3の二十歳が嫌だというのはなんだろうか?


入学式は満開に咲く桜の花の下でちゃくちゃくと進む。最後の校長先生長い長い挨拶で締め括られ御開きとなる。二十歳は大きなアクビをして、

「校長って毎年同じことをしゃべっているだけなのかい。やっとわかったぞ」


式後、正之たち新1年は胸をわくわくさせて新しい教室に入っていく。なんとなく初々しいところである。


旧3年の2度目の高3年(二十歳)は見馴れた教室にデンと座り、

「ああつまらないなあ。また1年やるんかあ。長いなあ」

窓の外をうんざりしながら眺めた。学園の校庭は桜が満開に咲き誇り大変綺麗だった。


新1年の父兄が入学式を無事に終えてゾロゾロと帰宅をする。


その校庭には正之の母親がしっとりとした帯留めを着て父兄席にいた。


学園来賓としては祖母が招かれている。祖母は日本伝統文化振興協会副理事として入学式に出席をする。教育委員会の依頼である。

「こちらの校長先生とは長年の付き合いになります。まさか孫がお世話になるとは夢にも思いませんでした」

入学式が終わり祖母と校長、教育委員会の理事たちと談笑する姿があった。


旧3年の二十歳は校庭に正之の祖母と校長がいるのを見つけた。

「あのオバアチャンか。毎年入学式とか卒業式とかで学園にやってくるなあ。日本文化なんたらだっけか。伝統のなんたらを守るとかなんとかのバアサンだ。たまにテレビニュースで見たな」

祖母の顔は何度かテレビニュース見てわかったが何者なのかがわからなかった。


誰だろうかと思っている間にハイヤーが迎えに来て三味線師匠は乗り込み去ってしまう。


校庭の校長と教育委員会。

「副理事会長さんまだまだお元気でなによりですな。足腰も丈夫みたいですなあ。来週に来賓されるグルジア大統領サーカシビリは大の日本びいきだそうで。その大統領の前で日本伝統文化としてお師匠さんは三味線をお弾きになられるそうです。新聞とテレビニュースでやってましたわ」

校長と教育委員会は改めて凄い婆さんやなあと感心する。

「その師匠の孫の正之くんが本校の生徒になられたとは奇遇ですな」

委員会に言われた校長は、

「お孫さん正之くんも三味線をやられるんですかね。また新聞やテレビが学園にやって来ることになりそうですな」

今年1年で定年退職を迎える校長先生である。最後に華々しき学園生活を送れるのではないかとちょっと期待をした。テレビ写りが良ければ九州にいる孫たちもワシの顔を見ることができるなあと思う。

「えっと。残念ながらお孫さんは三味線はやっていません。ピアノでしたか。それも中学の時に手首を傷めてしまい辞めてしまったそうですよ。かなりの音楽の才能はあったようですね」

校長先生は少しがっかりした。

「テレビは諦めるか」

校長室に戻っていく。

「残務整理の書類が山であったな。新年度の始まりだ、少し片付けないといけないアッハハ」


春爛漫な校内キャンパス。桜の花は満開に咲き乱れていた。


新1年正之は教室で高校生活のガイダンスを受ける。

「では新入生ガイダンスを始めます。副担任から教科書とサブ教材を配布致します」

担任と副担は真新しい教科書を生徒に配り始めた。


生徒たちは教科書を手にして学習意欲も沸く。


正之も新しい教科書を配布されいよいよ高校生だなと実感していく。


教科書を全て配布した頃ひとりの女学生が手をあげた。

「あのぅ私、教科書全部揃っていません」

正之の隣席の女学生は冊数が合わないと言い出した。

「おかしいですね。配布した数は合っていますから。隣や後ろの席の子に間違って教科書が紛れていませんか。今一度、お手数ですが確認してください」


隣と言えば正之だった。言われた正之は、

「うん紛れているかな。何の教科書がないんだい」

聞いて見る。

「そんな間違っているわけないさ。ひとつひとつ確認しながら配られていたんだ」

隣の女学生がせわしなく確認をする正之の机の上をじろじろ。間違いなくこの男が犯人だわと目星をつけて凄い睨みを効かす。

「あっ、それ。今手にしたの。そのオレンジ色のやつ。あなた2冊あるわよ。ほらほら間違いである証拠よ」

目敏く紛れ込んだ教科書を女学生は見つけた。原因は正之である。ちゃんと気をつけて隣席に配布をしなかった。

「あっ、ごめんなさい。僕がうっかりしていた」


オレンジの生物の教科書を正之は頭をかきかきしながら怒る女学生に手渡す。

「ちょっとあなた。以後気をつけて頂戴っな。全く新春早々からつまらないことで頭に来たわ、プリプリ」


春先から迷惑千万な話だわと女学生はプイッと横を向いてしまう。

「やれやれとんだ気の強い女の子に当たったもんだな。気をつけていかなくちゃ。エッと名前はなんていうんだ」

正之は担任の配布した座席表を見た。

「久子か。何々、出身中学はどこか。あちゃあかなり街の外れのとこから来ている。大変だなあ」

久子の近くにも女子高は2〜3あったが学園の歴史と伝統に惹かれこちらに進学を希望をしたようだった。

「久子って中学の成績トップクラスだとか噂がある。道理で優等生発言がまかり通るわけか」

正之は妙に納得をしてしまう。


新学期はこの優等生久子の尻に敷かれっぱなしで正之は学園生活を送るハメになる。

「久子は頭がいいからすぐにやり込められてしまう。最初はなんて生意気な小娘だと思っていたが馴れたらそうでもないや」


正之の父親もかなり尻に敷かれたタイプだったから性格的に合うのかもしれない。


時間が経つに従い生意気な性格に正之が折れることが多くなり久子と親しく付き合うことになる。男女の妙というやつである。

「尻に敷かれとはあまり感じはしないが」

新学期のクラスには真っ先に正之のカップルは格好の噂になっていく。

「変な噂はやめてちょうだい。私は別に異性としては、なんとも思ってなんかいないんだから」


久子は恋の噂はいい迷惑だわと剣幕である。ついでに正之にあなたからも迷惑だわと言いなさいと横の机をつっいて催促した。

「ハッハイ。僕も、迷惑だなあ、たぶん」


久子は最後の、

「たぶんですって」

が気に入らない様子である。

「あなたね、はっきり違うて言わないからいけないのよ。まったく優柔不断なんだから。嫌いよっ、そういう男は」

あらっ正之は知らない間に振られてしまう。

「アレェ、なんでなの」

ちょっと涙が溢れてしまう。


新3年の教室。二度目の3年はいたって元気に毎日登校をしていた。但し勉強はまったくやらない。

「勉強なんてなあ、暇な時にチラッとやるもんさ」

二度目の3年二十歳は毎日、作詞/作曲活動に忙しい身であった。


作曲は軽快なリズムが春先にはちょくちょく口ずさまれていたから、

「俺って才能あるんかいな。いくらでも次から次と曲奏(メロディ)が浮かぶ。近いうちにちゃんとした譜面に書いて作品にしたいなあ」


2度目高3年の二十歳の机の上には乱雑な譜面(スコア)が山のように詰まれていく。


その曲奏の中これはどうかの試作曲を選びかつての仲間のバンドに相談することもあった。

「俺の作曲がどんなものかと力試しの意味もある。ダメで元々だとしてバンドに演奏をね」


曲奏(メロディ)には様々なモチベーションから創作をされた。


大抵は二十歳が読んだ文学・歴史・ドキュメンタリーから拾い啓蒙を受け曲にしていく作業であった。

「今は神話や民話。古代人の息吹きを感じ取り作品に仕上げてみたい」

2度目の高校3年の勉強は一切やらないが学校図書館、県立図書館に込もっては神話を探していく。

「ネットでわかったらネットで充分だが」

子細なストーリーをどうしても読みたくなっていく。


神が関係していると説明された様々なバンドメンバーたち。

「この楽曲は神話がモチーフですか。僕らのバンドに相応しいようにアレンジさせてもらって演奏させてください。実は歴史や民話が興味津々なんですよ」

数は少ないが曲を使ってくれるバンドもいた。

「こりゃあ時間がかかるなあ。身近かなバンドだけでなく日本や世界のバンドに売り込んでしまえ」

二十歳はネットに音楽配信サイトをぶちあげた。


自らギターを弾きデモンストレーション配信を始めてみた。

「これでよしと。後はお客様を待つばかりだ」


授業が終わり久子は足早に帰宅をする。教室の正之がそれこそグズグズゴソゴソしている間にスルリっといなくなってしまう。

「帰りが早いなあ。電車があるから大変だろうけど」


久子は電車通学ではあったがそれ以外にも早めの帰宅には理由があった。

「スーパーで買い出しをしなくちゃあいけないの」


久子は中学生時代に母親が癌で亡くなり家族の面倒を見ることになった。父親と"兄貴"の3人家族。


部屋掃除や洗濯は父親も兄貴もやってはくれるが食事だけは、

「お父さんの料理は不味いの」

中学生の久子は見様見真似で台所に立つことになった。

「私が料理はやるわ。えっと味噌汁からやるかな」

少しずつレパートリーは増えて行き半年も経つと、

「久子の料理はまずかったが最近は食べて食べれないこともない」

男連中からのお褒めの言葉をもらうことになる。

「お兄ちゃんにお嫁さんが来たらバトンタッチだもんね。それまでは久子が頑張って主婦してます」


しかしその兄貴は?


「お兄ちゃんどうしちゃったのかな。なかなか高校卒業してくれなくて困った困った。私が高校1年なんだけど、年齢でいえば大学2年なんだけどね。今は高校3年をダブりだわ。あーん恥ずかしい」


久子がスーパー買い出しを済ませ台所に立つ頃、父親が帰宅をする。

「おっ、いい匂いがするじゃあないか。今晩は豪勢なことだな」

久子は鍋を取りだしなにやらグツグツと煮始めた。かつお出汁の風味が漂い始めおでんだとわかる。


父親は女子高生になった久子に大変申し訳ないといつも思っていた。

「再婚すればよいんだけどな。後妻はよく勧められてな。しかしトラブルが多くある。年頃の娘は拒絶反応が厳しいとか。まっ、久子が嫁して出てから後妻は考えるか」

台所の娘久子のエプロン姿をしげしげ眺め父親はテレビのスイッチを入れる。

「お兄ちゃんはまだ帰ってないか。最近はやけに帰りが遅いな。アルバイトをまたなにか始めたんかな。吉野家かマクドナルドか。いずれにしても食い物屋さんがお兄ちゃん好きだからな」


台所の久子も兄貴のアルバイトは知らなかった。

「そうね遅いわ。いつも遅いから気にはしていないけど。またね夜はインターネットばかりやっているよ。新しい曲が出来たら配信してやるんだなんて自慢してたよ」

兄貴のギターを思いながらおでんの味見をする。

「帰りが遅いからアルバイトなにかやっているんだろうね」


お兄ちゃんの曲の配信はお金には結びつきはしないなあと台所の主婦久子は思った。


テレビは7時のニュースになる。玄関がガチャと開き、

「ただいま今帰ってきたぞ。フゥー腹減ったなあ。久子今晩は何を作ったんだ」

兄貴のお帰りである。部屋な漂う匂いをクンクンかき、

「あれ?おでんか。おい久っ、もう4月だぞ。冬も春もおでんとは、季節感がないぜ。春なら春の野菜とかさ、魚とかさあるだろうに」


兄貴に一言言われて久子は、プイッとツムジを曲げる。

「春だっておでんでいいでしょ。冷蔵庫の余しを処分したいなあと思ってやってんの。嫌ならお兄ちゃん食べてくれなくても」


最後まで言い終わらないうちに兄貴は台所に入ってきた。

「ハイハイ。グツグツやって味が染み込んだら食べましょ、食べましょ。お父さん、まもなくさ、鍋が行くからご飯よそってくれよ」

お玉を取りだし一掬い。兄貴は味見をする。

「久っ、おでんの(もと)使っていんだろう。化学調味料がキツいなあ」

兄貴は鍋に水を差し出汁を入れた。料理の途中から妹から兄貴に調理人は交代となった。

「だてに食堂アルバイトやってはいないぜ俺」

久子のインスタントなおでん味は兄貴の手により消えてしまった。おでん風味はなくなったが代わりにやたら魚の出汁がキツい下味の鍋となった。

「よし食べよう。さあさあ座りなさいな。久っサラダぐらい盛りつけろよ。おつゆは豆腐か」


2度目の高3年は新高1年に命令をする。


テレビを見ていた父親は

「よし夕飯だな」

ニコニコしながら晩酌を1本つける。

「女房が亡くなり楽しみは晩酌だけだからなあ」

久子にご飯をよそってもらい恵比寿顔の父親であった。

「久子も無事女子高生になってくれた。近くの高校でよかったのに無理して学園にして。お兄ちゃんと同じ学園がよかったかな。後はそのお兄ちゃんの高校卒業だけだ。長くかかることになったなあ。二十歳の高校になってしまった」


腹いっぱい食べて楽しき一家団欒。いつも男連中は黙って黙々食べている。母親が生きている時なら母親と久子がペチャクチャと女の無駄なおしゃべりだった。


今は久子がひとりで頑張ってあれこれと団欒を保つかのごとくよく話す。父親はひたすら聞き役に徹するところである。

「お父さん。私ね、学園っていいところだわと喜んで入学したのに。隣にドンクサイ男が座ったからなんかつまらないことになっちゃったわ」

おやおや久子は話題にこと欠くようで学園の話まで父親に言い出した。


聞き役の父親はハアハアと頷きながら晩酌を進めていた。

「いやあ久子の難しい話は頷きだけで結構だ。久子は女房に似ておしゃべりさんだからひとりでいつまでもしゃべり続ける。適当に相槌を打てばよいよ。なんか女房が生まれ替わりしたような錯覚さえしてな」

