第73話前半 おじさんは一人では死ねない
「ふふふ、ガナーシャさん、逃げちゃやだよ」
リンが妖しいほどに美しい金色の髪を揺らしながら、魔力によって生み出した触手でガナーシャ達に襲い掛かる。悪魔の本性を現したはずのアキが涙目でよけ続け、ガナーシャに向かって叫ぶ。
「なんなんですか!? なんで魔王の一角がガナーシャさんに襲い掛かってるんですか!? っていうか、あの触手は……!」
「彼女は【強欲】の魔王なんだ」
「ご、【強欲】のぉおおお!?」
「あと、【嫉妬】も持ってる」
「なああんでぇえ!?」
目を見開き、思わずガナーシャを見たアキだったが、その隙を突いた触手の一撃を紙一重で躱す。だが、次の攻撃が間髪入れずに迫る。それをガナーシャが滑りながら飛び込みアキを救う。
「ガナーシャさぁん、たすか……」
「ガナーシャさん、その女から離れてね。そんなふしだらな女」
リンの言葉に重みが増したような気がした瞬間、触手の速度が上がる。
三本の触手が物凄い速さでアキを抱えるガナーシャに向かい、一本は腕に巻きつき、もう一本はアキを弾き飛ばし、最後の一本はガナーシャの身体を叩く。
「うぐ!」
「ぎゃあ! って、ガナーシャさん!」
ガナーシャの喰らった一撃は強烈で、服が破け、その奥からちらりと黒い紋様が見える。
その様子に頬を桃色に染めるリンは自分の体中に刻まれた契約印を撫でながら笑う。
リンの身体に刻まれていた悪魔との契約の証、契約印は、始めは小さなものだった。
【黒の館】で『家族』の言うままに、悪魔を呼び出し、結んだ契約。
「【強欲】のあくまさま。わたしは……をさしあげます。だから、わたしにちからをください。おねがいします。ちからをください」
それによって与えられた黒い紋様は小さくて『家族』はがっかりした。だが、これは育てることが出来ると言いながら『家族』はリンをいたぶり続けた。
確かにその度に紋は少しずつ大きくなったが、リンの身体はどんどんとおかしくなっていった。どんどんとその紋が大きくなるにつれて、自分の中にある何か恐ろしいものが大きくなっていく感覚。
自分が自分でなくなっていく感覚に怯えた。
だが、ある日を境に、紋が大きくなっても痛みも恐怖も小さくなってきはじめる。
「ガナーシャさん……!」
今となっては夥しいほどの紋様が刻まれているにも関わらず平気なリンは、目の前のガナーシャを、あの頃の少年からは見た目はすっかり変わってしまったが変わらない優しい瞳を見ながら嬉しくてうれしくて笑う。
【黒の館】で、ガナーシャに出会ってから、リンは変わった。
自分の中の黒いものとうまく付き合えるようになって、楽になった。
ガナーシャが周りの子どもたちから認められるたびにずきりと痛むことはあったが、それでも、それまでとは格段に黒いものが寄り添ってくれている気がした。
「ガナーシャさん、早く……早く……!」
今もリンの黒いものは触手となって自分の意のままに動いてくれている。
必死で躱すガナーシャの顔はリンにとって何より素敵で、その顔を見られることが何より幸せで笑みを溢す。
ガナーシャ。自分を殺してくれた人。
殺した理由は知っていた。年上の子どもたちがガナーシャと話していたのを聞いていたから。
ガナーシャは、【巡り】という悪魔を目をつけていた。
そして、【巡り】は、生きとし生けるものの魂や時、全ての調和を行うものだとガナーシャは言っていた。
「契約を刻んだ悪魔は死ぬまで子どもたちから奪い続ける」
「だから、一度死んで巡りの力でもう一度、か……」
「でも、ガナーシャ君。何もかも忘れちゃうんでしょ」
「そうだね。この前読ませてもらった本によると、死から生を得ることを巡りの旅と呼び、そこでは汚れの浄化、つまり、記憶の消去が行われる」
「じゃあ、無理なのよね? あたしは」
「でも、じゃあ、何故。巡りの旅という表記があるの。誰かがそれを見て伝えない限りは分からないはずの話を。見つけたんだ。方法は、二つ。一つは完全な運。巡りの前の記憶を持っている人間というのはある程度いるらしい。僅かな記憶だけらしいけど。そして、もう一つは、巡りに代償を与える事。アーニャ姉さんの【嫉妬】やカムルの【憤怒】、みんなの悪魔と同じように。大切な何かを差し出す事」
「それで、覚えておけるってか」
「記憶の他にも【巡り】に次の生での幸福を乞うこともあるみたい。今までは、巡りに次の生を続けるために、百人の生贄を捧げた王なんかもいるみたいだね」
