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大東京西域記  作者: 大和麻也
本編1 大東京西域記
9/15

#06 住みたくなった街@武蔵野

最近の話は、最近の話

 大学進学を機に上京――帰京といってもよいが――したとき、新居の地として「吉祥寺(きちじょうじ)」がまったく思い浮かばなかったといえば嘘になる。

 初めは不動産会社のアンケートによるランキングだったというが、にわかに「住みたい街」「憧れの街」として話題となった。遠く父の故郷たる地方都市にもその名を轟かせ、小綺麗な喫茶店や夢心地になれる雑貨店、粋な古書店など、情報番組のVTRが高校生の私を誘惑したものだ。なまじっか、東京に住んでいたころに吉祥寺の街並みや井の頭恩賜公園の水面などを自分の目で見たことがあったから、追憶と憧憬を混同しやすかった。

 冷静になるのに、時間はそうかからなかったが。

「で、なんでやめたの?」

 わかりきったことを千里は私に問うた。

「ひとつは通学に一時間近くかかるから。もうひとつは家賃が高すぎたから」

「そうだろうなぁ……」

 高級住宅街としても知られる街である。学生にも手が届きやすい物件があったとしても、街の人気ゆえに競争率も高い。人々が集まったために新規に入っていけないこともあるとは、難儀なものだ。遊びに行くだけなら庶民的なところもあるのだが。

 井の頭池のほとりを歩く。片方の耳には水音が、もう片方の耳にはトランペットの音色が響く。子どもたちの感性や、家族連れの笑い声など、不規則な音声も時折飛び込んでくる。井の頭公園とは、多くの人が求める心地よい「にぎわい」を実現する空間だ。

「千里はさ、吉祥寺といえば庶民的なイメージ? それともハイブランドな街?」

「そうだなぁ……それほど高級なイメージはないね。うちから吉祥寺に行くときって、はな子に会いに行くときだったからなぁ」

「ああ、はな子。もう会えなくなっちゃったんだね」

 自然文化園のアイドルのことは、私もよく憶えている。幼いころに幾度か見ただけで、そのうえ東京を離れていた時期もあったというのに。あれほどの存在感は、いくら巨大な象といえども、滅多にないはずだ。

「でも、高校生になって友達と遊びに来ると、ちょっとばかり物価の高さを感じたものだよ」

「ああ、なるほど。来るときの年齢や目的によっても、街の印象って変わるよね」

 私ももう少し財力があったら、吉祥寺に靡いていたかもわからない。

 千里はというと、「年齢」に引っかかるものがあったようで、

「吉祥寺も随分変わったと思わないか?」

 と問うてくる。確かに、久しぶりに出会う吉祥寺は、記憶の中の景色とかなり様変わりしたように思う。素直に同意する。

「駅とか駅ビルとか、憶えていたのと全然違うよ」

「そうそう。ケバブ屋台も増えた」

「そっか、街がこれだけ栄えれば、外国の人も集まるようになるよね」

 返事をして、はっとする。

「そろそろお昼の時間だったね」



 お店を探すには、池の窪地から台地へと上らなければならない。のんびりと池を一周してから、文化園方面へ坂を上る。その道中、気になる文言が書かれた看板を見つける。

御殿山(ごてんやま)?」

 池から台地へ急な坂を上るから、「山」になぞらえたのだろう。山未満の小地形を山と呼ぶ例は数多あるので、そこは不思議に思っていない。ただ、その地形に似つかわしくない枕詞がついているような気がしたのだ。

「御殿ってことは、何か屋敷でもあったのかな?」

 素直に口をついて出た疑問というよりは、千里が答えを知っていると期待して漏れた質問であった。

 そして、千里は期待を裏切らない。

「おお、その通りだぞ。それも並の人物の御殿じゃない」

「というと?」

「江戸幕府の将軍さ」

 徳川ファミリーのみなさんがわざわざ武蔵野まで来ていたということか。ただ、甲州街道からも少し外れたこの地域に、どのような用事があったのだろう? しかも、御殿を築くほど繰り返し訪問していたなんて。将軍ほど身分の高い人なら、外出する機会も少なかっただろうに。

 私はひとつのアイデアに思い至る。

「もしかして、別荘でもあったの?」

「惜しい、でも遠くない。鷹狩に遊びに来ていたんだ」

 鷹狩――高校の授業を思い出す。確か、日本史と古典の授業で聞いた内容だ。貴族や武士たちが飼いならした鷹を野に放ち、小動物を捕えさせるのだ。目的としては遊び、訓練、巡察、スポーツ……いろいろな言い方はあるが、ぴったり当てはまるわけではない。

「このあたりは鷹狩の名所だ。府中にも家康が寄り道するための御殿があったというし、すぐ近くの三鷹市の市名は鷹場としての歴史に由来する」

「ちょっと待って。家康のころっていまから四百年前くらいだよね? そのころに井の頭池で鷹狩をしていたということは……」

 このあたりは、ものすごく田舎だったのでは?