久子のおしゃべりが始まると鍋の中身がどんどん減る。一家団欒のいつもの風景であった。

「さて食べたなあ。俺は歌でも作ってくるか」

兄貴はご飯3杯煽って自室に退座をする。


作曲に熱心な兄貴。帰りの遅いのはアルバイトではなく図書館通いだった。ネット配信を始めたら日本各地から、

「リクエストに答えてもらいたい。こんな作風の楽曲が欲しいんだ。作ってくれますか」

様々に作曲のリクエストが舞い込んでいた。


リクエストのテーマは恋愛であったり神や悪魔、天地創造からキリスト教。かなりの広範囲に渡る注文が舞い込んでくる。

「いいですよ、なんでもリクエストくださいな。ちゃんと答えてあげる」

兄貴は資料をあっちらこっちらから探しては作曲をしていく。本やネットからの資料を元にして夜中はギターにひたすら向かう真摯な音楽家となる。ひとつ光景や物語の内容がわかると閃きがあり、

「ギターが勝手に曲奏を響かせてくれる」

悦に入りギターは深夜中鳴り響く。

「深夜になると腹が減るなあ」

ギターを置いてこっそり台所に忍び込んでいく。

「久子がお兄ちゃん、つまみ食いはいけない。やらないでちょうだいよ。カップヌードル食べておいてよ」

と釘を差していた夕飯の残り。空腹に任せてパクパクしてしまう。


久子は残りものを弁当に詰める予定でいた。朝、兄妹喧嘩が始まる予感である。


「カップヌードルはお湯かけてが面倒だしな」


春先桜の咲き乱れていたのは学園ばかりではなかった。


皇居の御所も同じである。春先の来賓には各国のVIPが来日ラッシュであった。大統領/首相。EU諸国委員会(大統領扱い)など。


政府は要人を総理大臣と会談させレセプションを各自大統領/首相ごとに持たせ、ようこそ日本にと歓迎ムードを高めていた。その歓迎会に日本伝統文化の旗手として、三味線・琴などのお師匠さまが招待をされた。


正之の祖母も招待をされ要人である大統領/首相の前でその芸能を披露することになる。

「春先は世界中から大統領さんが大挙して来日してくるんだね。そのおかげでやたらと東京に行かないといけないとは忙しい。今回の三味線の披露はグルジア・ボリビア・元ポーランドなのかい。私にはさっぱりわからない国ばかりだね。世界地図を三味線にペタリ貼って確認しながら弾かないといけないアッハハ」

大統領クラスの三味線芸能は馴れていて例え誰が 歓迎会の主賓となろうともあまり気にはしないお師匠である。 

「昨年にはアメリカから女性のライス国務長官が来なさった。あの女史さんは三味線に興味津々でね。どうやって()を出すのかと盛んに私の三味線を尋ねてくれたけどね」

ライス国務長官は帰国する際に三味線を1本買い求めたらしい。


皇居で開催されたグルジア大統領歓迎レセプション。


お師匠さまは久しぶりの宮中晩餐会と宴遊会だからと張り切っていた。

「宴遊会は初春のイメージを強調して見ましょうか」

一緒に演奏するお弟子さんに出し物の楽曲の打ち合わせをする。

「お師匠さま。外務からの通達です。グルジア大統領のお好みが伝わっていますわ。勇壮な行進曲がお好みですわ」

三味線で行進曲(マーチ)をやって欲しい。

「冗談じゃあないよ。日本伝統に行進曲なんてあり得ないことです。ならばどうしましょかね」

お師匠は弟子と話合い楽曲のメロディを披露させようと決めた。

「大統領の好きな勇壮なとは、戦争で凱旋をした勝利感かな、あんな感じだろうね。津軽三味線の乱れ弾きを取り入れてやろうかね」

2〜3楽曲をピックアップしお師匠さんはニンマリとした。

「このあたりで我慢してもらいましょうか、サーカシビリ大統領さん」


グルジア大統領の宴遊会は執り行われお師匠たちの三味線の乱れ弾きは宮中に鳴り響いた。

「しかしね。日本の三味線があのサーカシビリ大統領に理解されたとは到底言い切れはしないね。聴いてわからない顔をしていたね。まあよく我慢をし座り続けるもんさね」

お師匠さんは、義務だから三味線を披露したまでさと思い、そとくさと引き上げた。

「ふぅ、疲れただけの話さ。異国の大統領さまには気を使うわ。さっ早く帰ってお風呂にでも入りたいわ」


宮中での宴遊会は翌日の新聞で報道をされた。


日本-グルジアの架け橋になるためサーカシビリ大統領は尽力をしたいとコメントを共同声明を発した。これが国際政治記事。


社会文化面の記事には、

「グルジア大統領サーカシビリ。宮中の宴遊会にて日本伝統文化に酔う」


活字が踊り写真が掲載された。


久子は朝刊をつらつら眺め感心をする。

「あらっ、この三味線のお師匠さまって、ひょっとして」

同じクラス正之の祖母だとわかる。


日本文化伝統の副理事は物腰柔らかく新聞やテレビにちょくちょく登場をしていた。

「へぇ、正之くんのおばあちゃんなんだ。凄いなあ。天皇陛下の前で三味線弾いていらっしゃる。来賓の大統領が感心しているだなんて。あらっコメントもあるわ。次にはグルジアに呼ばれて三味線が弾きたい。まあっ、なかなか言うわね」


新聞報道のあった翌日、学園に行くと正之はクラス連中からやんやの喝采を浴びた。

「正之のばあさん、スーパーばあさんだなあ。いつも海外から偉い人が来ると三味線演奏してんだもんな。そのうちノーベル賞貰えるかもしれないな。三味線でノーベル賞とは関係ないか」 

クラス担任も新聞記事を読み朝礼で生徒たちに伝えた。


「あのスーパーばあさん。あいや三味線のお師匠さんは正之のおばあちゃんだからな。昨年はアメリカのライスさんに三味線を教えて帰国させたと週刊誌に書いてあった。恐れ入りました」


クラスでは生徒たちから同じことを言われて正之も鼻高々である。


「正之くんのおばあちゃん凄いね。すでに国際派音楽家の仲間入りを果たしているんでしょ」

クラス隣席の久子に初めて褒めてもらう。

「まあね。おばあちゃんは三味線に関しては偉大だよ。なんせ生まれてさ、歩く走ると言うような時に三味線を弾き始めたらしい。おばあちゃんの父親も三味線師匠さんだった。おばあちゃんの姉妹も三味線師匠だよ。息子が僕の父親だけど。こっちはからっきし才能がなかったようだ。三味線に触りもしない」

正之はつるつると三味線おばあちゃんの自慢話に花が咲く。久子になんとか興味を持ってもらいたいと頑張っていた。


三味線おばあちゃんを聞く久子はしばし兄のことを想う。

「同じ音楽家なんだけどね。兄貴とはかなりの差があるなあ。ウチのお兄ちゃんはギターだしね。間違っても天皇陛下さまの前で演奏はさせて貰えないわ。百年弾いてもさ」


久子は三味線は弾きはしないが日本文化伝統を継承しているという古めかしさにちょっと憧れを抱く。

「久子さん。三味線に興味あるかい。なんだったらおばあちゃんに会いにこないか。また暇な時にウチに遊びに来たらどう。なんだったら三味線習ってもいいよ。僕の使っていた三味線あるしね」

正之はそうならば好きな久子を家に呼べるなと笑う。

「そうね。偉大なおばあちゃんだもんね。こちらこそ喜んで。でも三味線を習うまではいかないなあ」

正之は嬉しかった。


翌週にはボリビア大統領モラレスが来日をする。祖母には招待状がちゃんと届く。日本伝統文化協会宛に。


「やれやれ。また東京にお呼ばれだよ。こうなると何度も面倒だから一回の公演ですべて終わらせてもらいたいね、まったく」

お弟子さんの三味線のお稽古を終えて師匠さまはため息をひとつ洩らす。

「私が一生懸命に三味線を弾いてもさ、大統領だかプレジデントさんだかは、チッとも喜んでなんかいないさ。三味線の音色を理解できないと顔には書いてあるからたまらないね」

三味線お師匠さんはブウブウ文句を言いながら新幹線で御所の御宴遊会レセプションに向かう。


三味線の演奏にはお弟子さんを従えて総勢30人ばかりとなっていた。演奏曲は常日頃お稽古したものが選ばれていた。

「曲もレパートリーがたくさんあるわけとはいかないからね。おいそれと

新曲を披露とならないのが辛いね」

宴遊会の会場に到着すると宮内庁職員から説明を受ける。

「お師匠さんご苦労様です。今夜の主賓ボリビア大統領モラレスは中南米ボリビアの少数民族生まれだそうです。なんでもボリビアの民族楽器を子供時代から習っていて伝統楽器には造詣が深いそうでございます。三味線にも興味を持たれていると聞いております」

職員は丁寧に説明をしていた。


おやそうかい。


師匠さんは、それはそれはと聞き流す。

「中南米の民族楽器だなんて打楽器ばかりでしょうに。弦楽器ありますかってんだ」


晩餐のレセプションは始まりお師匠さんを中心に総勢30名は三味線をピンドンシャンと始める。


「我々三味線協会がいくら熱心に弾いたところで外国人の大統領には理解なんぞされやしないさ。単に三味線が珍しいだけ、日本伝統とはこうも退屈なんかとヘタすりゃあ奇妙な音感楽器程度だろうに」 

師匠は総勢40人を率いて気合い充分な楽曲を披露する。


主賓のモラレス大統領はどうだったであろうか。


お師匠さんはもうどうとでもなれと投げやりな態度である。持病の腰痛もヒシヒシと痛みを覚えてしまう。そろそろやめてしまいたかった。


「日本の伝統工芸や昔からの音楽だから。珍しいという名目だけで宴遊会に呼ばれて演奏するだけのことさ。三味線のよさなんざ聴いてわかるわけないさ。まあ2〜3フレーズをやってみて大統領の反応を試したいとこさ。お弟子さんたちも一生懸命にやってくれていることだし」

師匠は師匠の判断で三味線の()を合わせつつ段々に盛りあげていく。クライマックスは総勢30(さお)の音がピッタリと合い壮観であり日本古来からの幽霊な世界、幻想的なエクスタシーさえ感じた。


師匠は聴き手の様子なんぞ我関せずで盛り上げていた。


師匠の指揮の三味線が演奏を重ねていくに連れてモラレス大統領はじっと目を閉じ主賓席にいた。


身動きすらしない。聴いているのか居眠りしているのかわからないが。


「モラレスさんは聴いてはいないさ。退屈そうな顔だね、ありゃあ。よく見るよあの手の無意味な顔。三味線には興味なし、もう飽きたという顔さ」

お師匠はそろそろやめようかと思う。

「これ以上やっても時間の無駄でございます。主賓は居眠りしていらっしゃる。早く目を醒ませなければなりません。三味線の音を止めてしまいましょう」

バッグのお弟子さんたちに手を振りあとワンフレーズ繰り返しを指図。

「繰り返して終わりだよ」

合図を送る。お弟子さんたちはわかったわお師匠さまとバチを緩めていく。


三味線が静かに鳴り止む。


三味線の()がやむとモラレス大統領はゆっくりと目を開けた。開けた目にはうっすらと涙があった。


ボリビアの先住民の血筋のモラレス大統領。お師匠の三味線の音を聞きながら遠くインカ帝国の悠久の歴史を彷彿していた。


ボリビアあたりは昔インカ帝国の諸国が多民族として栄えていた。それがコロンブス以来スペインが押し寄せ瞬く間に植民地化してしまう。ボリビアやペルーのアンデスの民族・部族たちは激しい抵抗を試みたが大した武器を持たない民は無抵抗に等しかった。


「ふぅーなかなかよかった。あれが日本古来からの楽器なのか。三味線(しゃみせん)というものなのか。マンドリンでもなくギターでもない。あの独特の深みのある音色は素晴らしい」

通訳に三味線とはなにかを詳しく尋ねた。聞かれた通訳はモラレスが目を潤ませて話が大変聞き取りにくかった。


「お師匠さま。モラレス大統領がお話をお聞きになりたいと申しております。三味線に感動されたようです。ボリビアの伝統楽器チャランゴによく似た音色は深い感銘を受けたとのことです。いかがされましょうか。大統領のスケジュールを調整いたしましょうか」


※アンデスに伝わる楽器チャランゴはボリビアが発祥の地ではないかと言われる。弦楽器。アルマジロから作られる。五音音階で演奏をされる小型のマンドリンのようなもの。聞き取り方によっては三味線に音色が似てなくもない。


「大統領が感動したんですか」

お師匠さんはびっくりした。まさかモラレスが感銘を受けただなんて。

「本当かい。私はモラレス大統領が居眠りするのを見て三味線をやめたんだけどね。こっくりと居眠りされちゃあ、やる気も失せてしまうところさ。本当に感動かい。通訳さん、年寄りをからかっちゃあいけないよ。私は本気にするタチだからね」

通訳の話には半信半疑のお師匠さんである。

「通訳さん教えてくださいな。そのボリビアの楽器のチャランゴって」

師匠は楽器と聞いて目を輝かせた。弦楽器(げんがっき)はどんな種類でも興味である。

「南米にアンデスにある三味線に似たと敢えて言われてはね」

通訳は手元の携帯からサイトを検索して教える。

「これですか。アンデスの楽器って。なんだろうかね小型のマンドリンと書いてある」


モラレス大統領と師匠の懇談会は宮中晩餐会閉会後ホテルのロビーで持たれた。新聞とテレビ局が同行で取材である。


大統領のおでましの前にスペイン語通訳が現れた。

「お師匠さん。私がしっかり通訳を致しますからどうぞ遠慮なくお話になってください。恐らくモラレス大統領は三味線の音色とボリビア楽器チャランゴの響きが似かようものと思ったのでしょう」

