二章 act 2野営とご飯、そしてハレのノート
広場は、完全な円形ではなかった。
森が一部食い込み、地面には古い切り株が残り、
踏み固められた土の色がまだらに変わっている。
何度も人が泊まり、
何度も火を起こした痕跡だ。
「ここ、よく使われてるね」
ミレアが地面を指す。
「灰が流されてない」
セラが言う。
「最近も誰か泊まってる」
ハレは一歩下がり、
広場全体を見渡す位置に腰を下ろした。
視界が開け、
森の縁がよく見える。
それが、彼の癖だった。
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ノーンクロスの食事準備は簡素だ。
布袋から取り出されたのは、
乾燥穀物を圧縮した板状の主食。
噛むと少し粉っぽく、
水や湯で戻す前提のもの。
次に、
塩漬け豆と刻み野菜の乾燥袋。
最後に、
薄く干した肉片。
「今日は当たりだね」
ミレアが言う。
「肉が多い」
「昨日の分を節約したから」
セラが答える。
三人分の鍋に水を張り、
乾燥野菜と豆を入れる。
ミレアが、
空気中の魔力をほんの少し引き寄せ、
火力を均す。
「焦がさない程度で」
「わかってる」
この調理には、
派手な魔法は不要だ。
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その様子を、
周囲の冒険者たちは興味深そうに見ていた。
「……それ、軍用飯か?」
別の焚き火から声が飛ぶ。
「違う」
ハレが答える。
「長期行動用」
「味は?」
「保証しない」
笑いが起きる。
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一方、冒険者たちの料理は派手だった。
串に刺した肉。
野草と一緒に煮込む鍋。
香草を潰す石の音。
「獲物は自前?」
セラが訊く。
「基本はな」
答えたのは、年配の冒険者だ。
「食費は削れるところから削る。
宿に泊まれない日も多いからな」
「保存食は持たないの?」
「持つけど、最後の手段だ」
別の冒険者が続ける。
「生きてる間は、温かいもん食う」
それが、
冒険者の共通認識らしい。
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料理ができ始めると、
自然に交換の話になる。
「そっちの鍋、何入ってる?」
「豆と野菜と肉」
「……質実剛健だな」
「栄養は足りてる」
「じゃあ、これと替えないか」
差し出されたのは、
香草をまぶした焼き肉。
脂が落ち、
香りが強い。
「代わりに、それを一杯」
セラは鍋から器に注ぎ、
差し出す。
冒険者が一口飲み、
少し目を見開いた。
「……地味だけど、悪くない」
「そうだろ」
「腹に残る」
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会話は、
自然と冒険者の“常識”に触れていく。
「人数、少ないな」
若い冒険者が言う。
「普通は五、六人だ」
「多すぎると分け前が減る」
別の者が言う。
「少なすぎると死ぬ」
「だから四人が一番多い」
ハレは黙って聞いている。
「役割は固定?」
ミレアが訊く。
「基本はな」
「剣が倒れても、
魔術師が前に出ることは少ない」
「逆も然り」
「命綱を切る真似はしない」
それが、
冒険者たちの暗黙の了解だった。
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誰かが冗談めかして言う。
「でもまあ、
死ぬときは一瞬だ」
「縁起でもない」
「縁起なんて、
気にする余裕があるなら楽だ」
笑いが起きる。
だが、
誰も否定はしなかった。
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ノーンクロスの鍋は、
静かに煮えている。
火は安定し、
湯気が細く上がる。
ハレは器を手にしながら、
周囲の音を聞く。
剣を研ぐ音。
木をくべる音。
小さな笑い声。
ここでは、
冒険者は特別な存在ではない。
ただの、
「明日も歩く人間」だ。
夜はまだ、深くならない。
焚き火は増え、
会話は続く。
そして、
何かが起こる余地を残したまま、
広場は静かな熱を帯びていた。
焚き火の火は、もう落ち着いていた。
薪が赤くなり、
火の粉がほとんど上がらない。
夜は静まり、
代わりに声が遠くまで通るようになる。
誰かが、肉の最後の一切れを串から外しながら言った。
「……で、あんたらはどこの国だ?」
唐突だったが、
無遠慮ではない。
焚き火を囲む者同士の、
ごく自然な問いだった。
ハレは一瞬だけ間を置いた。
「皇国だ」
「……皇国?」
冒険者の一人が眉を上げる。
「噂は聞くけど、
行ったことある奴は少ない」
「行っても戻らないって話もあるな」
