第62話前半 おじさんはそのやり方をなおせない
「ガナーシャ……死んじゃいやよ」
ニナは、必死の形相で、回復の魔法をガナーシャに掛ける。
ガナーシャのいやがらせで方向をずらされたブレイドの強力な魔法が崩した教会の屋根の瓦礫がガラガラと背後で積み重なっていく。
その間にもガナーシャの頬の傷はみるみるうちに塞がっていき、皺だけが残った頬を引き上げながら彼は笑った。
「大丈夫、死にはしないよ。君にまた会えた時、本当にそう思ったんだ。もう『死にたい』なんて軽率に思わないって」
「じゃあ、軽率な行動は控えてください」
「軽率ではないつもりなんだけど」
「うるさい、ばか、知ってます。だけど、この怒りはどうすればいいんですか、ばか」
ニナがぽかりと殴るとガナーシャは困ったように笑う。
ガナーシャの身体に触れることが出来る。それだけでニナは多幸感に包まれる自分を引き締めるように深呼吸。
「大丈夫ですよね?」
「大丈夫だよ」
「なら、大丈夫ですね」
「軽すぎないかなあ」
「貴方だからですよ」
そう言いあいながら二人は、叫び悶えている白の英雄候補と向きあう。
「う、ううっ……! ルママーナ、腕が! 腕があ……!」
ブレイドの右腕は変形し、奇妙な触手が生え始めていた。
その様子にブレイドの女達は慌てふためき、顔を真っ青にさせる。
「ブ、レイドさん! 大丈夫ですか!? また、魔王の呪いが!?」
「それは魔王の呪いなどではありません。あのルママーナという女も属していた【白の庭】が行っていた人体実験の結果です」
ニナが身体を薄い白の魔力で発光させながら呟くとブレイドは目を吊り上げ叫ぶ。
「違う! 魔王の呪いなんだ!」
「まあ、なんでもいいです。わたしには馬鹿につける薬はありません」
ばっさりとブレイドの叫びをニナが切って捨てるとルママーナが遮るように口を開く。
「いえ、これはきっと、あの男のガナーシャの呪いです」
「それは違うよ」
更にそれをガナーシャが否定する。
ガナーシャの言葉で振り向いたルママーナはじっと静かににらみつける。
「卑怯な男。力では勝てないからと姑息な手を」
「それは違わないかな」
ガナーシャを睨みつけながらぎりと奥歯を噛むとルママーナは叫んだ。
「シャル!」
「え……?」
「ブレイド様に、貴女の愛を注いで差し上げるの! 愛があれば呪いなど打ち勝てる! 今までもそうだったでしょう!」
魔法使いのローブに身を包んだ眼鏡の少女はルママーナの言葉に瞳を揺らしおろおろと慌てふためく。
『地形を変える。それによって何が起きる? 気候は変わってしまわない? 風や雨、その周りで生きるものの影響は? 不思議だね。何故君がそれに気付かなかったのか。馬鹿にしているわけじゃなく賢い君なら思い当たるはずだ。思い当たらなかった理由はなんだろうか』
先程のガナーシャの言葉が胸に刺さり続け、シャルは身動きが取れないでいた。
シャルは魔法学園で教師にいじめられていた。それを助け連れ出してくれたのがブレイドだった。その後、シャルのいなくなった学園はボロボロになったらしい。
だけど。
学園がボロボロになって、学んでいた生徒たちはその後どうなったのだろう。先生たちは、それに関わる人たちは。その人たちの生活は。人生は。そもそも、シャル一人いなくなってボロボロになる学園なんてあり得るのだろうか。歴史ある魔法学園がシャルの才能を簡単に見限ることが……急に愚者になり果ててしまうようなことがあるのだろうか。
事実、シャルは賢かった。その時の魔法学園で教えられるレベルを超えていたせいで誰もシャルの凄さに気付いていなかったという位に魔法の力に長けており、そして、頭の回転が早かった。そして、凄すぎるせいで気付かないなんてことがあるのだろうかと先程のガナーシャの言葉で思い至る。
もしかしたら、全ては……。
その思考をかき消すようにルママーナの声が響き渡る。
「シャル!」
「いや、でも……」
「ブレイド様に救って頂いたでしょう! あの男の甘言に騙されて裏切るつもり!?」
「いや、そうじゃなくて」
「ブレイド様がかわいそう! ああ、ブレイド様! ブレイド様ぁああ!」
ルママーナの泣き叫ぶ声が頭の中で靄のようにかかってきて、居た堪れなくなったシャルは慌ててブレイドの元に駆け寄り、その手をとる。
「ブレイド……!」
「ああ……シャル。ありがとう、お前の力が、思いが、俺の中に溢れてくるぜ……! これで俺はまだ、戦えるぜ……!」
シャルとブレイドが繋いだ手、それを通してシャルの身体から浮かび上がった魔力がブレイドに流れ込んでいくと、右手の触手が収まっていく。
美しい笑みをブレイドは浮かべるとそのまま手を引き寄せてシャルを抱きしめる。