通訳はモラレス大統領からのコメントを師匠に伝える。少しボリビアも説明をした。


ボリビアという中南米諸国はお師匠さん、全く知らなかった。

「アンデスならちょっとわかります。通訳さんボリビアってどんな国ですか詳しく教えてもらえませんか」

通訳は簡単なパンフレットを取り出した。

「お師匠さま。これだけではボリビアはまだまだわかりませんけども。実は私もこの通訳の仕事がくるまでは全く知らなかったんですの。南米大陸そのものもちょっと疎いところで」

お師匠さんは渡されたパンフレットを眺めてみた。


南米楽器としてケーナ(笛)とチャランゴ(マンドリン)が紹介されている。


「お師匠さま。実は私の祖母も三味線をやりますの。今年70歳なんですが背中を伸ばしてシャキと三味線を構えていますわ。なんとなくわくわくしながらお師匠さまの三味線を聴かせていただきました」

東京外語スペイン語の才女はそう仰った。


遅れてモラレス大統領は登場する。

「お師匠さま。大統領が参りました」

通訳に大統領が現れましたと言われたが。


ロビーを師匠は見た。大統領が来たと言われても、

「うんどれどれ。大統領は誰なんだい。見えるのはセーター姿のデブに黒背広姿のガッチリした男。3人こちらに向かってくるだけじゃあないかい」

冴えない男にがっかりした男の組み合わせだった。

「お師匠さま。モラレス大統領はフォーマルな、かしこまった服装を嫌うことで有名なんですの。背広にネクタイはまずやらなくて普段着が多いですわ。あのセーターがモラレス大統領なんですの。ラフな格好が大統領のお好みです」

パッと見て大統領のSPの方が数段にハンサムで見栄えもよかった。


モラレスは気さくに手を上げ、

「ハロー。三味線のお師匠さん。ボリビア大統領のモラレスです。宴遊会の日本伝統楽曲は大変に感銘いたしました」

モラレスは挨拶しながらごっつい手をノソッと差し出した。

「モラレス大統領。ボリビアのチャランゴの話はお師匠さまにもしてあります」

モラレスは通訳からチャランゴと聞いてにっこりする。

「日本の三味線は初めて聴きました。その情感溢れた音色は昔の懐かしさが感じられました。よかったなあ」

しみじみと感銘を受けたと喜びを改めて表した。

「なんでも戦争で殺されたおばあさんのチャランゴを彷彿させたようでございます。お師匠さまたちの演奏された姿もそのおばあさまに似ていたとか申しておりますわ」


通訳は懐かしいおばあさんの演奏するチャランゴの音色がモラレス大統領に思い出されたと付け加えた。だから三味線のシャンシャンに思わず涙し感動したと伝えた。

「ボリビアのチャランゴに?死んだおばあさんですか。またまたでっかい孫を私はこさえたものですわ」

セーター姿のモラレス大統領をシゲシゲと眺めた師匠さん。


「アンデスはボリビアのチャランゴですか。先程説明された楽器ですね。異国にも三味線に似た楽器があるんですね」


モラレス大統領はニコニコしながら、

「ぜひ祖国ボリビアに来てお師匠さんの三味線を演奏をしてもらえませんか。ボリビアのカーニバルでチャランゴやケーナ(笛)との楽器演奏が聴きたいです」

と依頼の要件を言い残し席を立つ。大統領は忙しくすぐに次のスケジュール先に向かってしまった。

「なんですかヒェー。演奏旅行ですってぇ。私がボリビアにいくのかい。中南米でしょ。治安も悪く大変でありましょうに。参りましたね。そんな遠くに招待されてもねアッハハ」

お師匠さまはそっと耳打ちし、

「丁寧に断っておくんなさいよ」

としてこちらも退座をした。

「ボランティアでそんなヘンピな国に行かされたんじゃあたまんないよ。こうして東京に出て来るだけでもあまり感心しないというのに。なにも好き好んで日本を離れるなんてさアッハハ」

その夜は新幹線も遅いからと東京泊をする。

「泊まるはいいけど。いけないねまた腰が痛くなってしまった」

手持ちの湿布薬をペタペタ貼ってベッドに潜り込んだ。


翌日の朝刊。

国際面にボリビア大統領モラレスと総理大臣の共同声明が掲載されていた。


モラレスとしてはかなりの経済援助を日本政府に期待した。が思っていたより交渉がうまくいかないようである。うかない顔であった。


師匠は朝刊をめくる。国際面を見て訳の分かることはあまりなかった。

「私はたぶん社会文化面に掲載されているだろうかね」

お師匠はペラと紙面を後ろにする。


3面に写真入りでお師匠とモラレスは掲載されていた。


モラレス大統領、日本文化(三味線の音色)に涙する。

「懐かしい、懐かしい」

記事と写真はモラレス大統領の喜びの顔がパッと目に入るようになっていた。

「おやっモラレスの旦那さん。また派手に喜びを現しておいででないかい。安倍総理との写真は今にも泣きそうなベソかき情けない顔だったというのにさ」

紙面の記事はお師匠さんに是非ボリビアに来てもらえたら嬉しいとある。三味線とボリビア楽器チャランゴの共演が聴きたい。


「あらまあ、記者さんにまで。なんで私が中南米まで行くんだいね。天婦羅うどん三杯くれてもいかないね。ボランティアで行くだなんて。全く、やなこった」


師匠は朝刊を読み終え仏壇に手を合わせた。

「おじいさん。私はまあこの土地で三味線を弾いているのが一番の幸せなのさね」

両手を合わせて電灯ろうそくをつける。数珠を取りだしお経を唱える。朝のお師匠さんの心和む時間である。


「今日も三味線のお稽古だ。最近は東京出張が重なりお弟子さんに迷惑ばかりかけているから頑張っていかなくちゃ。南妙」


チーン


お弟子さんたちも新聞を読みモラレス大統領のコメントを知る。モラレス大統領の素朴な笑顔が印象に残る。


「ウチのお師匠さん国際派なんですって。日本伝統文化を世界に広めてしまいそうね。朝刊の記事にあるボリビアってどこにあるのかしら。南米?なんべいって?南ベトナムかしら。ボリビア楽器のチャランゴ?コンドルは飛んで行くのあれなの」

鼻高々にお弟子さんたちは稽古場にやってきた。


師匠が長く休んでいたから皆さん久しぶりの集まりとなった。


「お師匠さん。宴遊会の三味線テレビ見ましたわ。素敵な()でございました。私たちも早くあのように弾けましたらよろしいんですけど」

お弟子さんは口々に、

「よかった、よかった。羨ましいわあ」

とお師匠さんを褒め称える。師匠は言われてにっこり、

「それはどうもありがとうございます。いえね、ボリビア大統領さんが三味線にすっかり酔ってしまいましてね。ボリビア楽器チャランゴと三味線をやりたいだなんて」

その日のお稽古はボリビア大統領モラレスの話題で持ちきりとなった。


「お師匠さん。その南米にあるボリビアってテレビでやりますわ。明日の夜でしたか番組がございます。チャランゴもケーナも紹介されますわ。内容はなんでしたかしら。新聞を見たらわかります」


お弟子さんのひとり、30歳半ばの方が、

「お師匠さま南米諸国のボリビアにアトランティス大陸があったとか、かような番組ですわ」

神秘な子供向けテレビ番組を教えてくれた。

「なんですかアトランティスって?テレビ番組でボリビアをやるんですか」

師匠にはわからない番組である。話題はボリビアにアトランティスが加えられた。


「あの南米諸国は古代文明が華やかなところでございますから。テレビでもいつもインカ帝国だインカ文明だ遺跡だとやりますわ。うちの子供があの手の番組が好きなものですからよく見てますわ」


ボリビアの国そのものの紹介。古代には王国などがボリビアには繁栄したのではないかと番組でやるらしい。

「そうですか。なんでしたらボリビアのそれを見て見ましょうか。私が見てもわかるかどうかは疑問。そちらの方がよほどミステリーでございましてよ」


大笑いした師匠さんだが、単に堅物だけではなかった。なんと徳川の埋蔵金のテレビ番組は息を殺してずっと見たことがあった。

「徳川埋蔵金は古文書が

あるというから私はつい気合い入れて見てしまいました」

埋蔵金を信じたらしい。


ボリビアがお師匠さんで話題の頃、外務省では南米2(ボリビア・ベネズエラ・ブラジル・ペルー)忙しくバタバタとしていた。


ボリビア大統領モラレスが再度来日をしたいと希望を出してきた。

「モラレスの旦那、安倍総理に冷たく扱われてシュンとなったと思ったら。チャベス・ベネズエラ大統領に入れ知恵もらったな」

2課職員、ボリビア資料をコマメに集め直し再度首相官邸に提供していく。


学園は学園で正之がスターになる。またおばあさんの活躍で鼻高々であった。


隣席の久子からは、

「すごいねぇ、正之くんのおばあさん。ボリビアまで三味線弾きに行くのかしら。私も連れて行ってくれないかな」

三味線一本からげて旅がらす。

「おばあさんに聞いてみるか。だけどあまり遠くにはおばあさん行かないよ。外泊があまり好きじゃあないみたいでね。いつも仏壇(おじいさん)の側がいいなんて言っているけど」


三味線師匠のボリビア新聞ニュースは学園中に広まる。さらにはテレビでモラレス大統領との経緯が紹介をされた。


テレビニュースは久子と二十歳の兄妹も見る。

「へぇー、この三味線のお師匠さんかい。孫が久子と同じクラスか」

兄貴は久子の揚げた天ぷらをつまみながらポツリ。

「そうよ隣の席にいるんだけどね。正之くんって言うんだ。偉大なおばあさんだって言っていたわ」

父親も話の合間に天ぷらをガブリとやる。


しかし顔をシカメッた。

「あっ。ちょっとこれは」

運が悪かったか天ぷらが半生(はんなま)だった。

「まあピーマンの野菜だからさ。生でも食べて食べられないこともあるまいし。久子がせっかく熱心に揚げたんだからな」

父親は晩酌と共に(なま)のピーマンを呑み込んだ。

「やだあ、お父さん。ピーマンが、(なま)だったかしら。いいのよ食べ残してよ。ちょっと天ぷら油に入れる時間を間違ってしまったなあ」

久子、箸で、ピーマンとじゃがいもは取り寄せ集める。

「えへへ。やり直すわ。さあさあちょっと時間ちょうだいね」


天ぷら失敗は久子も恥ずかしかったらしい。


がピーマンだろうがなんだろうが口に入ったものは平らげた兄貴は、

(なま)だった?なんともなく食べちゃったぞ」

好き嫌いなんもない健康優良児。味覚も優良である。


テレビニュースは終わりバラエティ番組となった。兄貴はご飯を食べ終わり、


「久子の同級生のおばあさん。凄いばあさんらしいな。県の教育委員会の諮問委員会にも所属して大学の講師しているらしい。新聞に書いてあったぞ。で講師の仕事は腰が悪いからあまり行きたくないなんて言ってる。契約が来たら断るみたいだ」

スーパーばあさんの片鱗を見せた感じだった。


久子は天ぷらの揚げ直しをしながら、

「ふぅ。なんで天ぷらアブラの温度をもっと上げなかったのかな」


兄貴の話はまったく聞いていなかった。


兄は夕食を終え早速自室に籠る。

「俺の発信した楽曲サイトにアクセスがあるかどうか」

パソコンを立ち上げ二十歳の自前サイトを検閲する。


「おっ」


問い合わせはかなりありブログには嬉しいコメントがあった。


また閲覧者の数も1000アクセスを越え有名サイトの仲間入りをしていた。

「なるほど。アクセスが伸びたら閲覧がより増える仕組みになっているわけか」


二十歳はブログのベスト100のランキング入りを確認する。


コメントをひとつずつ丁寧に読んでいく。

「神秘的なテーマの楽曲に人気が集まるみたいだ。ロックという分野に限らないが神秘に興味がありだな。嬉しいねこれだけアクセスがあるとなると」

その夜からパソコンから離れられなくなってしまう。


ランキングアップは励みのひとつになっている。

「よし。アクセスアップのために楽曲をどんどん作ってやるぞ」

ギター作曲にさらに熱がこもりオリジナル楽曲は増していく。

「アッハハこりゃあ愉快だなあ。神秘的な楽曲をイメージしたらどんどんリクエストが増していくわ。頑張ってやるぜ」


と神秘的な神秘的なとイメージと繰り返していたらふと思いつく。

「そういえば、三味線のおばあさん。中南米のボリビア大統領に気に入れられたとニュースやってたな。モラレス大統領に三味線とマンドリンの音色が似ているから、いくら聴いてもせつないなんて言われた。ボリビアって神秘なる秘境があったな」


手元のギターを置きインターネットを開示してみる。

「ボリビアって。確かにあの南米のボリビアだったはず。ティティカカ湖のある国だろ。海がないくせに海軍があるボリビア。コカコーラの原材料もボリビアだな。まあティティカカはペルーと両に跨がるけどさ」


