第一話 家出とゴスロリ
「母さんなんて大っ嫌いだーーー!!」
「待ちなさい!! 久遠!!」
僕は母さんの引き留める声を遮り怒りに任せて乱暴に玄関のドアを叩きつけるように締めた。
アパートの同じ階の部屋にも轟音が響いたに違いない。
だが知った事ではない、今の僕は周りや他の人に気を使える程落ち着いてはいられなかった。
頭に血が昇り興奮した状態で足早に家を後にした。
走りに走って気が付くと結構な距離を移動していた。
ここは最寄りの駅じゃないかいつの間にこんな所に来たんだろう。
怒りでもう何が何やら記憶が曖昧だ。
全力疾走した事で喉が渇いた、丁度駅の構内に自販機がある、そこでホットのミルクティーを買って一口飲んだ。
季節はやっと春めいてきた三月、ここ数日暖かかったのに今日は妙に冷える、飲むには温かいものが丁度良い。
あれから時間が経ったことで少しだけ、ほんの少しだけ物事を考えられるほどクールダウンしてきたのか僕は急に猛烈な不安感に襲われた。
これからどうしよう……女手一つで僕を育ててくれた母さんにあれだけの啖呵を切ってしまった手前どの面下げて家に帰るって言うんだ……。
行く当てが無い、片親だったのもあり頼れる家族も親戚も居ない。
いや待てよ、居る、一人だけ……母方の叔父の綾乃永遠だ。
永遠叔父さんとの記憶は10年前に会ったのが最後だ。
しかもその記憶というのが僕の母さんと叔父さんが大喧嘩しているという最悪のものだった、喧嘩の理由も内容も覚えてはいないけど。
その後母は僕に叔父さんには二度と会ってはいけないと念を押してきて以来疎遠になりその通り二度と会ってはいないのだ。
思い出の中の叔父さんは少なくとも僕には優しかったと思う、少し話し下手な所もあったが10年前の別れ際に僕に言ってくれた一言、『自分に嘘は吐くな』が忘れられない。
実際その一言が今の僕の根幹の一部を占めているのは間違いない、今日の母さんとの喧嘩だって自分を貫き通した結果なのだから。
しかし叔父さんを頼るにしたって連絡を取るにも電話番号も知らないし住所も昔住んでいた場所しか知らない、今もそこに住んでいるんだろうか?
確証はないが取り合えず叔父さんの所へ行ってみよう、あんな事があったし会えるかどうか、会ってくれるかどうかは分からないけど。
「確かこの辺だった気がするんだけど……」
昔の記憶を頼りに電車を乗り継ぎ永遠叔父さんが当時住んでいたと思しきマンションに辿り着く。
ここまで歩いて来た景色も随分と変わっていた、それもそうかあれから8年も経っているんだ。
だけど大まかな雰囲気は場所を特定するには十分残っていた、そのお陰でここに辿り着けたとも言える。
「姫川永遠……間違いない、ここだ」
アパートの一室、表札を確認すると叔父さんの名前を確認できた。
呼び鈴を押そうとしたが人差し指がボタンの直前で止まってしまう。
(大丈夫なのか本当に叔父さんに会って、僕の母さんとあんな大喧嘩をしていたのに、その息子であるこの僕に会ってくれるのだろうか?)
指先が激しく痙攣する、落ち着け、拒絶され照らされたでその先は後で考えればいい。
その時だった、玄関の金属製のドアがゆっくりと開いて来るではないか。
「ひっ……!」
きっと叔父さんが出て来る、僕は慌てて指を引っ込め直立不動でドアの前に立ち尽くす。
(ゴクリ……)
僕は唾を飲み込み喉を鳴らす、人に会うのに、身内である叔父さんに会うってだけでこんなに緊張するなんて。
そしてとうとうドアが完全に開け放たれた。
「………」
だけどそこに現れたのは叔父さんでは無かった。
銀髪の長い髪、白い肌に長いまつ毛、切れ長の目の女性。
顔だけを見ても溜息が漏れそうなほど美しいが彼女の外見的特徴はそれだけでは無い。
着ている服だ、漆黒のフリル付きロングワンピースのドレスを着ている、女性ファッションにはあまり詳しくはないけどこれってゴスロリって言ったっけ?
頭にはこのファッションに付き物のフリフリの被りもの、確かボンネット? と言ったか。
「………」
すっかり呆けている僕を無言、無表情に見つめてくるその女性、しかし綺麗な人だなぁ。
もしかして叔父さんの彼女だろうか? いや奥さん? 結婚したとは聞いた事無いしそもそも疎遠になっているのだから情報が入って来る事は無い訳で、そう考えるとこの外見なら娘さんが居たって不思議ではない、いやでもそれならまだ疎遠になる前から分かっていたってよい筈。
僕は混乱して頭を抱えてしまう。
「……もしかして久遠?」
「えっ……?」
意外な事にそのゴスロリ女性から発せられた第一声は僕の名前であった。
「なぜ僕の名前を?」
そうだ、僕はこの女性を知らない、初対面のはずだ、なのに何故僕の名前を知っているんだ?
「何を言ってるんだい、私は君の叔父さんなんだから当たり前じゃないか」
腕を組み少し呆れた表情で僕を見つめてくる女性。
うん? 今なんて言った? 『君の叔父さん』?
しかも女性にせては少し声が低くかすれている感じが……そんなまさか?
「え~~~~~!!? あなたは……永遠おじさん!!?」
驚きの余り僕は腰を抜かし玄関先に尻もちをついてしまった。
「ああ、そうか、こんな格好しているから分からなかったか、悪かったね」
ゴスロリ女性改め永遠叔父さんはくすりと笑い僕に手を差し伸べてくる。
その手に捕まり何とか立ち上がった。
「久しぶりだね元気だったかい?」
「ええ、まあそれなりです……」
僕の訝し気な視線を察したのか叔父さんは次にこう言い出した。
「丁度出掛けようとしていた所なんだよ、ちょっと私に付き合わないか?」
「えっ……いいですけど」
そうさ、どうせ家には帰れない、時間はたっぷりある。
「じゃあ決まりだ、私について来なさい」
そう言うと叔父さんは又しても真っ黒な日傘を取り出しバッと音を立て広げた。
当然レースがてんこ盛りの日傘を。