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子羊令嬢の婚約破棄

作者: 塩バジル
掲載日:2026/06/06

 エリック・カペル・アースビーは、婚約者の何もかもが気に入らなかった。



 彼の婚約者である、メアリー・ドーマ・ノースモーランドは、社交界では“子羊令嬢”の名で知られる、可憐な少女だ。


 ほっそりとした手足は白く、17歳という年齢にしては小柄で華奢な体。

 やや垂れた桃色の瞳は、つねにうるんだように輝き、愛らしい。

 そして、フワフワにカールした、プラチナブロンドの髪。


 これらの容姿に加えて、おっとりとした言動と、穏やかで控えめな性格が、メアリーが“子羊”と呼ばれる所以である。



 だが。

 “穏やか”も“控えめ”も、美徳ではあるが、貴族の娘にはいらぬ資質だ、とエリックは思う。

 いずれは伯爵家を継ぐ総領娘なら、なおさらだ。

 

 昨年、隣国を視察中に災害にあって亡くなったノースモーランド伯爵も、ひ弱で、おっとりしすぎていると、よく娘のことを案じていた。


 その評価は、周囲も同じなのだろう。


 “子羊令嬢”は、つねに彼女を気遣う人たちに囲まれている。

 何かトラブルが生じても、彼女が困ったようなほほえみを浮かべている間に、周囲の誰かが動いて解決への道筋をつけるのだ。


 そんなメアリーの甘えた様子が、エリックは気に入らなかった。



 エリックは、侯爵家の三男だが、家名に恥じぬよう、厳しい教育を受けてきた。

 家では、当然だが誰も甘やかしてはくれない。

 まぁ、兄二人の出来が良いし、多少は好きにさせてもらってはいるが、メアリーのように甘えてはいないはずだ。


 じっさい、ときどき些細なトラブルに巻き込まれるが、それらのすべてを自分の手腕で解決してきた。


 そもそも、その些細なトラブル自体が、自分の容姿と社交性が“高すぎる”ために生じるのだ。



 エリックは、濃いブラウンの髪にアースビー家特有の整った顔立ちと緋色の瞳の持ち主である。

 加えて、周囲の者を楽しませる社交性を身に着けているため、しばしば、おのれの立場を勘違いし、不自然に距離を詰めようとする者が現れる。


 その都度エリックは、自分の手で、厳しく立場をわからせて排除をしたり、情報を得るためにあえて交流を続けたり、一時の癒しに利用したりしているのである。


 一時の癒し――心身ともに豊かな魅力を持つ女性たちとの交流だが、これだって、そもそもメアリーが魅力的な女性であれば、必要ないのだ。



 メアリーは、たしかに可憐で愛らしい容姿だが、それは、“ひ弱”や“脆弱”と同義であり、女性としての魅力からは程遠い。

 甘えた内面も、一人前の女性とは、とても思えない。


 それでも、婚約者である自分に、素直に甘えてくれたり、ともに人生を楽しもうという姿勢を見せてくれたりするのであれば、まだ可愛げがある。


 しかし、メアリーは、そんなそぶりをまったく見せないのだ。



 互いの交流を図るためのお茶会でも、話題は、アースビー家とノースモーランド家の共同事業の話ばかり。

 たしかに、その共同事業を強固にするために結ばれた婚約ではあるが、お茶会の話題としては、固すぎる。

 そのほかの話題はといえば、他国で発表された論文や、エリックの態度への不満と、これまた可愛げがない。

 しかも、口調はのんびりと穏やかなだけに、眠たくなってしまう。


 お茶会は、報告会や勉強会ではないのだ。

 婚約者として、こちらをもてなし、楽しませる努力をしてほしい。



