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「まだ幼いな。親はどうした」


 薄汚れた布を纏い、顔や体は痣だらけ。十代にも満たない少女は首を横に振った。


 たいそう悲壮感のある瞳で、上質そうな毛皮を纏う男を見上げた。どこか支配欲のある大人は、この瞳に弱いものだ。


「一緒に来なさい。暖かい食事と寝床を与えてあげよう」


「かんしゃいたします、だんなさま」


 まだ幼いと思われた少女の口から出た言葉に、旦那様は酷く驚いたような顔をした。





 ミモザの人生でひとりだけ信頼できる大人をあげるとすれば、旦那様以外にはない。


 少女趣味といえば、変態的だがそれも妻様に度々裏切られ、大人相手に愛想を尽かし、純粋な心を求めた結果と考えれば、納得がいかないこともない。


 だが、その思考そのものが狂っている。大人が子供を貶めてどうするというのだ。


 日本で女子高生をしていた頃ならばきっと、自分はそう宣っただろう。


「(そんな正義は、ここでは通用しないのよ)」


 それはどちらに送った言葉なのか……。ベッドの上で、仰向けに寝転がった少女、ミモザは思った。


 隣で静かな寝息をたてているのは次男坊。彼も一人前の大人のような振る舞いができる年齢となり、このように異性の関係を求めるようになった。


「(次はジーク様が、生まれてくるのね)」


 教育は、またニンジンをむりやり口に放り込むところから始まる。


 そう考えると、気が遠くなりそうだが、ミモザはいつものように深くは関わらないことにしたい。


 いくらループを繰り返そうと、「ばばあ」呼ばわりされるのは心外だからだ。


 今回はいくら旦那様のご命令でも、ジーク様のお部屋になんていってやるものか。ミモザは、そんな将来を憂いながら両目を閉じた。





「なぁ!」


 まだ幼げな声だった。声変わりなどまだ遠いといわんばかりのものである。


 洗濯物を干していた若いメイド、ミモザは手を止めて、声の主の高さへ目線を合わせた。


「なにかご用でしょうか、ジーク様」


「なぁ、これ!」


 にこにことした幼い少年が何かを握った両手を差し出していた。


 子供というものは無邪気で可愛い。こんな子があんな大人に育つのだから、この世は全く持って恐ろしいものだ。


「わたくしめにいただけるのですね。なんでしょうか」


 ミモザがわくわくとしていると、少年が手を開いた。


 そこには、ゲコリと鳴いた雨蛙が一匹。


「へへーん、どうだっ」


 可愛らしい少年の顔がいやらしい笑みへと変貌した瞬間だった。


 ああ、やっぱりジーク様はジーク様だわと、ミモザは内心で冷めた。


「あら、可愛らしいカエルですね」


「えっ、驚かないの?」


「ええ、好きなのですよ。カエル」


「ちぇっ、つまんない。つまんないのー」


「残念でございましたね」


 ジーク様は、出会うごとに躾と称して、ごたごた文句を言うミモザの方へ自発的には寄って来ない。


 しかし、長いこと同じ人生を繰り返していれば、こういうレアケースもあるらしい。


「じゃあ、なになら怖い?」


「うーん、そうですねぇ……」


 ミモザは考えた。目一杯時間をかけてから、大人げない発言をした。


「地面ですね」


「え?」


「怖いですよ。とても」


「えー、意味がわからない」


「では。よーく、お考えくださいね」


 洗濯物を干し終えたミモザは、悩ましげな少年を放置したまま、屋敷の中へ戻った。





「えい!」


 泥団子が飛んできたのは午後のこと。それは見事に給仕服の裾を汚した。


 もちろん、投げつけてきたのはジーク様だ。


「なにをなさるんですか」


「地面だぞ。こわいか!?」


「いいえ、これは泥団子です。地面ではありません」


「ちがう、地面だ!」


「もっと、よく考えてくださいませ」


 冷ややかな視線を送ったら、ジーク様はプルプルと体を振るわせた。


 怒っているのだろうかと、少しだけ不安になる。


 この頃は旦那様も兄君方も、ジーク坊ちゃまをたいそう可愛がっておられる。さすがにやりすぎるとどうなるか分からない。


「うっ、うっ」


「ジーク様?」


「うわあああん、考えたけど、わからないよ、わからないよおおお」


「(ちょっと。そこで、泣いちゃうの?)」


 ぎゃんぎゃんという鳴き声に屋敷中の給仕人が集まってくる。


 ついには二番目の兄君が登場し、優しげな態度で弟を抱き上げていったのだった。


 ジーク様は終始、「あいつがあいつが」とミモザを指さしながら叫んでいたので、もしかしたら明日にでも首が飛ぶかも知れない。


「(……今回は、ここで終了しそう)」


 これは、本当に予想外の展開だ。





 結論から言えば、首は飛ばなかった。だが、現在、とても残念な有様だ。


 ジーク様のお部屋で、ミモザは我が儘な子供の相手をせねばならぬのだから……。


「おい、メイド」


