第10話
惚れ込んだ村長の娘を救うため、入らずの山と言われた山に入った男はようやく神の元へと案内してくれるという案内蛍に導かれて山道をまたしても延々と歩いていた。蛍を見つけた際に補充した水筒の水を少しずつ飲んでいたが、それもそろそろ尽きそうだ。
「ここは一体どこなのだろう?」
と、独り呟くが応えるものはなく、気付けば男は真っ白な霧の中を歩いていた。目の前を行く蛍をただひたすらに追いかけて。
そして、唐突に見失った。
蛍が見えなくなり焦った男は我武者羅に走り回ったが、その姿はどこにもなく混乱するままに男は走って、走って、走り続けた。
ふと気付くと、自分が寝ていることに驚いた男は起き上がると小高い丘にいて、目の前には美しい水田の広がる村があった。
見覚えのない村へと降りると、一人の村娘が男の姿を見て寄って来た。
「ここらでは見た事ない人だねぇ。どうしたんだい?」
「実は蛍を追っていたら、この村に着いたんだ」
「まあ!じゃあもしかして神様へのお願いがあるお人で?」
「そうだ!分かるのか?!」
「もちろん、この道を奥に行くと村長の家があるから訪ねるといいよ」
「分かった、助かる!ありがとう!」
男が村長の家に向かう途中多くの村人に歓迎されて、村長の孫だと言う少年が村長に会わせてくれた。
「よう来なすったな、お若いもの」
そう言って迎えてくれた村長は、まるで巨木のような重みと深みのある声が男に沁みた。
「ここは神様のお膝元、他からは隠された村じゃよ。この地は温かで、飢えることなく、病むことなく、老いることなく、死ぬことなく、永遠の安楽が約束された土地ゆえ、神が認めた者しか辿り着けないのじゃ。 めでたいことに、お主は神の御心に適ったのじゃ」
村長のその一言に、男は目を見開く。
「長、もしや神に認められてここに辿り着ければ、今病を患っているものも癒されるのか?」
「勿論だとも」
「ならば、俺は惚れた娘を嫁としてここに連れて来れた暁には住まわせて貰えないだろうか?」
「うむうむ、勿論来られたならば歓迎しよう。だが、あくまでもたどり着けたらじゃ。神に迎えられないものはこの村へは決してたどり着けないからのう」
「分かった。山を一度下りるにはどうすればいいのか?」
「村を流れる小川を下流へとたどれば良い。帰りもお主なら川が見つけられるだろうから安心せよ」
村長にお礼を言うと男は急いで小さな小川をたどって村を抜ける途中、村人たちから握り飯の弁当ももらい、感謝して自分の住んでいた村へと急いだ。
ほとんど休んでなく、寝ていないはずの男の体は不思議と足取りは軽く、いつの間にか村の景色が開けていた。男は勢いのまま村長の家に向かった。
村長は男の姿にびっくりした。男が山に入ってひと月も経っていたため、もう駄目だろうと思っていたのだが元気いっぱいに帰ってきた。そして、神の村の話を聞いてとうとう娘を男に嫁がせる事を決意した。村長はくれぐれも、くれぐれも娘を頼むと言って見送り、男は愛しい娘を背負ってまた山へと向かった。
だが、村への道のりは険しく、中々たどり着けない。背に負う娘の呼吸が、少しずつ浅くなるのがわかり、焦燥が胸を焼く。定期的に水を飲ませ、食事をさせているがもともと体の弱い娘の食事量は雀の涙ほどだった。
何度目かの休憩の時に顔色の悪い娘は意を決したように男に話しかけた。
「お前さま、私はやはり神の目に適わなかったのでしょう……」
「そんな事はない! 俺にはお前しかいない、きっともう少しだ。そうだ、この握り飯はとても美味いから少し食べるといい」
「まあ、嬉しい」
娘は一口だけ食べると、不思議な味がすると思いつつ頑張って飲み込んだ。また背負われて山道を進む男をその背中から見ながら「こんなにも求めてくださるのは、ありがたい」と思いつつも自分の限界が来ていることは何よりも本人が分かっていた。
