後編
「その時、真相を明らかにしたのがこの絵のモデルである彼女だったのです」
「まさか。そうだったの」
私は老婦人が話に引き込まれたのを見計らって、あえて語りをいったん切り上げました。狙い通り、彼女は嘆息を漏らし、はにかみました。
「待って。私にも少し考えさせてちょうだい。やはり偶然とするには出来過ぎている気がするわ。誰かの意思が介在しているように思うの……例えば、元号を考案した学者が、その絵を見ていた、なんてどうかしら」
「なるほど。絵の裏に記された二文字からインスピレーションを得た、というよりそのまま採用した、と」
「ええ。元号って誰が決めるのかは伏せられるはずでしょ。屋敷の主人も知らないうちに本人を招いていたんじゃないかしら。旅人のあなたを招待したように」
「私などと立派な国学者様を同列に語るのは恐縮の至りですが、残念ながら、そうではなかったのです。確かに屋敷の主人はそういった方々とも交流があったようですが、くだんの絵は特に人に見せることなくしまわれていたそうです。『令和』の世になってからその存在を思い出したくらいで」
「そう。女中にも見せようとしなかったくらいだものね」
その表情には、単に話を楽しんでいるばかりではない、どこか不安げな色もない交ぜにされていたのを見て取り、私は奇妙な心地がいたしました。婦人は言葉を続けました。
「きっとなにか仕掛けがあったのでしょうけれど……どういうことかしら。それ以上に、私、不思議な感じがするの……いいえ、思い過ごしかも。話を続けてちょうだい」
「ええ。そうしましょう」
「簡単な話よ!」
そう叫んだのは、お嬢さんでした。
「年号を考えた人が絵の作者だったのよ」
胸を張って高らかに答えました。大声に驚いたのか、猫はのそりと身を起こし、彼女のもとを離れました。
「その人は、ずっと元号を自分で考えたかったのよ。それくらい偉い学者様になりたかた。その思いを絵に込めるくらいにね」
「はは。待ちなさい。これが描かれたのは昭和の初期だよ? そんなに前から決心していたってことかい?」
「お父様、馬鹿にしてるでしょ。誰だって夢は叶えられるのよ」
「そうだね。まあ、星の数ほどある漢字の組み合わせを探すよりは、確率が高そうだ」
主人は娘の考えにまるでとりあおうとしません。はたから見れば微笑ましい親子の会話だったでしょう。しかし私は、鋭い感性によって思いもよらず真実を突き止めた彼女の行動に驚き、内心慌てふためいていたのです。
「君、だめだ。それ以上は――」
私は思わず叫びました。
「ん? なんのことだい?」
「どうしたのかしら?」
親子はそろって疑問符を顔に浮かべ、そしてほとんど同時に眠りについたのでした。それは時空転移装置がスタンバイ・フェーズに入ったことを示すものでした。すなわち時転に伴うタイム・パラドクスを最小限に抑えるための記憶操作誘導ガスの発生を意味していました。独特の臭気に当てられて、耐性のない彼らは数分間昏倒することになったのです。当然、四次元を応用した収納具に忍び込み、まんまとマニピュレータを作動させることに成功した当事者自身も。
時空転移はあと3ミリ秒の後には始まってしまいます。私は彼女を放り出す暇はありませんでした。
「なんてこった……君ってやつは!」
そう、これはつい先ほどのことなのです。私にとっては。
そして、ああ。再び私は天を仰ぎたい気持ちになりましたこんな偶然はあるでしょうか。今まさに目の前にいる老女にとっては、何十年も前の出来事だったのですから!
「思い出したわ! その話の少女は、私自身ですもの――」
その時、絵のモデルが影から飛び出しました。記憶消去を施す匂いの発明は、ある植物から生合成された物質によりもたらされました。木天蓼の酔いからようやく目覚めて、足取り静かに、しかし確かに彼女の主人の下へ駆け寄りました。
「ああ」
三毛猫は、鋭い嗅覚で私の鞄から漂う木天蓼の香りの残渣を嗅ぎ取ったのでしょう。そして図らずも真相を発見してしまったのです。強制転移させられた私は困ったものでしたが、猫はうとうとと満足げな顔を主人の膝に埋めていました。いつの時代も、人間は猫には叶わないのです。これもまた一つの真実でしょう。
「まあ。懐かしい。なんてこと。私が小さい頃に、突然いなくなってしまったと思っていたのに……私は貴方の面影を追い求めて、三毛猫を迎え続けたわ……。
もう会えないと思っていたけど、」
待ってくれていたのね。老婦人は泣き笑いでした。
猫はにゃあと鳴きました。大丈夫、泣かないでと婦人に語りかけるように。聡い彼女には目の前の老婆がかつての少女だとわかっていたことでしょう。
『描きました』了