「わたくしはミモザでございます。それで、なにかご用でしょうか、ジーク様」


「おまえ、甘いものをもってこい」


 皆、騙されている。可愛い容姿にはぐらかされている。「中身は所詮あの体たらくのジーク様なのに」だ。


 しかし、この段階で将来の姿を話したところで誰も信じまい。


「もうすぐ夕餉でございますので、それまでお待ちいただけますか?」


「いやだ! 夕餉は甘くないものがでるだろう。甘いものがいい、甘いものっ」


 バタバタとベッドの上で暴れ回るジーク様。正直に言って、勘弁して欲しいとミモザは思った。


 丁度、同じようなタイミングで扉を叩く音がする。


 そのとたんにジーク様はぴたっとおとなしくなり、ベッドの上にあった子供向けの書籍を掴んだ。


 入ってきたのは普段、ジーク様の世話係をしているメイドである。


「ジークお坊ちゃま、失礼いたします。夕餉の準備が整いました」


「わかった。すぐいくよ」


 いたく真面目な表情で本から視線を上げた少年を見て、ミモザは目眩がした。


「ジーク様、それはいささか……」


「うるさい! 甘いものもってこいっ!!」


 ぎゃんぎゃんと叫びながら強い視線を寄越した少年に、「どうしてこんなことになったのだろう」とミモザは心底、うんざりするのだった。


「おい、メイド」


「ジーク様、わたくしはミモザでございます」


「うるさい。そんなことどうでもいいんだっ」


「いいえ、大切なことでございますよ。人を、人として扱うのが立派な人間の礼儀、ひいては大人としてのあり方です」


「そんなこと、しらない」


 果たして、この少年をどう教育すれば良いだろうか。ミモザは考えていた。


 大人になったジーク様とすら、まともに付き合ってこなかったのだから、ミモザは『ジーク様の初心者』といっても過言ではない。


「将来、ジーク様はたいそうご立派な人物におなりでしょう」


 そう言った瞬間、少年の眉毛がわざとらしいほどに跳ねた。


「ご立派な人物といえば。ジーク様のお父様、当主様でもありますね。旦那様は、たとえ奴隷の身分の者にでも手を伸ばしてくださる。人として扱ってくださるのですよ」


「うそだ」


 まさか己の父親を疑うとは。こいつは手強い。


 だが、きっと分かって貰える時が来る。相手はまだ子供。このまま大人になってしまえば、それはもう手遅れでなのである。


「どうしてそう思われるのですか?」


「……」


「ジーク様は、どうしてそう思われたのか。どんなことでも良いので、気持ちをお聞かせくださいませんか」


「……って」


「はい」


「だって、とうさまは、おまえを『だく』だろ!」


「は?」


「おれは知ってる。ベッドではだかになるんだ。かあさまじゃないぞ、おまえだった!」


「……」


 見られていたのか。いつだ。どうして見られていたのだ。どこまで知っているのだろう。ミモザは混乱して、水から飛び出た魚のように、口をパクパクとしてしまった。


 変態的な父親の姿を見て尚、尊敬しろと言う方が無理な話。それを強いるミモザの言葉を信じろという方が間違っている。


「にいさまもだったっ!」


 その事実はあまりにもショッキングすぎた。彼の凄惨な叫びなんて、もう聞きたくない。ミモザはこのまま耳を塞いでしまいたかった。


 でも、ジーク様の表情があまりに真剣で、顔を逸らすことはできなかった。

 大人に真実を問いただすなんて、きっと勇気がいったことだろう。


 彼と本気でぶつかり合うなら、正直な話をするべきだ。ミモザは直感的に確信めいたものを得た。


「そうですね。その通りです」


「……」


「ジーク様は見ていらしたのですね。今まで。そうか、ずっと……そんなこと、気がつかなかった」


 もしかしたら、ミモザにキツい態度を取っていた原因はこれかも知れない。直感的にそう感じた。


 ずっと、ジーク様は体たらくだと思っていたけれど、考えてみればこの屋敷の男は、異性関係に置いてそんなにも変わりがない。


 それなのに、皆、ジーク様だけを責めた。まるで傷から出た膿のような扱いをしていた。そんなの、おかしな話だ。


「ジーク様。すみ……、ごめんなさい」


「いいよ」


「許していただけるのですか?」


 ジーク様は「うん」と頷いた。素直だ。


 まだ子供だからだろうか。それとも、ジーク様は元々、こういう性格だろうか。ミモザには分からない。


 結局のところ、彼に関してほとんどのことを知らないままだ。


 だけど今度は。

 今度は、この子と真面目に向き合うべきだと感じた。


「ジーク様、もしも気になることがおありでしたら、なんでもおしゃってください。つつみ隠さずお教えします」


「ほんとう!?」


 ジーク様は子供らしくキラキラと瞳を輝かせた。

 それはまるで小さな可能性なのに、彼の大きな未来を暗示しているかのようで……。


 ミモザは初めて心が躍ったのだ。


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