スキル【剣聖】
「シビュラは現れましたか?」
人々の鮮血に染まった剣先を几帳面に拭き取りながら、スーサは興味なさげに部下に尋ねた。
「いえ、まだ何も現れません」
鋼のように意思のない声で部下が答える。スーサはやはり興味なさげに「そうですか」と呟いてから、
「城下町全域にこの状況を伝えなさい。まだあの子が出て行ってなければ必ず耳に入るように」
「もし、もう国を手で行かれていた場合、いかがしますか?」
「この数の人間を殺すのは流石に骨が折れますね」
その声はまるで、大家族の夕食を支度する家政婦が「これだけの人数分つくるのは大変ね」と呟くような調子だった。
しかし、スーサの眉根がぴくりと震える。
その視線の先、広場を包囲していた兵士たちの一角が揺らぎ、次々と地面に引きずり倒されていく。
「来ましたか」
ここに来て初めて、スーサは感情らしきものを笑顔にのぞかせた。
「姫様! 何者かが急速に包囲網を突破しつつあり――がはっ!?」
報告に駆けつけた兵が倒れる。その背後に立つ、純白のドレスを見に纏った戦姫。
鋭い意思を備えた瞳に固く結ばれた口元。言葉も無く刃を構えるシビュラが放つ気迫は、鋼の忠誠をほこる兵たちでさえ後ずさるほどだ。
ほころぶスーサの口元。
「私と戦うのは構いませんが、こちらにはまだ十分な兵力がある。あなたが血に伏せるまでに、この広場の者を残らず始末することもできるのですよ。一人で王家には向かうなど無謀なことだと、わかってもらえました?」
「姉上、一人ではありません」
「なに?」
「私にも仲間がいます」
スーサの眉根が、苛立たしげに歪む。
「あの煙は?」
「私の仲間が広場に火を放ちました。混乱は避けられない。今、姉上の人質はどれだけ残っていますか?」
はっとしてスーサが広場を見渡すと、そこには既にカオスが広がっていた。
黒煙がみるみるうちに広がり、スーサは満足に広場を見渡すことができない。
「こんなことをすれば、あなたの逃げる場所も無くなりますよ?」
「逃げるつもりなんてありません……いいえ、逃げるつもりなんてない! あなたと差し違えてでも、私は私の未来を選ぶ!」
「どこまでも愚かな妹……」
スーサの目にも止まらぬ踏み込みを、シビュラは間一髪のところで受け止める。
ダライアスから拝借した無骨な大剣は、雑兵を蹴散らすには役立ったが、シビュラの愛用していた長剣に比べると小回りが効かない。
「いち……」
ステップで距離を取りながら、静かに数え始めるシビュラ。細剣が頬を掠め、鮮血が散る。
「に……さん……」
それでもシビュラの顔色は冷静さを保っていた。震えて叫び出しそうな恐怖を押し殺していた。
「よん、ご……」
「どうしたのですか? いきなり数など数えて」
「ろく!」
シビュラは、一撃をと踏み込む直前にぴたりと動きを止める。一瞬の緩急にスーサの剣先が空を切り、その腹に鋭い蹴りが叩き込まれた。
しかし、浅い。
無理な姿勢で加えた一撃のために追撃できず、受け身をとってすぐさま立ち上がるスーサ。
「今のは驚きです。あなたには絶対に避けられない一撃だったはず」
そう。だからこそシビュラにはわかっていた。アポロと示し合わせたタイミング。
――いいか、ろくを数えた直後の一撃で君は致命傷を負う。まずそこを避けろ。だが、もしそのカウンターで倒せなければ俺の予言も打ち止めだ。変わったあとの未来は、今からじゃ見通せない。
確かにここまではアポロの言う通り。
スーサはまだ倒れていない。予言は打ち止め。シビュラは負ける。
――だが、俺たちは勝つ。
姿勢を立て直したスーサが剣を構える。
――俺が未来を変える。
純白のドレスが風邪を孕む。先んじたのはシビュラだ。すぐさま反応し、スーサもまた動く。だが、彼女は突如振り向いて剣を振るった。
「っ!?」
剣の撃ち合う音。シビュラは止まらない。無理に大剣を受け止めた細剣が半ばから折れ、宙を舞う。
「悪い、遅くなった」
アポロの悪びれない謝罪にシビュラはにっと笑う。
「遅すぎよ。もう倒しちゃうとこだった」
「手元が震えてるぜ」
「武者震いよ。それより、捕まってた人たちは?」
「生贄の羊じゃないんだ。なんとか逃げおおせたよ」
「ありえません」
スーサの苛立った声が割って入る。
「私の部下には“彼らを逃すな”と命じたはず。それがみすみす……」
「姉上の兵たちにも家族がいます。住む家があります。民を虐殺するなどという理不尽な命令より、大切なものを優先するのは不思議でもなんでもありません」
「彼らは極刑ですね。ああ、また軍隊を再編しなくては」
「恐怖で人は縛れません。いい加減、お気づきになられませんか」
「戯言はあなたが檻に入った後でゆっくりと聞いてあげますよ」
再びのスーサの踏み込み。しかしただの攻撃ではない。その姿が陽炎のようにゆらぎ、無数のシルエットとなってシビュラに殺到する。
幻影斬。予測不可能な剣撃がシビュラを飲み込む。だが、
「右からだ!」
彼女はアポロの声に合わせて身をひねる。鼻先を剣が掠めていき、シビュラのカウンターが突き刺さる。
「浅い!」
スーサの再びの反撃は当たらない。細剣が大剣に弾かれ、甲高い音があがる。
「次は左だ。そこで奴は君の心臓をつく」
シビュラが避け、流れた一撃がアポロの髪先を切り落とした。
アポロの頬を冷たい汗がつたう。彼は丸腰、直接狙われれば一秒ももたず細切れにされるだろう。
もちろんそうならないよう、シビュラが全力で守ってくれている。
しかし、彼女が一手遅れたら?