 鷹狩を楽しむためには、獲物がたくさんいる場所でないといけない。そのうえで、見晴らしのよいところのほうが適していると想像できる。広くて、見晴らしがよくて、動物も棲んでいる――現在の吉祥寺にも緑が多少残っているとはいえ、あまりにもイメージとかけ離れた姿ではないか。

 坂を上り終えて、大通りに出る手前。千里は周辺の地図が掲示された看板の前で立ち止まる。

「吉祥寺なんて、一七世紀半ばまでは田舎さ。それ以前に人が暮らして発展していた、という記録はさほど多くないらしいぞ」

「でも、『吉祥寺』なんて地名、歴史がありそうじゃない? 大昔から地元に根付いていて、ガッツリ荘園を所有して、時には一揆なんか起こすくらい影響力があった有力な古刹があって、その門前町なのだと思っていたけれど」

「面白い発想だが、吉祥寺に関していえば違う。地図を見ればわかるぞ」

 千里は目的があって地図の前で立ち止まっていたようだ。私は千里の狙い通り、地図を見ることになる。探すのは当然、「吉祥寺」だ。私の想像と違う歴史を持っているとすれば、寺は中心街から離れているか、ほんの小さな寺か、というところだろう。

 どこだろう……あれ?

「もしかして、ない?」

「そうだ、ないぞ」

 駅前にちらほらと寺があるけれど、どれもその名が異なる。周囲の街並みも門前町という様子ではなく、発展する街の中にぽつんと寺が居残っているような感じだ。

 千里は街の北部、高級住宅街として知られるあたりを指さした。

「吉祥寺は明暦の大火で焼け出された、吉祥寺村の人々が移転してきて発展した集落だ」

「明暦の大火って、江戸城の天守まで焼けたっていう大火事だよね」

「その大火事から復興する折、江戸中心部の区画整理のあおりで、西部への人口の移動も始まった。吉祥寺村は水道橋のあたりにあったらしく、吉祥寺は武蔵野には移転せずに駒込(こまごめ)に移ったそうだ。で、寺とはお別れしても名前だけ吉祥寺のまま。よくよく見ると、人工の新しい街に見えてくるぞ」

 言われて、地図を凝視する。住宅街のあたりの区画は、五日市街道から垂直に、帯状に土地が区切られている。あきらかに人の手で計画的につくられた区画だ。

 しかし、その区画も住宅街を整備する際にはじめてつくられたものではないらしい。なぜなら、区画によって伸びた道が中央線と斜めに交わっているからだ。予想するに、中央線――前身の甲武鉄道――が開通する前から、五日市街道に垂直な区画がなされていたのだろう。

 となれば、疑問はもうひとつだけ。

「でも、明暦の大火以前はどうして人がいなかったの?」

「水がなかったからさ」

「え、でも、井の頭池は?」

「いやいや。池は周囲より標高が低いから、水を引いて田んぼをつくることはできない。玉川上水ができて、分水の千川上水が引かれてようやく畑作が広がったそうだ」

「じゃあ、吉祥寺は水も得られない、『住みたくない街』だったわけだね」

「街すらなかったがね。縄文時代まで遡れば、井の頭池のほとりに集落があって、御殿山遺跡というらしい」

 縄文時代、水辺なら漁労によって安定して食料を得られたから人が集まったのだろう。弥生時代になると稲作が集団の強さを左右するから、水利の悪いこの地域から人々は離れていった。

 農業をするにも困難のある、住みたくない街。火災の影響で住まざるを得ない街でもあった。それがいつの間にか、誰もが住みたい街になってしまった。各時代の価値観が折り重なって、現在の街が魅力的になっていると考えれば乙なものだ。

 駅前に向けて、歩みを再開する。

「いまや中東生まれの人々も住みたくなる街、それが吉祥寺というわけだ」

「やっぱり千里、ケバブ食べたかったんだね」


【おまけのチリばなし】


質問者:田町理さん(19歳、東大和市)

Q「井の頭池ってどんな池?」


回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)

A「江戸時代につくられた神田上水の水源となっている湧水の池だ。東京は西から東にかけて標高が低く、なおかつ多摩川や野川などがつくったハケ(河岸段丘の法面)があるから、よく斜面から地下水が湧きだす。井の頭池は江戸幕府、東京市、皇室と所有者が移り、一九一三年に再び東京市に下賜されると、井の頭恩賜公園となる。カップルにまつわる都市伝説があるが……まあ、信じるかはその人次第だな」


挿絵(By みてみん)


【#06 住みたくなった街@武蔵野】

主な訪問地:井の頭恩賜公園

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1A-x46TakgtgBhlrqONFM4CHCT3N7ReoD&usp=sharing

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