「ありがとう……怖かった……みんなが離れていくようで怖かったんだ……!」
「ブレイド……大丈夫……うん、大丈夫だよ」
(さっきまで何かを考えていたような気がするけど……まあ、いいか。ブレイドがこんなに喜んでくれているんだから。それで十分しあわせだよ)
シャルは頭に響くズキリとする痛みを白く塗りつぶし笑う。
そして、その白を与えてくれた英雄候補を呆けたような顔で見つめる。
「被害者ばっかりかと思いましたが本人にも十分原因はあるようですね。気持ち悪い」
聖女で魔女の言葉は、魔法学園の『元』天才の耳には届かず、彼女は自分の目に信じるものだけを映した。立ち上がる白の英雄候補を。
「負けない! 俺はみんなを、守るんだぜ!」
「みんなとは誰です? 貴方の物語に付き合う酔っ払いどもですか?」
ニナは、不動の微笑みでブレイドとその女達を見回す。
「言葉巧みに褒めながらブレイドのチャチな物語に付き合わせて、いや、付き合ってるんでしょうね。ただただ自分たちの気持ちの良い物語を生きて」
ニナは毒を吐き続ける。聖女の微笑みを浮かべながら。
「あんたに何が分かるのよ!」
「分かりません。一切合切わかりません。自分たちの物語には必要のない人間達を視界から排除して、それでも、世界平和を謳う意味不明な人間の思考なんて分かるはずないでしょう」
ニナは毒を吐き続ける。薄く白い魔力と薄く黒い魔力を纏わせながら。
「ニナ! 俺には分かる。本当は、泣いているんだろ?」
「……は?」
「お前は、そんな子じゃない。わかってる、無理をしなくていいんだ」
ブレイドは誰もが見惚れるような美しい顔に憂いの表情を浮かべるとうっすらと目じりに涙を浮かべながらニナに近づく。
「俺には見える。君の見えない涙が」
ニナの頬にその白く傷一つない手を添えようとしたその時。
「いや、本当に気持ち悪いんでやめろ」
魔女の声が聖女の微笑みから放たれ、白の英雄候補はびくりと止まる。
「ニ、ナ……?」
「『ニ、ナ……?』じゃないんですよ。分かるってなんですか? 都合いい部分しか見えない歪んだガラス玉みたいな目で何が見えるんですか? いやなことに対して勝手に塞がる耳で何が聞こえているんですか? そんな綺麗な手で何を今まで触れて来たんですか? さぞかし、綺麗なものだけ触ってきたんでしょうね」
ニナはブレイドの目の前に遮るように手を差し出す。
白く美しい手、だが、その手にはしっかりと傷や皺が刻まれている。
「その手、苦労してきたんだね、ニナ、だけどもう」
「喋んな、綺麗言吐き人形。本当のきれいはきたないから生まれるんですよ。本当にきれいでうっとりするのは、わたしが一番触れて欲しい手は、ガナーシャさんの手です」
ニナがそう言って、ブレイド達はハッとする。
いつの間にかガナーシャはいなくなった。
いや、消えたわけではない。
実際に居た。
なのに、この場にいる誰もがニナしか見ていなかった。
そのニナは笑っていた。その笑顔は美しいはずなのに何故かとても苛立ちを感じさせて、うっすらと嫌な黒い靄が浮かんでいるような気がしていた。
その靄がニナの一言でかき消える。
〈嫌悪〉
それは魔法。
彼の得意ないやがらせの魔法。
ほんの少しいやな気持に、敵意を向けさせるだけの魔法。
だが、ニナがあまりにも美しく強く、そして、彼はあまりにも地味で弱かった。
だから、その小さな魔法はその空間を支配し、彼を空間から消し去った。
だが、彼はそこにいた。
入り口で悠然と立っていたニナが見つめる先、教会の奥に彼は立っていた。
急に視線が集まり、彼は困ったような笑顔を浮かべながら、ゆっくりと手を挙げた。
ザラついた、誰よりも傷も皺も汚れも染みついたその手を。
「や、やあ……えーと、ニナ。急には困るなあ」
「うふふ、ちょっと意地悪しちゃいました。でも、もういいでしょう」
あげた手を頭の後ろに回しぼりぼりと赤茶の髪を掻くと、ガナーシャは小さく鼻から溜息を吐き出し大きく吸って口を開く。
「そうだね。もう十分かな」
「こそこそと……! それがお前のやり方かよ! ガナーシャ!」
ブレイドがガナーシャを睨みつけ叫ぶと、ガナーシャは一瞬きょとんとして、そして、困り笑顔で頷く。
「そうだけど、何か?」
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コンテスト用短期連載作始めました! 良ければご一読ください…!
魔女と魔法少女バディものローファンタジーです!
『魔女に魔法少女』
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