「そんなの……無理じゃない」
「だけど、悪魔から解放される為の一つの方法だよ。自死は代償として認められないかもしれないけれど、誰かが殺してその子の幸せを願えば、命一つ分の幸福は与えてくれるかもしれない」
「おい、それを誰が……お前まさか……」
「ガナーシャ君、駄目よ! そんなの!」
年上の子ども達の言い争いを聞きながらリンは理解していた。
話の内容も。ガナーシャの覚悟も。
そして、
【巡り】によって死を迎え、新しい生を手に入れること。
悪魔のいない新しい幸福な生を子どもたちに与える為に。
ガナーシャは殺した。
泣きながら吐きながら子どもたちを。
悪魔の黒い紋様に真っ黒に染められた子どもたちを殺しながらガナーシャは身体を黒く契約の紋様で染めていった。
痛くて悲しくて辛くて仕方がないはずなのに。
ガナーシャは殺してくれた。
死んだ時の事をリンはよく覚えていた。
身体からふわりと『リン』が離れていった。
リンの身体に縋りつき、静かに嗚咽するガナーシャが見えた。
『ガナーシャ』
リンは死んだ後もこうしてガナーシャを見られる奇跡に感謝した。
そこには自分しかいなかったから、カムルもアーニャも他の子どもたちももういなかったから。
靄となっている手を伸ばす。
『ガナーシャ!』
ガナーシャに触れたいと強く願うと黒く一瞬鋭く発光した手が輪郭をもっていく。
その手でガナーシャを掴む。ガナーシャは気づかない。
『ガナーシャ!』
ガナーシャを抱きしめる。
リンの中に『ガナーシャ』を刻み込む。忘れないように覚えておけるように。
黒い手がガナーシャの光をぎゅっと握りしめる。
見上げたのか見下ろしたのか目の前に光の河が迫っていた。
緩やかな流れにも濁流にも見えるそれは全てを洗い流そうとリンを待ち構え、そして、呑み込もうと迫っていた。
『ふふふふ、わたしからガナーシャを奪うつもり? 絶対にさせない! 悪魔だろうと神様だろうと絶対にこれだけはわたしのもの! 絶対にあげないわ……』
そうして、リンは河に飲み込まれ、長い長い旅を始めた。
位置も時間も分からないままにただただ流され洗われ続けた。
どんどんと小さくなっていく自分の光だったが、リンはずっと変わらなかった。
ガナーシャの光を守るためにじっとじっと耐え続けた。
そして、その『旅』を終える時。リンは声を聞いた。
『はははは! 巡りの中でその光を失わないためにあたしを働かせるとは、大した【強欲】だよ。あんたは。いいだろう。いいものを見せてくれた礼だ。あんたを一人の主と認めよう。さあ、何が欲しい?』
その声に導かれるようにリンは、新しい光を掴み取る。
『決まってる。ガナーシャさんが……』
目を覚ますと、そこは青空だった。
「生まれたよ……ったく、ちゃんと育てなね。こんな所で生まれても子どもは子どもなんだから」
老婆がリンを覗き込んでいた。
そして、泥で汚れた大人たちが笑顔でリンを見て騒いでいた。
「はっはっは! 女の子か。こりゃ大変だあ」
「じごくへようこそ、なんてなあ」
「おい、名前はどうする?」
「リン」
一瞬静まり返ると、大人たちは目を合わせ、再び音の先を見つめる。
「おい、今、喋ったか?」
「うそだろ。赤ん坊が喋るなんて」
「さ、さっきなんて言ってた」
「な、名前! 名前どうするって!」
「リン」
「や、やっぱり喋った!?」
「こ、こいつはここじゃありえねえくらいのすげえ子が生まれたんじゃないか!?」
『新しい』リンはぎゅっと自分の小さな手を握りながら、何度も心の中で繰り返す。
ガナーシャとの記憶、彼が何度も呼んでくれた名前を、ぎゅっと小さな手を握る。
「おい、痣があるな」
新しいリンの手には黒い小さな契約印があった。
それはリンが手に入れたたいせつな力。
「リン」
死んでも忘れなかった人が自分の名前を呼んでくれている。
あれから時はたち、身体も、契約印も大きくなった新しいリンは、ガナーシャと出会えた事に何度も何度も感謝していた。
自分に従う悪魔と共に。
「ガナーシャさんの全部が欲しいの。手伝ってね、【強欲】」
リンの言葉に応えるように手の中の契約印が妖しく輝き、黒い魔力の触手は大きく広がり伸びていく。
死んでも手に入れようとした彼の元に。
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