第9話
――時は少し戻り、同日午後五時頃。佐々木美優は図書委員の委員活動で旧校舎の図書室に居た。
佐々木美優は昼間の田辺先輩とのやり取りが密かに嬉しかった。美優にとって田辺先輩は理想とする図書館の司書のイメージで、穏やかで知的で優しい、本好きで将来司書になりたい美優にとって目標として尊敬していた。
昼休みの時のように、意外とお茶目な一面など、田辺先輩とのやり取りを思い出すたび、胸の奥が温かくなる。
図書委員の委員活動は好きな本の補修なども行えるし、知らなかった本と出会える機会でもあり、田辺先輩から様々は話を聞く絶好のチャンスとして美優には学校生活でもダントツで好きな時間だ。放課後になり、改めて昨日田辺先輩に勧められた本のラベルをどうするか相談しよう、とウキウキしながら旧校舎の図書室に向かっている。
まだ高い日差しの中、外からは運動部の元気な掛け声が複数の部活動から聞こえ、放課後独特の学校らしい活動的な雰囲気に包まれていた。
「こんにちはー」と声をかけて図書室へ入るが、まだ誰もいないようでガランとしている。美優は気にする事もなく返却コーナーの本を確認しながら返却処理を行っていく。その内当番の図書委員や田辺先輩も来るだろうと、図書を片していく。30分ほど処理をして大体が終わった頃、改めてまだ誰も来ない事に違和感を感じた美優は周囲を確認してみると図書委員だけではなく美優以外誰一人いなかった。
「あれ? ……なにかあるのかな? 私何か忘れてるっけ?」
しん、と静まり返った図書室に、美優の声だけが響く。あまりの静けさに怖くなり、独り言を言いながら図書室の引き戸を開けるが、廊下にも誰一人いなかった。夕日が差し、オレンジに染め上げられている図書室から廊下まで、人影すらなくあまりに静かで、耳が痛くなるような圧迫感を感じ美優は恐怖に足が竦みますます動けない。
「だ、だれかっ!」
叫び声が空しく響く。「どうしよう、なんで? 何が起きてるの?」と無意識に呟くがなにも出来ずオロオロと立ち尽くすしかできず、オレンジに染まった全てが、普段見慣れている全てが恐ろしく見える。
緊張と恐怖で上がっている自分の呼吸音が耳障りに感じるくらい、無音だ。
恐怖がピークに達しそうなその時、無音だった空間は「キィィイイイイイイン」と言う頭に響く爆音で突然崩壊した。
「キャア! な、なに?今の……」
動揺する美優の耳に更に恐ろしいボリュームで「コォオオオオオン……カァアアアアアン…コォオオオオオオオン!!!」と聞こえた。悲鳴を上げて両耳を塞いでしゃがんでいても全てを突破して脳に響くようなその音は聞き覚えのあるものだった。
「も、もしかして……チャイム? まさか閉校時間? でも、そんなに経った?」
怖さが先立ちとうとう美優はもってきた本の入った鞄だけ持って玄関へ向かおうと走り出し、旧校舎と新校舎を結ぶ渡り廊下まで廊下を曲がればすぐ目の前!という所で何かにぶつかって転んでしまった。
「いったぁ」
「佐々木さん? ごめん! 大丈夫?」
聞きなれた声に縋るように見上げると、田辺先輩が他の図書委員たちと一緒にいた。みんなそれぞれに段ボールや紙袋などで本を持っているようだった。と、同時に周囲の音も戻っていた。夕日でオレンジに染まった廊下はそのままだけれども信頼する先輩がいて、委員の皆がいて、外からも運動部の声がする。
「……先輩?」
「うん?もしかして怪我しちゃった?保健室に行く?」
「あ、いえ、……なんか悪い夢を見たみたいで」
さっきの不気味なチャイムが耳にまだ残っているような、さっきまでの怖さに思わず身体が震えてしまう。
「うーん、佐々木さんにしては珍しく不安定みたいだね。みんな悪いけど、新しい図書の対応よろしくね。僕は佐々木さんを一応保健室に連れて行くよ」
「そんな、先輩大丈夫ですよ!」
「ダメだよ?転ばせちゃったから足捻ってたりしたら、心配だからね。……さあ、行こう。もう、日も沈むからね」
そう言われれば美優も断りにくく、大人しくついてい行く。1階に降りて保健室に向かうと普段の男性教諭ではなく女性教諭がいて、何故かやたらとにこやかだった。
田辺先輩が早速状況を説明して、先生が念のためと足を確認してくれた。
「うん、少しぶつけているから念のためで湿布貼っておくわね。軽い痣ができるかもしれないけど、心配はないわ」
「ありがとうございます」
「ちょっとお願いなんだけど、先生補充のお薬を取りに行くところだったから、少し留守番してもらってもいいかしら?」
「あ、はい」
「じゃあ、僕も一緒にいますよ」
「そう?じゃあ、お願いね。くれぐれも寝ちゃったりしないようにね?」
どこか独特な雰囲気のある先生だったけど、一人で留守番じゃなくて良かった、とホッとして改めて田辺先輩に聞きたかったことを確認するチャンスだと思い出して、本をカバンから取り出した。
「田辺先輩、この本なんですが……」
「ああ、そうだったね。この本がどうしたの?」
「ラベルをどうすればいいかと思って」
「ああ、そうだね。学校のラベルじゃないしね。でもさ、佐々木さんここをよぉく見てみてくれる? ラベルの模様部分を」
そう言われてラベルを見ると「禁帯出」と分類と番号に分かれているラベルを囲う模様はなんだか複雑な幾何学模様になっていて、良く見ると目のようにも見えなんだか目が回るような感じでぐるぐるとする。つい最近、似たような状態になったな、と心のどこかで思いつつもその模様から目が離せない。瞬きも出来なくなり、凝視していることに、美優は自覚できていなかった。
ボ~っとして、音も匂いも、消えた。世界の輪郭が、ぼやけていく中、田辺先輩の声を聞いた気がした。美優は田辺の含みのある笑みにも、いつの間にか集まっていた無機質で一言も話すことがない図書委員の仲間たちや、留守番を頼んできた保険医も、全員が目の前にいる事に気付くことはなかった。
「佐々木さん? 佐々木さん、起きた?」
「えっ、あの……?」
「良かった、起きてくれて」
そう田辺先輩に言われて身体を起こすと保健室のベッドで寝ていたようだった。田辺先輩と保険室で留守番を始めた直後から記憶がない。
「佐々木さん、急に倒れたんだよ。やっぱり頭も打っていたのかもしれない。今日はもう閉校時間だから流石に僕に送らせてね? この状態の佐々木さんを一人で帰すのは心配だから」
そう言われれば美優も断れず、田辺先輩に言われるままに、一緒に帰宅した。家にいた母もびっくりしていたが、「親切な先輩ね」と帰宅した後に優しく話してくれた。その日はさっさと入浴もして、食事も食欲が無かったのでいつもより少なく食べて、自室に急いで戻る。
美優は自室に戻ると、そのまま机に向かっていた。
机の上の本が、じっとこちらを見返している。
今美優の心の中をしているのはただ一つ。
本を、「伊津那の御伽草紙」を読まなくては、ならない――。
読んでいただきありがとうございます!