 だから。つまらぬお茶会からは、つい足が遠のいてしまう。


 学園でも、メアリーとの交流は最低限にとどめた。


 この婚約は、王命ではないものの、母と親しい王妃様の仲介で成り立っている。

 いくら互いに相性が悪くても、解消はできない。

 いずれ、結婚は、するのだ。

 せめて、学園を卒業するまでの間は自由を満喫したい。



 その思いは、メアリーも同じだったのだろう。


 いつの間にか、お茶会に招かれることはなくなった。

 学園では、自身と似たような子羊や、彼女らを甘やかす牧羊犬どもと、こじんまりとした群れを作り、こちらと距離を置いている。


 夜会も、エスコートをして二人で出席はするものの、会場では互いに別行動が常だった。


 その夜会も、ノースモーランド伯爵が亡くなって以降、メアリーは限られたものだけにしか参加をしない。

 不幸の後という事情は分かるが、社交をおろそかにする点も、エリックは不服だった。




 だから。


「婚約を破棄します」


 学園の卒業まで1ヵ月を切ったこの時期に。

 久しぶりに二人で参加した公爵家主催の夜会で。

 メアリーからそう告げられたとき、エリックは、にわかには信じられなかった。




「婚約を破棄します」


 愛らしい声で告げられたその言葉は、ちょうど音楽の途切れていた広間で、しみわたるように響いた。



「・・・何の冗談だ、メアリー」


 (こいつ、酒でも飲んだのか)と思いつつ、困ったような笑顔を作って、エリックは応じた。



「冗談ではありません。

 エリック・カペル・アースビー様。あなたとの婚約を破棄します」


 周囲の視線が徐々に二人に集まる。

 愛らしいが毅然とした様子で婚約破棄を告げた声の持ち主が、薄桃色の春らしいドレスをまとった“子羊令嬢”と気づき、小さく驚きの声を上げる者もいる。



「・・・ああ、そうか。拗ねているんだね。

 すまない。友人との会話が長引いて、君を少しの間、一人にしてしまった」


 じっさいは、いつものように豊かな魅力を持つ女性たちを伴い、友人知人たちと談笑していた。

 魅力的な女性が場にいると、彼らの口は軽くなる。

 これも社交のすべだが、どうやらメアリーは理解できないようだ。



 取り繕う言葉とともに歩み寄るエリックを手で制し、


「拗ねてはいません。

 それに、広間に入った直後から、いまに至るまでの2時間半は、“少しの間”ではないと思います」

と、メアリーが応じた。

 いつもの、おだやかで愛らしい声だが、内容は、まったく愛らしくない。


『2時間半ですって!? 婚約者を一人で放置?』

『あの方、先ほど別の女性と歓談していたわ』『ひどい・・・!』


 広間に静かなざわめきが広がる。



「・・・本当に、すまなかった! でも、君も突然、どうしたんだ? とりあえず、控室で続きを――」


と、あわてて近寄ろうとするエリックの歩みを、今度は剣の切っ先を突き付けるように扇の先端を鋭く向けて、メアリーが止める。

 そして、


「“突然”でもありませんよ。エリック・カペル・アースビー様。

 あなたが言動を改めない限り、この婚約は破棄すると、すでに侯爵家へは通達しています。

 そして、今宵のこの仕打ち。私は、あなたとの婚約を破棄します」


と、小さな唇から大きな宣言がなされた。



「僕の、言動って・・・」

と、言葉を濁しながら、エリックは素早く記憶をさぐる。


(そういえば、上の兄貴から先日、少しは身を慎めと言われた。いつもの既婚者の、やっかみ半分のお小言だと、聞き流していたが・・・。

 いや、まずはこの場を収めるのが、先だ!)



