#04 花は小金井@小金井
人が観たいものなんて、数百年くらいじゃ変わらない
「きょうは、まだ時間あるか?」
千里はそう切り出して、桜を観るならぜひもう一か所行こうと提案した。午前中だけでも充実した時間は過ごせたけれど、親友と過ごす時間としてはまだ物足りなかったので、その誘いを断る理由はなかった。
資料館を出て少し歩けば、病院近くのバス停から南に向かうことができる。行き先は、私が全生園を訪れるために利用した久米川駅ではなく、同じ西武新宿線の花小金井駅であった。
一般常識として、日本語で「花」というときは「桜」を指すことくらいは知っている。そのうえで、あえて車中で質問してみる。
「変わった名前のところだね」
「ああ、小平市の住所なんだがな」
千里は私の意図を汲んでジョークを飛ばした。
およそ三〇分バスに揺られると、レトロな雰囲気がかわいらしい駅前に辿りついた。地元の人が利用するチェーン店や大型スーパー、コンビニなどがみられる中に、古くからの店の看板が混じりあう。カラフルな街並みの中心にも桜の木があり、コンクリートの彩に自然のピンク色をアクセントとして加えている。
小さな商店街を抜け、踏切を渡る。南口は新興のマンションが並ぶなどして、北口とはいささか雰囲気が異なっている。
歩きはじめてわずか、桜色のアーチを見つけた。
「すごい、これを観に?」
小金井街道と交叉して遊歩道兼サイクリングロードが整備されていた。どこまでも真っ直ぐな道に沿ってソメイヨシノが植えられていて、春の憩いの場としてうってつけだ。多くの市民が徒歩や自転車で行き交っている。
しかし、
「ああ、多摩湖自転車歩行者道ってここにあったのか。ここには自転車でまた来たいところだけれど、きょうはもう一五分くらい歩くぞ」
ここは目的地ではないらしい。
確かに、千里なら自転車に乗っているときに来たいはず。改めて、「花」小金井の地で見る桜とは何か予想してみる。
「わかった、小金井公園だね? 東京にブランクはあっても、それくらい有名なところは忘れていないよ」
自信のある予想だったが、千里はにっこりと笑って首を振った。
「久しぶりに高橋是清邸を見に行くのもいいが、そこでもない。もっと有名なところがあるのに、わからないものかね」
コートのポケットに手を突っ込んで半歩先を行く。この親友は後頭部にも目がついていて、私が口を尖らせるところを見てせせら笑うのだ。自分が笑う顔は隠すのだから意地悪だ。
ヒントを乞うと、ようやく振り返った。これまた嫌らしいにやにや笑いだ。
「時期で言えば、新田開発のころの桜だ」
そのフレーズ、決まり文句のように憶えている。
思い出すのは日本史の授業。しかし、日本史は決して得意ではなかった――というのも、高校の先生の語りが子守唄に似ていたのだ――ので、うろ覚えだ。
確かこんな話だったはず。
江戸の郊外、いわゆる武蔵野の台地といえば、水に恵まれず、不毛の地として原野のまま歴史を辿ってきた。人が大々的に住まうようになったのは、玉川上水とその分水が台地を潤してからの話だ。この潤いによって水田を開いたのである。こうした新田開発が推奨されたのは、言わずと知れた享保の改革のころ。
うむ、一応憶えていたぞ。
「つまり、暴れん坊将軍のころだね?」
「そうそう」
「暴れん坊将軍って、あれだよね。徳川吉宗。旅人のふりをして悪を懲らしめると、『ええい、控えろ、この桜吹雪が目に入らぬかぁ』って言って『本日のお白洲それまで』っていう」
「ミチ、あんたバカだよ」
千里は腹を抱えた。してやったり。
歩いているうち、この道が小金井街道であると気がつく。標識に示された南に進み続ければ、府中で終点になるはずだ。北端に向かえばどこまで至るのだろうか。道のことを思うと、こういう想像があふれてくる。これも度重なる転居の経験や、名前のおかげだろう。少し変わった趣味かもしれない。
小金井街道はゴルフ場を突っ切ると、今度は小金井公園を横目に南下していく。フェンスの向こうに覗く広大なフィールドや、木々と芝生がつくる憩いの場などを観ていると、どこか遠い地まで来たような気になる。ところが実際は東京のど真ん中。レジャーは近場で楽しんでこそレジャーなのだろう。
「ねえ、本当に小金井公園じゃないの?」
「まあ、すぐそこだ」
「いい加減歩き疲れてきたんだけれど」
歩きはじめてから二○分弱。所要時間から考えて、一キロ以上歩いたはずだ。ところどころで桜には出会っているから、そろそろ飽きがきはじめている。少し道を逸れて公園に入れば桜が咲いているのだから、なおさらだ。
やがて小金井公園も通り過ぎてしまい、公園の南西の端にあたる交差点に差し掛かる。交差点の名は――
「小金井橋?」
先を観れば、確かに橋の欄干がある。
小金井の地で橋といえば思いつくものが。
「あ、玉川上水まで来たのか」
東村山の全生園から、かなり南まで下ってきたものだ。
