よくない未来は変えてやる
アポロにとって初めて見る王宮は、巨大な建造物というよりもむしろ小さな町のように思えた。
村の祭りの日ですらありえないような沢山の人がせわしなく行きかい、その誰もが、村一番の長者よりもずっと豪華な身なりをしている。
「俺、曲者として捕まんないかな……?」
「私の客人なんだから堂々としてなさいよ! こっちまで恥ずかしくなるじゃない!」
そう言われて思い出す。
考えてみればアポロの隣を歩く少女はこの国のナンバーフォーなのだ。
誰も彼女の道を阻むことはできないに違いない。
そう思っていたのだが……。
「ちょっとあなたたち!? そんなところでたむろしないでよ! 私はお父様に用があるの!」
厳しい甲冑を着込んだ騎士たちが、玉座の間に続く廊下を塞いでいる。
王女様相手に不敬な奴もいるもんだな、と自分のことを棚に上げて眺めていたアポロの背に、ゾクリと嫌なものが走る。
「きゃっ!?」
ついさっきまでシビュラの立っていた床に、腐った卵がべしょりべしょりと叩きつけられた。
咄嗟にアポロが腕を引いていなければ、今頃シビュラのつややかな金髪と美しい純白のドレスは生卵で汚れていただろう。
まさしく、アポロに見えた未来のとおりに。
「へえ、お漏らし姫様も頼もしいボーイフレンドを見つけたみたいですねぇ?」
ひげもじゃの騎士が下卑た声で笑う。
「しかし随分と、くく、田舎臭いボーイフレンドじゃないですか?」
げらげらと騎士たちが爆笑する。
「どきなさい。三度目は言わないわ」
アポロに掴まれたままの腕を強引に振りほどくシビュラの表情は、暗い。
「それは命令ですか? お漏らしお姫様?」
「悪いけどぉ、俺たちの主人はあなたじゃないんすよ。だから、楽しい井戸端会議の邪魔しないでもらえませんか?」
「とっととその田舎者とベッドにでもに――」
一陣の風が吹いた。
ひげもじゃ騎士の首元に突き立てられる、王族の紋章が象られた銀の刃。
「ひ……ひひ……ちょっとばかしレアなスキル持ってるからって、小娘が調子に乗りやがって……」
「……私を玉座の間に入れるな、と。そう命令されているんでしょう? お父様から遠ざけたいのね。指図したのは兄上かしら? それとも姉上かしら?」
騎士たちがたじろぎ、息を呑む。身じろぎできないひげもじゃは、どこか憐れむように口元を釣り上げた。
瞬間、凄惨なイメージがアポロの脳裏を駆け抜ける。
「やめろシビュラ。聞いちゃダメだ」
叫んだが、遅すぎた。
「へへ……国王陛下ご自身ですよ」
シビュラの周囲で殺気が爆発した。
【剣聖】のスキルを解放して騎士たちを肉塊に変えるシビュラの未来が脳裏をかすめる。
アポロは無意識にシビュラの手をつかんでいた。
振り向いた彼女の瞳にぞっとする。
修羅。
アポロの乏しい語彙力が奇跡的に最適な言葉を見つけ出す。
とにかく今すぐにでも手を離して逃げ出したかった。
だが、シビュラの未来を変えられるのは自分しかいない。
彼女にどんな事情があるのかは知らないが、馬車の中で見せてくれたあの笑顔は本物だと、アポロは自分に言い聞かせた。
「シビュラ。君が何考えてるかは知らないが、何をするかが俺には見える。やめるんだ、そんなことしたってなんの得にもならない」
長い沈黙があった。
実際にはほんの数秒だったかもしれないが、アポロには無限の時のように感じられた。
握りしめたシビュラの手だけが、場違いにあたたかくやわらかだった。
その手は震えていた。
「いいか、そのまま動くなよ。動かなけりゃいいんだ。怒りっていうのは、ほんの3秒数える間に消えてなくなるらしいからな」
ついで、騎士たちの方に向けて叫ぶ。
「お前たちも退け! 騎士なんだろ、命のかけどころくらいわかるんじゃないのか! 人を守るのが仕事じゃないのかよ!」
「このガキ……」
誰かがうめいたが、それまでだった。
そろりそろりと退散していく彼らを前に、シビュラは動かない。
最後にひげもじゃ騎士がそっと後ずさった。
見えない何かを貫くように空中で静止する剣先から、ひげもじゃ騎士の喉元が離れる。
「へ、へ……長生きするぜ、旦那」
そそくさと消えていく彼らが見えなくなると、どっとシビュラが息を吐き出した。
その表情は真っ青で、瞳の色は憑き物が落ちたように頼りない。
年相応の、弱々しい少女がそこにいた。
「……少し休んだほうがいいんじゃないか」
「ううん……お父様のところに行かないと……開戦を告げる使者が出たらもう止められない。全部手遅れになっちゃう前に、急がなきゃ……」
今度はアポロにも止められなかった。
この先の未来についても、口にすることはできなかった。
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