「何か、誤解があるようだ。まずは二人で――」

「誤解ではありません」


と、エリックの弁明をさえぎり、


「証拠なら、ここにあります」

と、メアリーは、いつの間にか近づいてきた大柄の従者から、板状の魔道具を受け取った。


 それは、板の表面にうつした映像を記録・保存し、任意のときに再生できるという魔道具だ。


「ほら、ここに――」

と、言いながら、板を指さし、ボタンを操作するメアリー。


 その瞬間。

 広間の大きな天井に、エリックの上機嫌な顔が映し出された。



 この魔道具は、記録した映像を、板の表面で再生するだけでなく、壁や天井などに大写しで投影することもできる。


 どうやら、メアリーは誤って後者の操作をしてしまったようだ。



『あら、いやだ。エリック様、いたずらな“おてて”ね』

『おっと、失礼。君のやわらかな魅力に、僕の手が癒されたがっているようだ』


 大音量と共に天井に映し出されたのは、学園の空き教室だろうか。

 ノートを広げた机の前に座る制服姿の女子生徒と、その背後からノートに何やら書き込むエリックの姿だ。


 女子生徒は、手前にある植物が影になり、顔は映っていない。

 しかし、たっぷりと豊かなバストは、しっかりと映っている。

 その豊満を、時折、ペンを持つエリックの手が、ちょん、と、つつく。

 反対側の手は、女子生徒のノートに添えた手をねっとりと握り込んでいた。



『もう。今日は、数学を教えて下さるんでしょう?』

『ごめん、ごめん。でも、僕は、ほかの勉強でも構わないよ』


 下卑た映像のエリックの声に、

「・・・あら? このボタンじゃなかった? じゃあ、こっち?」

と、メアリーの、のほほんとした、とまどいの声が重なった。


 その瞬間、映像が切り替わる。

 今度は、街の喫茶店の個室のようだ。

 男女数名がおしゃべりをしているが、顔ははっきりと映ってはいない。



『エリックって、卒業後は、“子羊ちゃん”のお婿になるんでしょ?』

『いいよなー。あの家は金を貯め込んでそうだし。あ、でも、婿養子じゃ、自由になる金はないか』

『いや。メアリーは、そのあたりは抜けてそうだからな。俺がキッチリ管理してやるさ』

『え、じゃあ、卒業後も、遊んでくれるぅ?』

『もちろん』

『やったー! うれしい』

『いやいや。“子羊ちゃん”の金を勝手に使っちゃダメでしょ(笑)』

『夫婦になるなら、財布は一緒だろ。それに、あの事業には母の友人の王妃様も噛んでるんだ。嫌とは言わせないさ』

『悪い子~! でも、そんなところも好きー!』



 とんでもない映像に、口を開けて天井を見入っていた周囲がざわつく。


 そのなかで、あくまでも、のんびりと

「・・・このボタンでもないの? あら、まぁ、どうしましょう」

と、メアリーの声が響く。


 とびかかって魔道具を奪おうとするエリックだが、大柄な従者がその動きを遮った。


 その間も、映像は次々と切り替わっていく。


 煽情的なドレスの、胸の大きな酒場の女性の前で、ニヤつくエリック――

 学園の裏庭で、先ほどとは違う女子学生とのスキンシップを楽しむエリック――



 最後に映った映像は、エリックの父親であるアースビー侯爵だ。

 紳士倶楽部と思われる落ち着いた雰囲気の場所で、葉巻をくゆらしながら、少し酔った様子のアースビー侯爵は、誰かと話をしている。


『・・・ノースモーランド伯爵は、不幸なことでした。しかし、こうなっては、事業は我々が主として動くべきでしょう。

 “子羊”のメアリー嬢に、できることはない。そのあたり、彼女にはよくよく含んでもらわねば・・・』



『これって、伯爵家の、のっとり!?』

 少し高い女性の声が、広間に響く。

『侯爵家が、伯爵家の不幸につけこんで・・・!』『ひどい! のっとりだなんて・・・』

と、周囲のざわめきが大きくなる。


「違う! これは、何かの間違いだ!」

と否定するエリックだが、ざわめきは止まらない。


 そのなかで、

「失礼」

と、上品な紳士が、メアリーの手から、ひょいと魔道具をとり上げた。



「あら。スペンサー卿」

「こんばんは。ノースモーランド嬢。何やらお困りのようだね」


 現れたのは、王宮の法務部に勤めるスペンサー子爵だ。


 のんびりとあいさつを交わしたあと、

「これは、もう止めていいよね」と、スペンサー卿は魔道具を停止させた。



「まぁ、助かりました。私、魔道具の操作は、どうにも苦手で・・・」


 普段、扱わないものですから。とにこやかにメアリーが応じる。



「しかしまた、ずいぶんとたくさんの証拠を集めたね。大変だったろう?」


「少し時間はかかりましたが、皆様、快く協力して下さいまして。

 署名つきの証言も、50件近く集まったんですよ」


「それはすごい。それだけあれば、貴族間簡易訴訟でも勝てるね」



 貴族間簡易訴訟とは、貴族同士でトラブルが生じたときに、そのうちの一方の申し立てのみで王宮の法務部が審理を起こし、判決を下すという、この国独自の制度だ。


 ちなみに、この判決はあくまで「前例と法的に見て、妥当か否か」を示すのみで、罪状などが確定するわけではない。

 それらを確定させるには、王家と貴族院、教会の監督下で、あらためて裁判を起こす必要がある。


 しかし、貴族間簡易訴訟の判決は、国中に周知される。

 面子が大事な貴族にとって、ここでの敗訴は、大問題だ。

 そのため多くの場合、じっさいに訴訟を起こす前に、両者で再度の話し合いの場が設けられて、和解への道が模索される。




「お話し中、失礼を」


 のんびりとした様子で、物騒な会話を続ける二人に、濃いブラウンの髪の紳士が近づく。

 アースビー侯爵家の長子で、エリックの兄である、ウイリアムだ。



「ノースモーランド嬢。この度は、愚弟の言動を改めさせられず、申し訳なかった」


 エリックとよく似た顔で、潔く頭を下げるウイリアム。


「それから、先ほどの父の言葉も。

 もちろん、父は、貴家の“のっとり”などはまったく意図してないはずだが、あの発言は、あまりに失礼だった」


と、再度頭を下げるウイリアム。


「婚約の破棄、あるいは解消を視野に、あらためて場を設けたいのだが、よろしいだろうか」



「ちょ、ちょっと、待ってくれ! それじゃ、事業はどうなる!?

