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大東京西域記  作者: 大和麻也
本編1 大東京西域記
6/15

#03 そこに歴史(ウラ)がある@東村山

その花の足元にも、ちょっとだけ視線を

「花見がしたい」と千里にメッセージを送ったところ、間髪入れず「どこがいい?」と返信があった。

 選択肢が多いようなので、「どんちゃん騒ぎとかではなくて、静かに散歩しながら見られるところ。もちろん、河川敷とか公道とかではなく」とその自信を試してみた。大学の友人とか、バイトの同期とか、いくつかの誘いをすでに断ってからのことだ。千里には退屈でもいいから一緒に出掛けて後悔しない花見を提案してもらいたかった。

 千里から勧められたそこは、疑いなく、静かに桜を眺められる場所であった。

 空を埋め尽くさんとする桜色。そよ風に揺れて覗く青色とのコントラストが映える。下を向けば芝の緑がたくましい。親子連れが二、三組いるようだが、酒宴を催すような先客はいない。無邪気な子どもの笑い声が響く。優しい笑い声が続く。その中で無機質な白い背中だけは異質だった。

 立ちはだかる白を背にする木の根元に、待ち合わせの相手が座っていた。ひとり座るのがやっとの小さなレジャーシートに腰掛け、文庫本を開いていた。私の陰に気がつくと、おもむろに顔を上げた。

「よう、資料館は見てきたか?」

「うん。早めに来て南門から入って、園内もぐるっと見てきた。そうしないわけにはいかないと思って」

「そうか。南からだと、久米川(くめがわ)からバスで来たんだな」

 私がレジャーシートを持参していないことを察したのか、千里はそそくさと身の回りの片づけを始める。文庫本を閉じ、シートを畳む。

「小説?」

「ここでこそ読む価値があると思ってな」

 一度仕舞いかけた文庫を再び取り出し、タイトルを見せてくれた。作者は、資料館で見た名前だった。

 千里が跳ねるようにして立ち上がる。

「さて、少し歩こうか。座るなら向こうの四阿がいい」



 桜色のドームを抜ければ、少し開けた芝生の広場に出る。「人権の森」の理念を謳う石碑など見つつ歩いた先に、ぽつりと四阿があった。半ばお昼という時間に四阿でくつろごうと考える人はなかったようで、私と千里で貸切状態だった。

 桜の木々からは離れてしまうが、見晴らしがよいので、静かに観桜するには悪くない。

 コーヒーが香る。千里が水筒を取り出し、蓋を開けたのだ。紙コップも持参しており、湯気の立つそれを私のために注いでくれた。お礼を言って、一口いただくと、じんわりと広がる温もりとともに感傷が滲んできた。

「ここも昔は入居施設か、農園かがあったんだね」

 盟友は静かに頷いた。

「南門から入ってすぐ見てきたんだけれど、すごいよね、宗教や宗派に関係なく教会やお堂が並んでいるんだもの。全部の宗教、宗派が対立するとは思っていないけれど、普通隣り合って建つものではないよね」

 言葉を選ぶ。

「敷地の中で社会が完結するようになっていたんだな、と思った」

 農園があって、家があって、公共の風呂も、床屋も、さらには宗教施設まである。一時期だが、この場所でしか使えない特殊な通貨や、牢獄が存在したことも。この場所は「ミニチュア社会」として形作られていたのだ。

 もちろん、それは悪い意味でしかない。

「南のほうから見ていったなら、堀と土塁の跡も見たか?」

「うん」

「地図を見れば、収容門とか、見張り所とか、そういう物騒な遺跡もたくさんある」

 千里が淡々と事実を述べるだけでも、過去を痛感する。

 多磨全生園(たまぜんしょうえん)

 過去の名を、公立療養所第一区府県立全生病院。関東および新潟、静岡、愛知、山梨、長野の一府一一県の連合療養所として始まる。明治四二年のことだった。

 療養所、すなわち治療のための病院であったことには違いないのだろうが、本質は隔離施設であった。激しい差別にさらされたハンセン病患者たちが、病を治療し感染を防ぐという名目のもと収容された。土塁と堀に囲われて。

 病と差別と隔離。負の連鎖は互いに増幅し合ったことだろう。病原となる菌の感染力は極めて低く、適切な投薬ができれば不治の病でも何でもなかったのだが。

「本当なら、病気さえ良くできればいいはずだったのにね」

 いま私が踏みしめている地面の上を、過去の入所者たちはどのような姿で、どのような思いで歩いたのだろうか。

「いまもここは国立の『療養所』なんだよな。入居して暮らす人がたくさんいる。ケアが良いのか、それとも地元に禍根があるのか、ここで暮らすことを選ぶ理由はいろいろかもしれない。長い時間ここで過ごしていれば、良い思い出だってあるだろうさ。でも、納骨堂を見ると――さすがにな」

