22、和解
「タオ殿! レイア嬢が! 早く!!」
目を開けないレイアに寄り添い、必死にタオを呼ぶも、
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。レイアお姉さんの気ははっきりと感じられるでしょ?」
そう言ってこちらに近づいてくるタオの落ち着いた様子を見て、アンドレも少しだけ冷静さを取り戻す。
確かに、感覚を研ぎ澄ませば、レイア嬢の気をしっかり感じ取ることができる。
「ちょっとごめんね」
レイアの側を離れようとしないアンドレを押しのけ、レイアの丹田に手を添えると、タオはレイアの体内にゆっくりと自分の気を流し込んでいく。
体内の乱れた気が整い、レイアがゆっくりとその瞼を開ける。
「⋯⋯タオ、ちゃん?」
自分を上から覗き込むタオを見たレイアが自分の体を起こそうとするも、全身を走る激しい痛みに思わずうめき声を上げる。
「まだ動かない方がいいよ。何本か骨が折れてるからね」
そんなタオの言葉に痛ましそうな目を向けるアンドレと、黙って自分の体内に意識を向けるレイア。
がぁおお〜〜〜
そこに響き渡る獅子の咆哮。
はっと息を呑むアンドレ。
忘れていた訳では無い……忘れていた訳では無いが!
先ほど黄金の獅子に叩き込んだ渾身の一撃には、確かな手応えがあった。
自分の剣も折れてしまったが、恐らく獅子の足も折れている。
その確信があったからこそ、こうしてレイア嬢の側にいるのだ。
これだけ距離が離れていれば、前足の折れた黄金の獅子は襲ってこられない。
それに、この状況で仮に襲ってきたとしても、ここにはタオ殿もいる。
さすがに、この状況でもう一度戦えとは言わないだろう……言わないよなぁ?
そんなことを頭の片隅で考えていたのだが⋯⋯。
((…………!!??))
まるでネメア平原全体を包み込むかのような強大な気配。
先ほどまで戦っていたネメアの獅子などとは比較にならない強い存在感に、知らずアンドレの足は震え、レイアは再び意識を手放しそうになる。
(随分と無様にやられたな)
先ほどまで戦っていた黄金の獅子の隣に現れたのは、黄金に輝く巨大な獅子。
まるで、大人と子供⋯⋯。
いや、文字通り、あの獅子の親なのだろう。
つまり、あれが本物のネメアの獅子で、先ほどまで戦っていたのはネメアの獅子の子供に過ぎなかったということ。
まかりなりにも、あの伝説の魔獣と互角の戦いができたと自惚れていた自分を、殴り飛ばしたい。
これはダメだ……相手が悪すぎる。
この化け物が相手では⋯⋯いくらタオ殿でも、手負いのレイア嬢を庇いながらで、どこまで戦えるか⋯⋯?
(父よ。あの人間どもが! こともあろうにワレの前足に怪我を! 敵を討ってください!)
そんな声が、頭に響いてくる。
ネメアの獅子は、ちゃんと言葉がしゃべれるのだなぁ。
現実逃避気味にそんなことを考えていると⋯⋯。
(この馬鹿者が!!)
