第3話
ふと気づけば、心地よい風が吹いていた。真夏の太陽の下でも、暑さを感じずに済むほどだ。それどころか逆に、汗が冷えて寒いくらいだった。
このまま立ちすくんでいるよりも、とにかく動いた方がいいだろう。ブルッと体を震わせた私は、駐車場のある交差点を西に曲がって、再び歩き始めた。
来た道とは違うルートならば、何か目新しいものが見つかるかもしれない。そんな期待も込めて、今度は権現池を大回りする格好で、県道18号を通らずに駅へ向かおうと考えたのだ。
私が奇妙なものを目にしたのは、それから数分の後。右手に畑が広がる道に入り、少し歩いた辺りだった。
電柱の根元に、たくさんのそろばんが置かれていたのだ。
最初は「捨てられているのか?」と思ったけれど、それにしてはきれいなそろばんばかり。続いて「これも一種のモニュメントだろうか?」と考えたところで、そろばんと一緒に置かれた花束が視界に入る。
その段階で、ようやく理解できた。これは交通事故の現場で、そろばんもお供え物に違いない、と。
いくらそろばんの街とはいえ、一般的な供物としてそろばんが使われるわけではあるまい。おそらく被害者がそろばんと縁ある人物だったのだろう。
改めて供物のそろばんをよく見ると、普通のものだけでなく、合格祈願のそろばんも混じっていた。いや「混じっていた」というよりも、小さいから最初はわかりにくかっただけで、むしろ合格祈願の方が普通のそろばんより数が多いくらいだ。
「なぜ事故現場に合格祈願のお守りが……? 被害者は何かの試験を受けに行く途中だったのか……?」
その後。
家に帰ってからインターネットで探してみると、該当する事故のニュースが見つかった。
私が想像した「被害者は何かの試験を受けに行く途中」というのは部分的に正解で、正確には「そろばんの昇級試験を受けに行く途中」だったという。「そろばんの昇級試験」だからこそ、そろばんを使った合格祈願のお守りが供物として使われているらしい。
天国でもそろばんの昇級試験を受けて、そこで合格してね! ……みたいな意味だろうか。
亡くなった被害者の写真も、ネットの記事に掲載されていた。写っていたのは、イチゴ柄のシャツを着たおかっぱ幼女。そろばんのお守りを私にくれた彼女だった。
「なるほど、『いっぱいもらったから余ってるの』とは、そういう意味か……」
あの日もらったそろばんは、今も私の部屋にある。棚の一番上なので目にとまりにくいところだが、あれが視界に入る度ふと考えてしまう。
彼女は今でもあの街で、成仏できずに彷徨っているのだろうか。「余ってるの!」と言いながら、お供えのそろばんを配って回っているのだろうか、と。
(「幼女のそろばん」完)