第72話前半 おじさんは楽に死ねない
「はっ……はっ……!」
リンは、死にかけていた。
彼女にとっては何もかも意味が分からなかった。
突然黒服の男達がやってきてリンを含めた子どもたちを連れ去って、黒い屋敷に連れて来られた。
そして、子どもたちは、痛みや罵声に耐え続ける地獄のような日々を過ごしていた。
『家族』と名乗る大人はリン達に『父』や『母』、『兄』『姉』『祖父』と名乗るよう強要した。
彼らは子どもたちで『実験』を行っているにも関わらず。
彼らの実験は『悪魔と契約を結んだ強い人間を作る』こと。
リンもまた、その実験に参加させられていた。
リンは【強欲】と呼ばれる悪魔と契約を結ぶよう強要された。
教えられた通りの言葉をいって、悪魔を呼び出し契約を持ちかける。
『代償は、自分の命だと言いなさい』
そう言われていた。
そして、リンは【強欲】と契約を結ぶことに成功した。
『家族』は喜び、リンを褒め称えた。
だが、それからも地獄は変わらなかった。
『魔力を高める為に』と、痛めつけられた。
そして、高まったかどうかを証明しろと言われ、言われたとおりにやると首を傾げられ、今度は苛立ち混じりに殴られた。
徐々に『家族』の攻撃は酷くなる上に、身体が歪に変化、そして、黒く染まり始め、リンは『化け物』になり始めた。
そうなると、他の子どもたちまでもリンをいやがるようになった。『家族』は失敗だと言い、リンを殺そうとした。
「おい、ヴォルガス。この娘をころしておけ」
『父』は『二番目の兄』にそう言い放ち去って行った。
『二番目の兄』は憂鬱そうにこっちを見る。
(すきかって殴ったり、けったりしておいて、ころすのはめんどくさそうにして……)
リンはそう思ったが何も言わない。リンももう何もかもが面倒だった。
『二番目の兄』が短剣を持ってくる。
黒く鋭そうな短剣だ。
今のリンのように黒くて硬い皮膚で覆われていても刺されば死ぬだろう。
死ぬ。
リンは、震えが止まらなかった。
なんの為に生きたのか?
なんの為に死ぬのか?
意味が分からなかった。
だが、死ぬ。
死にたいとは思っていた。
だけど、実際に死の先にある真っ黒な世界を感じ、リンは涙を溢した。
泣くと怒られる。でも、今は泣きたかった。
冷たく輝く短剣がこちらを向く。
その時。
「お兄様」
『二番目の兄』に声が掛けられる。
そこに居たのは、赤茶の髪の利発そうな少年だった。
『兄』は少年を見ると、にやりと笑う。
「32番か。そうだ、お前、ころせ」
「え?」
「実験だよ。実験。『父』のお気に入りのお前なら分かるだろ。殺しは実験体が減るから最後の手段なんだが、コイツに関しては殺していいんだ。お前にやらせてやるよ。それで魔力を高めろ」
そう言って短剣を渡す。
すると、少年は冷たく笑い、短剣を受け取ると迷いなくリンの元にやってきて首を掴む。
強く握られて声が出ない。
リンはただただ震えていた。この少年のことは知っていた。
元は貴族様で魔力が高くて頭が良くて『家族』から好かれていた。そして、『家族』に蹴られても殴られてもニコニコしているから子どもたちからは嫌われているようだった。
貴族と孤児、男と女の部屋は分けられているのでリンには噂しか流れてこなかったが、なんとなく悪魔とはこの少年のようなものなんだろうと思っていた。
首に入る力が強くてリンは震える事しか出来ない。
少年は笑いながら顔を近づけてくる。
そして、
「……死にたいなら首を横に振って。生きたいなら縦に」
そう呟いた。
目を見開くリンだが、首を持つ手に力が入れられ何も言えない。
だけど、気付いた。彼の手が、震えていた。
「さあ、死にたいか!? 殺してやろうか!」
少年がそう叫びながらじっとリンを見ていた。その怒りが籠っているような声とは相反して、じっと、問いかけるように、やさしい目。
リンは、首を縦に振った。
すると、少年は微笑み、短剣を振り上げた。
リンは、ぼーっとしていた。背中越しに見える醜悪に笑う『兄』などどうでもよかった。
もし、兄という存在がいるのなら……。
振り下ろされた短剣は突き刺さり、血が噴き上がる。少年の手から。
だが、少年は表情一つ変えず微笑んでいた。
そして、振り返って叫ぶ。
「うぎゃあああああ! 痛い! いたあい! ……お、お兄様、この子の呪いは大分強力なようです。恐らく【強欲】が邪魔しているのかと。まだ、生かしておいた方がいいんじゃないですか? というより、殺すと危険では? こんな風になりますよ? ねえ!」
