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(3)



「いたい、やめて!」


 そう叫んだ時、幼さの残る声色に自分で驚いた。

 目の前には自分に被い被さって入るであろう男の姿が確認できる。


「ミモザ、おとなしくするんだ。痛いのは、はじめだけだよ」


 生ぬるくて汚い吐息がかかる、思わず顔を背けた。


「(こ、これは嫌だ。この記憶だけは)」


 この後に続く苦痛を考えると、気が遠くなるような思いだった。





「なぁ、メイド長」


 お屋敷の中庭で洗濯物を干していたミモザに軽い声がかかった。


「なんでしょう、ジーク様」


「うーん、別に。なんっかひっかかるんだよなぁ」


「謎解きは、お部屋の方でどうぞ。若い娘をお付けしましょうか」


「……いや、いいよ。思い出せそう」


「さようでございますか。それは良うございました」


「メイド長は、馬好き?」


「はい?」


 振り返ると、悩ましげな表情のジーク様が「やっぱりいいや」と踵を返すところだ。ミモザの頭に一抹の不安がよぎった。


「今度こそ、馬など買ってこないでくださいませよ」



 ――どうやら。

 ミモザは同じような体験をしている。


 その体験が、どうやら古い記憶。つまりは夢ではないことに気づいたのは、まだ十代に満たない少女の頃。


 旦那様に拾われた時のことだった。


「ニ度目、いやこれは三度目の人生ということかしら」


 はじめはそう思ったが、どうやら何度も同じようなことが起こるので、これはたぶん、ループしている。


 同じような世界を繰り返す。女子高生の頃、そういう映画や本を鑑賞した中でいうと、SFのジャンルに近いだろうか……。


 ミモザは、お屋敷の三階、いつもの定位置で窓の下を眺めていた。


 地面が、ただ、恋しい。これは変わらぬ思いだ。


「ループしたところで気持ちは同じ、か」


 もはや、潔い。

 諦めだ。


 ループが始まるのはいつもだいたい同じタイミング、ミモザの母親が亡くなる頃。よく考えてみると、その頃からミモザの人生は狂い始めた。


 ひたすら死を追うようになったのだ。


 早い段階で、旦那様に拾われる前にもあった。これは不可抗力だったが、逃げ出した際に足を滑らせて肥溜めへ落ちた。


 今回は遅くとも、ジーク様と遠乗りへ出かける頃には死とへ向かうだろう。


「だけど。……次こそは、母さんを助けたいわ」


 これは、何度かループして思ったこと。母親が生きていれば、娘の人生は多少なりとも変わるだろう。


 例え、人の寿命があらかじめ決まっていたとしても、その間を穏やかに暮らせるかどうかは別の問題である。


「そろそろね」


 この生も、潮時だ。ミモザは、窓枠に足をかけた。


 下へ落ちる寸前、あの麗しい赤毛が、ジーク様が、駆け寄ってくる姿が見えた気がした。





「早めに教会を頼って良かったわ」


 ミモザの母親が屈託のない笑顔を見せる。元気な彼女の姿を見たのは本当に久し振りだ。


 たいがい、彼女は重い病にかかって亡くなる。

しかし、今回は、運良く命が助かった。


 これで、幼いミモザは、残りの人生を心穏やかに過ごせるだろう。


「(良かった。お母さん)」


 二人並んで歩きながら、小さな手で必死に母親の指を掴む。


 そうか、子供の手はこんなにも非力で小さいんだなと、そんなことを感じられるような余裕さえあった。


「きもちいい」


「ほんとう、風が気持ちいいね」


「うん!」


 わずかな幸せを心いっぱいに感じながら、うきうきした気分でぼろ屋へ戻った。


 ……のだが、扉の前にできれば二度と会いたくなかった人物がいる。


「やぁ、ミモザちゃんと奥さん」


「あら、パン屋さんのご主人様。いつもお世話になっております」


「いいんだよ。病が良くなったと聞いて、ほら、これ良かったらどうぞ」


 男の手にはパンがぎゅうぎゅうにつまった袋が握られていた。ミモザは全力で嫌がったのだが、母親が家に招き入れてしまう。


「あの、おかあさん、あのね」


 どうしても舌がもつれて、上手く言葉にできない。子供の体が恨めしい。せめてもう少し大きければ。ミモザは焦っていた。


「いつも、本当にありがとうございます」


 母親が嗚咽を漏らして、感謝をのべている。その肩を抱く男の姿に憤怒した。


「(許せない)」


 いつの間にやら子供は追いやられる雰囲気であった。

 母親も、母の前に女だったようだ。だだをこねていた娘を寝かしつけた後、いそいそとどこかへ消えてしまった。


 ミモザが目を覚ました時には、ぼろ屋にひとり寝そべっていた。

 母親が入ればいつもかけてくれるであろう毛布もすでに部屋の端へ追いやられていた。


「おかあさん」


 不安で胃が押しつぶされる思いだった。必死に玄関の扉を開こうともがいていたら、それは向こう側から開いた。


 仲慎ましい男女の姿、お母さんとパン屋の亭主が、寄り添っていた。