Yahoo検索をかけるためにボリビアを書き込みする。


さらには、

「幻の大陸・アトランティスを入れてやるとどうなるか」


クリック、クリック。


Yahoo!検索機能は順次開示されていく。


「おっ、あったあった」

二十歳は目を食い入るように画面に近づけた。ブログからなにからゴソゴソと開示していきたくなる。


正之の家。


スーパーばあさんが朝から盛んに腰を擦る。

「あっ痛っ痛っ。まったく東京に毎週出向くから疲れてね腰が痛いよ。早くマッサージを」

電話をして馴染みのマッサージ師に来てもらう。

「もう歳だね私は。足腰がガタガタだけで。さらには腕さえもだるいよ。そろそろ引退しないといけない。ああ情けないことだ」

おばあさんは腰を擦りながら仏壇に手を合わせるとまた寝てしまう。


季節の変わり目と東京への度重なる往復が疲労を増していた。


そんな老体な三味線師匠さんであったが、テレビや新聞を見て、

「私も三味線を弾きたいわ」

と新弟子の入門者がたくさん問い合わせをしてくる。日本伝統文化管轄は県の教育委員会。

「三味線の入門者が増えるなんてありえないことですからね」

県と市役所の文化センターに三味線コースを設置して入門希望に対応する。講師は師匠のお弟子さんがあてがわる。

「スーパーばあさんのお師匠さんはもうお弟子さんを取らない。なんて断ると大変だからね」


県や市役所が騒いでいる間に師匠さんは自宅でマッサージをゆっくりと受ける。

「はあ〜極楽極楽だね。腰が和らいだら腕を頼みますよ。腕が和らいだら頭から肩口。あらあっ全身がダメなんかいな。暇が出来たらまったりと温泉に行きたいね」


のんびりしたい師匠ではあったが世間は許してくれなかった。早速テレビ出演の依頼がある。

・趣味と音楽(かねてから出演はしていた

・バラエティ番組(クイズ・コメンティター

・人生相談(コメンティター

・競輪・競馬・競艇(三味線の3本線になぞらえて3大ギャンブル


「いろんなのが来るね。人生相談ってなんですの。私が相談に乗って不倫だ離婚だの仲介に入るのかい。まったくなんてこったい。三味線の師匠をなんだと思っているんかいね。やなこった」


ギャンブルの話は少し興味ありだったが。


・怪獣映画ゴジラ出演(お師匠の三味線に合わせゴジラが踊る


「私が三味線を弾き大怪獣ゴジラが踊りまくるのかい。まあまあよくぞそんな下らないこと考えたもんだ。なんだったら私が怪獣の着ぐるみに入ってやるよ。東京を景気よく踏み壊してやりたいね。ガォ〜ガォっとさアッハハ。気持ちいいだろうねぇ。東京都庁と東京ドームなんか」

確かに迫力は満点である。お師匠の着ぐるみゴジラ。


着ぐるみなんかなくても大丈夫です。


「うん?」


天婦羅つまみながらインターネットを開示した二十歳は検索用語に食い入る。


南米ボリビアにアトランティス大陸があったと出た。

「古代ギリシャのアリストテレスが仮説したアリストテレス大陸がボリビアに実在したんだな」


アトランティス大陸は世界に約千ぐらいの仮説がある。その仮説のひとつにボリビアはティティカカ湖底にアトランティス文明は眠ってしまったのではないかと学者が唱えたのだ。


「どれどれ。どないな話か、じっくり聞こうじゃあないか」

二十歳はしっかり読む前に腹がグウ。台所に行きなにか食べて飲んでしたいと降りていく。夕飯をしっかり食べた癖に腹が減ったか喉が乾いたか。


久子の揚げなおした天婦羅が冷蔵庫にある。

「お、これでいいわ」

一皿盛り付けをパクパクしながらコーヒー牛乳をガブって飲み飲み、

「よし。アトランティスに行こう」


考古学者により2000年に南米はボリビアにある標高3812メートルのティティカカ湖底で古代の寺院を中心とした建造物が発見された。

「湖底って。沈んだんか」


ティティカカ湖周辺は古代からの失われた都の伝説が語り継がれており特に湖底に沈んだ"ワナク"と呼ばれる都市はインカ発祥の地といわれている。


ティティカカ湖近くのキジャカス村は周辺幅180メートルの巨大運河の蹟などプラトンのアトランティス仮説に類似があることで有名だった。

「アリストテレスの仮説アトランティスに似ているというわけか」


アリストテレスの仮説アトランティス大陸はヘラクレスの柱の彼方に浮かぶ島。海岸から島の中央にかけて広い長方形の平野といくつかの山がある。平野は海面より高い。

「海面より高いとは意味不明だな。山岳地帯みたいなことかな」


大陸には火山があり地震や洪水によく見舞われていた。山には金銀銅錫、そして幻の銅の合金オリハルコンが採取された。

「銅系の合金を意味するオリハルコンとはなにか。さっぱりわからないなあ。アリストテレスさえこのオリハルコンとはなんだろうかだったはずさ」


アトランティスは10の王国から成り海神ポセイドンの子孫がそれぞれを分割統治していた。

「ポセイドンとはギリシャ神話だなあ」


その勢力は大陸や周辺の島、エジプト、イタリア、地中海、アメリカ大陸にまで及ぶ。

「この地名を想像したら大西洋か地中海あたりにアトランティスがある気がする。南米は無理な想像だ」


エジプトで発見された5500年前のミイラからはコカインとタバコの痕跡が発見。コカもタバコも南アメリカ原産植物。つまりミイラは南アメリカとなんらかの関連があった。

「うーん、無理やりに南米とエジプトの交易をくっつけた話だ。歴史の流れからアリストテレスのあった時代か後年なのか確証がもてない。紀元前何年なんてアバウトな設定だ」


古代南米大陸民族が高度な航海技術を持っていた可能性がある。アトランティス文化圏内は葦船が運河や河川を行き来していた。

「葦の船?そんなやわなもので大西洋横断可能だったんか」


インターネットのアリストテレス・サイトを閲覧しながらあれこれブツブツ。

「アリストテレスの言うアトランティス大陸なんて世界にゴマンと候補がある。なにもボリビアが正解だとは言い切れない」


二十歳はパソコンの前で腕組みをして考える。


「世界にゴマンとあるならば日本列島はどうだ。まあ仮説を唱えた学者もひとりやふたりはいるだろうな」


そこに久子がトントンと二階にやってくる。


「おにいちゃん、あのね、冷蔵庫の天婦羅ね」

明日の弁当のオカズにするから、つまみ食いしないでねと注意を促す。

「あんまりパクパクやるとお弁当のオカズないからね」


兄貴の二十歳はハイハイとウロ返事だけしておく。いつものことである。

「ああっ、わかった」


全く最近の久子は、

「死んだお袋に似てきたなあ。やかましいや」

厄介に感じる。まあ久子は久子で一言言い出しておけば大丈夫ですと安心をする。


とその時である。


「おい久子。ちょっとちょっと。これ見てみなあ」

パソコン画面を見ろと兄貴が指示した。

「なんなの。おにいちゃん何見ているのよ。またアダルトじゃあないでしょうね」


画面にはボリビア大統領モラレスが日本伝統文化協会(東京)に正式に三味線演奏の依頼をしたことがニュースになっていた。


久子も兄貴も驚く。外務省からのニュースはますますお師匠さんを国際派に見せてしまう。


「あらっ。正之くんのおばあちゃん三味線でボリビアに行くかもしれないということかしら。遠いわよボリビアって」

久子も兄貴も顔を見合わせてたぶんお師匠さんは行くだろうと思った。


協会としては即答は避けたとニュースの最後に書かれてはいたが。


外務省からのボリビア公演は日本伝統文化協会からお師匠さんに正式に依頼として伝わる。


日本伝統文化協会の副理事のお師匠さんは、

「やれやれだね。モラレス大統領の子守りのために。私はお弟子さんと三味線持って南米まで行かなくてはならないのかい。外務省も少しは考えてもらいたいね、全く」


お師匠さんは協会を通じ断りの返事をする。

「総勢30〜50人のお弟子さんを連れて南米まではとてもではないが行かれません。ボランティア活動は日本の国の中だけならやりますが海外となりますと話は別になります」


ところが、お師匠さんは嫌だと思ったが。

「お師匠さん。せっかくなんだから」

日本に散らばるお弟子さんの中から行きたいわという三味線師匠も現れた。

「海外に三味線のよさをアピールするチャンスですわ。そのボリビアのモラレス大統領のおばあちゃんのマンドリンに対抗して日本伝統の三味線を弾いて差し上げたいわ」

お師匠のまな弟子・孫弟子と乗り気になった。

「お師匠さんはボランティアでは嫌だ、つまり薄ギャラでは総勢三味線部隊が赤字になるとかいうわけです。ならばスポンサーを見つけて差し上げますわ」


日本伝統文化協会はテンテコマイとなった。

「副理事のお師匠さんは断りなさい。会員の方は行きたいとなってます。行きたくないお師匠を置いてお弟子さん皆さんでボリビアに行かれたらいいのかな。モラレス大統領に聞いてみるか」


おやお師匠さん、除け者扱いされてしまう。


この協会のボリビア問題は週刊誌に掲載されていた。

「ボランティアは嫌だの師匠さん。ならばスポンサー見つけてボリビアに行きたいわ」

直接のまな弟子師匠たちが週刊誌の中、明るく写真に収まっていた。


学園では久子がどうしたことか盛んに正之に話を聞く。

「正之くんのおばあちゃん。まだボリビア行かれないって言っているの?正之くんから行きなさいって頼みなさいよ」

隣席の久子から言われて正之。

「なんでまた久子さんがバアサンのことをとやかく言うんだい。全くもってわかんないなあ。おばあさんは行かれないって協会に返事しているから行かないよ。最近はね腰が悪いから長く三味線も弾けなくなってきたんだ。だから協会からの演奏依頼も順次お断りしているみたいだよ」 


