タイトル未定2026/09/17 13:34
その日は、真夏の太陽が照りつける、いかにも海日和といった一日だった。
俺は暴力団員の下っ端をやっている、若葉直人。今日はアニキ達と、日頃の殺伐としたシノギから一転、船でパーティをしに来ていた。
船といっても、何百人も乗れるような豪華クルーザーじゃない。せいぜい十人乗れる程度の小舟だ。
そんな心許ない船に、俺たちは六人で乗っている。
「おい、全員ついたぞ。直人、酒用意しろ!」
「了解です! 仁のアニキ!」
船の運転を務める荒谷仁が、景気よく声をかけてきた。
「アニキ! 肉も焼けましたぜ!」
「アニキ! こっちもぼちぼち魚釣れましたぜ!」
双子の兄、渋谷和樹と弟の将暉が、アニキに軽快な声をかける。
正直、俺はこの二人があまり好きじゃない。
所謂、ゴマスリが得意な奴らだ。
アニキの前ではいい顔をするくせに、俺ら下っ端は雑に扱う。典型的な嫌な先輩だ。
「アニキ、こっちも重石を降ろして、船を止められました」
物静かなのが、間地黎人。
「アニキ、言われてたアレも準備できました」
アレとは、所謂、薬だ。
俺らのシノギで使っているものを、今日は少しばかり事務所からパクってきた。
バレたらもちろん、親分に殺される。
そんなこんなで、パーティーはアニキの音頭で始まった。
「えー、お前ら。いつもご苦労。普段は辛気臭いシノギばっかで、なかなかこういうこともできねえからな。今日はパーっと騒げや!」
『押忍!』
『乾杯!』
各々が肉を食べ、酒を飲み、アレをやり、どんちゃん騒ぎをした。
普段なら警察の目を気にして色々と面倒だが、今日は船の上。それも東シナ海の海上だ。
周りの目を気にする必要もない。
しばし日常を忘れられる、そんな時間だった。
一時間ほど経ち、いい感じに酔いが回ってきた頃。
「直人! どうだ、記念に海飛び込んどくか?」
「え、いいんすか? 仁のアニキ、俺のこと投げ飛ばしてくださいよ」
「任せろ。普段から筋トレで鍛えてるからな!」
そう言って、アニキは袖を捲った。
そこから覗く腕は血管が浮き出ていて、日頃から相当鍛えていることが窺える。
「いくぞ! 直人……おりゃっ!」
――ドッパーン!
心地がいいのは、アレのせいも少なからずあるかもしれない。
それでも、この海は心地よく冷たく、俺の全身を包み込んだ。
「プハァ……流石アニキ! 空飛んでましたよ、俺!」
「だろ? あと、早く上がってこいよ。ここ、普通にサメ泳いでるらしいから」
「冗談っすよね?」
「いや、マジマジ」
死ぬ!
