第74話後編 おじさんはまだ死ねない
『呪いと祝福なんて紙一重だよ』
ガナーシャは昔、リンにそう言った。
『そもそも悪魔との契約を呪いという人がいるけれど、代償が大きくてもちゃんと報酬はあるわけで、そう考えれば誠実だと思うよ。逆に何の代償も痛みもなく使える力なんて恐ろしいよ。これは僕と知り合いの結論というか考えだけど、人が力をくれるものに対して【悪魔】や【神】と名前をつけたのは、人の祝福であり呪い』
そこで一呼吸おいてガナーシャはリンに向かって困ったように笑う。
『神も悪魔も人が名付けた。そして、向かい合う人次第で呪いにも祝福にもなる』
「だから、わたしは神で悪魔になる」
リンはそう呟きながら、リア達と向かい合った。
「みん、な……なんで……」
アキに支えられながら、抉られた背中に回復魔法を掛けてもらっているガナーシャは呟く。
すると、うっすらと目に涙を浮かべ回復魔法を使い続けるニナが怒ったように答える。
「ガナーシャさんが変だってリアが気づいて……それでも足止めされましたけど。全く、ケンがオトに連絡してガナーシャさんがタナゴロに戻ってきていると教えてもらって、文字通り飛んできたんですよ」
「ニナ……無茶は……」
「しますよ! わたしは! お父さんの為なら無茶するんです! それがわたしにとって家族なんですよ! ばか!」
ニナが大声を出すと、ガナーシャは困ったように弱弱しく笑う。
「いや、参ったね……ニナもそう、あの子もそう。子供の成長ってのは早いね」
「ニナ、大変だと思うけど、強化魔法もお願い! ケン! やるわよ」
「わかってらあ」
リアがリンと向かい合いながら身体中に魔力を纏わせ始める。
剣に魔力を満たしながらケンもゆっくりと間合いを詰めていく。
ニナはリアの言葉に頷くと、ガナーシャの回復をしながらもケン・リアに強化魔法を掛けていく。
「ねえ、そこの貴女? 大丈夫よ、ガナーシャさんなら大丈夫。その位耐えられるから」
「何を言ってるんですか!」
「わたしはガナーシャさんから呪いをとってあげようとしているのに」
「呪い?」
リアが怪訝そうな顔でニナに話しかけているリンを見る。
「そう。呪い。本当はね、あの人はもっともっと凄い人なの。もっともっと認められていい人なの。……なのに、弱い者達の為に、全てを背負うからどんどんどんどん弱くなっていく。弱っていく」
リンは、魔力で生んだ【強欲】の触手から更に鎖のようなものを生やしていく。
「わたしが守るの。あの人を。あの人の傍にいて。もう何にも奪わせないし、誰にも背負わせない。あの人を守るの」
「言ってる意味がわかんねえよ」
「そう。まだ子どもね」
ケンが吐き捨てるように言うと、リンは少し馬鹿にしたように微笑み、手を伸ばした。
ガナーシャに向かって。
リンの触手が伸びていくとその前にリアとケンが立ちはだかる。
「ちょっと! 無視しないでくれる!?」
「行かせるかよ!」
ケンが魔力でコーティングした剣で触手を斬り裂き、リアが〈魔星〉を突き刺していく。
「堕ちなさい」
リアの言葉で〈魔星〉が触手を地面に叩きつけようと落ちていく。
「へえ……あなたも【嫉妬】を……でも、まだね。まだ足りないわ。わたしの【嫉妬】はそんなもんじゃない」
リンが呟きながら残った手の人差し指で地面を指すと、触手ではなく、刺さったはずの黒い三角の魔力の塊が、触手から生えていた鎖に絡み取られ、更に地面から生えてきた鎖によって地面に落とされる。
「【嫉妬】は『縛る』力。『落とす』もそうだけど、本質が見えてなければ力もしっかりとは応えてくれないわ。って、聞こえてないかな?」
リンが地面を見ると、その場にいるリン以外の全ての人間が地を這っていた。
魔力の鎖に縛られ、地面に縛り付けられていた。
「ぐ、ぐぅうううう! ケン、ニナ! ガナーシャ……!」
「くそが! なんだあ、これえ!」
「ガナーシャさん……! かいふく、かいふくを……!」
