#01 上水のある風景@立川
何気ない憧れほど、長続きする
千里は府中の実家から自転車で私の家までやってきた。ざっと一時間半と少しかかったという。スポーツ仕様のデザインの自転車に、ベージュのスプリングコートを引っかけてまたがる友に、「ずるい」という言葉が口をついて出てきた。
昼食を振る舞うと約束していたので、有り合わせの材料に、卵を四つ注ぎ込む贅沢をしながらオムライスをつくった。「人を騙せるよ」と褒められた。
千里はレンタルしたDVDを持参してきた。しかし、ひとり暮らしの我が家にはテレビこそあれ、DVDプレイヤーがなかった。再生できる機器といえばノートパソコンくらいなので、ふたり並んで狭い液晶を覗きこみ、二時間鑑賞した。
おやつの時間ごろになると、早くもやることがなくなった。自己流に育てたワンルームで、のびのびと語らっていれば心地よい時間が過ぎていく。親友は物事をやや斜めに見つめる人で、思いがけない捻くれた――「ウィットに富む」と評するには一歩足りなくて、下品なところもある――物言いは、かつてと変わらず私を楽しませる。それでも、間が持たない瞬間は少しずつ増えていった。
たまらず、
「外、歩いてみない?」
と提案したのは、一五時少し前であった。
カーキとベージュのコートが並んで歩く。財布も自転車も置いて、せめて携帯電話だけを手にしてアパートを発った。目的地も何もない、気ままな散歩だ。
いくら無為な散歩といえども、住宅街に突入しても仕方がないので、とりあえず駅へと向かうことになる。北口ロータリーを素通りし、階段を上れば、橋上の自由通路へと至る。西武線やモノレールの改札口の前を通ると、見慣れない場所に興味があったらしく、千里は首を伸ばして覗きこむ。モノレールが頭上を通過すれば「おお」と声を上げた。
独り暮らしの雑感など他愛無い話をしていると、「そういえば」と自然を装ったわざとらしい切り出し方で千里が問うてきた。
「ここに住む決め手はなんだったんだ?」
生まれてこの方実家を出ていない箱入り娘のことだ、友人に一歩リードされたような気持があるのかもしれない。昔からそういう性分だった。
「何より大学までモノレールで一本だし、スーパーも近いからかな。ついでに家賃は予算内で建物もまあまあ小綺麗。あまり考えずに決めちゃった」
「このあたりは立川なのか?」
「アパートは東大和だよ。駅のあたりは立川かな? でも、正直住所はどうでもよくて、立川の街に定期券で行けるのが良いよね。バイトも買い物もそこで足りるもん」
なるほど、と素っ気ない相槌が返ってくる。そういう態度をしているから、かえって面白く見られてしまうとは気づいていないようだ。
「それにね、駅の名前を見て『ここだ』って思ったのも本音かも」
「玉川上水? ああ、あれだろう?」
千里が指さしたのは、水路に立ち入れないよう設置された柵。南口の広場の真下を玉川上水が流れていて、広場から左右を見回せば、すぐに水の気配を見つけることができる。
柵から上水を覗きこむ。眼下数メートルを、さらさらと水が流れている。
拝島線の線路と上水のあいだの道を進路に決める。やかましく無骨な金属音が通り過ぎることもあるが、反対側からは水の音もかすかに聞こえる。こういう矛盾をはらむワイルドな雰囲気が、実は嫌いではない。
「玉川上水、憶えてる?」
「もちろん。東京の西に住んでいたら全員学校で習ったんじゃないか?」
小学校中学年から高学年にかけて、地域の学習といえば玉川上水だった。私も千里とともに府中で玉川上水のことを学んだ。合わせて六年弱、人生で最も長く暮らした土地での教育は、何かとよく憶えている。
ただし、玉川上水を実際に目にした記憶はおぼろげだ。父の運転する車で通りすぎることくらいはあったかもしれないが、決して身近なものではないのだ。
「上水って、あたしらのところからじゃハケをふたつ越えた上だろ? そんなに身近でもないから、高校生くらいになってようやく理解したものだよ」
勉強家の千里でさえこの言いようである。
私たちの街からは、ざっと六、七キロは北に離れていたはずだ。小中学生にとっては充分遠いところの話であろう。
「でも、上水って聞いたらどうにも気になってね」
「ふうん、そういうものかね?」
ぼんやりした返事から察するに、我が友は実家を離れるにしても「ここ」という場所がないのかもしれない。
「あと、水の流れる街に憧れたことはない?」
「はあ?」
会話には共感が大切なものだと思うが、私の親友にそういう感覚はあまりない。というより、取り繕った共感すら難しいほど、同意できなかったのだ。