そう思って、俺は必死に梯子へ泳いだ。
もう二度と、こんな速さでは泳げないだろう。
「殺す気っすか!」
「アハハ! 冗談だよ」
そんなこんなでパーティーも佳境を迎え、夜になった。
「お前ら、船酔いの薬飲んどけよ。夜は揺れで寝られない奴は本当に寝られないからな」
夜空を見ながら煙草を吸うアニキが、俺らに言った。
なんて綺麗なんだろう。
都会の夜じゃ、こんな星空は絶対に見えない。
見えるのはせいぜい、ホストに狂う女と、街で飲んだくれる中年親父の凱旋パレードくらいだ。
目に焼き付けようと思い、俺は空を眺めていた。
すると、同じ下っ端の黎人が近づいてきた。
「アニキと俺ら以外、寝ちまったな。直人、また東京戻ったら頑張ろうな」
物静かな黎人が、酔っているせいか熱い話をしてきた。
普段は本当に物静かで、あまり話さない。
これも海マジックってやつだろうか。
「おう! 黎人、マジでアニキのために頑張ろうな」
そう言うと、アニキのいびきが聞こえてきた。
まるで怪獣のような地響きと、船の揺れ。
俺たちは疲れ切っていたのか、そのまま眠りについた。
――翌朝。
薫さんの悲鳴で目を覚ました。
「イヤァァァ! アニキ、嫌だよぉ!」
サイレンのような薫さんの声が響く。
目を開けると、アニキが海面に浮いていた。
辺りの海は、一面が血に染まっている。
遠目にも分かる。
顔以外の水に浸かった身体は、四肢の一部を食いちぎられていた。
その凄惨な遺体が、船から少し離れた海面にぷかぷかと浮いている。
黎人は腰を抜かし、声すら出せない様子だった。
「やばい、アニキを助けないと!」
和樹が非常用の浮き輪を海へ投げた。
「兄ちゃん、ゆっくりね!」
将暉が慌てながらも和樹を諭す。
二人でゆっくりと遺体を船まで引き寄せ、サメに気づかれないよう船へと引き上げた。
「アニキ!」
そう呼びかけても、当然返ってくるのは波の音だけ。
俺たちは現実を受け入れられず、放心していた。
――しばらくして、口を開いたのは薫さんだった。
「アニキ……なんで、サメに喰われてるの?」
「分からない。誰か、アニキが落ちる音を聞いた奴はいるか?」
今ではこの船で一番年長となった和樹が、皆に問う。
「いや、俺は分かりません」
「私も、気づきませんでした」
「俺も全く」
全員が答えた。
将暉は黙って和樹を見る。
和樹も、俺も知らないと言うように目を合わせた。
「俺らはこういう組織にいる以上、海上保安庁にも言えねえ。ましてや警察なんかに行けるわけがねえ」
もちろん、アニキが生きているわけなどない。
右腕はほとんど食われ、両足と腹も半分ほど食われている。
顔がほぼ無事なのが奇跡に思えるほど、凄惨な状態だった。
「アレのせいで、ラリっちゃったんすかね……」
俺は一番可能性がありそうなことを口にした。
「いや。アニキはアレをあまりやらない。昨日もやっているところを、少なくとも俺は見てねえ」
和樹が即座に否定する。
では、なぜ?
みんなの間に二つの疑問が生じた。
一つ目。
なぜ海へ落ちたのか。
二つ目。
なぜ、落ちた音や、食いちぎられる間に上げたであろう悲鳴に、誰も気づかなかったのか。
「とにかく、船を港へ戻そう。黎人、確か船を運転できるんだよな?」
「はい。できます」
「船を港へ戻せ」
和樹が、新しい兄貴になって初めての命令を下した。
「和樹、アニキはまだ生きてねえかな? 奇跡的によ」
「無理だろ。ダルマみてえになってて、生きてられる人間がいるわけねえだろ」
将暉の望みを、和樹が冷たい声で断った。
まだアニキの死を受け入れられない。
それでも俺たちは、港へ戻ろうとした。
「……やばい」
黎人の不安そうな声が聞こえた。
「どうした?」
黎人が発した言葉で、俺たちは自分たちの置かれた状況を理解した。
「船の鍵がありません」
「えっ……」
薫さんが声を漏らす。
「そんなわけない。皆さん、すみませんが鍵を探してください!」