春先や秋口。気候が変わり季節の変化があると特に腰が痛む。持病があるため大変なところである。

「でも海外公演なんて滅多にないでしょう。せっかくのことだからなあ」

久子はまだまだ食い下がる。


なんとかして正之のおばあさんにはボリビア公演に行ってもらいたいと粘る。


あんまり久子がしつこく言うからついに正之は折れてしまう。

「なんだったら日曜日にウチに遊びにおいでよ。おばあさんいるからさ。日曜日は午前にお稽古があって昼からは何もないからさ」

久子は遊びに来いと言われて目をギラっ。

「直接にさ、おばあさんにあれこれ言ってやればいいじゃないか。今からばあさんにメールしておくよ。ファンがひとり行きますからっ、とさ」


久子はにっこりして、

「そう。行かせてもらいたいな。私、正之くんのおばあさんに一度お逢いしたいなと思ってましたから。偉大なおばあさん、国際派ですもん。サインもらいたいなあ」

正之はやれやれという顔をした。

「サインぐらいなら」


約束の日曜日久子は朝早くからそわそわである。


早くから目覚めシャワーを浴びたりメイクに服選びにと余念がない。


そのウキウキの久子のおかげで狭い家はなにかとざわめいた。

「なんだい久子。日曜日だからって朝早くから」

兄貴がパジャマ姿で文句をブウブウ久子に言う。

「なんでバタバタしてんだよ。喧しくて寝れやしなかったぞ。あれっ、洒落てんなあ。なんだ、おまえデートでもするんか」

兄貴が眠たそうに食卓につく。食卓には父親も座り新聞を読んでいた。

「久子がデート?」

久子を改めてじろじろと眺めた。父親は鈍感であったからあまり久子の着飾りも気になってはいなかった。


兄貴に言われた久子は、

「エヘヘ」

と笑顔を示すだけである。台所に手早く行きトーストとサラダを持ち運び、コンソメスープを並べる。

「お父さん、コーヒーか紅茶どっちかな」


朝の準備が整い男二人が食べ始めた。

「よしと」

久子は二階に上がりインターネットを開示する。

「正之くんのおばあさんのことを下調べしておこうかな。三味線は全く知らないから」

嬉しそうにマウスをクリック、クリック。パソコンを立ち上げた久子である。


最初の画面に南米諸国のボリビアがドンと出てくる。画面は外務省サイトのボリビアだった。


「あらっ。昨夜おにいちゃんが見てたんだわボリビア。私この国も正直あまり知らないんだなあ」

久子はしばし画面を見つめた。

「あれっ。ボリビアってカカオ豆が有名なのか。わけわかんない海軍さんもあるのね」


ボリビアのカカオ豆から製造されたチョコレートは人気があると外務省には書いてあった。甘いものには目がない久子であった。

「ボリビア・プレミアム・チョコレート。なんか食べてみたくなったなあ。あらヤダ、ベネズエラもチョコレートがあるわ。いいなあいいなあ南米に行きたいなあ」

今トーストを食べたばかりの久子。


正之の自宅。


朝の三味線のお稽古がお昼前に終わる。

「皆さんご苦労様でした。私がバタバタしてしまいましたから長くお稽古を休んでしまい申し訳ありませんでした」

お師匠さんはお弟子さんにお詫びを言う。

「また大変申し訳ないついでに。実は私、腰が痛くて痛くてたまりませんの。長く座ることがダメでして」


体調が芳しくなければお稽古を休ませてもらいたいと申し出た。

「なにも私だけが三味線のお師匠さんではありません。近くのまな弟子のお師匠さんを紹介致します。なんせもう歳でございます。いつまでも元気なままとは参りませんわ」

深々と頭を下げてお稽古はお開きにした。

「お師匠さま、そうも言わずに。まだまだ元気なんですから」

お弟子さんからは頑張ってくださいねと励まされる。

「お師匠さま。ボリビア公演も是非お願い致しますわ。私たち弟子としても自慢なことですから」 お師匠さんにっこりとした。


お昼休みとなる。お弟子さんが帰ると賑やかな稽古場も静かになった。

「お弟子さんが帰るとホットするね。さてお昼を食べて」


午後からは孫の正之にガールフレンドがやってくると聞いていた。

「正之のガールフレンドなのにね。なんで私に逢いたいのかね。最近の若い子はよくわからないことばかりだよ、まったく」 

師匠は稽古に疲れゆっくりお茶を飲んだ。


久子は時間のとおりやってきた。少しオメカシさんで華やかな女子高生といういでたちであった。

「こんにちは。私、正之くんの同級生です。本日お招きにあずかりありがとうございます」

久子は頭を下げて丁寧に挨拶をする。出迎えたのは正之と母親である。

「まあまあよくいらっしゃいましたね。可愛いらしいお嬢さんだこと。久子さんさあさどうぞ御上がりになってくださいな。まあ君ご案内してさしあげて」

母親はひとり息子のガールフレンドが来たとハシャギ気味だった。


久子は応接間に通され正之と仲良く座る。小さな恋人同士であった。

「お邪魔します。正之くんってまた立派なお家に住んでるだね。びっくりしちゃったわ」

久子は素直に驚きを表した。久子は同じ市内の南地区の文化住宅住まい。


さらにこんな広い邸宅に祖母・母親と3人だけの家庭だと知りさらに驚き。

「えっ、まあね。お父さんもいるんだけどさ、おばあさんが追い出しちゃって」

正之はバツが悪そうに答えた。


「さあさあ久子さん。何もないですが。ショートケーキいかがかしら。お飲み物はコーヒー紅茶どちらかしら」

久子はどうぞお構いなくと遠慮するしぐさのお辞儀をする。


「今稽古場に連絡いたしましたから、おばあちゃんも参りますわ。どうぞゆっくりしていってくださいね。まあ君。用が済んだらお母さんに教えてちょうだいね」

母親はニコニコしながら台所に入っていく。


母親と入れ違いにおばあさんの師匠さんが応接間にやってくる。

「まあまあいらっしゃい。まあ君のガールフレンドはなんて可愛いお嬢さまなんでしょ」


正之の母親に可愛いと言われ喜びの久子。また祖母にも可愛いと続けて言われ少しハニカミ屋さんであった。

「初めまして、久子と申します。正之くんとは同じクラスなんです」

ペコリと可愛らしくお辞儀をする。おばあさんは、

「そうですか可愛い同級生ですわね」

久子益々照れてしまう。

「ありがとうございます。世界で有名なお師匠さまに褒めていただけて光栄でございます」

普段から気の強い久子でも国際的に有名な三味線のお師匠さんの前では塩らしくである。いささかいつもの調子が出ないところであった。

「正之くん私ヤダなあ。おばあさんにお逢いしたら緊張してちゃった」

なにやら正之に救いの手をもらいたい様子である。


そこにタイミングよく母親が入ってくる。ショートケーキと紅茶を運んでくると、

「久子さん。どうぞお気楽にしてくださいな。ウチのおばあちゃんは確かに偉いお師匠さまですが、なにもね、まあ君のお友だちにまであれこれと指導などいたしませんわ」


ショートケーキをいただきながらも久子は萎縮している。

「久子さんお気楽になさいな。よろしければ三味線弾いて差し上げましょうか」


久子を稽古場に連れていき、シャンシャンとやり始めた。


久子は実際に三味線を聞くと気持ちがほぐれてきたのかあれこれと師匠さんに話を聞くようになる。三味線から始まり日本伝統文化や歴史などにまで及んだ。

「久子さん偉いわね。ずいぶんと勉強熱心です。ところで三味線に興味おありかしら。この楽器は伝統は伝統ですから歴史の生き証人だとも言えますわ。ウチのまあ君も習ってましたのよ」

師匠さんはこぶ茶を呑みながら久子の質問に答えた。

「エッ正之くんも三味線を」

久子は驚きはするが、おばあさんがお師匠さんなら習うだろうなと納得。

「日本の伝統や文化、さらには歴史という面からでしたら。私も三味線には興味あります。習って弾きなさいといわれたらちょっと考えますけど」

久子お師匠さんの歓談は続く。似た面があるのかよく話が合うようであった。


3時のおやつが正之の母親から運ばれた。出されたのはチョコレートを含む甘いお菓子類とジュース。それにアイスクリームである。

「まあ久子さんそうも根詰めないで。すっかりおばあちゃんのお弟子さんになってしまいましたね。さあ一息入れて休みましょ。おばあちゃんもお疲れでしょうに。おやつを召し上がってくださいな」

久子は目の前に大好物の甘いものが並び大喜びする。

「わあアイスクリームにチョコレートですか。私大好きなんです。嬉しいわあ」


出されたチョコレート。お弟子さんが海外で買い求めたデコレーションチョコレートであった。

「いえね、お師匠さんは何が好きですかと聞かれたもんでね。甘いものが好きですよと言いましたらいただいたんですの。どうぞやってくださいな。なんでも欧州のルクセンブルクのチョコレートらしいですわ。王様が召し上がるために丹精こめて作られたチョコレートらしいですよ。日本ならば宮内庁御用達のデコレーションですね」


久子は珍しさとチョコレートの魅力にいただきますと一口つまむ。

「ウワッ美味しい」

ルクセンブルクオリジナルチョコレートは甘味が抑えられて、舌先でとろける感覚であった。まろやかな上品な味覚であることは間違いない。

「久子さん。ウチのおばあちゃんね、チョコレートが大好きなの」

お師匠さん嬉しそうにチョコレートを一口パクリ。


おばあちゃんが娘時代のこと。当時は明治ガーナチョコレートがまだまだ高価な時であった。

「三味線で優勝するとガーナチョコレートがもらえる大会がありましてね。目の色を変えて弾いたもんです。もうねどうにも欲しくて欲しくてアッハハ」

おばあちゃんは見事に大会優勝を果たした。ガーナチョコレートを一年分賞品としてもらった。


それからはチョコレートにかなりうるさいことになる。

「エッ一年も。毎日食べても大丈夫ですかあ」


娘時代から比べたらチョコレートを食べることは減りはしたがまだまだ好物だった。

「お師匠さん。私もチョコレート大好きです」


これからはチョコレートとアイスクリームに花が咲くことになる。お師匠さんと久子、目の輝きが違ってきた。


あのチョコレートがいい、あんなチョコパフェが美味しい。


イチゴのチョコケーキは少し甘さがたらないからアーモンドにしたら美味しい。


60過ぎも16も話す内容に大差はない。

「アッハハ。久子さんもかなりの甘味党ですわね 。今度機会があればチョコパフェバイキング行きましょうか。私のお弟子さんに洋菓子屋さんがございますから」


そのチョコレートの話の中にボリビアが登場をする。久子がインターネットから仕入れた知識のひとつがそれであった。


「チョコレートはカカオ豆から抽出されて製造加工されています」


世界のカカオ豆の年間生産高は約281万トン。その中でアフリカの象牙海岸(コートジボアール)は約100万トンを産出。第2位が日本でお馴染みのガーナ38万トン。このコートジボアールとガーナの2ヵ国で世界のカカオ豆生産高は7割を軽々越える。


「欧州諸国は大半がコートジボアールのカカオ豆を輸入。日本はガーナですわ」


そこで近年は南米諸国のカカオ豆を輸入しようと日本のメーカーは乗り出す。輸入国はベネズエラ・ボリビア。さらにはコロンビアとなる。

「あらっそうでしたか。ボリビアにいくとチョコレートが食べられるのかしら」

お師匠さんはチョコレートのボリビアと聞いて気になってしまった。

「ボリビアのカカオ豆はその生産高がまだまだ少ないですね。少ないカカオ豆を一旦欧州に輸出されて加工製造されて日本に輸入となってます。お師匠さんちょっとお待ちになってください」

久子は携帯を取りだしサイト検索をする。

「世界のチョコレート・カカオ豆のブログがありましたの」

久子は南米諸国はカカオ豆が要な生産。その諸国の生産事情を細かにお師匠さんに教えた。

「あらっそうですか。南米ってなかなか素敵ではございませんこと」

久子はボリビアのチョコレートを検索した。

「日本にはボリビア・ミレニアム・チョコレートだけ輸入されてます。どんな味なんだろ。食べたいですね」


お師匠さんはボリビアに三味線公演は嫌だという姿勢を示している。それがチョコレートが食べてみたいから行きましょうでは、

「私の沽券にかかわる話です」

孫のガールフレンドに、

「お師匠さん、ボリビア公演に行ってもらえませんか。チョコレートもありますよ」

と言われたとしても返事に困ってしまう。


時刻は夕方になり薄暗い景色となった。すっかりおばあさんと打ち解けた久子はそろそろおいとましようかしらと腰をあげる。

「おや久子さん。お急ぎですか。お夕飯を用意いたしましたから食べていきなさいな」


久子は最初辞退したが、まあ言葉に甘えなさいねとお師匠さんに諭された。

「すいません。ではお言葉に甘えさせてもらいます」

父親に携帯で連絡をする。

「夕飯はご馳走になりますから」

父親はよしわかったと返事。可愛い娘がボーイフレンドのお招きを受けたんだからゆっくりしてくるんだなと受け取る。

「おーいお兄ちゃん。久子は夕飯食べてくるらしい。俺たちはどっか食べにいくぞ」

父親と兄貴は男ふたりでトボトボと夜の街に出掛けていく。

「お父さん、焼肉食べ放題行こうか。たまにはうまいもん食べておかないとさ」

父親はニッタと笑い返した。


食卓は正之の母親が腕を振るった。かなりなご馳走が色とりどりに並んでいた。

「久子さんは、まあ君の大切なガールフレンドですからね。ちょっと奮発してしまいましたわ」

久子は久子で感激してしまう。

「私は母親が亡くなってから家庭料理というものを知らないので」


食卓に正之も加わりさしずめ若いカップルのお披露目パーティの様子になっていた。


母親はどんどん料理を出していく。久子には、

「あれ、この天婦羅上手に揚げてあるなあ。やっぱり主婦は違うなあ」

天婦羅から添えもの、サラダ、漬物、吸い物、久子は一度習ってみたい料理ばかりであった。

「そうそう久子は御自分で料理なさるのね。よろしかったらお教え致しますわよ。こんな程度でしたら喜んで」

久子、もしよろしければお願い致しますと小声で答えていた。

「料理を覚えていくなんて正之のお嫁さんになっていくみたい」

箸をつけながらひとりにっこり。


「久子さん。おばあちゃんと話が合ってよかったね。三味線は興味わいたかい。どうだいこれを機会に三味線を習い始めてみたら。僕の三味線が使わないままあるしさ。おばあちゃんも喜んで。ねぇ、教えてくれるよ」

おばあさんは箸を止めながら、

「宜しいですよ。お習いなさいな。ただ通うのが遠いから久子さんの近くのお弟子さんの師匠さんを紹介しましょう。まあ君の三味線でお習いなさいな」

久子はそれだけはご勘弁をと固辞する。

「だって私には音楽の才能がないもの。お言葉だけ有り難くちょうだいいたしますわ」

久子があまりにも真剣に嫌がるものだから皆で爆笑をした。

「いえいえ才能なんて。どうかしら初歩から踏んで中級クラスになれば私が面倒を見てあげれますわ。あれだけ熱心に三味線を勉強されていたんですから。恐らく久子さんなら習い出してすぐ上達致しますわ」

おばあさん乗り気になってくる。最近は体が思わしくないからお弟子さんを取らないでいたことも忘れていく。


正之もやりなさいなとけしかけた。

「ハイ、考えてみます」


久子仕方なく。


夕飯が終わると久子は正之の部屋に行く。

「へぇ正之くんのお部屋って綺麗に片付けてあるのね」

正之は性格的に几帳面でありあまり部屋を汚さない。久子は自分の兄貴の部屋と比べていた。

「同じ男なんだけどこうも違っているのかなあ。ただウチの兄貴がだらしないだけなんかなあ」


夕飯でお腹いっぱいの久子はちょっと座りたいなとベッドに。

「ヤダ正之の寝てるベッドだ」

なんて思ったりしたが。


ちょこんと横座りしたら朝からの疲れが出たらしく久子はスヤスヤと寝てしまう。


正之も寝入る久子を見て、

「昼間おばあさんにいろいろ聞いたから疲れたんだろう。おばあちゃんと一緒にいると疲れて困るよ」

ベッドにそのまま寝かせる。寒くなるかなと毛布を被せた。久子の細い足とスカートが少し眩しく見えた。

「うるさいけど黙っていると可愛い久子さん」

正之は久子の可愛らしい寝顔を改めて眺める。普段は隣席にいるからよく顔を見ているはずなんだがこうもジロジロ見ることはなかった。

「美人さんだね。まあ改めて考えることもないけどさ」

久子を寝かせ正之は静かに本を読み始めた。そのうち目覚めるだろうから。


小一時間も寝たであろうか。久子はうとうとから目覚める。

「ヤダ、私って寝ちゃって」

男の部屋で居眠りなんかしてと恥ずかしかった。


掛け毛布の中でモゾモゾとスカートを無意識にいじる。

「イヤダなあ、もう私帰ります」

久子毛布をパッとはねのけた。正之の前で少し髪の毛が気になった。

「そうかい、帰るのかい」

正之は読みかけの本を閉じた。

「よほど疲れただんだろ。スヤスヤ寝ていたよ。ウチのおばあちゃんのお 相手をしたんだから疲れたよなあ」


眠気覚ましに冷たいジュースをどうぞと久子に渡す。

「ありがとう。ひゃあ冷たくて美味しいわ。ごめんなさいね寝ちゃって。私寝ながらなんか変なこと言わなかったかしら」


久子が真面目な顔で言う。

「ああ、寝言かい。ムニャムニャ、チョコレートが食べたいだとかアイスクリームにいきたいだとか言ったてたなあ。幸せなことに満腹な夢見てたんだね」

久子は顔を赤らめて本当にと正之を見る。

「嘘でーすアッハハ」

久子、ムッとして、

「あっ正之くんたら意地悪ねぇ、もう」 

冗談に正之の肩をコブシで軽くポンポンと叩く。


叩かれた正之は、

「痛いなあ」

ちょっと怒った感じ。

「あれそんなにひどくだっけ」

と久子。

「ごめんなさいね。痛かったあ」

正之はにっこり。


久子と正之はお互い見つめ合う。会話がピッタリと止まる。正之は久子の肩に手を出して抱きしめる。


「アッいや」


気の強い久子が洩らす小声。正之には聞き取れやしない。


正之は黙ってグイと腕に力を入れて久子を抱きしめた。女の香りが漂う。


「久子っ」


正之の胸に顔を埋めた久子。どうしたらいいのかと戸惑う乙女。


前髪を少したくしあげた。口唇が目に入る。


久子は躊躇うこともなく瞳を閉じた。綺麗な美形の乙女であった。


唇を合わせる。


やわらかな口唇。正之はそう感じた。久子は正之にしなだれたまま動かない。


片手で久子のスカートの後ろをまさぐる。スカートをたくしあげられパンティを触る。久子の下着の感触が男の感触に伝わる。


久子はピクリと驚き正之の手を振り払う。

「アンやめて。正之くんダメ。やめてちょうだい。そんなこと。私イヤダから」


久子はまだまだ高校生同士。イヤダと思った。

「イャ。そんなところ触ってイヤイヤ」

言われて正之は久子から手を離す。


久子に嫌われちゃったかなと。


久子は自由になると正之に抱きついてキスのお返しをする。

「正之くん私のこと好き?」

正之は黙ってコックリと頷いた。


久子はタクシーを呼んでもらい帰宅をする。

「ただいま。ごめんなさいね。すっかり遅くなってしまったわ。あらっおにいちゃんどうしたの」


帰宅したら居間で兄貴が寝ながらお腹をさすりふうふうしていた。

「おっ、久子か。遅かったなあ。いやなあお父さんとなあ」

男ふたりで焼肉食べ放題に行った。

「駅前ね焼肉屋がさ、食べ放題は時間制限だと言うからさ。二人でめちゃくちゃ食べて。ああ、腹が痛い痛い。胃腸薬飲んだけどさ、効かない。お父さんはもう寝ちゃったぞ。明日起きれないかもな」

