『この国はどこから来て、どこへ行くのか?――歴史と地政学のゼミ討論会』
◆序章:「その場所に生まれた意味」
(講義室。日本地図がプロジェクターに映し出されている。壇上に鏡、涼宮、ユウコ。学生たちは前列に着席)
鏡(黒板に「日本列島」と大きく書きながら)
「質問しよう。“日本列島”とは、国家として、どんな意味を持つ場所か?」
野田(小声で)
「え……意味、ですか……?」
涼宮(即答)
「それは、“アメリカと中国の間にある、不沈空母”という意味だ。」
(場内どよめく)
部長(腕を組んで)
「つまり……地理的に“巻き込まれ体質”ってこと?」
ユウコ(にやり)
「そうよ。太平洋の要衝に浮かぶ、“誰も無視できない”場所。
あんたたちがどんなに“平和に暮らしたい”って思ってても、地図がそれを許さないの。」
副部長(タブレットを操作しながら)
「つまり、“日本にとっての地政学”は、“存在そのものが外交カード”であり続けるという……構造的宿命?」
鏡(淡々と)
「まさに。“戦後の平和”は、米ソ冷戦と日米安保という“他者の傘”の下での幻想。
その傘が揺らぎ始めた今、日本は“自分の傘”を持てるかが問われている。」
◆第二幕:歴史を忘れた島国
(映像資料:1945年、朝鮮戦争、冷戦期の地図、現在の南シナ海周辺の海軍配置が順に映される)
澤田
「でもさ、俺たちって“戦後生まれ”どころか“平成しか知らない”わけで……
歴史の実感って、遠すぎるんだよ。」
ユウコ(まっすぐに)
「あたしもそうだったわ。“夜の街の税”しか知らなかった。でも、“この通り”が“空襲で焼けた地図”って見せられたとき、
やっとわかったの。“場所には記憶がある”って。」
野田(息を呑んで)
「記憶……。」
鏡(投影される地図を指して)
「日本は、北にロシア、西に中国、南に海上交通路、そして東にアメリカ。
この“十字路”に立つ国が“地政学を知らない”というのは、“自転車で高速道路に飛び込む”に等しい。」
◆第三幕:地図から見える未来
(涼宮が一枚の図を出す。「台湾有事→与那国島→沖縄→本土」)
涼宮(抑揚なく)
「台湾有事が起これば、日本は自動的に巻き込まれる。
物流、航空網、食糧価格、電力供給……3日で“日本の日常”は変わる。」
亀田(怯えたように)
「やだ……それって、つまり“私の冷蔵庫”が空になるって話よね……!?」
鏡(即答)
「そう。“地政学”とは、あなたの冷蔵庫と直結している。
“平和”とは地理の上に成り立つ、政治的な偶然なんだ。」
◆最終幕:わたしは、どこに立っているのか?
野田(小さな声で)
「でも……わたしたち学生に、何ができるんでしょうか……?
選挙も、納税も、投票も、正直、実感がないままです。」
(鏡が黒板に一言だけ書く)
“位置”を知ることから始めろ。
鏡(静かに)
「国家とは、位置であり、記憶であり、そして選択だ。
君たちはまず、“自分がどこに立っているか”を見つけること。
そうすれば、初めてこの国を“引き受ける”覚悟が持てる。」
(部長がぽつりと)
部長
「“わたしはこの国のどこにいるか”――それを問うことが、最初の一票につながるのかもね。」
ユウコ(手帳を閉じながら)
「税ってのはね、位置情報そのものよ。“どこにいる誰が、どこで何をしたか”
国家はそれを記録して、明日に備えてんの。」
澤田
「……じゃあ俺たち、もう“誰でもない誰か”じゃいられないんだな。」
(映写が止まる。会場は静まり返る。遠くから国会議事堂の警備車両の音がかすかに聞こえる)