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――。


 ミモザは生真面目な人間である。

 と、同時に。

 異性からすれば面白味の感じられないおんなであった。


 どこか、憂いを帯びている表情。たんたんと給仕をこなし。

 例えるならば、真冬に塗れた雑巾のように寒々しい、己が主人と対する時にでも暖かな眼差しを向けることはなかった。


 それが良い。という、変わり者も世界を巡ればいるのかも知れない。

 だが、家庭環境の豊かな、愛想の良く柔らかい印象の娘たちと比べれば、生涯の伴侶として選ばれる機会はそう多くないといえた。


 ミモザは、幸せそうに寄り添い合う番たちをたいそう冷静な目で見つめていた。


 年を重ね、ついには娘とは呼べない年齢となりいよいよ危ないと、同僚の娘たちから囁かれるようになっても彼女の中に特段の焦りはない。


 ――だって……。

 自分には。

 他にやらねばならないことがあるのだから――。





 ミモザは、メイド長だった。しかし、メイドを束ねる存在としてはいささか若いともいえた。


 ミモザは、十代より若い年齢の時からこのお屋敷で奉仕をしている。そして、土地の富豪である旦那様のお気に入りでもあった。


 旦那様のみならず、長男、次男のお相手を請け負ってきた身であり、多少の我が儘をせっついたところで咎めを受けることのない、少々、変わった立場にあった。


 だからといって、ミモザは何かを強請ったり、周囲に威張り散らしたり怠慢に、仕事を怠ることをしない。ミモザの生真面目さは、もはや染み着いた性質である。


 いうなれば、模範的な日本人、いや、実際にそうだったからだ。


 ミモザには、自分が死んだ時、いわゆる前世の記憶があった。今の自分でなく、高校生の少女だった時のこと。


 この国の赤子こどもには、不思議な風説があり、希に前世の思い出を携えて生まれることがあるらしい。

 それは大人の体に成長するにつれ、自然と消えていく。そういうものだという。



 しかし、ミモザといえば。


 前世の記憶に固執しすぎるあまり、一度目の生を見誤ってしまったのだ。



「――ああっ」


 風を切る音は果たして、心地よいものか。ジェットコースターで、降下する時の高揚感に似ている。

 耳の中がキンキンと鳴る。鼻が詰まるような苦い感覚がする。それは彼女が泣いているからだ。


 涙が上へ、上へ上がっていく。逆に体は下がっていく。


 急速に灰色のアスファルトが迫り来る。


 愉快そうな少女たちの笑い声と、悲壮な大人の叫び声と、他がはやし立てる声が、聞きたくないにのに脳内を犯す。


 こうして再び、忘れようとしていた状況を理解して、やがて、感じないと思っていた恐怖が迫る。


「(――ああ、この瞬間。わたしは、死ぬんだ)」




 ミモザは、ハッと目を覚ました。感じたのは茹だるような熱さと、気持ち悪いほど肌がベタついている感覚だった。


 すす汚れた古い天井を見て、ここがどこか悟った。お屋敷の自室、自分は寝台の上だ。


 次に「何時なんどきか」ということが気になった。


 静かに耳を澄ます。毎朝、旦那様の末息子が飼っている小鳥が、広場で心地よい歌を披露する。


「……」

 どうやら開演前らしい。ミモザはほっと胸をなで下ろした。


 体を起こし、夜に汲んでおいた井戸水で体を拭き、いつも身につける給仕服に袖を通す。


 こうしてミモザの一日は、始まる。



 「ニンジンを残さないように」、「廊下を走り回らないように」、「お父様、お兄様方を見習っていただきますよう」。いくら口酸っぱく同じ言葉を繰り返したところで、子供は言うことを聞かない。


 過去の失敗を考えて、ため息をもらしたミモザは、洗濯物のカゴを抱えながら中庭へ足を向けていた。


 今日は暑いほどの快晴だ。洗濯物もよく乾くだろう。


 中庭へ続く扉を開いたところで、クスクスと男女の声が耳に入ってきた。


 壁際で若い二人が、あろうことか恥じらい事の真っ最中……いや、違った。

 どうやら行為が終わってしばらく経っているようなのだ。


 可愛らしい容姿のメイドは、まだ新人で十代後半の娘。

 衣服の上半部が脱ぎかけという、なんとも情けない有様である。もうひとりはミモザが頭を悩ませていた件の末っ子、通称は王子様。


 まるでそのように美しく、傍若無人。


 上の兄君方と違って、ちゃらちゃらと赤髪を伸ばし、ゴテゴテと貴金属を纏い、かといってそれが不自然でないほどお洒落な様さを醸し出すのがまた憎たらしい。


 長男は国を動かす重要な官吏として、次男は騎士団に所属し、行く行くは団長の地位を目指しているのに、この末息子はこれだ。


 ミモザを含めて、兄弟とは一回りほど年が違うが、生まれた時代が違えば人間はこうも地に落ちるものか。


「うわ、やばっ」


 ミモザの気配に気づいた王子様が、なにやらごそごそと衣類を正した。生気の薄い気怠げな瞳を投げてくる。


「って、ああ、なんだ。メイド長か」


 若いメイドといえば、一瞬ぎょっとした顔をしたが、ミモザが何も言わず側をすり抜けると、元の愛らしい表情を取り戻した。


 ただし、ミモザは教育者として一言ぐらいは伝えておかねばならぬ。

 去り際に、「ジーク様。ここは公共の場です。慎んでくださいませ」とだけ言っておいた。


 それから。偽りの王子をうっとりとした表情で見つめている愚かな娘へ、心中で忠告をした。「それはただの行為であって、愛ではない」のだ、と。





 行為はただの行為である。そこに愛はない。これはミモザの主人である旦那様のお言葉だ。

 十代にも満たない少女が、自尊心を保のに必要なものだった。


 この世界において、大人は汚くて当たり前。そんなこと、体は知っていても、心の方がついてこない。


 だから、はっきりと恋愛とは違う。勘違いをしてはならないと、旦那様から忠告を貰えたのは幸運なことだった。


 だから。

 末息子の方もどうかお父様を見習って、少しの弁えを心得て欲しい。



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