 メアリー、亡くなったお父上だって、あの事業のために尽力していたんだ。そのすべてを、無駄にするのか!?」

と、あわてて口をはさむエリックに、


「――お前が、それを言うのか」

と、静かな怒りをたたえつつ、弟を見やるウイリアム。


「これは、誰かの陰謀だ! 俺の話を聞いてくれ! メアリー!」



「話し合いは、もちろんいたします。でも、この婚約の破棄は、亡くなった父も賛成してくれるでしょう。

 だって――」


と、それまでしゃんと背筋を伸ばして立っていた“子羊令嬢”が、ふいに力なく、俯いた。

 白く、薄い肩が、わずかに震えている。



「――父が。父が、何度も夢に出てきて、私に詫びるんです。

 あの婚約は、失敗だった。あんな不誠実な男とは、思わなかった。お前の人生は、お前の好きしていい、って・・・」


 だから、私は・・・と、言葉を詰まらせ、俯くメアリー。

 大男の従者が、震える小さな背にそっと手を添えて、ハンカチを差し出した。


 そのハンカチを受け取り、ギュッと握りしめて、メアリーは再び背筋を伸ばす。

 そして、


「それに、父の努力も、決して無駄にするつもりはありません。

 この婚約の代わりに、両家の結びつきを強める“代案”は、すでに国王陛下から内々にご承諾をいただいております」


と、言い切った。



『なんと、国王陛下が・・・』『あの可憐なご令嬢が、御父上の遺志を継いで・・・』という、ざわめきのなかで、


「それでは、話し合いの場の設定は、アースビー卿にお任せいたしましょう。

 また、よければ、私も同席させてください。

 ノースモーランド嬢のいとこであるボウ卿は、私の部下でね。彼はいま、地方へ出向中だから、その代理ということで・・・」


と、スペンサー卿。



 そこへ

「お話は、おすみですか?」

と、夜会の主催者である、モートン公爵がゆったりと現れた。


 夜会の場を乱してしまって、と、詫びを言い合う一同を、笑顔で鷹揚に制しながら、モートン公爵は楽団へ合図を送る。


 春の夜にふさわしい軽やかな調べが、ふたたび広間を流れ始める。

 その調べに促されるように、人々は、ゆるゆるとその場を離れて動き出した。



 だが。

 彼らの瞳の奥にともった“好奇心”という炎は消えない。

 広間のあちこちで、“子羊令嬢”とその周辺についての情報が飛び交っている――


 きっと明日には、王都中の貴族たちの間で、“子羊令嬢”の雄姿が話題となるだろう。




 その後。

 学園の卒業を三日後に控えた休日。

 うららかな春の日が差す王都邸の温室で、メアリーは、一人、お茶を楽しんでいた。



 あの夜会のあと。

 ノースモーランド家とアースビー家の間で話し合いの場がもたれ、メアリーとエリックの婚約は解消と決まった。


 “破棄”ではなく、“解消”となったのは、メアリーが魔道具を誤作動させてアースビー家の評判を落としたから。

 その分の慰謝料との相殺を兼ねて、互いに慰謝料の発生しない“解消”が選択されたのだった。



 エリックは、某国にある、アースビー家の遠縁の貴族家へ養子に出されることになった。

 この国ではすっかり“ダメ男”の烙印を押されてしまったエリックだが、血筋はそれなりによい。

 養子先では、エリックに再教育をほどこした上で、高貴な血筋を欲している新興貴族家へ婿養子に出すそうだ。



 メアリーが王家の内諾を得ていた両家の結びつきを深める“代案”も、実現の運びとなった。


 その内容は、亡きノースモーランド伯爵の右腕として働いていた初老の男爵と、アースビー家の寄子である子爵家出身の後家との婚姻だ。

 男爵は、ノースモーランド家の遠縁にあたる男だが、この度、王の側妃の実家から子爵位を譲り受けることになった。

 その嫁となる後家は、公表されてはいないが、現アースビー侯爵の異母妹である。



 アースビー侯爵は、不用意な発言をメアリーへ謝罪。

 近々、長子ウイリアムへ爵位を譲るそうだ。




『――おおむね、予想通りの結果になったわね』


