10、副作用
「お帰りなさいませ、アンドレ様」
大きく開かれた邸の扉の前に並ぶ使用人たち。
その中心に立つ一人の老人が深々と頭を下げる。
「ああ、爺や。こちらはなんとか無事に帰れたよ。ヒドラの討伐も完了した」
「はい、バルド様も大層お喜びです」
「……父は……父上の容態は? 話はできそうだろうか?」
ヒドラの討伐後、事後調査や現場の収拾を全て部下に任せ、少数の兵と共に急ぎ帰還した。
冥府へと旅立たれる前に、せめて自分の口からヒドラを倒したことを父に伝えたかった。
父が安心して逝けるように……。
「ご安心ください。バルド様は大層お元気でございます。今は執務室におられますので、どうかアンドレ様の無事なお姿をお見せになってください」
嬉しそうにそう答える爺やが、気休めを言っているようには見えないが……執務室? 寝室ではなく?
「父上は、執務をされているのか?」
そうアンドレが問えば、爺やは苦笑いを浮かべてこう言った。
「はい、お嬢様が持ってこられたお薬を飲まれてから、大層お元気になられて……。
すぐにヒドラ討伐に向かわれようとするのをお止めするのに苦労いたしました」
「ん? 薬?」
「はい、それが……おや? そちらのお嬢様は?」
アンドレの後ろ。大柄な兵士に囲まれて気付かなかったが、珍しい容姿の可愛らしい娘がちょこんと立っている。
ヒドラ討伐で保護した村娘にはとても見えない。
黒髪と肌の色から判断して東人に見えるが……はて? 東人……最近、どこかで聞いたような……。
「お帰りなさいませ、お兄さ……えっ!? 女神……いえ! 間違えました! 道士のタオ様!
あの、どうしてこちらに? その、お兄様が何か!?」
兄が帰還したと聞いて、慌てて出迎えに来たカテリーナだが、そこにタオの姿を見つけると出迎えどころではなくなってしまう。
自分に貴重な薬を与え、幻のように消えてしまった女神様。(本人が強く否定するため、そうは呼べないが……)
それが、何食わぬ顔で兄の後ろに立っているのだ。
驚くなと言う方が無理だ。
「ん? もしかして、カテリーナはタオ殿を知っているのか?」
「お兄様こそ、どうしてタオ様とご一緒に?」
不思議そうな顔をする兄に、同じく質問を返す妹。
そして、互いに事の顛末を説明していく。
「つまり、タオ様はお父様の命を救ってくださっただけでなく、我が領も救ってくださったということですか?」
「ああ、そういうことだ。まさか、冒険者のタオ殿がヒドラ討伐だけでなく、父の命まで救ってくれていたとは……」
そして、2人の話を黙って聞いている周囲の者は、タオに畏敬の念を向け始める。
領主邸の敷地内にある泉が神域であることは、邸で働く者であれば誰でも知っている。
カテリーナお嬢様の話では、この少女はそこから現れたらしい。
それだけでも十分に女神認定されて然るべき。
その上、彼女は領主を救い、ヒドラをも倒したという。
もう、どう考えても女神様以外の何者でもない。
もっとも、誰もタオのことを“女神様”とは呼ばない。
この邸の使用人たちは皆優秀だ。
カテリーナお嬢様が“女神”と言った後、慌てて“道士のタオ様”と言い直したのを聞いている。
それは、つまり、この方を“女神”と呼んではならない、ということだ。
身分を隠されているのか、東方では女神のことを“道士”と呼ぶのか……。
いずれにせよ、女神に等しき方であることに違いはない。
ゆめゆめ、失礼があってはならない。
「アンドレ様、お嬢様、このような所で立ち話をされてはタオ様に失礼でございます。まずはバルド様に詳しいご報告を。
タオ様はどうぞこちらへ。大したおもてなしもできませんが、まずはお寛ぎください」
爺やの言葉にハッとしたアンドレとカテリーナは慌ててタオを邸に迎え入れると、タオの接待を爺やに任せ、慌ててバルドのところに向かうのだった。
「……ふむ、では、私を救ったあの薬をくれたのも、此度のヒドラを倒したのも、全てそのタオという少女だというのだな? そして、カテリーナはその少女が女神であると……」
「はい、タオ様はご自分が女神と呼ばれることを頑なに拒否してましたが、少なくとも私には女神様に等しい存在と感じられました」
「そうか……。アンドレはどう感じた?」