ニナがガナーシャに向かって伸ばした手も鎖に巻き取られ地面に落とされる。
「だから、回復はさせないで。わたしが助けるんだから。ガナーシャさんを」
「苦しめておいて、助ける? 悪魔ですか? あなたは」
「悪魔でもなんでもいいの。助けられるなら。わたしがガナーシャさんを助けられるなら。わたしはそのためにならなんにでもなる。魔王でも悪魔でも神でも。血も流すし、傷も作るし、痛みも呪いも受け入れる」
リンは自身の胸を手で押さえながら笑う。
リンが【強欲】とは別、【嫉妬】の力を持っていた。正確に言うと、【黒の館】で死んだリンが【強欲】を手放さなかったという異常と、『新しいリン』の母親が【嫉妬】と契約しており子であるリンにもその代償が引き継がれたという異常が重なり、この世界でも珍しい二つの悪魔との契約者が生まれた。
そして、キワで戦った魔王が【嫉妬】の魔王だったという『偶然』もまたリンにとって、幸運であり不幸であった。
【嫉妬の魔王】ネプレステラから【嫉妬】の力を奪ったリンは、魔王軍と魔王との激闘でボロボロとはいえ歴戦の冒険者達を一蹴するほどだった。
全ては、強くなるため。
ガナーシャの傍にいる為だった。
「あなた達とは覚悟の強さも思いの大きさも思い続けた時間の長さも違う! だから、わたしは……ガナーシャさんの呪いを奪って……ころすの」
リンは、笑った。
何故笑っているのか自分でもわからない。だけど、笑わないと何かがおかしくなりそうだった。いや、もう既におかしいのは分かっていた。
『ガナーシャさんが欲しい』
悪魔か神の声が聞こえる気がした。でも、いつだって。
『リン。自分は自分なんだよ。神も悪魔も自分が決めなきゃいけない』
ガナーシャの声がリンを呼び止める。
『リン』
リンを呼んでいる。
だが、リンにはリンが分からない。ガナーシャが呼ぶのは、【黒の館】のリンなのか、生まれ変わったリンなのか魔王となったリンなのか。
今、ガナーシャを殺そうとしているのが本当にしたいことなのか……。
「ねえ、あなた」
リンの思考が止められる。
見れば身体中に鎖が巻かれていた。
その先には手を伸ばした、リアがいた。
「今、ガナーシャをころすって言った?」
自身の身体にも鎖をつけて無理矢理に身体を起こし、操り人形のように自分を動かすリアが、じいっとリンを見つめた。
「そんなこと、ぜったいぜったいぜったいぜったいぜったいぜったいさせないから」
リアが伸ばしていた掌をぎゅっと拳に変えるとリンに纏わりつかせていた鎖が強くリンを縛り付け、リンの身体を重たくさせる。
「うそ……もう、【嫉妬】の本質を掴んだの? あの一回で見て学んだ……?」
「よお、余所見してたらあぶねえぞ」
呟くリンの足元に一人の剣士が足音もなく静かに忍び寄り穏やかな目で剣を構えていた。
振り上げた剣は身を捩ったリンの肩を切り裂く。リアの魔力の鎖は切り裂く事無く。
そして、切り裂き生まれた傷口は青い炎のようなものを立てて消えていく。
「こっちの子は……もしかして……『斬る』力……?」
「あー……わけわかんねえ。わけわかんなさすぎて頭にきすぎてぐっちゃぐちゃで動きづらいから、もういい。心に従い、斬りたいものを、斬る」
ケンは落ち着いた表情で何千何万と繰り返した過去の自分の努力に従い構えをとる。
剣に纏わせた魔力は一切の揺らぎなく静かな怒りの炎と化していた。
「大体、そう簡単に殺せると思わないでください。わたしがガナーシャさんの子なんですよ。お父さんはわたしが何度でも蘇らせてみせます」
ニナが大きく翼をひろげながら雪のような光の魔力を降らせる。
ガナーシャの身体に降った魔力は傷口を癒し、リアやケンには力を与え、そして、リンの身体に傷を生み出した。
「『与える』力……ふ、ふふふ、あはははは! 流石、ガナーシャさん! こんな子達が! やっぱりガナーシャさんはすごいわ! ……だから、やっぱり誰にも渡さない」