 お茶をゆっくりと味わいながら、メアリーは元婚約者へ思いをはせる。



 エリックは、心身共に貧弱な“子羊令嬢”を、心底嫌っていた。


『まぁ、私のお胸が貧弱なのは認めるけど――』


と、魔道具に映った女性たちの豊かな肢体を思い出し、メアリーは、薄桃色の頬を膨らませ、小さな唇をツンと、とがらせる。


『――まともな教育を受けた貴族令嬢の中身が、“子羊”なわけ、ないじゃない』




 じつはメアリー。

 周囲が思うほど、おっとりとした性格ではない。

 少なくとも、おのれの人生を左右する計画を、立案・実行するだけの強さは持ち合わせていた。



 そもそもエリックとの婚約は、事業の“うま味”に気づいた王妃の横やりで、半ば強引に結ばれたもの。

 メアリーはもちろん、亡きノースモーランド伯爵も、当初からこの婚約には思うところがあった。



 事業は、ノースモーランド伯爵が最初に光明を見つけて、立ち上げたものだ。


 その内容は、隣国で考案された技術を応用した、土壌を改良する、農業用魔道具の開発だ。

 実現・普及すれば、現在、他国からの輸入に頼っているこの国の農作物は、生産量の大幅増が期待できる。

 たびたび生じる僻地の食料不足も、これで解決するだろう。


 ノースモーランド伯爵は、もともと辺境の生まれで、伯爵家へは養子に入った身であった。

 そのため、故郷や古い友人たちへの助けになるはずだと、事業に力を入れていたのである。



 研究者と技術者は確保した。必要な希少素材の入手先の目途もついた。

 あとは、清浄な水を必要とする製造場所を、どこにするか・・・と、検討を始めたところで、儲け話に目ざとい王妃が介入。

 自身と親しいアースビー家への製造委託を勧め、そのアースビー家との縁組をごり押ししたのだ。



 魔道具製造の候補地は、他にもあった。

 ただ、国の未来を左右しかねない魔道具の開発だ。どのみち、王家は介入してくるだろう。

 ならば、いまのうちに、穏便に・・・と判断し、ノースモーランド家はエリックとメアリーの婚約を了承。


 ところが。

 その肝心のエリックが、事業の公益性をまったく理解していなかった。


 王妃も認める“金のなる木”を、いかに大きく実らせるか――

 実らせた後は、どう楽しむか――

 そんな思いが透けて見えるエリックを、「僻地のために」と奮闘する父たちの姿を知るメアリーが、好ましく思うはずがない。



 それでも当初は、お茶会などで会った機会に、事業について認識を改めてもらえるよう、説明を試みた。

 しかし、そのメアリーの姿勢は、エリックには“可愛げがない”とうつったようだ。

 魔道具の開発に役立つ研究が他国で発表されたと教えたときも、あくびで返される始末。


 そんなエリックに対し、いつしかメアリーも、積極的に交流を試みる気力が萎えていった。



 エリックの父であるアースビー侯爵も、当初は事業の公益性について、理解を示していた。

 しかし、やがて利益にばかり目を向けるようになる。

 この侯爵の変化は、侯爵を公私にわたって制御していた侯爵夫人の、病による領地への転地療養がきっかけだったようだ。


 長子のウイリアムによると、アースビー侯爵はもともと拝金主義の傾向が強く、他者への配慮や道徳心は薄かったのだとか。

 それでも、周囲に“ボロ”を出さずにすんでいたのは、長年の侯爵夫人の尽力が大きかったからだ。


 父であるアースビー侯爵がこれでは、エリックの認識も言動も、改まるはずがない。



 さすがに、このままでは駄目だ。婚約の解消を含めて何らかの対策を立てよう――

 メアリーたちがそう考え始めた矢先の、ノースモーランド伯爵の急死だった。




 父の死の直後。

 悲しみのなかでメアリーが思ったのは、「どうすれば父の遺志を守れるか」だった。


 このままでは、父の興した事業は王妃やアースビー家の“金のなる木”に成り下がる。

 それは、絶対に阻止したい。


 そこで、常日頃から“ボロ”を出しまくっているエリックに目を付けた。

