第29話
結子が眠ったのを確かめて、晶はクロに手招きをした。
しかしクロは露骨に嫌そうな顔で後ずさる。
「結子に報告するぞ」とハンドサインを送ると、さらに嫌そうな顔をして、渋々近づいてきた。
「そんな嫌そうな顔をしないで欲しいなぁ」
『なんだ、早く要件を言え』
「治療、するよ。その背中と脇腹、妖気が漏れているよ。何があった?」
ますます渋い顔をしながらも話し出すクロを晶は密かに嬉しく思いながら、負傷箇所を確認して治療を始める。
『あの野郎、ユウを狙いやがった。ユウの魂は体との同調が不安定なのは知っているだろう?
たぶん唯子の魂は消えていなくて、何処かでユウに肉体を取られた事を拒否している。それをオレ様の力で結び付けている。
そのユウの身体と魂のつなぎの部分に入り込もうとしやがったから、強引に排除したんだが、ユウが体の制御を失っているのを守っていたから、後ろからやられた。見ちゃいないが、鋭利な刃物のようだった』
「なるほど……総合体育館にいるのは、案外監視の首じゃなくて保健室の方かもしれないね。奴は鋭利な何かで葵ちゃんを切り裂いている。
葵ちゃんは抵抗する暇もなかったみたいでね、首の傷には生体反応があったんだ。なのに、……あの表情だよ。
その前に四肢を切断されていた可能性が高いそうだ。それで覚悟をして、ボクに魂と能力を託すために最後の力で結界を張ったんだと思う。クロの傷は葵ちゃんの傷によく似ている」
つらそうに話す晶の言葉に、クロは亡くなった葵を思い出す。確かに、穏やかな表情だった。首だけにされているのに似つかわしくないほど、穏やかな表情にクロは余計警戒した記憶がある。
『なら、オレ様たちは下手すると、二体同時に相手することになるか』
「そうだね。ボクは仁先輩と保健室の切り裂き魔。
仁先輩が囮になって二体とも引き付けるから、クロはユウちゃんと首の方をよろしく。あいつは仁先輩にとっては天敵で、正面切って切り合えないんだ」
『ふん、仕方ねぇ。あの野郎いつまでも逃げ回ってて目障りだったんだ、任せておけ』
話ながらもクロの妖力に合わせた札を貼って、上から幻術をかけて分からないようにした。クロも話しながら体を動かして動きを確認していたが、問題なかったようでフン!と顔を背ける。正直黒猫の姿ではツンデレで可愛いだけなんだけどな、と思うが口には出さない。
「クロも少し寝ときな」
『おう。オレ様の結界は消えないから、お前も回復しとけ』
「ありがとう。でも、ドッペルの準備をしておかないといけないから」
大切な葵ちゃんのドッペルゲンガー、分身をひとつ失ってしまったのは痛恨の失敗だった。同じ失敗は二度としない。
晶は作戦開始まで戦闘準備を万全にする。
◇
――午前二時。この時間でもまだなお蒸し暑いのが呪わしいが、寒くないだけマシかも。
月光が冴え冴えと澄みわたり、息をひそめるかのように無人の伊津那市立総合体育館は静かに佇んでいる。自分の呼吸音、鼓動がうるさく感じるほどに静まり返る中、厳槌先輩の足音が高く響く。
コツン、コツンと一定のペースで進む先輩の様子を私と葵ちゃんは距離を置いて監視している。私たちは音を立てないように、あらかじめスタジオなどが入っている建物の屋上に忍び込んでいた。
先輩はゆったりと歩いて体育館との間の通路を抜け、中庭からプールを見渡せる場所に着いた。あの脳を揺さぶられたかのような違和感、気持ち悪さを思い出して身震いしそうになるが、小さく息を吐いてマーカーを含め先輩に近づくものがないか監視する。
「クロ、頼む」
先輩の合図でクロによる体育館の一部、私と葵ちゃんとプール全体を囲む球体の広範囲結界が展開されると、またしても神経を逆なでするようなチャイムが鳴り響いた。
真っ赤な、朱い月の光が全てを染め上げた空間の中、先輩は悠然と仁王立ちで待ち構えている。そこかしこから妖魔の気配はするものの、さすがに屋上には少ないようで2~3匹の飛空体を落としたが、それくらいだった。
「ユウちゃん、来る」
葵ちゃんの声に合わせて先輩を囲む私オリジナルの結界を展開。
【キィイイイイイイイン】という金属音にも近い高音を立てて先輩を背後から狙っていた妖魔を、捕らえた。妖魔の刃は先輩に届かず、私のトリモチ結界に巻きつかれて、ようやく姿が見えた。
振り向いた仁先輩の視界に入り、正面に捕えた妖魔はもう逃げられない。
「斬!」
拘束されながら、切り上げる仁先輩の剣を、なんとか受け止めた妖魔は男にも女にも見えるが……どちらかと言うと操り人形の中身のような、デッサン用のポーズ確認用の人形のような雰囲気があった。ただし、その両手は薄く鋭い刃になっていた。
感情は全く見えない、ロボットか何かのように命令されたから攻撃しているような無機質感がある。とはいえ、正面切って先輩とやり合える存在はそう多くないので、やはりこの街の妖魔の異常性を改めて実感できる。