まあ呆れた。


久子は兄貴のだらしない姿にやだわと、さっさと自分の部屋に戻る。

「ふぅ、まったく兄貴ときたら」

深くため息をつく。


長い日曜日を過ごし、ぼぉーとしたくなり、自分のベッドに横になる。なにげなく天井を見つめた。

「正之くんかぁ」


正之の顔がどうしても浮かんでくる。


高校生になって初めて親しくなったクラスメイトが正之。


クラスメイトに彼氏だねと言われてカッとなった正之との噂。


なかなかしっかりしないから叱りつけた隣の席の男が正之。

「私も好きなんだろうなあ」


正之の部屋できつく抱きしめられたことを思い出していた。正之の胸の温かさは覚えていた。スカートをめくられパンティをモゾモゾされたことも。

「イヤン正之のエッチ。そんなことしないでちょうだい」

久子はエヘヘと照れ笑いが出てしまう。


「おーい、久子。早く風呂入れよ。後はお前だけだぞ。後でお湯落としてくれゃあ。俺もう寝るからさ。玄関の鍵掛けたからな。お休み」

久子は慌て着替えを持って部屋を出た。


翌日の朝。


久子の父親は朝刊を読む。

「おい久子。同級生の三味線のおばあちゃん。新聞に出てるよ。まったくなあ、偉いおばあちゃんなんだなあ」


社会文化面には日本伝統文化協会が掲載されていた。

「お父さん新聞にはなんて書いてあるの」

ほらっと朝刊を久子に渡す。 

「えっと。ボリビア公演にスポンサーが見つかる。あらそうなの」


もし正之の祖母が協会からの南米ボリビア派遣ならば寸志程度の謝礼のみであった。渡航費用は協会負担か自己負担かまた難しい。海外公演となるとお弟子さんも総勢30〜50人規模になり赤字覚悟である。

「スポンサーがついてくれたら資金は大丈夫かな。お師匠さんのおばあちゃんもボリビア公演を考えるでしょう」


それからである。お師匠さんにボリビア公演を頼みますと日本伝統文化協会にメールが殺到した。

「スポンサーがつけば海外の公演会は問題ないだろう。モラレス大統領は三味線を聴きたい、ボリビアのチャランゴとの共演を楽しみにしているんだから、その夢を叶えてやりたい」

お師匠さんにどうしてもボリビア公演に参加してもらいたいとなった。


協会の副理事のお師匠さん。その世論の意見は嫌と言うほど耳には入るが。

「スポンサーがボリビア公演を援助してくれるのは有難いですけどね。私はとてもではないが海外まで出ていく元気がありません。持病の腰痛がありますから」


副理事としては一番弟子または二番弟子の方に代わってもらいたい。南米ボリビアにお弟子さんの師匠が代わりに行ってもらいたいとコメントを出した。


指名を受けた1番のお弟子さんは、

「お師匠さまから指名をされて光栄には思います。されどもモラレス大統領は、あくまでも日本で一番の三味線の弾き手お師匠さまが来られたらと申しております。お師匠さまが来られたら嬉しいと。形だけでもいかがでしょうか海外公演に参加されてくださいな。後は1番弟子の私やその他のお弟子さんがうまくまとめて参りますから」


お師匠は飾りだけでもよいからと言われた。


どうしても行かなくてはならない雰囲気に段々となりつつあった。


「正之くん。おばあちゃんまだボリビアに行くって言わないね」

学園のクラスで久子が尋ねた。

「おばあちゃんかい。なかなかの頑固だからさ。自分からおばあちゃん行かないって言ったものだからね。ハイわかりました、行かせてもらいますとはならないね。それと腰がさ。協会の方には内緒だけどかなり悪いんだ。毎晩お風呂あがりに鍼灸のマッサージさんに来てもらっているんだ。痛くて夜眠れないとか言っているくらいなんだ。これ以上悪化すると入院しないといけないかもしれない」

お師匠の慢性腰痛は思ったよりひどいらしい。


久子はこのお師匠さんの話を家族にもした。夕飯時には久子ひとりでペラペラしゃべって父親と兄貴は黙って黙々と箸を進めるのみ。

「そうなのね。正之くんのおばあちゃんね、ボリビアに行きたい気持ちに傾いてきたらしいんだけど」


父親はまた今晩も久子はうるさいなあと思いながら我慢していた。

「それにしても高校生になったら一段とおしゃべりが増えたなあ。死んだ母さんに似て来たと言うほうかいいかな」

コトンッと湯飲み茶碗を食卓に置く。箸を止めた。

「ご馳走さま。久子うまかったよ。鯖の煮つけ上手になったなあ。うまかった」

ちょっと前まではやたら辛い煮つけだったなあと思いながら父親は席を立つ。


兄貴はうまいもなにも構わない。

「久子が作ってくれたらなんでも食べてしまいますよ。鯖だろうが鰯だろうがね」

鯖の煮つけが美味しいと言われて久子はちょっと自慢である。

「それね正之くんのお母さんから教わったのよ。甘辛な味がいいでしょ」

兄貴はパクパクしながら、

「久子、また正之の話か。お前なあ毎晩よぉ正之、正之だぞ。早く嫁にもらってもらえや。こっちとしては助かりますアッハハ」


久子、そっ、そんなつもりじゃあ。顔を真っ赤にしてしまう。


「その話の続きだけどさ。お師匠さんは腰痛が治ればボリビアかどこそかか行くつもりなのか」


兄貴は腰痛のための最新医療を見たことがあると教えてくれた。

「俺も雑誌でちょっと見た程度だけどさ。待ていろよ。今持ってくるからさ」

読書家の賜物で雑学だけはかなりあった。さすが高校5年目だけのことはある。


兄貴の言う腰痛治療とは。雑誌から抜粋。


脊椎疾患治療法

インフューズ・ボーン・グラフト(InFUSE Bone Graft)


慢性化した腰痛は椎間板ヘルニアなど変形した骨による神経の圧迫が原因となる。ひどい症状だと変形した背骨を削り新たに骨を移植しなければならない。移植骨がうまくいかないと再手術を施しうまく行くまで繰り返してしまう。


ならばちゃんと適合する骨を人工で作ってしまえば簡単だ。


骨形成淡白質(rhBMP-2)を染み込ませたコラーゲンを移植して新たなる骨を再生させる。骨癒着合率は95%ぐらい。


「骨を作って埋め込めば腰痛はなくなってしまうという仕掛けさ」


お師匠さんの腰痛も椎間板ヘルニアである。理論の上では治療されるかもしれない。

「このコラーゲン治療は日本では認められていない。いや最近アメリカから紹介をされたばかりで治験さえ行われていない有り様らしい」


兄貴はアメリカに行かないと手術はされないと言った。

「それじゃあアメリカで腰痛手術を受けて南米のボリビアに行けばいいのね」

頑固なお師匠さんをボリビアに行かせる理由のひとつができた程度の話であった。

「おばあちゃんは長年の慢性腰痛を治してからボリビアのチョコレート食べて三味線弾いてと。エヘヘならないかな」


久子の取らぬ狸の皮算用であった。


日本伝統文化協会の東京本部。今日はお客様が大挙して御目見えをしていた。お客様たちは民族衣装を着込み見るからに南米からの方だとわかる。


受付で出された名刺には、

「日本アンデス音楽友好会」

と明記され裏側にはケーナ(笛)とチャランゴ(小型マンドリン)の愛好家を示すイラストが飾られている。

「こんにちは。我々は南米諸国はアンデスから日本にやってきました。民族音楽家です。大使館にアポイントメントを取ったボリビア人です」

アンデスの会はボリビア大統領モラレスが三味線を聴いて涙したことをニュースで知り日本大使館を尋ねた。

「そうです。我々のアンデスの民族楽器のケーナとチャランゴ。それと日本の伝統楽器との共演がしたいと思います。大使館の方から協会に頼んでもらいたいと働きかけて今日こうして出向いて参りました。そのモラレス大統領が涙したというお師匠さまに是非、共演を頼んでもらいたいです」


南米諸国は南アメリカ大陸にある。その昔にはインカ帝国が栄えていた。


インカ帝国は15世紀中まではアンデス山脈を中心にエクアドル・ペルー・ボリビア・チリの北中部・アルゼンチンの北部をカバーする広大な帝国だった。


首都クスコ(ペルー)は世界の(へそ)とも呼ばれ多大な行政統治能力を持っていた。


1530年スペインの制服者フランシスコ・ピサロはインカに侵略して帝国の頂点にある第13代皇帝アタワルパを捕らえてしまう。


インカの征服者ピサロはインカの国王をカハマルカで捕まえると石の部屋に閉じ込めてしまう。そこで先住民族に向かって、

「国王の捕まえられている部屋いっぱいの金銀財宝を持って来い。部屋が満タンになれば国王を助けてやろう」

各地から金銀財宝は集められ石の部屋はあっという間に塞がった。


こうして先住民族から金銀財宝を巻き上げたスペインはさらに先住民族を使い鉱石の採掘に利用する。ボリビアのポトシ銀山はスペイン植民地時代の最大事業となった。


結局はピサロ、1533年国王アタワルパを処刑し首都クスコを占拠して完全な植民地にしてしまう。ここに長い歴史のインカ帝国は滅亡をする。


インカ帝国は滅亡をしたが民族は残り今ではインカ族はケチュア族となった。


ケチュア族はペルーとボリビアに跨がる起伏の厳しいアンデスの山岳地帯に暮らす。ケチュア族と歴史的に深い関係のアイマラ族もいる。


ケチュア族もアイマラ族も美しい山の大自然に囲まれ、大自然に働きかけ共存をしている。


主食はトウモロコシとジャガイモ。家畜は羊・牛・豚・リャマを飼育している。家畜の世話は子供の役目になる。


アンデスの山村には必ず教会がありそこには守護聖人がいて村から不幸を除き災害から守る役割をする。カソリック聖人の像が安置されている。ケチュア族は敬虔なるカソリック信者。


アンデスは年に一度聖人の祭典が開催され教会で祈り仮装行列・闘牛などがある。さらに楽器隊やオーケストラがやって来て歌い踊り大人も子供もご馳走を食べてひとしきり踊りまくる。

「聖人の祭典は盛りあげなければならない」

ケチュア族は言う。祭典を盛り上げて行くために守護聖人のために踊る。


その祭典が数日で終わりまたケチュア族は働きに精を出す。この聖人祭典の時にモラレス大統領は日本とボリビアの楽器の共演を盛り込みたいと考える。


協会は日本ボリビア会にわかりましたと返事をする。

「協会としましても共演ならば国際貢献ともなりますから。2〜3日時間をくださいね。副理事(お師匠さん)にどうされるか聞いておきます」

アンデス楽器愛好家たちは喜んだ。ならば協会のフロアでアンデスの歌声を披露したいとしてゾロゾロと楽器演奏の準備を始めた。

「えっこちらでやられるんですか」

協会のその日はお琴の発表会がありとてもではないがアンデスの歌声とは合いたがえるものだった。


「おばあさん。お電話ですよ。協会からです」

早速にお師匠さんにアンデス音楽の愛好家たちの話は伝えられた。

「日本アンデスの愛好家ですか。ボリビア人の方ということですね。三味線とボリビアの楽器と共演をしたい」

お師匠さんは痛い腰をさすりながらハイハイと受け答えをする。

「私が南米ボリビアに行かないから、あちらさんからおいでになった次第かい。弱ったわねえ、日本にいなさったら」

断りの理由が見つけられなかった。


お師匠さんは渋々と受諾をした。

「わかりました。顔だけ出しておきます。ただしですね」


腰が思わしくないからお話の共演はお弟子さんが主になり聞きます。この話はお弟子さんで進めましょうと締め括る。


こうしてアンデスの楽器チャランゴと日本伝統の三味線が融合していくのであった。


アンデスと三味線が共演の頃、協会にスポンサーになりたいと2〜3の申し出がある。いずれも南米諸国アンデスと関連の企業であった。

「ボリビアと言いますと日本にはまったく馴染みがありません。しかしアンデスとなりますとエクアドル・ペルー・ボリビア・チリの北中部分などの南米諸国だとなります。こうなりますと話が異なって参ります」