何せ、千里の実家と多摩川とは目と鼻の先である。飽きるほど水のそばに暮らしてきた。台風など豪雨の折に洪水の危険を感じたことさえあるという。
「いやね、多摩川もそうだけれど、身近にある自然というか――とにかく水を感じられる場所って、どこにでもあるものではないんだな、と」
言葉にしてみるとまとまらない。
いつから心に抱いていたのかわからない憧れだ。それこそ、多摩川の近くで暮らしていたときには、すでにそう思っていたかもしれない。でも、外に出してみたことはなかった。
「観光地のように、とはいかないけれど、街に溶け込んだ自然の中に、ちょろちょろと流れる水路があるのもいいなと思って。水車小屋なんかあったりしてさ」
千里は首を傾げ、腕組みしてしまった。
「メルヘンな趣味だな。というか、水路は『自然』というより『人工』そのものだろう」
「わかってはいるけれどね」
結局は好みの話なので、変に共感されても嬉しくなかったかもしれない。
まもなく、上水にも大きな人工物が現れる。
「なるほど、小平監視所ってここにあったのか」
「小平監視所?」
千里曰く「上水の境目」なのだとか。
いかつい建物が並んでいる。水の流れる音は聞こえるのだけれど、その姿は見え隠れしてしまう。それぞれ何のための設備かは知らないけれど、とかく「境目」というのは頷ける。
監視所を過ぎれば、千里に紹介したかった場所に辿りつく。
「あ、ここ。この前見つけた、ちょっとしたお気に入り」
緑道の脇に階段が設けられている。
「清流の復活」と刻まれたモニュメントを横目に、森の小道のような雰囲気のそこを下っていく。堀のような水路の間近まで下りることができ、その先端には水面にも触れられる飛び石もある。
しゃがんで左手を伸ばしてみる。うん、冷たい。
「いいでしょ、ここ」
「まあ、嫌いじゃない」
千里はまた素直でない返事。いや、素直なのかも。
「一か所でもこういうところで癒されるなら、この街を選んで得したと思うよ」
下を見れば、水のせせらぎ。上を見れば、堀を覆うアーチ状の木々。水と緑と土と、少しのコンクリートが共存する風景――確かに人工の景色なのだけれど、人工だからこそ感じられるものがある。現に私は気に入ってしまった。
立ち上がるのもちょっと惜しい気持ちになる。
もう一度左手で水をすくってみてから、右手にハンカチを持った。
「多摩川のそばに住んでいるなら、キレイな水にはこだわりがあるでしょ?」
鈍感な親友に念を押すと、可笑しそうに笑われた。
「その通りなんだけどさ、ミチ。ここの水は下水処理水だぞ」
「…………」
「さっき『清流の復活』ってあっただろ? あれさ、清流復活事業っていう東京都の取組でさ、水の枯れた小川や水路に下水処理水を流しているんだ。小平監視所は、ちょうど多摩川の水と処理水を切り替えるポイントなんだよ」
本気で可笑しいと思っているのだろう、けらけらと笑う。
なるほど、道理で私の感性を「メルヘン」で片づけてくれたわけだ。
「いいんだよ、こんなに人間好みの自然なんてありえないから」
状況が違ったなら、千里を水路へ突き飛ばしてやっただろう。きょうのところは、かわいいスプリングコートに免じて許してやる。
「というか、やたら詳しいけれど、下調べしてきた?」
「まさか」
私に背を向けて、千里はすたすたと階段を上りはじめる。先を歩かれるだけで、ちょっと悔しい気分だ。この一日、初めから終わりまでベージュ色にしてやられた。
緑道に戻ると、一番の親友は振り返った。
「そうだ、この先に足湯があるらしいから、行こうよ。時間ギリギリで間に合うはずだ」
「やっぱり下調べしてきたでしょ」
「ゴミ処理場の焼却熱で温めたお湯で温まろう」
「……意地悪」
【おまけのチリばなし】
質問者:田町理さん(19歳、東大和市)
Q「玉川上水って何?」
回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)
A「多摩川の水を江戸まで届けた水路だな。最盛期の江戸の人口はロンドンやパリを凌いだというから、水不足対策が欠かせなかった。だから羽村に取水堰をつくり、現在の新宿あたりまで繋いだんだ。東京は西に行くほど標高が高いから、その傾斜を上手く利用しているんだよ。たくさんの分水が台地を潤した結果、いまの武蔵野の景色があると言ってもいい」
【#01 上水のある風景@立川】
主な訪問地:玉川上水駅、小平監視所、上水小橋
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