笑い混じりだが、
軽くはない。
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「まず、そっちから聞かせてくれ」
ハレがそう言うと、
冒険者たちは顔を見合わせた。
最初に口を開いたのは、
年配の男だった。
「俺は南の沿岸国家だ。
港町出身」
「商業国家か」
「そう。
税は軽いが、競争は重い」
彼は肩をすくめる。
「船に乗れなきゃ終わり。
商売できなきゃ終わり」
「だから冒険者に?」
「他より死にやすいが、
他より稼げる」
それが動機だった。
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別の若い女冒険者が続く。
「私は内陸の魔法都市国家」
「魔術師の?」
「落ちこぼれ」
はっきり言った。
「才能がないと、
仕事も居場所もない」
「冒険者なら?」
「魔法が下手でも、
生きてるだけで評価される」
セラが静かに頷く。
それは、
才能社会の裏側だった。
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獣人の冒険者は、少し言いにくそうに話した。
「俺の村は、国境が曖昧でな」
「曖昧?」
「守られないってことだ」
彼は尻尾を揺らす。
「冒険者ギルドに登録すれば、
少なくとも名前は残る」
「国家よりギルドか」
「そうだ」
冒険者にとって、
ギルドは身分証であり、
保険であり、
最後の拠り所だった。
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話題は自然に、
制度へと移っていく。
「魔法国家は楽だぞ」
誰かが言う。
「冒険者登録すれば、
犯罪歴も管理される」
「依頼失敗しても、
即処刑はない」
「階級もない。
ランクだけだ」
ミレアが小さく言う。
「ランクは実力主義?」
「実績主義だな」
「生き残った回数」
「仕事を果たした数」
「それだけだ」
単純で、
冷酷で、
分かりやすい。
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やがて、
視線がハレたちに集まる。
「で、皇国は?」
「どんな国だ?」
「冒険者、いないんだろ?」
ハレは、焚き火を見る。
赤い炭。
揺れない火。
「いる」
「いるのか?」
「だが、職業じゃない」
ざわり、と空気が動く。
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「皇国は、資源が多い」
ハレは淡々と話す。
「鉱石、水、魔力、土地」
「じゃあ金持ちか?」
「豊かだ」
「贅沢か?」
「しない」
即答だった。
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ミレアが補足する。
「贅沢は、弱点になる」
「皇国は、
環境が過酷だから」
「環境?」
セラが続ける。
「寒冷地、灼熱地、
魔力嵐、
魔物の高密度地帯」
「人が住める場所が限られてる」
冒険者の一人が、思わず口笛を吹いた。
「それで国家が成り立ってるのか?」
「成り立たせてる」
ハレは言った。
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「皇国では、
食料は贅沢品じゃない」
「必需品だ」
「装備も同じ」
「派手さは不要」
「壊れないことが重要」
レーションの話に、
視線が落ちる。
「……だから、あの飯か」
誰かが呟いた。
「味より、生存率」
「皇国では、
それが美徳だ」
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「階級は?」
「ある」
「厳しい?」
「厳しい」
「でも、逃げ場はある」
冒険者たちが顔を上げる。
「記録だ」
ハレは、荷から地図を取り出す。
「成果は、必ず残す」
「戦わなくてもいい」
「守らなくてもいい」
「だが、
“何をしたか”は問われる」
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沈黙。
焚き火が、静かに鳴る。
「……息苦しそうだな」
誰かが言った。
「慣れる」
ハレは答えた。
「慣れない者は、
別の仕事に回る」
「切り捨てないのか?」
「無駄にしない」
それが、皇国だった。
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冒険者の女が、ぽつりと言う。
「自由はないけど、
見捨てられない国か」
「そうだ」
「冒険者とは逆だな」
ミレアが微笑む。
「自由はあるけど、
自己責任」
「死んだら終わり」
「記録も残らない」
焚き火の向こうで、
誰かが静かに頷いた。
焚き火の音が、少しずつ低くなる。
