校正者のざれごと――編集者の闇
まだ校正の仕事を始めてそれほど経っていなかった頃、ある大手出版社からわりと急ぎの仕事の依頼が来た。だいぶ前のことなので本の詳しい内容は覚えていないが、実用書だったと思う。当時はまだメールではなく、手書きのファックスでの依頼だった。
〇月1日(木)の依頼で、納品日は4日(月)。
――あれ?
月曜日は5日だよなあ。念のため、社長にも確認する。「これって、納品は5日(月)でいいですよね?」「まあ、そうだろうね」出版社は基本的に土日は休みだ。何の疑いもなく、月曜日の納品だと納得して、作業に取りかかる。
当時、まだ上の子が保育園に通っていて、日曜日は保育園は休みだった。でも、この日数だと、日曜日にも少し進めないと間に合わない。仕方なく、土曜日は夜中の3時くらいまで作業をし、日曜の朝は通常通り上の子を8時くらいには起こして、たっぷりと外で遊ばせた。昼寝をさせてからもうひと仕事……などと考えていたら、社長から電話が来た。
「〇〇出版の鈴木さん(仮名)から、原稿の催促が来てるんだけど」「えっ」
そう、4日(月)と読めた納品日は、正しくは4日(日)だった。「日」の字の下のほうが長く見えたので、月曜だと思い込んでしまったのだ。それにしても、あの大手出版社で日曜日の納品って……。
ちなみに、この〇〇出版の鈴木さんはベテランの女性編集者で、なぜか昼間に連絡を取ろうとしてもいつも不在だった。電話をすると、「鈴木は夕方からの出社になります」とのこと。いったい、どんな生活をしているんだろう。当時、不思議で仕方なかった。
同じころ、都心の一等地にある編集プロダクションの出張校正の仕事があった。これは雑誌か何かだったと思う。社員は若い人が多く、和気あいあいとした雰囲気の会社だった。
そこでは、こんな会話が繰り広げられていた。
「社長、また昨日も帰らなかったんですか」
「うん。あ、でも10時くらいになったらシャワー浴びに1回帰ろうかな」
社長も社員も嬉しそうに話している。いやいや、ちゃんと帰って寝ましょうよ。しかし、すごいなあ。編集って、こういう世界なのね。この会社はよく校正者の求人を出しているのを見かけたが、ここだけは絶対に行ってはいけないと心の中で強く思っていた。
最近は依頼がメールに添付されたPDFで来ることも多いが、思わず二度見してしまうような時間に来ることもある。
冒頭の仕事もそうだが、フリーランスの校正者に来る仕事は、土日を挟んでの依頼も多い。出版社がお休みのうちに校正が進んでいれば、効率よく作業が進められる。
当然、ゴールデンウイークや年末年始もしかり。正直言って、ゴールデンウイークなどはあまり休みだという感覚がない。年末年始については、最近では「この日からこの日までは休んで旅行に行きます」などとはっきりと言えるようになったが、まだ仕事が不安定だったころはつねにぎりぎりまで依頼を待ってから予定を決めていた。
昨年の12月は、わりと静かだった。出版業界では「年末進行」というのがあり、例年12月は非常に慌ただしくている。だが私はさほど忙しくもなく、かといってすごく暇でもなく、25日くらいまでは余裕をもって仕事をしていた。仕事が全然ないと不安になるので、ほどよく予定が埋まっているくらいがちょうどいい。今年はいいペース。のんびり過ごせそうだな。ところが、27日ごろになって、バタバタと依頼が入った。27日は最後の金曜日。やれやれ。納品は1月の10日ごろか、だいたい成人の日を過ぎたあたり。年明けには旅行の予定も入れていた。これで、年末は31日まで、年明けは2日からの仕事が確定した。例年通り。
冒頭の、〇〇出版の話に戻る。
幸い、前の日の夜中のうちにだいぶ作業を進めていたので、残りを急いで終え、納品へ向かう。しかしここで一つ問題が。上の子を、家に置いていくことができない。仕方なく、抱っこ紐にくくりつけ、一緒に出版社まで連れていく。
校正プロダクションの社長と、出版社の近くの喫茶店で待ち合わせをした。午前中にたっぷりと遊ばせたおかげか、上の子は電車に乗るとすぐに寝息を立て始めた。喫茶店につくと、ぐっすり眠っているわが子をそっと横に寝かせ、ゲラ(校正紙)を社長に渡す。
ざっとゲラに目を通したあと、社長はわが子をちらりと見ると、
「大変でしたね。ありがとうございました。ここから出版社への納品は、私が行きましょう」
そう言ってゲラを手にとると、喫茶店を後にした。
上の子はまだ起きる気配はない。もう一度抱っこ紐にくくりつけ、電車で帰路につく。
昨日夜中の3時まで仕事をしていたせいで、帰りは私も電車の中でぐっすり眠った。子連れ納品はこの1回限りだった。上の子はまったく記憶にないという。まあ、そりゃそうだよね。