 エリックとの婚約を潰せば、王妃とアースビー家の力をそぐことができるはず。


 そう考えて、メアリーは“持てる力のすべて”を使って、自身の婚約を潰しにかかったのである。



 まずは、エリックの、婚約者にあるまじき不実の数々を証拠として残した。

 これには、メアリーの友人知人たちが大いに協力してくれた。


 じつはメアリーは、友人も多いが、自身を好意的に見てくれる“知人”が、非常に多い。

 その理由は、メアリーの祖母と、二人の伯母にある。



 メアリーの祖母は、辺境伯の妻であり、当時敵対していた蛮族を、その武勇で圧倒した女傑であった。

 軍の先頭を走り、華麗な剣さばきで蛮族をなぎ倒すその姿は、“北の女豹”と呼ばれ、いまに至るまで騎士たちのあこがれの対象となっている。


 その祖母が生んだ二人の娘=父の姉たち=メアリーにとっての伯母たちも、ある意味“女傑”であった。


 上の伯母は、王命により、当時の敵対国の貴族へ嫁いだ。

 そして、魅力的な人柄と知力、胆力で、その国の貴族たちを瞬く間に掌握。嫁入りから3年で、その国を完全無血降伏へと導いた。

 そんな彼女は、いまでも両国で“白い手の魔女”として尊敬されている。


 下の伯母は、国内のある貴族へ嫁いだが、その家は長年、ひそかに大きな犯罪に関わっていた。

 その事実に気づいた伯母は、妨害・脅迫をものともせず、数々の証拠を確保。夫を含めた婚家を司法の場へ、文字通り“引きずり出し”、罪を償わせた。

 正義感あふれるその剛腕は、法曹界で“鋼の貴婦人”として、称えられている。



 そんな彼女らの信奉者は、メアリーを『あの“女豹”のお孫さん』などと呼んで、好意的に見てくれるのだ。

 ふだんから、困り事でもあれば進んで手を貸してくれる。いわゆる“忖度”というやつだ。

 そのメアリーの様子も、エリックの目には“甘え”と映ったのだろう。



 しかし、何はともあれ。

 彼ら・彼女らのおかげで、証拠も証言も面白いほど簡単に集まった。



 あの夜会で披露された映像の冒頭で、エリックに胸を触られていた女子生徒は、祖母の信奉者で、騎士志望だという。

 彼女は、メアリーが証拠を集め始めたと知ると、自ら撮った映像を提供してきた。


『ここまでしなくても・・・!』と、驚き、恐縮したメアリーに対して、

『あいつのセクハラには皆、ムカついていたんです!』と、豪快に笑う彼女。



 じつは、アースビー侯爵夫人の転地療養とノースモーランド伯爵の死後、下位の貴族に対するエリックの言動は悪化の一途をたどっていた。


 とくにひどかったのは、女子生徒へのセクハラだ。

 メアリーの諫めの声も『妬いているのか』と、下卑た笑いで受け流す始末。

 それでも、メアリーが頭を下げて回ったためか、自衛する者が増え、すぐにセクハラは減った。

 いまエリックのそばにいる女子生徒は、愛人志望や、おいしい話のおこぼれ狙いの者ばかりだ。



『そいつらの映像だけでもよかったんでしょうが、念のために、こちらも』

と、彼女は笑う。


 ちなみに、あの映像には続きがあり、そこで彼女はエリックの腹に拳を叩きこんでいた。



 “やらせ”じみた映像はそれだけで、ほかの証拠・証言に捏造はない。


 アースビー侯爵の発言も、『侯爵が、こんなことを言い回っている』という知人からの情報を得て撮影したものだ。



 こうして集めた証拠と証言を持って、メアリーは、まず、いとこの上司で、面識のあった法務部のスペンサー卿と面会。

 貴族間簡易訴訟で十分勝てるとの卿のお墨付きを得た。



 さらに、証拠集めと並行して、メアリーは、婚約破棄後の“代案”の下準備も整えた。


 父の右腕だった男爵は、メアリーの提案を『事業のためなら』と、快諾。


 アースビー侯爵の異母妹に関しては、エリックとの婚約が成立した時点で、下の伯母からの情報で把握していた。

 そこで、その伯母の伝手を頼って本人に直接接触。

 亡夫との間に生まれた子らに悪影響がないならと、こちらも無事に了承を得た。



