ex02 超時空ターミナル@東京駅
圧倒的「東京」に慄け
「ありがとね、千里。お母さんに付き合ってくれて」
「いいえ、なんの。あたしもおばさんと久しぶりに会えたし」
お盆の少し手前、私たちは、自分たちには似合わない場所に来ていた。
事の発端は、前期の終わりごろ。母からかかってきた電話から始まる。帰省を要求してきたが、私は拒否。五月の連休にも帰省していること、アルバイトの予定が入りそうなこと、もし帰ったとしてもたった数日間なので交通費がもったいないことなどが理由だ。
もちろん、そんな理屈は建前である。
しかし、母に私の魂胆などお見通しだったようで「だったら東京に行く」と言い出した。これを断り切れず、数日間私の家に滞在していた。
滞在の最終日、千里を交えて都心を散策。「東京でないとできないこと」と称してアンテナショップをはしごし、昼過ぎまでショッピングを堪能した母は、ご機嫌で新幹線の改札をくぐっていった。
「さて、ミチ。これからどこに行こうか」
「どこにって?」
「まさか、銀ブラのお供をして満足とは言わせないぞ?」
こういう物言いをするからには、例の如く下調べをして面白い情報を掴んできたのだろう。私たちに言わせればアウェイの地である都心部、千里がどのような知識を入手しているのか見ものだ。
「なら、お手並み拝見だね」
千里のエスコートで最初に訪れたのは、八重洲口。
構内と外と境を跨ぐと、開けた視界に「林立」と呼ぶにふさわしいビルの群れが飛び込んでくる。真っ直ぐに伸びる目抜き通りと直交するのは、外堀通り。タクシーやらトラックやら高そうな外国車やら、ぼうっとしていると吹き飛ばされそうな交通量だ。
「この通りは江戸城の外堀で、舟運にも利用されていた。一九一四年に東京駅が開通するわけだが、先んじて開業していた上野と新橋を繋ぎ、かつ水路にもアクセスできることが立地の最大の理由だったそうだ」
「ははあ、なるほど」
「戦後に空襲の瓦礫で埋め立てられて外堀通りになる」
江戸城の堀は運河としての機能も果たしていたのは有名な話だ。だからこそ江戸は大阪と並んで経済の中心地として発展できた。そういえば、玉川上水もかつて舟運に用いられていたのだったか。当時モノを運ぶには陸上より水上のほうが優れていたのだろう。
「む、反応が良くないな」千里は口を尖らせる。「城のほうが面白いかな」
多摩生まれ多摩育ちの友人は、迷うことなく地下通路に突入する。数多の利用客が縦横無尽に、早足に歩む中を、すらすらと通り抜けていく。それも、東京駅の地下道などという、迷路にも等しい通路をいとも簡単に歩むのだ。
銀ブラとあって平素より少しだけグレードの高い装いの千里がそうしていると、想像で思い描く丸の内のオフィスレディを見ているかに感じる。
やがて、丸の内口に至る。目の前に広がるのは駅前の広場と、その先には江戸城の堀と城郭。背後を振り返れば、赤レンガの駅舎。左右の視界には高いビルが聳え立つ。東京、東京駅のステレオタイプ的な景観だ。
「徳川家康が関東に領地を移されたとき、太田道灌が残した江戸城は荒れ果てていたそうだ。それを改修し、東京湾を埋め立てて城郭を拡大した。拡大された外堀が、さっき八重洲口で見た外堀なんだ」
「丸の内はそれまで海だった、と」
「辰野金吾設計の赤レンガの駅舎は、空襲で焼失していたものが二〇一二年に復元された。意外と知られていないが、駅舎にはホテルが併設されている。ドーム状になっている改札を客室から高みの見物、なんて楽しみがあるそうだ」
東京のど真ん中で優雅に過ごせる贅沢を「高みの見物」とは、千里も口が悪い。
しかし、そのようなサービスが成り立つこと自体、「東京」の力を感じさせる。仮に立川の駅舎にホテルがあって、改札を眺めることができたとしても、東京駅で得られる効用とは比べ物になるまい。
ぼんやりと赤レンガを眺めていると、ようやく千里が大きく息を吐く。
「なるほど、この程度ではミチに満足してもらえないか」
「お、千里さん、気づきましたね?」
私にとって、東京駅は常に目的地であった。現在でこそ帰省で福岡と行き来するが、それまでは大学受験や修学旅行で利用した。空想の中で、転校で別れた友人――千里も含まれる――と会いに行くために第一に目指したのも東京駅だ。今更になって、教科書通りの駅の実像を知ったところで、さほど驚かない。
対して、府中市民であり都民である千里は、東京駅を出発の地として利用してきた。身近さゆえに、教科書通りの「知っているようで知らなかったこと」が千里にとっては面白かったのだろう。
私と千里とでは、東京駅に向けるまなざしにズレがあったのだ。