まるで雷でも落ちたかのようなネメアの獅子の怒鳴り声に、タオを除く全員が震え上がる。
「まぁまぁ、そんなに怒鳴らなくても。その子だって人間にやられたのは初めてなんだし、仕方ないよ」
(むぅ……。お前もこれで人間の恐ろしさが少しは理解できたであろう。
人間の中にも強い者はいる。そして、この世には我らなどより余程恐ろしい方も数多おるのだ。
東方では、お前のような奴を井の中の蛙大海を知らずという。
これを機に少しは己の分を弁え、無闇に他者を襲うような真似は控えるのだぞ)
そうネメアの獅子が教え諭すものの、息子の方はただ不貞腐れた様子で……。
(……確かに今回はワレも遅れをとりましたが、次は負けません! 第一、今回だって、ワレは女の方を仕留めてますし、男の方にはもう武器もありません。
怪我を押して戦いを続ければ、ワレが勝っていたのです。
決してワレが人などに負けたわけではありません)
そう言ってなおも反発する息子に、怒りを通り越して呆れ果てるネメアの獅子は……。
(わかった。お前がそこまで言うのなら、このまま戦いを続けるがいい。その代わり、たとえお前が殺されるようなことになったとしても、ワレは決して手を貸さぬぞ)
(勿論です。前足の怪我ももう癒てきましたし、怪我人と武器無しを屠るくらい、前足一本あれば十分ですから)
「あれ? 敵は二人だけじゃないよ。ボクのことを忘れてない?」
と、そこにタオが割って入る。
(フッ、お前のような弱々しい子供など、何人いようが何も変わらぬ。二人を倒した後、一緒に喰らってやるから、そこで大人しくしているがいい)
先ほどから、怖いもの知らずにもワレと父との話に首を突っ込んでくる人の子供に、若干の苛つきを持って答えるネメアの獅子ジュニアと、
(この、馬鹿が……)
そう言ってため息を吐くネメアの獅子。
次の瞬間、タオが己の内に抑えていた仙気を解放すると、途端に大気は震え、暴風が巻き起こり、稲妻が鳴り響く。
ネメアの獅子が放つ覇気とタオの放つ仙気がぶつかり合い、天変地異もかくやという状況が巻き起こる。
「では、はじめようか」
そう言って、巾着から太陽の炎を纏った火尖剣を取り出して構えるタオの姿に、思わず耳を伏せて小さく縮こまってしまうネメアの獅子ジュニア。
慌てて逃げようにも、既に周囲はタオの放つ仙気に満たされており、少しでも動けばそれらは万の雷霆と変わり己の肉体を刺し貫くだろう。
どのような剣でも傷つけられぬ無敵の毛皮?
そんなもの、目の前の少女が気まぐれに剣を振るえば、仙術を使えば、それだけでズタズタに斬り裂かれるに決まっている!
それが、本能でわかってしまう。
父は……助力してくれる気配はない。
人になど負けるはずがないと……死んでも文句は無いと……父の助力など必要ないと……父の忠告を無視してそう言い放ったのは自分なのだ。
(あぁ、ワレはここで死ぬのだな……)
思えば、ちょっと前までの自分は随分と思い上がっていたものだ。
自分は死ぬはずがないと、根拠もなくそう考えていた。
自分から手を出した人間に怪我を負わされたにも関わらず、次は負けないだの、そのまま続けていれば勝てただのと……。
弱肉強食が常の自然界において、本来負ければ次などないというのに。
ワレは自分の力に自惚れ、そのような当たり前の危機意識すら失っていたのだな。
「まぁ、この辺でいいかな」
(はい、タオ殿。お陰様で助かりました)
その瞬間、互いに牽制するかのように荒れ狂っていたタオの仙気とネメアの獅子の覇気は消え去り、平原には心地よい風が流れ出す。
「こちらこそ、弟子たちもいい勉強をさせてもらったし、何よりタダってわけでもないしね」
(ええ、お約束通り、ワレの爪は差し上げましょう。ですが、本当にこんなものでよろしいのですか?
ワレとしては、爪研ぎの手間が省けて、逆に助かるくらいなのですが……)
そうにこやかに話すネメアの獅子とタオに、アンドレとレイア、そしてネメアの獅子ジュニアが怪訝な顔をする。
「えっと、もしかして、タオちゃん、ネメアの獅子と知り合いなの?」
そう尋ねるレイアに、
「うん、前に一度だけ会ったことがあってね」
(ワレがヘラ……昔の知り合いの共で東国に行った時に少しな。あの頃から才気あふれる子供だったが、見違えましたぞ)
「そう?」
(ええ、もうワレでは相手にならぬでしょうな)
「そんなことないと思うよ」
和気藹々と話す1人と1匹に、死闘を繰り広げた2人と1匹は揃って脱力するのだった。