 さらにメアリーは、亡き母の友人の伝手を頼って、王の側妃と面会。

 そこで、王妃の仲介で成り立った縁談を、自分は破棄するつもりであること。

 婚約破棄後は、“代案”によって、王妃の代わりに側妃との縁を深めたいこと。

 その代わり、婚約破棄後に、王命によるメアリーへの新たな婚約は阻止してほしいことを、交渉したのである。


 もともと王妃と仲の悪かった側妃は、メアリーの提案に頷いた。

 そして、共同事業によって得られる多少の“うま味”は、王妃の代わりに自分を介して王家へ届くため、“代案”も、王命の阻止も難しくはないだろうとの言葉をいただいた。



 その側妃との会見と、タイミングを合わせて。

 “北の女豹”である祖母と、“白い魔女”である上の伯母には、王へ宛てて、手紙を出してもらった。

 国への貢献度の高い二人は、王と面識がある。


 手紙の内容は、「亡きノースモーランド伯爵が夢枕に立ち、娘の婚約を悔いている」というものだ。


 もちろん、二人はそんな夢など見ていない。

 メアリーも、見ていない。

 だが、事業の正常化のためだ。

 父には悪いが、“子羊溺愛エピソード”をもうひとつ、抱えてもらうことにした。




 そもそも、メアリーが“子羊令嬢”と呼ばれるようになったのは、父が原因なのだ。


 祖母らを見て育った父は、ごく普通の女性であったメアリーの母が、病を得て若くして亡くなったことで、普通の女性のか弱さに衝撃を受けたらしい。


 そして、母親そっくりのメアリーを、“子羊のようにか弱い存在”として溺愛。

 方々でその溺愛ぶりと心配性を披露する父の姿から、いつしかメアリーは“子羊令嬢”と呼ばれるようになってしまった。



『お母様を亡くしたお父様のお気持ちを思うと、私も強くは否定できなかったのだけれど・・・。

でも、おばあ様たちと比べたら、誰だって“子羊”よね』




 かくして。

 稚拙な工作ではあったが。王には、“ノースモーランドの意図”は正確に伝わったようだ。


 後日、王の代理として、側妃から“代案”の了承と、メアリーの婚姻に王家は関与しないとの旨の手紙がメアリーのもとに届いたのである。




 これらの準備を整えたうえで、メアリーは、アースビー家の長子・ウイリアムと面会。

 そして、ウイリアムに、エリックとの婚約の破棄と、アースビー家の速やかな代替わりを要求したのである。


 自分は、アースビー家と完全に縁を切るつもりはないこと。

 婚約破棄と代替わり、そして、“代案”による王妃の影響の排除。

 以上の条件を飲んでくれるなら、アースビー家との共同事業は継続すると迫ったのだ。



 父と末の弟の言動に頭を悩ませていたウイリアムは、メアリーの予想通り、すべての条件を飲んでくれた。


 ただひとつだけ。ウイリアムからも条件が出された

 それは、父アースビー伯爵の映像を含めた証拠の映像のいくつかを、公の場で流すことだ。



「そんな真似をしたら、アースビー家の評判が下がります。事業への影響も・・・」

と、渋るメアリーに対し、


「そこまでしないと、あの父は、代替わりを認めないよ」

と、力なく笑うウイリアム。


 婚約破棄後も両家で事業を続けていれば、家の評価はすぐに持ち直すし、自分がそうして見せる、とウイリアムが言うため、最後にはメアリーも折れた。


 ただし、婚約破棄による慰謝料は、固辞した。

 一時でもアースビー家の評判を落とすのは事実だし、事業に支障が出てはまずい。



 そして。

 二人で考えたのが、あの夜会での茶番劇だったのだ。



 会場は、王妃と仲の悪いモートン公爵が主催する夜会を選んだ。


 モートン公爵には、事前にウイリアムが接触し、茶番劇を止めずにいてほしいと依頼する。

 『そんな面白い余興なら喜んで』と、モートン公爵は快諾してくれたそうだ。



 メアリーは、スペンサー卿ともう一度会い、当日の茶番劇への参加を依頼した。