仁先輩は正面からやり合う時限定で通常時の10倍の威力を叩き出せる、という縛りがある。正面に居ない敵に対しても決して弱くはないけど、正面に敵を見据えた場合はほぼ無敵状態なのだが、この妖魔はやり合えている。
『ユウ、来るぞ』
私たちの標的もやっと動き出したようだ。
『接敵、3、2、1』
カウントと共に自分と葵ちゃんの背後に無数の細くて、長い、3メートルはある黒い釘を扇範囲に打ち出してやると【ギィイイイイ】という短い声と共に手応えを感じた。
「撥」
【ギァアアアアアア】全身を剣山のようにされている妖魔。更に刺さっている全ての釘を、雲丹のように全方向へ棘を広げ逃走できないよう完全に捕え、痛みと共に拘束した。
「やぁーっと、ご尊顔を拝見できましたねぇ~」
宙に縫い留められている首。
見知った顔だったら嫌だと思ったけど、幸いなことに知らない顔だった。とは言っても多数の釘が刺さっていて歪んでいて大概悪夢ものの悍ましさになっているけど。
まあ、妖魔だしね。仕方ないよね。
思考が散ってはいるが、止めを刺そうとした時に以前から感じていた違和感の理由がようやく分かった。
「お前、本体ここじゃないんだ。通りで存在感薄いはずよね」
言いつつ、首はすり潰す。崩壊した首から逃げる妖気の先を追うと、プールの方へと向かった。そこはもうクロが先行して水を抜いて中にあった小さな小さな社にはとりもち結界の札を貼っていた。
「起動」
頭部がなく、声が出せないためか超音波のような、聴力検査の高音のような音が響き渡る。面倒だった監視の目は捕えた。これでこちらの手の内はもう見られない。
「葵ちゃん、ゴー!」
「サンキュー!」
葵ちゃんは全速力で屋上を走り、そのまま飛び降りて、仁先輩と対峙する妖魔に向かって真っすぐ落ちていく。落ちていく葵ちゃんに対して妖魔は余裕の雰囲気だったが、落下していく葵ちゃんの手に大ぶりの両手持ちの戦闘斧が現れると流石に焦って回避しようとした。それを許す仁先輩でなく、妖魔は身動き取れない。
先輩の剣と葵ちゃんの斧、両方から逃れようとした瞬間、先輩の剣に貫かれ、葵ちゃんに真っ二つにされた。
【!!!!!!!!!】ガクガクしながらも、声は出ない。やはりどこか人工物じみている。葵ちゃんは更に無表情で切り刻んでいく。怖い、けど、あいつはオリジナルの葵ちゃんを殺したんだから仕方ない。
奴が逃げ出せないように監視は緩めない。
「神崎やってくれ!」
「了解!」
清水くんを殺したあの妖魔をすり潰したように、凹凸のある肉叩きハンマーで上下から挟み、叩きつけ、すり潰す。今回は自分の身体の制限を外さないで術の行使だけだから負担は大きくない。黒い粒子となって消えて行ったのを確認してからクロの元へと急ぐ。
水を抜いたプールに仁先輩を先頭に葵ちゃんと一緒に近寄る。葵ちゃんにより私には複数の防御結界が張ってあるから、少しだけ安心だ。
プールの底ではアメーバのように蠢く何かをやる気なさそうに尻尾でペチンペチンと叩いているクロだった。
『こいつ、刺しても切ってもダメだった。燃やせ』
「なるほど、了解だ。落雷と共に燃やしてやろう」
仁先輩は短く呪文を唱えると雷と共にアメーバを叩き斬りつつ雷で燃やした、がまだ蠢いている。
そこへ、凶悪な表情をした葵ちゃんが印を結んで対峙した。
「マジでしぶといね……先輩、クロ、気をつけて! あたしが焼き尽くすよ!
火剋金、祖は全てを焼き尽くす炎」
炎が柱のように燃え上がり、アメーバはのたうって逃げようとするが、それは私のとりもち結界が許さない。少しずつ焼かれては散々に暴れながら徐々に黒い粒子となって燃え尽きて行った。全て燃え尽きると私の結界が札に戻り、それさえも燃え尽きて後には何も残らなかった。
「クロ」
『完全に消滅した。僅かの気配も感じないから大丈夫だ』
「あたしも、何も検知できないから、安心してー」
「はあ……よかった。お疲れ様」
さすがに疲れてちょっとへたり込んでしまう。と葵ちゃんも隣りにぽすっと座った。
気が抜けた瞬間、瞼が急に重くなってきた。あ、やっばいな~と思いつつ、抗えない眠気が押し寄せてくる。
「みんなご苦労だったな。これで安心して眠れるな」
「言うてもう夜明けだけどね~」
「朝寝する。もう眠いし」
「えっ、ユウちゃん?!」
「はあ……アオイ諦めろ。ユウは電池切れだ。こうなったら起きない」
「ぷっ…あはは! ユウちゃんは自由だね~」
その後、恐らく組織の車で回収されたんだと、思う。
私は疲労困憊だったせいか、目が覚めたら自分のベッドの中で外は暗かった。
「やっば、寝すぎた…?」
珍しく、クロの気配も先輩や晶くんの気配すらしなかった――。
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