逃げ出したい恐怖をぐっと飲み込む。
「シビュラ、マジで頼むぜ。俺は弱っちいからな!?」
「ええ! あなたには指一本触れさせない!」
幻影を纏って迫るスーサの連続攻撃。
シビュラはアポロの声に従い、まるでステップを踏むようにそれを避けていく。
それは一見ごく簡単な行為に見えるかもしれない。先の読めるジャンケンのようなものだと。
だが二人は必死だ。
シビュラにとって、スーサの幻影斬は不可視の刃である。アポロの言葉が本当に正しいのかどうかは、避けてからでないとわからない。
アポロがもし間違ったら?
そんな疑念に少しでも囚われれば、二人はたちまち切り刻まれるだろう。
アポロにしても、矢継ぎ早に切り替わる未来を回避する方法を、簡潔かつ正確にシビュラに伝えなければならない。
彼女の腕を信頼し、ギリギリまで情報を削ぎ落とさなければ間に合わない。
……しかし、スーサはそれを知らない。
比類なき自分の剣技が、わけもわからないままにいなされ続けている。
なぜだ? いったいなぜ?
蛇のように狡猾な第二王女の戦闘センスが、その答えを見つけ出す。
あのガキだ。あいつが現れてから、出来損ないのはずの妹の動きが変わった。
標的を切り替える!
この時スーサは、実のところ最善手を打とうとしていた。
アポロは自分の未来は見えない。
彼を狙う一撃を伝える術はない。
轟、と剣が振るわれる。
もしアポロが未来予知だけを頼りに戦っていれば、この時点で負けていた。
しかし、アポロもまた一人ではない。
スーサの集中力が乱れた瞬間をシビュラが見逃すはずはなかった。
そして、一秒後。スーサはゆらめく黒煙の中へと倒れ伏していた。
「姉上、あなたの相手は私です。そこから目を逸らした、あなたの負けです」
大剣を突きつけ、シビュラは静かに告げる。
その表情に達成感はない。
あるのはただ疲労の色。
白いドレスと頬を汚す黒い煤。
「出来損ないの妹が……なぜ……そこまで……」
「姉上、私は……ただ家族みんなで、民とともに、平和に、この国を……」
「この国に……弱い王などいらないのです……ああ、この国の歴史ももう終わりですね……」
暗く沈むシビュラと、血反吐を吐き出すスーサ。
その間にアポロが勢いよく割って入った。
「そんなことはねえよ。俺には見える。いや、見なくたってわかる。シビュラなら、あんたたちよりずっとこの国を良くしていくさ」
「戯言……ですね……その結末が見られないのが残念です……」
「何いってんだよ。死なせたりなんてしねえ。シビュラを家族殺しにもしねえし、あんたを楽に逝かせたりも死ねえ」
そのまま意識を失ったスーサを担ぎ上げ、ため息をつく。
「まったく、とんでもねえお姉さんだったな」
「そうね……でも、これからどうしよう」
「おいおい、ノープランなのかよ」
「し、しかたないでしょ! だいたい姉上たちと戦うなんて想定してないし! 勝てるなんてもっと想定してないし!」
「ま、そこは俺のおかげだな」
すかさず「調子乗らない!」という突っ込みが来る……と、アポロは想定していたのだが。
「そうね……あなたがいなかったら私、とっくに処刑されてたわ……ありがとう、アポロ。全部あなたのおかげね……」
「おいおい! もっと自身もてよ! さっきの戦いは俺じゃどうにもならなかったぜ! それより、さあ、みんなが待ってる」
「え? みんなって……?」
戸惑うシビュラのもとに殺到する群衆たち。
彼らはみな、スーサによって拘束されていた人々だ。
「シビュラ姫様!」「助けてくれてありがとうございます!」「シビュラ姫様万歳!」
自分たちを解放してくれた少女姫に向け口々に感謝を述べる人々。
その数は広場を埋め尽くし、なお増えている。
王女同士が戦っているという噂を聞きつけたのかもしれない。
「アポロ、わ、私どうしよう! どうすればいい!? あなたの未来はどうなってるの!?」
「君はどうしたいんだ?」
「え!? 私は……」
「今の君を無視することは、どんな王様だってできないと思うけどね」
人々の歓声の中、シビュラはこくりと頷いた。
……その年、王国には新たな王が即位した。
前国王とその親族は民を裏切った罪により、その私財を国民への奉仕に費やすことを命じられた。
そして、純白のドレスの輝かしい新たな王は、まるで未来を見通すような善政を敷いたという。
また、様々な王家からの求婚も断って彼女は生涯独身を貫いた。
その隣にはいつも、出自も素性も不明な忠臣が一人いたという……。
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