誰かの笑い声は途切れ、
代わりに寝袋を広げる布の音、
鎧を外す金属音が、夜気に溶けていく。
冒険者たちは慣れていた。
眠れるときに眠る。
それが、彼らの常識だ。
ミレアは焚き火の反対側で、静かに横になっている。
セラは外套を整え、すでに目を閉じていた。
ハレだけが、まだ起きていた。
彼はおもむろに荷を解き、
折り畳まれた地図と、
革張りの手帳を取り出す。
膝の上に広げ、
焚き火の残光を頼りに、
鉛筆を走らせた。
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《野外記録/個人ノート》
件名:大陸魔法崩壊および皇国成立史(要約)
記録者:ハレ
備考:現地行動時の判断基準整理のため
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■ 大陸魔法崩壊について
大陸魔法崩壊とは、
魔力循環が自然現象として破綻することで発生する
大規模災害の総称。
主な被害例:
•魔素嵐の発生
•魔物の大量出現および移動
•地形・魔力場の不可逆的変化
•魔法体系・魔術工学装備の機能不全
いずれも人為的要因は確認されていない。
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■ 第一次大陸魔法崩壊
発生:約800年前
原因:自然災害
規模:局地から広域に及ぶ
当時の国家群は十分な対応ができず、
被害は壊滅的。
この災害を生き延びた人々が
後に皇国を建国。
この年を起点として
皇国歴が制定される。
暦の進行速度は
現在大陸で用いられている共通暦と同一。
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■ 第二次大陸魔法崩壊
発生時期:アステジア帝国末期
原因:第一次と同様、自然現象
相違点:影響規模が大陸全域級
魔力循環の連鎖破綻により、
•魔物災害の同時多発
•魔素嵐の長期化
•魔法インフラの崩壊
が発生。
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■ アステジア帝国の状況
当時、帝国は大陸北方の大部分を領有。
北方地域は魔力密度が高く、
崩壊の影響を最初に受けやすい。
結果として、
•災害の主被害は帝国領内で発生
•他国への影響は比較的軽微
•世界規模の壊滅は回避された
皇国は現在も
「最前線で被害を受け止めた国」と認識されている。
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■ 首都防衛について
首都が陥落しなかった理由は明確。
•帝国全軍の動員
•近代工業力を活かした
•魔術工学装備
•大規模火器
•魔力制御兵装
人的損耗を前提とした防衛戦が継続された。
最終局面において、
皇家による大魔法が行使される。
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■ 皇家の大魔法と消滅
皇家の血筋全員が
魔法構築および行使に参加。
血統そのものを触媒とする
特異な魔法体系。
効果:
•首都の存在固定
•崩壊影響からの切り離し
代償:
•皇家血統の完全消滅
•肉体・魂・痕跡は残存せず
この出来事を忘れぬため、
国号は皇国へ改められた。
皇が治める国ではない。
皇を失った国。
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■ 現在の皇国体制
•統治形態:議会制
•皇の称号:空位
•大魔法の再現性:解析中・機密扱い
•民間認識:神話・伝承として継承
贅沢を良しとせず、
記録と備えを最優先。
理由:
次の崩壊は、
いつ起きてもおかしくないため。
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■ 対外的評価
皇国は、
•世界を守るために消耗した国
•過去の災害の生き残り
•危険な魔法文明の残滓
として、
敬意と距離の両方を向けられている。
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■ 所感(私見)
皇国は強い国ではない。
ただ、倒れなかった国だ。
倒れなかった理由を、
忘れなかっただけだ。
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そこまで書いたところで、
ハレの指から力が抜けた。
鉛筆が手帳の上で転がり、
焚き火の残り香が、
ゆっくりと意識を包む。
外套にくるまり、
背中を木に預けたまま。
ハレはそのまま、
ページを閉じることもできずに――
静かに、
眠りへ落ちた。




