#00 回帰のプロローグ
地元は大人になってから
「東京は情報の集積地であり我が国の最先端」と私は小学校時代の教科書で見たことがある。東京都なる行政区に住んだ期間は生涯の約三分の一程度、それでも教科書の記述は事実なのだろうと肌で感じている。しかし、歴然たるその地位に、抗いたい気持ちもないではない。余所にいるときは憧れの対象として思えなくもないが、内側にいると反骨の精神がむくむくと成長してしまうものだ。
そういう感情があるせいで、せっかくのパンケーキが不味くなるのだろう。
古風な趣を感じさせる店内。違いのよくわからないアイドルらしき何某かの楽曲が垂れ流されている。ところどころにアクセントとなるビビッドカラー。客はといえば、私たちですら年上ではないかと思わせるほど若者、若者、若者。
本来であれば私のような世代が好んで飛びつく演出なのだろう。しかし、ただ漠然と「誰かの憧れ」を練り固めたものを、そう簡単に好きはならない。何事にも当てはまることかもしれないが、同好の士がいて初めて、不特定多数の羨望に輪郭を見つけられるのだと思う。
だから、人工的な趣味が押し込められたこの店も、生クリームがこれでもかと盛られたパンケーキも、私に言わせればのっぺらぼうのおばけだ。
「ごめん、ミチ。これはあたしが悪いな」
ようやく息継ぎした親友は、弱々しい手つきでフォークを置いた。幼少から竹を割ったような性質で、口調にさえ遠慮のない御仁がしおらしくするのは珍しい。
「何が悪いの?」
「ここに来ようと提案したことが、だ。全然楽しくなさそうじゃないか」
親友もはるばるここまで来たことを後悔しているようだ。たぶん、私に謝るまでもなくそう思っている。
正直に楽しめていないことを白状すると、親友もまた罪を告白する。
「実はさ、六年ぶりの再会だったもんだから、見栄張りたくなっちゃって」
「ああ、そういうこと」
似たような経験は何度かある。親の都合で小学校、中学校はふたつずつ通ったが、行く先々で妙な歓迎を受けたものだ。もちろん善意なので悪感情を抱いたわけではない。でも、余所者は自然体で迎えられてこそ安心できるのも事実。
まして、東京は知らない土地ではないし、いくつかの故郷のうち最も長い人生時間を過ごしている。
「変なところに誘われたと思ったよ。千里のくせにって」
三つ子の魂が一九歳で抜け切れるはずがない。六年ぶりだろうとわかっている。都心でショッピングにパンケーキ、なんて「それらしい」楽しみ方は、親友の趣味ではなかった。
「バレていたか」
けらけらと思い切りのよい笑い。これでこそ懐かしい、我が友である。
「そうなんだ、あたしに言わせれば、なぜ渋谷まで来て古多摩川の作る段丘を見に行かないのか、と思うよ。もっと興味を持つべきものがあるだろう、と」
「千里らしい」
中学時代が懐かしく思い出される。千里といえば、思春期真っただ中でも「勉強が恋人」というクチだった。そして、自分の知っていることは誰でも知っていて当然と思っているところがあった。
「だいたい、二三区ってのが肌に合わないんだろうな。地方も経験したミチならともかく、生まれてずっと都内のあたしでも、新宿方面には『東京に行く』と言って出かけるもんさ」
「ああ、わかる」
「前に近代文学基礎の講義で聞いたけどさ、このあたりが独歩に言わせれば『武蔵野』じゃん? 変だと思わないか?」
「武蔵野といえば、私たちの地元のことだよね」
「当時と現在じゃ違うけれどさ、いまの感覚では武蔵野に入れたくないよな」
思い出せば、この手の話題を中学生のときにも語らった覚えがある。
そのころは、新宿や渋谷に繰り出して遊ぶだけの自由なお金がなかったので、やっかみのようなものだった。
現在では……ただの悪口といわれても否めない。
「なら、私たちが遊ぶときも武蔵野――というか、多摩のほうがしっくりくるかな――あたりにしようよ。そのほうが肌に合うんでしょ?」
「ええ、何もありゃしないじゃんか」
千里の表情を漫画的に表現するなら、口が八の字に開いて見える顔だ。
経験上いろいろな土地で感じたが、地元への愛着という「何か」は、お国自慢のほかに自虐も含まれている。余所の悪口を平気で言う割には、地元のことは不便に思っているし、褒めることも滅多にしない。
でも、私自身も、ほかの土地では「多摩」を出身地として語っていた。「東京」という肩書がどうしてもつきまとうので、少し卑下しつつそう訂正すると、ちょうどいい会話の枕になったものだ。
「とりあえずさ、今度私の家においでよ。まだ来たことないでしょ?」
「いまは砂川のあたりだっけ? じゃあ、迷惑でなければお言葉に甘えようかな」
渋谷でのショッピングやスイーツ巡りがつまらなかったわけではない。久方ぶりに再開した親友と訪れたなら、どこだって楽しい。場所より人が大切ならば、行き先はもっと近くでもいいではないか――それっぽっちの簡単なことなのだろう。
さっそく手帳を取り出す千里に、「変わっていないなぁ」と独り言つ。