 骨になっても、か。その望郷と悔恨の念たるや、想像を絶する。中途半端に感情を推しはかろうとすれば失礼かもしれないとさえ思う。

 紙コップに注がれたコーヒーはまだまだ熱い。指先がひりひりするくらい。でも、そこにきょう「酒宴」ではなく「花見」をしに来た甲斐があるように感じる。もしその仕方を誤っていたら、様々な意味を失ってしまうよう気がするのだ。

「ここに来る人ってさ、みんな昔のことを知っている人なんだろうね」

 ふと思いついたままに言葉を発していた。資料館を含め、全生園に来てからすれ違った人はせいぜい数人だが、その中に初めてここを訪問した人はいないように見えた。

「まあ、多くはそうだろうな」

 私の考えを量りかねたのか、千里は面白くもない返事をする。私は「でもね」と意地悪く続ける。

「いつかはさ、誰も知らない状態になればいいのにね」

「……どういう意味だ?」

「もちろん過去を忘れちゃうわけではなくて、教訓はあって然るべきだとは思う。私が言いたいのは、かつて隔離施設が必要だった理由を誰も理解できない世界になったら――真に差別がなくなったとも考えられないかってこと。不用意な偏見も、窮屈な不寛容も考えられない人々にとって、隔離施設そのものが理解不能な代物でしょ?」

 ただ「知らない」のではなくて、「ありえない」と思えるとしたら。監視塔や塀や堀の跡を見て「余計なものを造ったものだ」と言えたとしたら。

 この場所で花見やピクニックを楽しむ若い家族連れの中には、そういう考えの人もいないものだろうか。

 千里は「理想だな」と同意を示してくれた一方で、

「わかんないけどさ、たぶん差別する人にとっては『過去に差別があった事実』さえあれば充分なんだよ。根拠も動機も覚悟もあったものじゃない。かつて誰かを痛めつけた言動そのものが好奇心をくすぐって、やってみたい気が起きてしまった――そんなものだと、あたしは思う。だから悪気もなければ自覚もない。場合によっては意味もわかっていないし、解釈することすらできない。相手を慮る力自体が欠落しているんじゃないかな。そんな概念未満の『何か』を、地上から消し去ることはできないだろうさ。存在した事実だけあれば、未来永劫居座りやがるからな」

 と語ってくれた。

 千里の言う通りだとしたら、最初に差別らしきことを行った人間とは、どのような人物だったのだろうか。地球最初の差別とは何だったのだろうか。ひょっとすると、ほんの一言の、他愛無い失言だったかもしれない。誠心誠意謝れば許してもらえるものだったかもしれない。少なくとも、問題を大きくしたのは、後世の愚行である。

「考えが後ろ向きすぎるか?」

「考えるってそういうことじゃないかな」

 強い風が吹く。

 桜吹雪が園内を彩った。

 自ずと背筋が伸びる空間でありながら、春の陽気をのびのびと浴びることのできる穏やかな居場所。物理的な隔絶こそなくなったが、現在でも時の流れが外とは少し違っているのかもしれない。もちろん、過去と違ってポジティブな意味で、だ。

「良い場所だね、ここに来てよかった」

 千里は素直に同意を示す代わりに、わざとらしく肩を竦めるジェスチャーを見せてくれた。天邪鬼なやつだ。

 ちょうど、コーヒーが空腹を刺激しはじめるころだった。

「さ、そろそろお昼にしようよ」

「なら、敷地内に雰囲気の良い食堂がある。ぜんざいも食べられるぞ」

「ぜんざい?」

「ここに来たら甘い餡を食べるのが礼儀みたいなものさ」



【おまけのチリばなし】


質問者:田町理さん(19歳、東大和市)

Q「学校、病院、公園、公営住宅、福祉施設……公共の施設って一か所に集中していることがあるよね?」


回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)

A「そういう場所を見つけたら、過去の地図を調べてみると面白い。『現在では無用になった広大な施設』の類が立地していた、なんて場合がある。森林や原野だったというオチもよくあるが、たとえば、軍事基地や軍需工場、武家屋敷、御用地あたりがよく見つかると思う。多磨全生園も、隔離施設としての性格がなくなったことで、周辺で公共性の高い利用がなされるようになったんだな」


挿絵(By みてみん)


【#03 そこに歴史(ウラ)がある@東村山】

主な訪問地:多磨全生園、国立ハンセン病資料館

https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1Do-hKLQPoHtgRdtq5aE79yICNXXXHZLE&usp=sharing

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