「これから見に行くのも、玉川上水の桜だぞ」
「え、『ヒントは新田開発』とは言っていたけれど、もしかして玉川上水そのものが桜の名所だったの?」
「そういうこと。何も引っかけ問題を出したつもりはなかったんだけれどな」
またしても千里に笑われる。午前中と打って変わって、千里は笑ってばかりだ。しみじみと楽しむ花見と、行楽としての花見とを両方楽しめていると思えば、悪くはないか。楽しみ方もいろいろだ。
赤色を示す信号機の真下まで来ると、左手には桜色が連なっていた。
「すごい、上水沿いが桜並木になっているんだね」
花小金井で見たサイクリングロードの並木道にも勝る、長くて密度の高い桜色。桜以外の葉を落とした広葉樹の茶色も時折混ざっているのが惜しいところだが、桜の存在感はそれを圧倒している。むしろ、色とりどりの植生のおかげでにぎやかさを増しているようにさえ見せる。
例の如く、千里は誇らしげに腕組みする。
「いわゆる小金井桜ってやつだ。新田開発の折、幕府の命により府中押立村の名主である川崎平右衛門の指揮で整備されて以来の歴史を持つ」
「へえ、これもまた府中か」
感嘆して漏らした声に、千里は首を傾ぐ。
「府中がどうかしたか?」
「いやね、この道が小金井街道だってさっき気がついて」
「なるほど……わかっちゃいたがあんまり考えなかったな」
今度は私が笑みを見せつけてやったが、反応は薄かった。残念。
信号が切り替わり、上水の南側に回った。五日市街道に面する北側に比べて交通量が少ないので、より風流に観桜することができる。道の反対側には住宅が並んでおり、いかにも武蔵野を思わせる風景なのが面白い。美観と生活が密接する、ともすればミスマッチな眺めもまた一興である。
見ていると、ふと気がつく。
「なんだか、一言に桜並木といっても、いろいろだね。一本一本、微妙に違っている気がする」
桜の花の色から、花びらの重なり方、そしてわずかに見える小さな赤茶色の葉の付き方に至るまで、いずれの木も少しずつ違っているようだった。先ほどから桜以外の色が混じっていても邪魔に感じないのはそのせいかもしれない。単調さがないのだ。
私の感想に対し、「よく気がついたな」と我が友人は上から目線だ。
「ここに植えられているのはヤマザクラだ。おこりとしては、全国の桜の名所から集められたそうだ」
「よく見慣れているのはソメイヨシノだよね。どう違うの?」
「自然交配なのが一番じゃないか? ソメイヨシノは接ぎ木でしか殖やせない、つまりクローンばかりだ。それに比べれば、ヤマザクラは良くも悪くもノイズが入る。それが見所だな」
「なるほど……」
千里はいつも博識だが、桜にまで詳しいとは思いもしなかった。むしろ、風流なものには適当なこだわりこそあれども、どちらかと言えば興味がないものと思っていた。いや、千里のことだ、きょう私に自慢するために一生懸命調べたのかもわからない。
相棒の解説を念頭に、いま一度桜を眺めてみる。なるほど、確かにソメイヨシノとは違う。花を咲かせながら葉をつけているところもそうだろう。見る方法、見るもの、一緒に見る人――花見とは掛け算で考えるものらしい。
「江戸幕府のころから名所図会に紹介されて、観桜客でにぎわっていたそうだ。新田村も花見茶屋に様変わりしたとかしないとか。政権交代後も国の名勝にも指定され、甲武鉄道が開業を桜の時期に前倒ししたとまで言われている」
「いろいろな人が観たがっていたんだね」
「というか、観せたがったのかもしれないな」
その話からすれば、住宅街と街道に挟まれた現在の姿は、いささか寂しい様子に思える。小平監視所から下水処理水が流れるようになったのと同じで、かつての姿を維持できなかったのだろう。
いまも昔も、この桜を保全した人がいる。その人たちを中心に、この桜を観てもらおうとしている。千里もそれに共感したのだろうか、強行スケジュールを組んでまで私を連れてきた。
こんな楽しみが一年のうちわずかな季節だけとは、惜しいものだ。
【おまけのチリばなし】
質問者:田町理さん(19歳、東大和市)
Q「小金井の駅は面白いエピソードがあるそうですね」
回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)
A「中央線の武蔵小金井駅は、甲武鉄道時代、観桜客向け臨時停車場からスタートした。東小金井駅は国鉄時代、日産村山工場で生産した自動車を運ぶための貨物駅に、地元住民の請願で旅客駅が併設されて開業した経緯がある。市域にあるもうひとつの駅、新小金井駅も、かつて砂利鉄道だった西武多摩川線の駅ということを思い出すと興味深い。ちなみに市内最古の駅なのに『新』がつく」
【#04 花は小金井@小金井】
主な訪問地:花小金井駅、小金井街道、小金井桜
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