「ミモザ、良い報告があるの。お父さんができるわよ」


 悪夢のような現実のはじまりだ。





「なぁ、メイド長」


「はい、ジーク様。何かご用でしょうか」


「いい天気だな」


「そうですね」


 こうして洗濯物を干せるのだから快晴に決まっている。相変わらず頭が回らない王子様だ。


「馬を買った。遠乗りに行こう」


「申し訳ございませんが、そのような余裕はございません」


「人手が足りないのか?」


「ええ、そうでございます。どこかの誰か様が、とてもお盛んでありますので」


「ふん。それは、俺のことだろう?」


「えっ」


 意外な言葉を耳にして、ミモザは思わず洗濯物を手放してしまった。


 べちゃりと地面へ直行する布の塊。なんというミスだと目の前が暗くなった。


「……えっと」


 動揺が隠せない。ミモザがおろおろとしていたら、洗濯物を拾い上げたジーク様に笑われた。


「メイド長も狼狽えるんだな」


「ま、まぁ。人の子ですので」


「なんだそれ、ははっ」


 ジーク様は優しげな瞳だった。どこか見覚えがある。


 記憶を思い返して分かった。一番最初に、馬で遠乗りへ行った時と同じ笑顔だ。


「俺はな、最近、頭が良い。ひらめきが多くてな、遠乗りもその一つだ。きっと楽しいぞ」


「申し訳ございませんが、今回は遠慮させてください」


 実を言えば、余力がない。ミモザは少しばかり草臥れていた。


 一度、浮上した幸福を一夜にして捨てねばならなかったあの日。

 結局、母親は男の暴力でいとも簡単に逝ってしまい、娘も同じような運命を辿ってきた。


「ふむ、疲れているようだな」


 ジーク様の言葉に、驚いて、その瞬間、目の前が本当に暗くなった。


 そこからの記憶は曖昧だ。


「……ああ、驚いた」


 倒れた後。

 はっきりと意識を覚醒させた時。自室にはミモザ以外の影はなかった。


 それなのに、毛布はきちんと体にかかったままだった。





「今日は風が強いのね」


 お屋敷の三階で、ミモザは窓の下をのぞき込んでいる。ジーク様に「遠乗りをしよう」と提案を受けてから数日が経っていた。


 意識を失ってから、数日間思うように動けなかったのは、例のジーク様がちょくちょくとミモザの様子を窺うために訪ねてきていたからだ。


「心配してくださるのはありがたいこと。それにあのジーク様が他人を思いやるお気持ちを持っていた。今回は良いことを知れたわ」


 意外と、自分がみていなかっただけで、ジーク様も人の心を持っていたということか。


「でも、考えたって、もう遅いのよ」


 そろそろ、旅立つ時間だ。


 しかし、窓枠に片手をついた瞬間、トントンと背を叩かれた。


「メイド長」


「……なにかご用ですか、ジーク様」


「もう体調はいいのか」


「大丈夫です。申し訳ないのですが、ご用でしたら他の者にお願いします」


「忙しいのか」


「ええ、まぁ」


「そうか。ならば、来い」


 どうしてそうなる。ミモザは忙しい。地面が呼んでいる。一刻も早く、逝きたい……。


「来い、メイド長。もう準備はできている」


「は?」


 いわば強制的、強引に腕を引かれてたどり着いたのはジーク様のお部屋だった。


「入れ」


 有無をいわさぬ。彼の目はそのように語っていた。

 この命令には従っていた方がよさそうだ。適当にあしらって、早く逃れよう、と考えながら扉を開いた。


「おめでとうございます!」


 甲高い娘たちの声だった。フンと真後ろからジーク様の荒い鼻息がする。


 部屋の中は飾り付けられ、テーブルにケーキやらオードブルやら、ティーセットも揃い。いったいなんのお祝いやらといった雰囲気である。


「ジーク様、これはどういうことでしょうか」


「メイド長は誕生日らしいと聞いた」


 誕生日。いいや、違う。


 誰が嘘を? 旦那様といは考え難い。長男も次男も同様。冗談をいうような性格ではないからだ。


 振り向くと、ジーク様が胸を張っていた。そして、「あとは快気祝いだ。今日はメイド長が主役だぞ」と微笑まれてしまう。


 部屋の中にいるメイドたちも揃って笑顔だ。これはもう誕生日ではないと言える雰囲気ではない。


「ありがとうございます。皆さんも」


「いいのだ。感謝は。俺は次期当主だからな下々を労ってやるのも当主の勤めだろう」


 フンと再び鼻を鳴らすジーク様の目は本気のようだった。

 当主だと、冗談で言っていない辺りが怖い。


「ありがとうございます」


「感動して泣かなくても良いんだぞ」


 今度は得意げに鼻を鳴らす。呆れてものが言えない。


 そう思ったが、後ろから肩に手を置かれて、耳元でそっと囁かれた。


「今日は休め、これは命令だ」


 驚いて彼の顔を見ると、ニッと微笑んでいる。


 この人の思考が読めない。初めて、ミモザはそう感じたのだった。

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