そう言うとリンは無数の触手、そして、鎖を生み出しリア達に襲い掛かる。
膨大な魔力の鎖を身に纏い操り全力で戦うリア、青い魔力の炎を脚から噴き出し機動力を剣に纏わせ攻撃力を上げ冷静に戦うケン、回復補助攻撃全てをこなし戦場を飛びまわるニナ。三人の力は、英雄といってもいい程の力と言えた。だが。
「一瞬の輝きだったね。もっともっとそれをうまく使いこなせれば、ね」
リンの言葉を三人は地面に手をつきながら聞く。
リンの言う通り、最初は圧倒さえしていた三人だったが、自身の限界を超えた戦い方に徐々に力を失っていき、最後には魔力もほとんど枯れ果ててしまっていた。
「でも……うーん、ま、いいや。あなたたちの力はいらないや。じゃあね」
リンは足元の三人にそう告げるとガナーシャへの元へ向か、おうとして、止められる。
リアが足を掴んでいた。
「待って。お願い、ガナーシャをとらないで……アタシ達、まだ、ガナーシャと一緒に、いっしょにいたいの……おねがい、おねがいぃ……」
ケンが立ちあがろうとしていた。
「ぼ、くは、まもる……ガナーシャ、さんもまもる……しんでもまもる。だから、ころしたいならまず、ぼくを……」
ニナがガナーシャの前でたちふさがる。
「やだ。ぜったいにしなせない。もっといきてほしいの。もっとわらっててほしいの。おとうさんをしあわせにしてあげたいの」
三人の目がじっとリンを見つめる。
その目はどこかで見たことのある目で。
「や、めて……やめてやめてやめて! 見ないで! 『あたし』を! 『わたし』を! 『アタシ』を! 『ワタシ』を! 『私』を! 見ないで!」
リンは魔力で全てを吹き飛ばす。何も見ず考えずただがむしゃらに。
「わたし……ワタシ……アタシ……あたし……私……」
リンが身体を抱え震える。
傷が痛む。胸が痛む。頭が痛む。
何も考えたくなかった。
考えれば考えてしまう。
自分の事を。過去を。今を。未来を。
そして、他人を。
想像してしまう。
自分に対し黒い感情をみんなが持っているんじゃないかと。
黒い感情を持つ自分だけがおかしいんじゃないかと。
そして、もういっそ。
そうなったほうが楽じゃないかと。
『自分』が囁いていることを。
「自分は……自分だ……」
『あの人』の言葉を繰り返す。
何度も繰り返した。
その言葉は、呪いであり祝福。
孤児として生まれ【黒の館】に連れて来られた自分。
悪魔と契約した自分。
【子ども達】と一生懸命励まし合った自分。
好きな人が出来た自分。
死んでお別れした自分。
生まれかわった自分。
記憶を持った自分。
呪いを持った自分。
人より優れた自分。
優しくされた自分。
人を傷つけた自分。
認められた自分。
天才に劣っていた自分。
努力でつかみ取った天才を認めようとしなかった自分。
嫉妬した自分。
拒絶した自分。
奪った自分。
怒った自分。
泣いた自分。
笑った自分。
どれが自分で、どうすべきが自分で、自分が何者なのか。
もう考えたくなかった。
ただ、欲望のままに。
「リン」
声がした。
呼ぶ声がした。
自分を呼ぶ声がした。
振り返ると、血塗れで泥だらけでよろよろのおじさんが立っていた。
「リン」
呼んでいた。
悲しそうに嬉しそうに怒っているように愛おしそうに心配そうに楽しそうに苦しそうに申し訳なさそうにそれでも諦められなさそうに曖昧で全部を込めた笑顔で。
「僕は、君を諦めない」
じっと目を見て。
「君を止める」
赤茶のもじゃもじゃ髪を掻きながら。
「だから、全力で君の悪魔を吐き出せばいい」
残った手の指をこきりと鳴らしながら。
「もう大丈夫。死にはしない」
困り笑顔で。
「まだ、死なないよ」
名前を呼んで。
「リン」
そして、駆け出す。いきるために。
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