第三章:無意識の暗号
譲二の意識への最初のダイブ。私は自室のベッドに横たわり、インプラントと接続されたヘッドギアを装着した。白石教授が開発した装置は脳波を特定の周波数に同調させ、量子もつれ現象を利用して他者の意識にアクセスするという理論に基づいている。
意識が遠のいていく。そして次の瞬間、私は真っ白な部屋に立っていた。壁も床も天井も全てが白。そしてその部屋の中央に譲二がいた。彼はただ虚空を見つめて座っている。
「譲二!」
私が叫んでも彼は反応しない。彼の意識は完全に外部から遮断され、自分自身の精神の牢獄に閉じ込められている。これがアスクレピオス製薬の精神制御技術の結果なのだ。
その時、私の失語症状がさらに悪化した。今度は語彙の置換。言いたい言葉が別の言葉に勝手にすり替わってしまう。
「譲二、私よ! 猫よ!」
猫? なぜ猫?私は自分の症状がもはや単なる偶然ではないことを直感的に理解し始めていた。置換される言葉には意味がある。私の脳は私に何かを教えようとしている。
父が言っていた。『暗号とは無意識が作り出す詩のようなものだ』と。私の無意識は一体何を知っているのか?
ダイブを繰り返すうちに私はある法則性に気づいた。私が譲二の意識に近づこうとすればするほど、私の失語症状は悪化する。そして置換される言葉は常に、譲二が追っていたアスクレピオス製薬の陰謀に関わるキーワードと奇妙な連想で結ばれていた。
「研究所には毒がある」(ひみつ、と言いたかった)
「あの薬は林檎ではない」(きぼう、と言いたかった)
私は興奮した。これは病気ではない。これは暗号だ。譲二の無意識が私に送ってくるSOSのメッセージ。私の脳がそれを受信し、私の失語というフィルターを通して解読しようとしているのだ。
この発見は言語学者として革命的だった。従来の言語学では、失語症は単なる脳機能の低下とされていた。しかし私の体験している現象は、脳が言語の制約を超えて直接的な意味伝達を試みている証拠かもしれない。
私は興奮と恐怖の狭間で震えた。父よ、あなたは私をこのために暗号解読者として育てたのですか?戦争の罪を償うために私に何を託そうとしていたのですか?