少年は身体を震わせながら短剣の刺さった手を見せつける。
『兄』は顔を青ざめさせていた。
「そんなことが……いや、確かに最近解読できた本にも、悪魔は気に入った契約者を守ろうとする時がある、とあったな……だが、面倒だな。弱いままであれば父は苛立つ……」
「ぼくに預けてはいかがですか?」
「お前に?」
リンはその言葉を聞いて何故か身体があたたかくなるのを感じた。
「悪魔の子が子に実験を行ってみるのです。他の悪魔の力が関わって来れば契約した悪魔が手を出させまいと力を与えるかもしれません。それに……孤児なんかでお兄様の手を煩わせることはありません」
「そう、だな……その通りだ。よし、それでいこう。それはお前に預けてやろう、32番。ただし、実験の失敗はお前の責任だ。罰はお前が受けろ。そうだ、それにより『教育』の手間も省ける日が出来て一石二鳥じゃないか」
「ありがとうございます! 必ず、期待に応えてみせます!」
深々と頭を下げる少年に倣い、リンも震える身体で『兄』に頭を下げた。
「ふむ……お前に任せて、従順にさせるのも一つの手かもな。まあ、頑張れよ」
『兄』が去って行く。
リンは、横にいる少年を見る。
少年は、リンの視線に気づき困ったように笑う。
「ああ、感謝とかはいいよ。ぼくはぼくが生き残るためにやっていることだから。それに、多分、ぼくのこと、知ってるんだろう? 家族にへこへこしてるいやな奴だって。だから、感謝はしないで」
そう少年は言った。
悲しそうに。
だが、リンは言いたかった。
自分を必要としてくれたのは初めてだった。
あたたかい気持ちにさせてくれたのは久しぶりだった。
生きたいといって叶えてくれた。
リンにとって、もし、兄という存在がいるのなら。
彼がよかった。
リンは少年の手を掴んでいた。
少年の手は震えていた。リンの手も震えていた。
それでも、繋いだ手は血塗れで、あたたかくて。
「あり、がとう……」
リンは伝えた。自分の気持ちを。自分の口で。
もう何年も諦めていた。自分の心の中を吐き出すことを。
少年は目を見開き、そして、赤茶の髪をガシガシと掻きながら俯いた。
「もし、君に生きる勇気があるのなら」
「ある。お前がいるなら」
「……ふふ、お前、じゃなくて。あなたって言った方がいい。あいつらはそっちの方が喜ぶ」
「あ、な、た……あなたがいるなら」
少年はじっとリンの目を見ていた。
そして、聞いた。
「君の名前は……?」
名前を聞かれた。急に何故とは思ったが、リンは迷わず答える。
「きゅ、きゅうばん」
「そっちじゃない。君の名前は……」
君の名前。もうしばらく口に出したこともなかった。ここで与えられた番号が自分だった。
名前。
名前が、あった。
彼女にも名前が。
彼女はゆっくりと思い出すように、苦しそうに幸せそうに自分の名前を告げる。
「リ、ン……」
誰が付けたのかも覚えていない。だが、リンと呼ばれていた。
「そっか。リン」
名前が呼ばれた。
それだけでこんなにも満たされることがあるのかとリンは震えた。
気付けば、少年の血まみれの手を両手で握り迫っていた。
「もっとよんで。もっと」
少年の顔が間近にある。
目を見開いた少年の顔は整っていて汚れていたがそれでも美しかった
だが、その少年の顔が見えなくなる。滲んで見えなくなる。
それでも、呼んでほしかった。名前を。自分の名前を。自分を。
「リン。君はリンだ。……名前は忘れないでいよう。きっとたいせつなものだから」
リンは自分の胸に自分の名前を深く刻んだ。そして、ふと顔を上げ少年を見る。
「あ、なた……」
少年はリンの言葉にニコリと微笑む。
「あなた、の……なまえは……」
少年はまた目を見開き、そして、困ったように笑い、教えてくれた。
「ここでは、32番。でも、本当の名前は、ガナーシャ」
少年の名はガナーシャ。
リンは胸に深く刻みつける。大切な人の名を。
「ガナーシャ」
ガナーシャと呼ばれた少年はくすぐったそうに、そして、困ったように笑って赤茶の頭を真っ赤な手で搔いていた。
それが、【魔王】と呼ばれた少女リンと【弱者】ガナーシャの最初の出会いだった。
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