カメラに残された映像より
ガガッという音。
プラスチックのケースになにかがこすれるような。
すぐにガサガサと布地にこすれる音に変わり、髪を染めた高校生くらいの少年の顔がパッと映し出される。
「はーい、今日はさっきのね、S病院跡地がいまいちだったのでぇ、その帰りに偶然見つけたこのちっさい洞窟?に入ってみたいと思いまーす。いや運命じゃね? 行きは気づかなかったのに帰りに気づくとか。ちょっと俺ツイてるかも。とか言ってないで入りまーす」
妙におどろおどろしい音楽。別の端末で流しているらしい。少年の顔が少し引き、自撮りをする時のような体勢になる。少年の奥にかろうじて、ぽっかりと口を開けた洞窟が見えた。洞窟のそばに薄汚れた木札が立っており、一応は観光地というか、人が来ることを想定している場所のようだ。
洞窟は比較的道路に近いらしく、画角に見える洞窟の前は開けていて下生えも少ない。傾斜もさほどないようだった。
「いやね、S病院跡地がもっとすごかったら俺もこんなこと来ないんだけどぉ、あそこほんとつまんなくてえ。
だから俺も急いで別のとこ探して。そしたらちょうどいいとこがあったんでえ、入ってみたいと思いまーす! いざ!出発!ってね!」
調子のいいかけ声と共に少年の顔が見えなくなり、視界は洞窟を正面に据えた形になった。彼がスマホかハンディカメラを手に持って撮影しているらしい。
「うわっ、ちょっ、近づくとけっこう暗えよ。懐中電灯あってよかったわー。あっこれは病院用に持ってきてたんですけどね、役に立ってよかったですわ。まずこの看板?見てみたいと思いまーす」
白っぽいライトに照らされた木の看板が現れる。年季の入った黒っぽい染みがところどころに浮かび、字のようなものはうっすらとしか見えない。
「うーん、汚れててよく読めないっすね。く、く、くろ、なわ? ちがう? え? いやいやマジで。てかナメクジとかいるし。俺触れねえっすもん。まあいいや、中入っていきたいと思いまーす」
別の音楽が流れ、彼はおっかなびっくり洞窟の中へ入っていく。またガサガサという音がして、画角が変わった。
今度は下から少年の顔を見上げるような形になる。相変わらず手にスマホか何かを持って撮影しているようだ。
「いやー、なんもないっす。てかちょっとジメっとしてる? まあナメクジいるくらいっすからね」
ざくざくと砂利っぽい地面を歩く音とともに画面がリズミカルに揺れる。彼はきょろきょろと左右に視線を移動させながら歩いていく。少なくとも立って歩けるくらいのスペースはあるらしい、ということがわかる。下側がうっすら白く見えるのは懐中電灯の光だろう。
「お? 分かれ道ですねー。つっても右の道はなんかちっさすぎて頭下げないと入れなそうなんで左の道行きまーす。覚えといてくださいね、左です。俺帰れなくなっちゃうんで」
彼が少し向きを変え、またざくざくと歩く音。天井の岩が湿ったような、黒っぽい質感になる。ところどころぽたぽたと水が垂れているところさえあるのが見て取れる。
彼は露骨に嫌そうな顔で落ちてくる水を避け、ペースを落として進んでいく。
広い方を進んだと彼は言っていたが、彼が進むにつれて見るからに天井が低くなってきたのがわかる。彼はまだ普通に立って歩いているが、頭をこすりそうなときも何度かあった。
「やー、ナメてましたわー。けっこう長いっす、この洞窟。ちょっと上(天井)のとこもきつくなってきたんでぇ、もうちょい行ったら引き返そうかなって思います。そんでぇ、」
何かを言いかけた彼が不意に黙る。
画角の向こうで何か音が聞こえる。
軽い足音のようなものが、彼の向こうから、洞窟の奥にあたる方角から聞こえる。
それだけではなかった。大人が、子供の笑い声を無理やり真似したような、奇妙に甲高い笑い声も足音と同じ方向から聞こえてくる。
「はあ? えっ、いや、えっ?」
少年の焦る声がして画面が暗くなる。暗い画面の向こうで布がこすれる音だけが聞こえ、やがてリズミカルなザッザッという音に変わった。スマホをポケットに入れて、走っているのだろうか。
少しして、画面が一瞬真っ白になってから少年の顔が写し出された。スマホを覗き込むような形で、顔が陰になっている。息が上がっていて、肩が上下しているのが見えた。
「ハアッ、ハア。ゲホッ。いやー、なんすか?あれ?めっちゃ怖かったんすけど。いやなんか、ハア、黒いのが走ってきたんすよ。いや犬とかそんなんじゃなかったっすよ。立ってたっすもん。立って走ってましたって。見えました?いや見えないっすよね、俺カメラのフタして走ってましたもん。なんなんすかまじであれこっち来うわああああああ!!! ああ!!!」
すさまじい音割れ。
「いやなにこれってちょっ ちょっ うわあああああ!!!!いやだいやだいやだむりむりうわあああ!!!」
何かが引きずられるような音。奇妙な笑い声のような音。ガシャンと音がして画面が弾んだあと、固定された。湿った岩を映すだけの画面に、ときおり黒い何かと白い目のような部分がちらちらと映る。
「いや知らない!知らない!俺じゃない俺じゃああああ!!!!」
悲鳴混じりの声だけが遠くなり、その声の主を映さないままカメラは岩を映している。
以上の映像がS県××市で起きた男子高校生行方不明事件の手がかりとされているものである。
この映像が撮られたカメラは男子高校生の両親が頑なに引き取りを拒否したため、とある遺失物係に映像ごと保管されている。