協賛企業は日を追うに従い増えていく。協会は逐一お師匠さんに報告をした。


外務省の南米2課にボリビアからメールが届く。

「ボリビアと国際友好姉妹都市を結びたい」


ボリビアからのメールは具体的に日本の都市名、友好姉妹になりたい街の名前が書き込みされていた。

「おいおいボリビアのモラレス大統領は本気だぞ」


外務省からの連絡を受けたその都市。まずは市役所の広報課から助役にと話は伝わる。

「ボリビアがなぜ我が街と友好姉妹に希望しているのか」


連絡を受けた街はお師匠さんの長年住む街であった。

「なるほど。あのおばあさまが取り持つ縁というやつか。我が街が三味線でボリビアの首都カラカスがチャランゴとなるわけか」

助役はさっそく市長に掛け合い市議会で討論したいと答申をする。

「いいねぇ国際的な話だとは。だが問題なのはボリビアだ。君っ、ボリビアの経済状態と政情不安は知ってるかね」

日頃から国際経済に精通する市長は助役に聞いた。

「市長、すいません。ボリビアという国はまったくの不案内なものでして。早速資料を集め勉強させてもらいます」

市長執務室から助役は赤っ恥をかかされ出ていく。

「簡単に友好都市だ仲良くしましょうとはいかない。国際リレーションシップを結び相互に経済援助をしていかなければならないからな。表面だけの文化交流は華々しく結構なことだが。ボリビアなんてODAいくらつぎ込んでいるんだ。ひょっとして天井知らずかもしれない」

市長は思いついて秘書に、

「手の空いた時でかまわない。ボリビアの日本との関係資料を早急に作って持ってくるように。経済資料は図表を盛り込んでもらえるか。来週初めの市議会の前までに頼む。ザアーと目だけ通しておきたい」

言われた秘書はかしこまりましたと答えすぐに資料作りに取り掛かる。


このボリビアの資料がかなりモノを言うことになる。


お師匠さんの所属する県の教育委員会もボリビアにはてんてこまいとなっていた。外務省から通達が届いていたからだ。

「南米諸国に高校交換留学生を送りなさい」


教育委員会から交換留学生は英語文化圏に限られていた。日本の語学教育は英米語だけである。

「なんだっあ南米諸国に留学生か」

委員会は怪訝そうなあ顔つきで書類を見た。

「英語文化圏に限られていることはわかっているはずなのに。なにが南米だろうか。北米と間違いではないか」


春から初夏になると久子はなにかと忙しくなっていた。

「あれからね正之くんのお母さんにね」

毎週料理を習うことにした。

「だってお母さん料理上手なんですもの」

正之の母としてはひとり息子の彼女がいつの間にか嫁になるのではないかと期待しながら料理を教えていた。


さらに三味線も初歩から習う。こちらはお稽古が2時間もかかるから、

「私の自宅に近いお師匠さんを紹介されたの」

久子は思ったより筋がいいとみえて楽しみながら上達をしていった。

「もう少しうまく弾けたら三味線も買いたいなあ。いつもいつも正之くんの三味線を借りていてはいけないからね」


女子高生久子の花嫁修業は俄に忙しくなっていた。いつも正之の近くにいるから身が入ることもあるが。

「エヘヘ。だって好きになっちゃったもん」

久子は正之の家に料理を習いに行く際にどのパンティをはいて行こうかいつも気になり悩んでいた。

「わぁーヤダっ、そんなこと」


夏休みが近くなる頃。学園の正面掲示板に一枚のポスターが貼られた。

「高校生交換留学生募集。短期夏休み。長期一年間の交換留学生」

教育委員会から毎年募集がかかる留学生であった。


英語が得意で好きな久子も留学生には興味津々である。

「夏休みだけの短期かあ。いいなあ行きたいなあ」

夏休み短期はアメリカのみ募集。約2週間西海岸のロスアンゼルス。応募は1〜2年生が中心。毎年希望者は定員ぐらい。


久子は長期の交換留学生はどんなのかなと見てみた。

「長期交換留先。アメリカ・カナダ・英国・オーストラリア・ニュージーランド」

英語文化圏が並ぶ。その後に、

「えっ南米諸国も留学生対象国となっているわ」

掲示板には南米諸国とだけ明記され具体的な留学先は書かれてはいなかった。

「ボリビアもありかな」


不思議なもので留学生の人気はアメリカ・英国があったが、その次に南米諸国がランクされた。

「南アメリカなんて物珍しいから人気なんだろうね。でも英語でない国だけどどうするのかな」


同じ掲示板を久子の兄、二十歳もシゲシゲと眺めた。

「久子が騒ぐボリビアが南米諸国だろ。教育委員会が認めたらボリビアに行けたりしてな」


兄貴は交換留学生をこう捉えた。

「俺の場合は残りの単位を取れさえすればいいわけだ。で留学先の学校も単位認定にしてくれたらいいんだけどさ。で卒業資格を持ってそのまま留学先の大学にポンと入学してしまいたいや。ちょっと教務課に聞いてみっか」

留学先は好みはなかったしどこでもよかった。単位さえ認めてもらえ高校生が終わってしまえば。


教務課からの答えは明確であった。

「ボリビアの高校なら大学まで面倒を見るそうです」

やけに早いなあ。

「いかがされますか?今から手続きしましょうか。銀行の預金通帳と印鑑を明日持って来てくださいね。どうされますか」


お師匠さんはボリビア公演に気持ちが傾きかけていた。それほどまで三味線の音が聴きたいといわれては。

「日本アンデスの会も返事したいわね。腰の様子を見ながら私も参加しようかとさ」

ボリビアの楽器チャランゴとの共演は楽しいのではないかと思うようになった。


日曜日の午前中。いつものように久子が料理を習いに正之宅を訪問する。

「こんにちは。あらお師匠さん。お腰の様子はいかがですか」

おばあさんちょっと腰をさすり、

「久子さんありがとうね。今朝は少し調子がいいようですわ。私ね久子さん。ボリビア公演行こうかと思ってますの」


お師匠さんは腰の状態によりけりだがボリビアに行けたら行こうかと久子に話す。

「まだ教会には返事していないんですけどね。それともうひとつ」


お師匠さんは県の教育委員会の役職も兼ねていた。

「教育委員会から聞いたんですけどね」


ボリビアのモラレス大統領が友好姉妹都市を結びたいとこの街にオファーを出してきた。


ついては市役所の中、様々に検討をして近々市議会にかけてみる議案が提出された。

「教育委員会の話だと市議は通る見通しですの。そうなりますとね」


国際友好都市締結され両都市が文化交流・経済支援などを行うようになる。

「その文化交流に私の三味線も入るわけです。さらには」

高校生の相互交換留学生があるという。

「留学生にね私は正之と久子さん、あなたを推薦しようかと思うんですの」


久子、ヒェーと声をあげてしまった。


夕方に久子は帰宅をする。早く帰り夕食の準備に取り掛かりたかった。

「やあ久子お帰り。早かったじゃあないか。今日はどんな料理を教えてもらえたんだい。お父さんもお兄ちゃんもお前の料理が楽しみだよ」


久子は任せてちょうだいと腕まくりをして台所に消えた。

「今日は和え物を教えてもらったんだけど。でもお父さんもお腹が減っているから和え物程度では満足しないね。よし簡単に済ませちゃえ」

すき焼きに決めた。エプロンをはずしてすぐ近くのスーパーに走る。

「肉と野菜でおしまいだ。糸蒟蒻は多めに買いましょ。だってお兄ちゃんいつも蒟蒻ばかり食べちゃうんだもん」


夏が近いという夕食はすき焼きになった。

「またあ。夏にすき焼きかいな。季節の感覚がないなあ」

兄貴はひとつ文句をたれた。箸をつけたら黙々と食べてしまう。

「久子、お前、交換留学生の掲示板見たか。あの交換留学生のな行き先はなあ南米もあるんだ」

兄貴は手短かに教務課からボリビアを推薦されたことを話した。

「お兄ちゃん行くの?実はね私はね、お師匠さんからね」

すき焼きをパクパクやりながら黙って父親は話を聞いていた。


久子と正之は短期留学生。夏休みだけのこと。兄貴は長期留学。高校生としての取得単位を認められさらに大学進学。

「ちょっと待てやあ、お兄ちゃん」

父親は息子が高校を卒業して大学だと聞いて黙っていられない。二人とも大学は出してやりたいと常に思っていた。

「なにも海外まで行かなくても。日本にいくらでも大学はあるだろうに。アンデス山の中のボリビアなんて。ところでよく話に出るがボリビアって

なんだ」


月が変わった週の頭。正之と久子は教務課に呼ばれた。正式にボリビア短期留学生の話を聞かされる。全ては正之のおばあさんの差し金であった。

「僕らが短期留学生ボリビアにいる間に協会の三味線が公演会を行う腹づもりらしい。カレンダー見たらねボリビアはカーニバル開催期間になっているんだ。おばあちゃんの考えたことさ」


担任からもボリビアに行くことを薦められた。

「まあな。教育委員会からな、ぜひ正之と久子にと言っている。正之のおばあさんがそうしなさいと言えば、学園もハイハイと答えるしかないしな」

担任としては正之が留学生はよくわかるが久子はなんでかと不思議ではあったが。

「先生、私、お師匠さんの薦めで三味線を始めてまして」


お師匠さんは日本アンデスの会との共演を承知した。具体的な会場と日程を煮詰め、

「私も腰さえよろしければ参加します。一番のお弟子さんがメインになりますが出来るだけのことは致します。当日のボリビア楽器ケーナとチャランゴが大変楽しみです」

新聞の社会文化面にコメントが載る。


久子の兄貴はどうしていたか。

「なんだ。久子が短期ボリビア留学生に決まったんだ。ならさ俺はさ」

長期留学生になりそのままボリビアの大学を卒業してやると息巻いた。

「俺としてはボリビアやペルーよりアンデスにあったインカ帝国が興味津々だな。ピラミッドもある。未確認だがアトランティスもあの辺りにあったなんて言うじゃあないか。古代の歴史とロマン漂うところではあるな」


スペイン語ぐらいすぐにマスターしてやるさと気合いも入れた。頑張れるかな高校5年生。


お師匠さんと日本アンデスの会の共演は日程が煮詰まり市民ホールで開催された。


お師匠さんは腰痛止めの注射を打ち第1幕〜第三幕まで三味線を弾く。第三幕でボリビア楽器チャランゴと()を合わせてみた。お師匠さん独奏であった。


観客はかなりの戸惑いを見せていた。

「チャランゴは要はマンドリンだろ。マンドリンと三味線が合体して妙な感じだわ」

まずは不評を買う。


演奏を終えたお師匠さんは拍手の中、腰を抑えながら幕に下がる。

「痛み止めが利いている間は大丈夫だと思ったんだけどね」

腰に力が入らないから演奏が思うようにならなかったらしい。それでも会場を埋め尽くした観客はいつものお師匠さんの三味線に酔いしれた。チャランゴとの共演は別として。


第4幕からは一番弟子、二番弟子とお師匠さんが最も信頼をしている弟子の師匠が登場する。いずれも次期日本伝統文化の継承者になるべきお師匠さんばかりである。

「我々は三味線とケーナ・チャランゴをよく理解して弾くつもりです。しかし始めての試みですから」

一番弟子はまずは口上を述べて試み(トライアル)を強調した。


久子はボリビアに短期留学を父親に話す。

「夏休みの2週間だけ滞在するの。費用は教育委員会が負担してくれるから私はお小遣いを持っていく程度ね」

父親は黙ったまま。ひたすら娘の話す留学を聞くだけであった。頭には今朝読んだ南米の国際事情悪化の新聞ニュースがグルグルと駆け巡っていた。

「それからねお父さん。おにいちゃんももしかして留学するかもしれないって」

父親は飲みかけたお茶でゴホンっとむせてしまう。兄貴までが海外に行きたいのか。

「確か高校卒業と大学だったな」

久子は2週間辛抱すれば夏休みの終わりには戻ってくる。


長男はいくら辛抱しても戻ってこない気がしてならなかった。父親は茶台の上のお菓子をひとつパクッと食べてお茶でゴクリと呑み込んだ。甘い味もなにもまったく感じなかった。


「ただいまぁ。おっ、お父さん早い帰宅だなあ」

兄貴はアルバイトからお帰りをする。

「親父さんに留学の話をしなくちゃいけないが」

そう思いながらも階段をあがり部屋に入ってしまう。父親はジロッと息子の後ろを眺めただけであった。


「なんせな、留学、高卒、大学だからな。一気に話したら口から泡を吹いて倒れてしまいそうだ。小出しにして教えないといけないだろう。よしそうしておくか」

ひとり納得をして後日相談することにした。

「よしやるかあ」


パソコンを立ち上げ、さっそくに自分のサイトを開示してみる。

「リクエストと作曲依頼がかなりある。イッヒヒ嬉しいじゃあないか。リクエストなんてジャンジャン答えてあげまっせ。ロック・フュージョン・ポピュラー。なんでもやりまっせっ、と。うん?」