「はい、父上。私にはタオ殿がそのような尊き方であるかはわかりませんが……。ただ、ヒドラ討伐の折にタオ殿が見せた剣技は……まさしく神技と呼べるものでした。あれが常人に扱える技とはとても思えません。
……何せ、神話級の魔物をトカゲ扱いですから」
そう言って、アンドレは苦笑する。
「おおよその事情は理解した。あとは、直接タオ殿に話を伺うしかあるまい。
とんでもない存在に違いはないようだが、話のできそうな相手ではあるようだしな。
それに、話を聞く限り、タオ殿は女神として扱われることをことのほか嫌っているようだ。
その点を踏まえ、こちらはあくまでもタオ殿のことを、私と領地を救ってくれた恩人という扱いでいこうと思う。
尊きお方が、その身分を隠してお忍びで下々の生活を見て回るというのは、普通によくあることだ。
その場合、周囲の者はたとえお忍びと気づいても気づかないフリをする。
それが、正しい接し方というものだ。
よし! では、いくぞ。あまり恩人を待たせるのも失礼だからな」
そう言って立ち上がるバルドと、それに従うアンドレとカテリーナ。
3人がタオの待つ応接室に向かうと、タオは爺やから出されたお茶とお菓子にご満悦のご様子。
「ああ、話し合いは終わった? カテリーナ、このお菓子、すごく美味しいよ! 一人だけいただいちゃってて悪いね」
上機嫌のタオに、少しだけ緊張していた3人も相好を崩す。
「この度は、ヒドラの討伐、そして、私の命を救っていただいたこと、大変感謝する」
そう言って頭を下げるバルドと、それに続くアンドレとカテリーナ。
「いいよ、そんなの。大したことしてないし……それに、タダ働きってわけでもないからね」
そう言って笑うタオに、バルドの背筋に冷や汗が流れる。
(娘から聞いてはいたが……このオーラはまさしく!)
タオの正面に座り、改めて対面してみてわかる。
自分との格の違い。
そして、先ほどから見える彼女を包む黄金のオーラは……。
先ほどは、タオ殿は只人として扱うようにと息子、娘に忠告したが……。
気を抜けば平伏したくなる衝動を抑えるだけで一苦労とは!
アンドレもカテリーナも、よくも平然と振る舞えるものだ。
横に座る息子、娘を見てそう感じるも……。
「ああ、それはバルドさんだけかな。普通の人には、それ、分からないから」
目の前の少女がそう言葉を発する。
「……うん、昇仙もしてないし半神? くらいかな。ギリギリ人ではあるね」
何やら不穏当な発言が聞こえてくるのだが……。
「それは、一体?」
「そうだね、隠しても仕方ないし、一応現状を説明しておくね。簡単に言うと、バルドさんは長生きで健康で丈夫な体を手に入れたってことかな」
そう言って目の前の少女、タオ殿が話してくれた内容には、正直困惑するばかりだった。
タオ殿がカテリーナに与えた薬は大変効き目の強いもので、その効果はヒドラの毒を消して余りあり、私の肉体を伝説の英雄並みに強靭なものに変えてしまったらしい。
本来であれば、その効果に耐えきれず、肉体が崩壊してしまう!? らしいのだが、幸いなことに私は本当に半神ヘラクレスの血を引いていたらしく、そのお陰もあり、なんとか薬の効果に耐えることができたようだ。
そして、そのとんでもない薬のせいで、私の寿命は推定150歳を軽く超え、その力も素手で獅子を倒せるほどになっているという。
通常の毒は効かず、病にもかからない。
まさに、伝説の英雄並みの肉体を手に入れてしまったらしい。
「一応、しばらくは経過観察をしていく予定だけど、このまま問題がなければ大体そんな感じに落ち着くと思うよ」
話を聞いていたアンドレとカテリーナも呆然としている。
それはそうだろう。
特に、次期領主であるアンドレにとっては一大事だ。
タオ殿の話が本当なら、私は確実に息子よりも長生きすることになる。
それは、つまり、アンドレに領主の地位を譲る意味がないということで……。
アンドレもそこに気がついたのだろう……複雑そうな顔をしているな。
「ヒドラの討伐報酬のこともあるけど、ちょっとバルドさんのことも心配だから、しばらくはここでお世話になって、様子を見たいと思うんだよね。いいかな?」
そう言うタオ殿に、私たち3人は頷くことしかできなかった。




