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第一章 白紙の向こうへ

朝の点呼は簡素だった。


名前を呼ばれ、返事をし、人数が合えばそれで終わる。

敬礼も、士気を高める演説もない。


ノーンクロスでは、それで十分だった。


ハレは最後尾で返事をした。


「ハレ。異常なし」


声は低く、感情は乗せない。

魔法が使えない旧人類として、彼は平均的な兵士だった。


背中には小銃。

腰には測量用の簡易器具。

魔導具は一つもない。


この部隊では、それが標準装備だ。




野営地の中央、簡易テーブルの上に地図が広げられている。


印刷された正確な格子線。

だが東側だけが、まだ白い。


「ここから先が今日の担当だ」


古参のオルドが指でなぞる。


「丘を越えて、川まで。住民がいれば支援。

 地名があれば記録。なければ仮称を付ける」


命令は淡々としている。


戦闘の可能性については、誰も触れない。

ノーンクロスでは、戦闘は任務外の出来事だからだ。




隣で地図を覗き込んでいたミレアが、静かに言う。


「この先、魔法国家側の領域ですね」


「だからこそ、行く」


オルドの答えは短い。


魔法国家では、地形が変わる。

記録が信用されない。

伝承と事実が混ざる。


だから、地図が埋まらない。




ハレは地図を見つめながら考える。


白紙は、未知ではあるが敵ではない。

敵は、曖昧さだ。


旧人類である彼にとって、

魔法は理解できない現象だ。


だが――

測れないものを、測ろうとするのが仕事だった。

丘を登り始めたあたりから、景色が変わった。


草の色が、わずかに濃い。

風の流れが一定でなく、どこかで渦を巻いている。


ハレは無意識に歩調を落とした。


「……測量値、合いませんね」


彼が手元の器具を見て言う。


高度は変わっていないはずなのに、

距離だけが、少しずつズレている。


「またか」


オルドが前を歩きながら答えた。


「境界だ。向こうの理屈が混じり始めてる」


ミレアは丘の斜面を見渡し、目を細める。


「木の配置が、意図的すぎる。

 自然林というより……置かれてる感じ」


「魔法国家の領域だな」


誰かがぼそりと言った。


ハレは丘の上に立ち、振り返る。


後方には、直線的に整備された道が見える。

測量杭。

等間隔の標識。


だが前方は違う。


道は曲がり、

木々は視界を遮り、

地形は意味ありげに歪んでいる。


「地図が白紙になる理由が、よくわかる」


ハレの言葉に、ミレアが頷いた。


「伝承の方が早い世界ですね、ここ」




丘を下り始めた直後だった。


道の脇で、荷車が横倒しになっているのが見えた。


車輪は外れ、

積荷は地面に散らばり、

一人の老人が立ち尽くしている。


「……兵士、か?」


声は弱いが、逃げる様子はない。


オルドが即座に手を上げる。


「戦闘なし。支援案件だ」


それで全員が動いた。




「怪我は?」


ミレアが近づきながら聞く。


「ない……ただ、持ち上がらなくてな」


老人は気まずそうに笑った。


魔法で直すこともできる。

だがミレアは呪文を唱えない。


「人手はあります」


ハレが言い、荷車の反対側に回る。


木製の車輪は重く、

歪みも出ている。


「せーの」


掛け声と共に持ち上げる。


土の匂い。

軋む音。

汗が流れる。


時間はかかったが、

車輪は元の位置に戻った。




「助かった……本当に」


老人は何度も頭を下げた。


「この辺りの川、名前は?」


ハレが地図を取り出して尋ねる。


老人は少し驚いた顔をする。


「地名を書くのか?」


「それが仕事です」


「……《リィン流し》だ。

 春になると、音が鳴る」


「音?」


「水が、石を鳴らすんだ」


ハレは一瞬考え、

そのまま地図に書き込んだ。


リィン流し


余白は、少しだけ減った。




丘の下から、再び歩き出す。


ミレアが小声で言う。


「魔法を使わないの、珍しくないですか?」


「使うと、説明が必要になる」


オルドが答える。


「助かった理由が、わからないと不安になる」


ハレは黙って歩きながら思う。


旧人類である自分にできることは多くない。

だが、理解できる形で助けることならできる。


それでいい。



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