 スペンサー卿は、困ったように笑ったが、『両家とモートン家が納得しているなら』と、最後には了承してくれた。



 またメアリーは、親しい友人たちにも事情を話し、当日の協力を依頼。

 夜会の場で、茶番劇に“合いの手”を入れて、参加者たちの評価を誘導してほしいと頼んだのだ。


 日ごろからエリックの態度を批判していた友人たちは、メアリーの依頼を快諾。

 当日は、ノリノリで、『2時間半も放置!?』『のっとり!?』といった“合いの手”を入れてくれた。



 学園で、エリックは、彼らを“子羊”“牧羊犬”などと侮っていた。

 もちろん、メアリーも彼らも、そんな小さな存在ではない。

 だが。たとえ“子羊”だったとしても。

 時と場合によっては、“子羊”だって戦うのである。




 紅茶のおかわりを楽しみながら、メアリーは、先日届いた、祖母と伯母たちからの手紙を読み返す。

 そこには、メアリーの“新たな婚約”を了承・祝福する言葉がつづられていた。


 “新たな婚約”の相手とは、友人の次兄で、現在、王立騎士団に所属する男だ。



 メアリーは、彼ら兄妹とは、幼馴染のような関係だ。

 6歳年上の彼は、祖母の信奉者でもある。

 幼いころは、祖母の知られざるエピソードと引き換えに、彼から勉強や護身術を教わったこともあった。


 彼には仲の良い婚約者がいたが、彼女は医療の道を諦められなかったそうで、先日、医療大国へ留学した。

 そのさい、彼とは円満に婚約を解消している。


 その話を耳にしていたメアリーは、友人を介して、夜会への同行を彼に依頼。

 『男手が必要になるかもしれないので』というメアリーの頼みを快く引き受けてくれた彼は、当日、従者のふりをして側に付き添ってくれたのである。



 そして。

 メアリーの淡い恋心に気づいていた友人の後押しもあったのだろう。

 あの夜会のあと、『落ち着いてから、考えてほしい』と、メアリーは、彼から求婚されたのだった。



 じつを言うと、メアリーは、この結果を期待して、彼に夜会への同行を頼んだ。

 彼は、いつでも長兄の補佐に入れるよう、領地経営の勉強を続けていた。

 文武とも優秀だし、大きな体とやわらかな笑顔も好ましい。

 彼からの求婚がなければ、こちらから申し込むつもりだったのだ。




『――こういう計画を立てるところも、元婚約者様は、嫌いそうね・・・』


 エリックとは、あの夜会以降、会っていない。

 いつまでたってもメアリーを小賢しい女と愚痴り続けるため、ウイリアムがメアリーへ直接謝罪させるのを諦めたのだ。



『あの程度の工作。まともな貴族令嬢なら、誰だってするでしょうに』


 どうやらエリックは、メアリーの想像以上に、女性に対して夢見がちだったようだ。




『きっと、いまごろは、私を“子羊”ではなく“狐”と罵っているでしょうね。

 でも、私、どうせ動物に例えられるなら、おばあ様みたいな格好いい動物がいいわ。

 狼とか・・・。“女豹”の孫なら、“山猫”かしら? “白金の山猫”とか・・・?

 架空の動物もいいわね。・・・“小さなドラゴン”・・・、“白爪のグリフォン”・・・』



 やわらかな日の差す春の温室のなかで。

 フワフワな髪を指でもてあそびながら、唇を小さく尖らせ、真剣な表情で悩む可憐な令嬢が、自身の格好いい“二つ名”を考えているとは、誰も気づかなかった。




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― 新着の感想 ―
羊の皮をかぶった狼かな。狼は賢くて仲間と狩りが出来るくらい絆が強い生き物だし。今回狩られたのは愚かな婚約者。 エリックは見た目で判断する迂闊さはパパ似ですね。多分侯爵も妻の功績を大したことないと考え…
「フクロウ」が似合うと思うのですけど、如何でしょう。 「森の賢者」の異名がありますし、静かに優雅に音も無く狩りを行う。 今回のお話を読んでそう思いましたので。
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