黎人が慌てて続けた。
「鍵には括り付けるためのゴムがあって、キーホルダーとして熊のぬいぐるみが付いてます。お願いします!」
黎人の声を合図に、船内の一斉捜索が始まった。
黎人は船首とアニキがいた場所を中心に。
薫さんは薬箱を。
双子は手当たり次第に。
だが、鍵は見つからない。
それが何を意味するのか。
俺たちの頭には、一つの言葉が浮かんでいた。
遭難。
俺たちは、この海のど真ん中で、アニキの遺体と過ごさなければならなくなった。
その事実が、波と一緒に俺たちの心を締め付けた。
――アニキの遺体発見から、三時間ほど経った。
各々、諦めきれずに鍵を探したり、現実逃避のためにアレをやったりしていた。
痺れを切らし、俺は皆に聞いた。
「もし、本当にこのまま鍵が見つからなかったら、発見されるまでどのくらいかかりますかね?」
「少なくとも三日以上はかかる気がする」
和樹が答える。
「俺らが海へ行ったことを知ってるのは、仲間でも数名だけだ。そこから帰ってこないとなって、船の準備やら何やらをした後、この広さの海を自力で探すとなると、最低でもそのくらいは見ておいた方がいい」
そして双子が俺たちに命令する。
「幸い、昨日は酒ばっかり飲んだせいで、水は三日なら余裕で持つ量がある。けど、こんな真夏の海で三日は洒落にならねえ。死んでも何か見つけろ」
薫さんと将暉がアレをやっている間、俺たちは引き続き鍵を探した。
三十分ほど、一度見た場所も含めて探した。
だが、鍵は見つからなかった。
もうすぐ日が暮れる。
俺たちの遭難一日目は、何の成果も得られないまま終わろうとしていた。
――一日目の夜。
「皆さん、水です。なるべく夜はゆっくりして、体力を温存しましょう」
俺は皆に水を配った。
「サンキュー」
和樹が座ったまま、ポイッと水を受け取る。
相変わらず、どこまでも横柄な人だ。
その後、皆は遺体と鍵のことで疲れていたのか、アニキが死んだ時に音がしなかった理由を気にすることもなく、眠りについた。
――そう、俺以外は。
「よし。このクソ野郎をぶち殺して、サメの餌にしてやるか」
皆が眠ったことを確認し、俺は立ち上がった。
アニキを殺したのは、もちろん俺だ。
理由は簡単。
保険金。
アニキには、多額の生命保険がかけられている。
だから、まずはアニキを殺す必要があった。
一度に大量に殺さなかったのは、殺人だと疑われる可能性を少しでも減らすためだ。それに、保険金はうちのルールで同じチームに年上から準備分配されていく。
そして今、ようやくこのクソ双子の片割れを処理できる。
明日は弟。
その後、黎人と薫さんと三人で保険金を分ける。
双子に分け前を渡すつもりはなかった。
とはいえ、俺一人だけが生き残れば、いかにも怪しまれる。
だから三人は残す。
協力を求めることも考えたが、拒否されてリークされたら俺は終わりだ。
だから、一人ずつ消す。
そのために薬を使った。
昨日から、皆の酒や飲み物に睡眠薬を混ぜていた。
眠ってから、朝まで起きない程度のものだ。
俺自身、東京で使ったことがある。
効果は分かっている。
これなら音を立てても、誰にも気づかれない。
もしバレたら、その時は殺すしかない。
俺はアニキを殺した時に使った料理用の包丁を取り出した。
和樹の身体を海側へ向ける。
そして、首へ刃を当てた。
「よし。今、兄貴に合わせてやるからな」
――ザッ。
和樹の身体から力が抜ける。
俺はその身体を海へ捨てた。
その時だった。
「……やっぱり、直人なの?」
心臓がキュッと縮む。
見られた、まずい。
振り返ると、そこには悲しさと恐怖の入り混じった目でこちらを見る薫さんがいた。
「……見ちまいましたか、薫さん」
「どうして?」
「どうして? こっちの台詞ですよ。何で眠ってないんですか?」
薬の効き目は本物だ。
それに、見た目では睡眠薬が入っているとは分からない。
バレるはずがない。
「私、これ見つけちゃったんだ」