「ミチが福岡県民ということを忘れていたよ」
「まあ、東京のほうが長いけん」
「そういうことなら、直球勝負では面白くなくて当然だよな」
再び、駅舎へと歩みだす。行先の予告はない。今度も地下道へと入っていく。
「お、このあたりって修学旅行の集合場所だよね?」
丸の内口の南口寄り、象牙色の床や壁面に囲われる広場だ。真っ昼間の時間帯なので団体客の姿はない。都心の駅の地下道に似つかわしくない広大なスペースは、東京の児童、生徒たちの高揚感をも収められる設計なのだろう。
千里の目的地は、その集合場所からそう遠くない場所らしい。きょろきょろと周囲を窺いながら、私の何歩か先を歩いている。かと思えば、私に一度追い抜かれてから、私が通り過ぎた道をじっと見つめることも。
「コンタクトでも落としたの?」
「ああ、その手の小さいものだが、ロマンはとてつもなく大きいものだ」
ふうん、と相槌しているあいだにも、千里は捜索を再開する。姿勢を低くしたり、背伸びして上方に目をやったり。放っておけば地面に這いつくばって探しはじめるのではないか。そういうふうに、夢中にものを探すうちに周囲の視線を忘れ、地べたに張り付いてしまうのは誰だったかな……? そうだ、シャーロック・ホームズだ。
と、熱中する千里の背後で、私も探偵ばりの観察眼で行動の意図を察知する。さっきから、探し物をするからには床を見ているのだと思っていた。しかし、それは誤解だ。この変わり者は、壁を熱心に見つめている。
千里が壁に向かって「これはいいな」と発言したのは、集合場所を離れ、商業ビルに通じる通路に入ったところだった。
「ミチ、これが何かわかるか?」
指し示されたのは、やはり壁。象牙色の中に、キャラメル色の模様が浮かんでいる。よくよく見て形状をはっきり認識すれば、確かに見覚えがある。
「これ……オウムガイっていうんだっけ?」
「惜しい、こいつはアンモナイトだ」
壁にはっきりと浮かんだ螺旋形。大きさはせいぜい指先ほどのもの。まさか意匠ということはあるまい。
「でも、どうしてこんなところに化石が?」
「この壁の原料が大理石だからさ。トルコで採取したものらしい」
「大理石だからどうなの?」
「地質学的には、大理石は結晶質石灰岩に分類される。だから当然、アンモナイトが紛れこむこともある」
当然かどうかはともかく、石灰岩と聞けば思い出す。石灰岩は海底でサンゴの遺骸などが変化してつくられる。それなので、同じく海に棲んでいたアンモナイトの死体が紛れこみ、長い時を経て化石になることもあろう。
大理石といえば、華やかで高貴な空間を演出する建材である。つるつるとして美しいそれは、ともすれば岩石あることさえ忘れてしまう。
そこに、小さな歴史の証人が見つかるとは。
「これって、すごく珍しいことだよね?」
「もちろん。化石ができる向きはランダムだし、まして石をカットする向きもその時々だ。化石全体が綺麗に見えることはそうそうない。化石自体はたくさんあるから、探せば結構見つかるのだけれどね」
大都市圏の顔たる東京駅。東京はおろか全国の交通網を支える巨大ターミナルとして常に注目されているが、それもいかほどのものか。駅や商業施設としての機能にばかり目をやっていたら、太古の時代に思いを馳せることはできない。しかもそれは、江戸や明治、昭和の時代を振り返るのとは訳が違う。気安く「歴史ある」などと冠して評するけれど、その程度の歴史などちっぽけだ。
なるほど、私たちは改札を行ったり来たりするだけの、小さな粒子にすぎない。たとえ駅併設のホテルから「高みの見物」をしようとも、わずか一瞬のこと。だからこそ贅沢な経験なのかもしれないけれど。
私に退屈と言われて凹んでいた千里も、得意な調子を取り戻す。
「どうだ、半端に歴史を遡るくらいなら、いっそ古生代まで戻ろうと思ったんだ」
この駅にかかれば、時空を超えることすら容易なようだ。
【おまけのチリばなし】
質問者:田町理さん(19歳、東大和市)
Q「東京駅は始発駅ではなかったの?」
回答者:市ヶ谷千里さん(20歳、府中市)
A「中央線の前身である甲武鉄道は当初、新宿―立川間で営業運転を開始した。東京駅を始発とするのは、東京駅開業後、かつ甲武鉄道が国営鉄道に編入されてからのことだ。一時期は中野始発で新宿を通り、神田からお茶の水、品川や渋谷を回って再び新宿を経由して、上野に至る『の』の字運転をしていた。東京奠都からわずか数十年で鉄道網をほぼ完成させるのだから、当時の熱気は想像もできないな」
【ex02 超時空ターミナル@東京駅】
主な訪問地:東京駅、東京駅八重洲口、東京駅丸の内口
(訪問地リストは省略)