リクエストコーナーに気になるものがある。


「インカ帝国の野望をリクエストしたい」


投稿メールの中身にはかなり子細にインカ帝国なや南米諸国の歴史・文化が書かれていた。

「なるほど。インカ帝国はこんな歴史が刻まれそしてスペインに滅ぼされてしまったのか。沈まぬ国スペインの犠牲となりし大帝国か」


市議会の議事会場。


市議議長が開廷をしますよと挨拶をするところである。


市長は執務室にて最後の最後、市議議事会が開廷される時間ギリギリまで資料に目を通していた。

「議事のメインはボリビアとの国際友好都市締結だ。世論としては歓迎ムードなんだがね。私は正直に言って気が進まない」

経済不安のある南米諸国とは関係を持つとあまりよいことがないではないかと市長は結論づけた。

「相互に経済援助ならばギブ&テイクができる。しかしボリビアにはそれが求められはしない。市政としてもあまり潤沢ではない財政を圧迫することは極力避けてはおきたい」

資料から目を離すとタイミングを見計らったように秘書が入ってくる。

「市長、議事会が開廷致します。ご準備のほどはよろしいでしょうか」

市長はコックリ頷く。

「ああっ、よろしいよ。では行くとするか」


市議議事会に市長は拍手で迎えられる。

「ではただいまより第23回市議議事会を開廷いたします」

凛と張りのある市議議事長の開廷宣言である。


議案はボリビア国際友好都市締結からスタートをする。市議各議員は賛成を口にしていく。

「我が市は国際友好をアメリカ・豪州・欧州と締結しています。南米とも締結されたらバランスも取れて万々歳です。市議会としましても異論のないものと致します」


そこに市長は手をあげる。ボリビアの国としての貧窮化する経済政策、反アメリカ体制としてベネズエラ・エクアドル・ボリビアと大統領が名乗りをあげたことを提案した。

「私は友好都市には反対したい。相互援助の原則が乱れてしまう。例え都市と都市の友好協力と言えども安易に踏み込めないものがある」


議事会は混迷した。まさか市長が反対を声明したとは。

「わかりました。本件は持ち上げ議案(議事中止)とし後日再度議題といたします。次の議案に移ります」

市長の意見も市議の意見も持ち越しとなる。市議の若手からは不満の声がかなり漏れてくる。

「ボリビアの国際的な立場は今は低いことは事実である。しかし都市間の友好ぐらいの話に経済まで持ち出したりとはやりすぎではないか」


その声をじっくり聞いていたのは26歳の新人女性市議議員だった。

「南米諸国はベネズエラ大統領チャベスの立ちい振る舞いから見て必ず国際的な発展をしていくわ。友好都市になって損なことはないはず。よし気合い入れて調べてみるか」

薄いピンクのブラウスが眩しい春先の市議議員であった。市民団体からの支援で初当選を果たしたが今のところこれという活躍の場がないと女性市議は嘆いたところである。


週は変わり再び友好議案の議会開催となる。

「本日の議会にてボリビア友好都市締結議案は可否を決めていきたいと思います」

まずは冒頭で市議議長が最終に多数決の裁決を打ち出す。


最初の議案提出は26歳女性市議だった。

「議長、提案がございます」

サッと手をあげ議会での発言を求めた。華やかなブルーのスーツ姿が凛とした姿勢を表して質問に立つ。いかようにインテリ女子大生の装いである。

「市長さんからの友好反対議案に提案をさせていただきます」


ボリビアはインカ帝国のクスコ、首都があったような国。スペインに征服をされるまでには栄華を競い華やかな王朝文明を展開していた。

「インカ帝国は歴史の中ではよくわからないことばかりです。だから我々には馴染みがないとも言えます」


ボリビアはアンデス山脈の高原地帯。故に先住民族は山岳民族と言える。

「山岳の生活は酪農や山の畑の収穫が主となります。酪農はご存じのように我が街も盛んでございます。この牛・羊・鶏の飼育の技術指導を送り込むことに意義があります」

ボリビアは昔ながらの非科学的な酪農を今でも頑固に続けると市議は調べていた。子牛を産ませ高原の草を食べて育てる。


田畑からの収穫はトウモロコシ・ジャガイモ。

「このトウモロコシとジャガイモはボリビアを含む南米諸国の主食だそうです。その他はトマトやニンジン・レタス・ブドウ・林檎・梨・小麦・コーヒー・カカオ・砂糖・バナナ」

ボリビアのニュースで問題になっているコカの実には触れなかった。


女性市議は賢明に調べましたと鼻高々に話を進めたが。

「おい!そんな分かりきったことを改めてご託に並べるな。時間の無駄だ。みんな知ってることばかりだぜっ、まったく」

議事会に野次が飛んでしまった。言われた女性市議は少しムッとする。

「これから本題に入らせてもらいます。市長さん私が配りました資料を御覧ください」


言われた市長はサッと資料を広げた。中にお菓子メーカーの鮮やかなパンフレットが挟まっていた。

「なんだこれ。うちの中学生の娘が喜びそうなものじゃあないか」

市長は首を傾しげた。塩チョコレートのパンフレットだった。

「私は実は甘いものが大好きです。まあそれはともかくとして」

議事会に期せずして笑いが漏れた。中にはチョコレート食べたいだけなのかと野次が来る。

「このお菓子メーカーは最近、塩をチョコレートとミックスさせた新製品を売り出しています。若い娘さんはあれこれと甘いものに目がありませんから塩チョコレートも物珍しさから一度は食べてみたいと思います」


ボリビアはチョコレートの原材料ココア豆が豊富に採れる。そのボリビアのココア豆はベネズエラ・エクアドル・コロンビアと南米諸国で採れる豆としても最高級な扱いをされていた。

「チョコレート好きな私が食べてみましたらボリビアチョコレートが一番美味しいですね」

野次は激しくなる。


チョコレート食べたいだけなら帰れ!


「市長さん。我が街は塩の生産が有名でございます。我が街の特産品の塩とボリビアのカカオ豆をミックスして塩チョコレートを作ってしまえばかなり美味しいと思います」

女性市議はパンフレットだけでは分かりにくいですからと塩チョコレートのサンプルを市議全員に配る。


その他2〜3の市議の質疑応待がありいよいよ多数決となった。


議事長が、

「では多数決を取ります」

女性市議は緊張感から足がブルブルと震え出して止まらなかった。います」

女性市議はパンフレットだけでは分かりにくいですからと塩チョコレートのサンプルを市議全員に配る。

「塩ですけどね、美味しいですのよ」

年輩の市議は糖尿だからと拒否する者もいた。

「チョコレートは砂糖が含まれていますからね。でもポリフェノールがありますわ」

糖分の少ないチョコレートも召し上がれと宣伝をした。


その他2〜3の市議の質疑応待がありいよいよ多数決となった。


議事長が時期を見計らって議会を見渡した。

「では多数決を取ります。賛成の議員の方、ご起立願います」

市議たちは口に塩チョコレートを頬張りながら議決を待った。市長はじっと黙り腕組みをしたまま動かない。女性市議は緊張感から足がブルブルと震え出して止まらなかった。


学園が夏休みにまもなく入る頃。正之は久子とデートを楽しんだ。

「正之くんとはいつも一緒にいるから」

久子と正之はクラスが同じことから親しくなっていく。正之の母親には土曜や日曜に頼んで料理を習うことになっいた。三味線は祖母のお弟子さんから手解きを受ける。ハタからみたら正之のお嫁さんのようであった。


久子はまんざら嫌ではないような様子である。母親を早くに亡くしたため正之の母親が代わりであったということだった。


「私たちのボリビア留学が決まったね」

正之も久子も夏休みの短期行くことが正式になった。

「まあね。おばあさんの趣味が高じて行かされるようになったってやつさ。久子は三味線をボリビアで弾くんだろ。大統領の前やボリビアの国民の前でやるらしいよ。どのくらい上達したんだい」

久子は初歩から進んで今は中くらいかなと恥ずかしそうに答えた。

「中級か。どうかなあ、おばあさんと揃ってやれそうかい」

習い始めて数ヵ月と50年も弾いているお師匠さんが揃って三味線を。

「正之くん。それってかなり無理がありそうよ」


久子の兄貴はどうなったか。長期ボリビア留学は決まったのだろうか。高卒から大学への道。


「学園の教務課としましては希望者がいないからそのまま決めてしまいたかったんですが。2年も余分に高校生では少し無理がありますわ。ついては短期に変更させてもらいます。留学の学費は自己負担になります」

年齢が高い高校生だからとハネられてしまった。

「アチャアン。年齢制限があるんか」なんで長期留学は無料で短期は有料なんだ。高卒で大学進んでタダなんだぞ。わけわからないぞ」

募集には高校生とだけしか明記がなかった。

「短期は自分で金を出せだと。しかし長期はダメだと断りを言われたらますます行きたいなあ」

インカ帝国と南米諸国のアンデスの山々が頭に浮かんでしまう。

「コンドルはどこに飛んでいくんかなあ」


妹の久子と正之は着々と留学の準備を整える。日程は夏休みの半ばあたり。まだまだ余裕があった。

「えっ、おにいちゃんもボリビアに行きたいの。留学するつもりなの。初めて聞いた」

久子は驚く。夕食の際に兄貴は父親に向かって留学を切り出した。

「ああ留学さ。たぶん久子たちのそれも教育委員会や県・市がバックアップしているはずさ。だから学費や旅費はいらないんだ」

兄貴は父親に渡航費と学費を少し援助してもらえないかと頼んだ。父親は黙ったままお茶を飲むだけであった。


「俺もさ、バイト代があるから。費用の全額を出せとは言わないよ。夏休みになれば毎日バイトで稼ぎまくるさ。なあお父さんその前に公募の締め切りが来てしまうからさ。頼んだよ、少しでいいんだ」

父親はわかった、いくら出せばいいんだと折れた。


市議会は無事に閉会をした。議案を提出したあの26歳女性市議は感激にむせいでいた。市議に初当選をして初めて自分の提出した議案が通過をしたのだ。

「よかったなあ。嬉しいだろ、よかったよかった」

市議出身の市長はその気持ちがよくわかった。

「初はなんせ嬉しいもんだよ」

暖かい言葉を議会閉会後に女性市議に与えた。

「ありがとうございます市長さん。大変に嬉しいです。私みたいな者でも市民のために役に立つんだなと思ってしまいますと余計に嬉しいです」

多数決の裁決では恐怖から足がすくんでいたのが嘘のようであった。


こうして市はボリビアの都市との国際友好姉妹都市を締結するこてにした。早速外務省を通じて連絡が行く。

「ボリビアと友好都市となると市役所には担当職員が必要だ。秘書を呼ぼう」

職員の名簿を秘書にくくらせて語学に明るい人材を探した。英語にしろスペイン語にしろである。語学の堪能な者はかなりいた。

「ボリビアに派遣する際は職員と市議の組み合わせになる。市議は当然に君にやって貰うよ。異存はないね。頼んだよ、塩チョコレートさん。あのサンプルのチョコレート美味しいね。メーカーに問い合わせをしてうちの娘にもわけてやりたいねアッハハ」


市長としては我が街の経済の発展に寄与することならなんでも働きかけていきたいと市長就任から思っていた。

「まさかね。あの塩が売れるようになるとはね。地元産業、地場産業の発展はどこに種が転がっているかわかりゃあしないな」

地元の農家に生まれ育ち市議から市長になった。地元のためならばなんでもしたい市長である。

「ボリビアとの友好がうまく行けば次期市長選挙は大丈夫ですアッハハ。いや名前が売れたら県知事に立候補したくなるなあ」


市長の京大時代の同期には衆議や参議にもなっている。いつまでも市長で満足しているとは考えられなかった。県知事は地方自治の頂点に考えられていた。


女性市議はさっそくに外務省に問い合わせをした。

「これからは市役所の窓口は私が担当になります。よろしくお願い致します」


こうしてボリビアとの繋がりは確立されることになる。モラレス大統領がお師匠さんの三味線に感動してからアッという間の出来事であった。


国際友好都市締結は大々的に新聞に掲載された。


同時に日本伝統文化協会に正式にお師匠さまのボリビア派遣の依頼が市役所からあった。

「わかりました。副理事に伝えておきますわ。友好都市おめでとうございます。日本と南米諸国の架け橋になられたらよいんですけどね」

協会は三味線のお師匠さん方にそれぞれ連絡をする。その手始めが副理事のお師匠であった。


お師匠さんは協会から話を聞く。改めてボリビアの民族楽器との共演を打診された。最初は神妙な顔で依頼を聞いた。

「わかりました。お受け致します。ただね私は御覧のとおり老人でございます。飛行機に乗って異国の地にまで行って五体満足かの保証なんざございませんよ」

腰痛は夏に向け少しだが緩和されていた。

「腰さえ痛くなければね大丈夫なんだけど。私も悩むことなぞないんだがね」

問題は飛行機である。気圧が低下するとたまらなく痛みが走る。

「お医者さんに同行してもらいましょうかね」


市役所は国際友好都市締結を大々的に街で宣伝をする。その友好の手始めとしてお師匠さんの三味線派遣と地元高校生たちの短期留学が行われた。

「高校生留学に正之と久子さんがいるからね。私も腰痛に打ち勝って頑張っていかなくちゃね」


夏休みが始まり正之と久子は留学が間近に迫った。すっかり渡航ムードとなる。

「学園からは約10人ぐらいの派遣らしい。後は大学と社会人だね。まあ久子と一緒に行けば怖いものはなんにもないよ。怪獣が出てもUFOが襲来しても。噂ではインカ帝国の亡霊が出るらしいけどね」


その頃久子は自宅でクシュンと大きなくしゃみをした。

「やだなあ、夏休みに風邪ひいたかな」


おっと久子の兄貴はどうしたか。

「俺はさ、お父さんに留学費用を全額出してもらった。必要書類と合わせて学園に提出したから。だから久子たちと一緒にボリビアへ行く」


お師匠さんたち協会は毎日三味線のお稽古に余念がない。

「ケーナとチャランゴの共演は楽しみでございますわ。たぶんモラレス大統領さんも満足をされてくれましょうに」

お師匠さんは余裕である。習い始めたばかりの久子の三味線はどうされるのであろうか。

「久子さんはまだまだです。かといってボリビアまで来て弾かないのも可哀想ですわ」

お師匠さんにっこりと笑った。

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