そう言って、薫さんは薬箱から小さな袋を取り出した。
「睡眠薬でしょ? これ」
「……それを、どこで?」
「鍵を探している時に」
「でも、一目で睡眠薬とは分からないはずですが」
「私、不眠症気味なの」
薫さんは淡々と続けた。
「初日の夜、やけにぐっすり眠れたことがおかしいと思った。それに、アニキが殺された時、誰も音を聞いてないでしょう?」
俺は黙った。
「だから薬を調べたの」
「……なるほど」
なぜか薫さんは恐ろしく冷静だった。
「それに、飲み物を準備していたのは昨日も今日も直人だった。だから、何となくは分かってた」
「それで、さっきの質問に答えてもらってませんよね。なぜ殺人なんかするんです?」
「保険金です」
俺は答えた。
「元々は、黎人、薫さん、俺の三人で分けるつもりでした。双子に保険金が渡るのは気に食わない。だから、ここで殺す計画にしてます」
薫さんはしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言った。
「……私も、お金が必要なの」
その言葉を聞いた瞬間、俺は理解した。
「じゃあ……」
「協力する」
薫さんはそう言った。
「黎人には、全部終わった後に打ち明けます。明日の夜、将暉をやるまでは黙っててください。いいですね?」
「分かった」
「それと、船の鍵はここです」
俺は自分の靴を指差した。
「クマのぬいぐるみは邪魔なので、海に捨てました。殺しのためには船を動かされたら困るので、鍵はここに隠してます。身内を疑いもしないから、簡単でした」
「分かったわ」
俺はナイフについた血を拭き取り、バレないようにしまった。
そして、寝る準備をする。
明日はきっと、将暉が大暴れするだろう。
ここまで来てしまえば、今日のうちに殺しても構わない。
――パタン。
――翌朝。
腐臭で目を覚ました。
目を開ける。
身体が動かない。
両手が縛られていた。
そして、裸足にされている。
「……やられた」
「おはよ、直人」
薫さんが、俺を見下ろしていた。
いつの間に。
いつ、睡眠薬を盛られた?
「ごめんねぇ、直人」
薫さんは笑った。
「あたし、アニキのこと愛してたんだ」
「……薬を入れたのは?」
「簡単よ。自分の飲み物と、直人の飲み物を入れ替えただけ」
「いつの間に……」
薫さんはしゃがみ込んだ。
「本当は、アニキを殺した奴を縛って、犯人を炙り出そうと思った。でも犯人は勝手に自白するし、保険金もあるそうじゃない」
その顔から、悲しみが消えていた。
「だったら、もうアニキのことは忘れて、保険金を一人でもらおうかなって」
自業自得ってわけか。
俺は周囲を見る。
黎人も、将暉もいない。
殺されたのか。
なら、鍵の本当のことを言わないと――。
ボンッ!
「えっ――」
身体が宙に浮いた。
次の瞬間、海面が迫ってきた。
「待って、薫さん!」
ドボンッ!
海へ落ちる。
まずい。
血の匂いでサメが集まってくる。
「薫さん! 待ってくれ!」
縛られた身体が沈んでいく。
遠くで、薫さんが船へ戻っていくのが見えた。
そして――
「よし、船動かして帰ろうかしら」
だが、すぐに薫さんの声が聞こえた。
「……あれ?」
船が動かない。
「鍵が……」
しばらくして、絶叫が海上に響き渡った。
「何でっ! 何でよ!」
俺は薄れゆく意識の中で、笑った。
最初から、誰も信用していなかったんだ。
腐っても暴力団だからな。
船の鍵は、俺が靴に隠したなんて嘘だ。
アニキを殺す前に、一人で海へ潜った。
船のプロペラに、鍵をゴムで縛り付けた。
誰にも見つからないように。
誰にも奪われないように。
だから――
あの女が、船を動かせるはずなんてない。
海の中で、俺の意識が遠ざかっていく。
その向こうで、薫さんの悲鳴だけがいつまでも響いていた。
三日?四日?助けが来るまで、一人で船の上で過ごさなければならない。人を殺したという罪悪感と共に。