そして、男はようやく村にたどり着いた。つい数日前に見たはずの景色がやたらと懐かしい。
「着いたぞ!苦労させてすまなかったな……美也子?」
返事のない娘に不安になった男は娘を背中から降ろすと、娘は穏やかな、けれど血の気のない顔で眠るように息を引き取っていた。「嘘だ」と一言呟いた男は娘を抱き上げて長の家に走ったが、村長は辛そうに首を振るだけだった。
「既に亡くなったものは神と言えどもまた命を吹き込むことは出来ぬのじゃ」
男は悲しみのあまり呆然となり、動けなくなってしまったが娘をそのままには出来なかった。亡くなってしまったが、花嫁になることを夢見て父親が持たせてくれた白無垢を着せて埋葬された。
全てを終え、娘を見送った男はせめてあの世で娘と一緒になろうと自死をしようとしたが、それを察した村長が止めて言った一言に希望を見出した。
「亡くなったものはまた再びこの世に生れ落ちる。この村にいればそなたは山人となり、神のお膝元で年を取ることなく再び娘と出会えるまで待つことができる」
また美也子と会えると知り、男は村に残り美也子が再び生を得るのを待つことにした。
一方男と娘が住んでいた村では、男の後に隠された村にたどり着けた者はなく、きっと二人は神に愛されて幸せに暮らしているのだろうと信じられ、それはいつしか伝説として語り継がれた。
穏やかで時の止まった村で今も彼は待っているという。神の御許で年を取らぬ山人――神に選ばれし者として。
◇◆◇◆◇◆◇
佐々木美優には話の内容がまるで映画かドラマを見ているように、脳裏で、誰かの記憶のように再生されていた。男の悲痛さはどこにも詳細に書かれていないにも関わらず、その慟哭は美優の心さえも締め付けるような嘆きようだった。
そして、美優自身は物語の中の娘の気持ちに同調していた。
「誠一さんは、今も待っている……」
そんな独り言を呟いている自覚は美優にはなかった。ただ、自分は自室にいたはずがなぜか歩いているような感覚がある。気付けば周りは乳白のような濃い白い霧の中で美優は一人立っていた。
不思議と不安は無い。「この先を行けばきっと誠一さんが居る」と確信して美優は歩いていた。その美優を導くように蛍が光っている。
どのくらい歩いたのか、少し霧が薄くなって、遠くに人影が見えた。
美優が嬉しさのあまり走り出そうとしたその時、急に肩を掴まれて驚きのまま振り返ると意識が途切れた。
「美優! 美優!!」
身体をゆさゆさ揺らされ、ようやく美優の意識が浮上してきた。アラームの電子音が五月蠅い。自分を揺さぶるこの手はなんなんだろう?と思考がまとまらないままぼーっとしていた。
「遅刻するわよ!」
「っ!!」
一気に目が覚めて身体を起こすと心配半分、怒り半分の母親が目の前に仁王立ちしていた。
「今、何時?」
「7時半! いつもの出る時間まであと15分しかないけど、……大丈夫? 顔色、悪いわよ?」
「うん、大丈夫! ありがとう!」
兄はもう出ていて、父にも「がんばれ~」と言われながら最低限の準備をしていく。高校生の自分に濃い化粧は似合わない。ベースメイクだけで十分だ。
母から手渡された10秒チャージのゼリーと歩きながら食べられる固形非常食でカロリーのみだけでも摂取しながら、学校へ急ぐ。「学校を休むわけには行かない」という強い思いが美優を突き動かしていた。
――誠一さんが私をずっと待っている。
それだけを胸に美優は学校への道のりを急ぐ。
ずっと不思議と惹かれていた理由が分かった、ととても気持ちはすっきりしていた。全ては再び出会うためだったんだ、と美優は信じて疑わなかった。
読んでいただきありがとうございます!




